5 夢のようだった1日
次の日、団長が迎えに来るという明日までどうやら任務などは来ていない様なので休息の時間が設けられた。
「ふぁあ」
二日目でも慣れない硬いベッドから起き上がり部屋を出て行く。昨晩はあまり寝つけなかったが、寝れもしないのにベッドで横たわるのは、なんだか時間が勿体ない気がした力哉は気晴らしに外へと出てみようと思っていた。
ここにいる人たちに伝えるべきなのか、そうするべきではないのか。自分は逃げるべきなのか、戦いに行くべきなのか。
「おっす、良く眠れたかい?」
中背中肉の兵士が朝からビールの様な飲み物を携えて力哉に向かって手を振る。階段を伝って階下に降りた力哉は周りを見渡しながらその兵士に訊ねる。
「他の人は何してるんですか?」
周りを見ても数人ほどしかいないのが不思議に思った力哉はその兵士にまだ酔いが回っていない事を祈りつつ返事を待つ。
「あー……、いろいろだよ。狩りをする奴もいれば釣りをしに行く奴もいる。部屋でまだ寝てるやつもいるし、そのへんブラついている奴だっている。因みにディアちゃんはこの時間、洗濯物を干しに裏の方に居るだろうな」
存外に口下手だった兵士に軽く会釈して外へと出て行ってみる。まるで戦争するようには思えないほど外は静寂だった。しかし明日にでもこの場は戦場へと様変わりしてしまう。そう考えるだけで力哉はゾッとする。
朝から稽古をしている兵士がいる。腕に残る傷を見ると生々しく目も当てられないほどの切り傷だった。
「戦争に駆り出されるのは不安か?」
素振りをしながら近づく力哉の存在に気付いた兵士が口を開く。
「昔で言う徴兵令とかで連れていかれた人の気持ちが今なら分かる気がする」
「はははっ、ちげぇねぇ」
含みを込めてその兵士が笑うと素振りを止めて重い剣を鞘に仕舞う。
「俺だって、会社の事務員からこんな事になっちまうなんて思いもよらなかった」
「え」
力哉は驚き息を漏らす。とてもじゃないが会社の事務員をやっていたようには見えない、自衛隊とか少なくとも体育会系のようながたいをしている兵士がただの事務員だとはどうしても思えなかった。
「この肉体も、生き残るために鍛えるしかなかった」
すると兵士は服を脱いで上半身を力哉にむかって晒す。
「だけど鍛えたところで所詮は人間、何度も死にそうになったよ」
腕の傷よりもはるかに深く、そして多く傷跡が目立っている。自然治癒を施そうとも決して消えない傷、後遺症として記憶にも深く残る恐怖。同じ世界から来たという接点で多少の仲間意識があった力哉も一気に引き離されたような気がした。わけのわからない世界で取り残されている。
「俺は」
「野暮なことは言うなよ。あくまで戦いで受けた傷だ、前線における戦いは決して絶望ばかりじゃない」
兵士は俺に向かって剣を差し出してくる。
「振ってみろ、最低でも太刀を受けきれるようにはなった方がいい」
力哉は柄を握り感触を確かめる。
「槍よりは軽いけど、片手で持つとやっぱキツイかも」
試しに水平に構えてみる、重みがあるせいか十数秒しか保ちきれない。振ってみても狙いを定めきれない。どうしてもフラついてしまう。
「くそっ」
こんなことで戦場に駆り出されて、生きて帰れるのだろうか。
そんな想いで頭の中がいっぱいになる。
「そんなに力むな。振り下ろすときは一瞬だけでいい、最初は剣の重みで自然に触れるから」
「扱えるようになりたい」
その一心でしばらくの間、剣をあらゆる方向に振りぬき、剣道の容量ですり足をしながら流れを作る。
「ある程度満足したらそこの武器置き場に戻しておいてくれ」
宿舎の横に小さな小屋があり兵士はそこを指差していた。
いきなり練習したところで付け焼刃の技術でどうにかなるなんて微塵も考えてはいない、だけど何かをせずにはいられなかった。
「疲れを溜めない様に、ほどほどに、頑張ります!」
振りぬきを繰り返しながら兵士に答える力哉。そして兵士は武器置き場から斧を持ち出し森の中へと入っていく。薪をくべに行ったのだろう。
しばらく剣を振り続けていたがスタミナはすぐに底を突き、その場に倒れ込んでしまう。
「ぜぇ……ぜぇ……」
慣れない事はするものじゃない、ということが身に染みただけだった。
「リキヤさん、何してるんですか?」
ディアの声がしたので見上げる様にその姿を確認する。
「いやぁ、少しくらいは強くなれるかな……なんて」
「頑張り屋さんですね」
恐らく力哉の素振りは見ていて相当見苦しいものだったに違いない。しかし、ディアはそんな事は思っていないという風だった。
「ディアさんは、何してたんスか?」
「一応、ココに住んでる人たちの洗濯物を干していたんですよ」
ディアの立っている位置から奥の方を見ると物干し竿があって、籠の中からシーツ類がはみ出ていた。どうやらまだ干している途中の様だ。
「よし、手伝いますよ」
そう言って力哉は疲れが回復しないままに立ち上がりフラフラと洗濯物へと向かっていく。
「フラフラじゃないですか!? いいですよ、そのまま休んでいてください。これはそもそも私の仕事なんですから」
力哉の身体を支えながらその場に寝かそうと腰を下ろすディア。力哉はそれに逆らう気力もなく大の字に倒れてしまう。
「不甲斐ねぇなぁ」
力哉はドッと出た疲れによりゆっくりと眠りにおちていく。
「出来るだけ戦いには身を投じてほしくはない、そんな事を想ってもリキヤさんは闘うのですね……。そうしなければ生き残れないですもんね」
風の斬る音でディアが何を言ったのか聞き取れなかった力哉は、そのことを尋ねる間もなく思考が停止する。
ディアは僅かに頬を掠める風に対して髪を耳にかけ己が為すべき仕事へと戻る。
力哉はむくりと起き上がった。
何かがあったわけではない、唐突に眼が冴えただけのことだった。
「これ以上寝てたら、夜寝れなくなるよな」
そう呟くと、立ち上がり強張った体の筋肉をほぐす為に一つ、伸びをする。あちこちパキパキと軽快な音を立てて、げんなりする力哉。
「誰も居ないのか?」
あまり遠くに行ってはならない、ここは戦地だから。そう言われている手前、どこに行く宛もない力哉だったが、少しくらいの散歩なら大丈夫だと森の中へと脚を踏み入れる。
「見たことない植物ばっかりだ。とくに詳しいわけじゃないから、あっちの世界にもあったりして」
一人っきりでいるため、つい独り言が口をついてしまうが誰も居ないせいか、気兼ねが無くて妙にスッキリする。
「有毒とかないよな?」
色のついた花は別段不思議ではないが何が起こるか分からない以上、不用意に触ってはいろいろと危ない気がした力哉はなるべく植物から距離をとる。さざめいている風で揺れ動いている草花がまるで生きているように揺れいて少々の不気味さを感じさせる。実際はそんな事は無いと思っていても、もしかしたらという考えを払拭できずに森の中で身動きが若干とりづらい。
「止まりやがれ、なね」
葉鳴りに混じって少女の声が聞こえてくる。力哉はしまったと思いその場に身を屈めて周りに気を配る。
「隠れても無駄だ、お前たちの目的は何なね」
「たち?」
力哉が身を潜めようとした理由としては、誰かに見つかったのは確実でそれが誰か、によるものでだ。これから戦争をする敵側だったなら下手に発言を間違えると直ぐにでも戦争が起こりかねない。仮に味方側だったとしても不用意に森に入ってはいけない規則があるなら何かしらの処罰は受けることとなるだろう。
第一行動としてはどちらだったとしてもまずは隠れることが正解だろう。しかし、それも無意味となってしまった。
それ以前に、声の高さからして少女のような声という部分に引っかかりを感じている力哉はこんなところに子どもがいるのか? と思案するが理由が無い。したがって怪しい人物という事は絶対的に間違いない。
「質問に答えるね、それともお前の口は植物を食うためにあるんなね?」
声の出所が一気に近く感じた。足音など一切聴こえないのに、それとも葉鳴り音で聞き逃しているだけ? そんなことを考えながら視線を低く戻すと地面から童顔の少女がこちらをジーッと見ていた。
「うぉわぁあ!!」
さながらホラーのような雰囲気でこちらを見ていた少女に驚き、身を竦ませた拍子に腰を抜かしてしまった。
「乙女の顔を見て驚愕とか教育の為ってないガキなね」
少女は地面からぬぅっと上体を引き上げ、下半身と徐々に露わにしていく。身体中に植物の根が巻き付いて葉っぱで覆われているその格好は身を隠すにはもってこいだった。だが頭には大きなキノコの被り物をしていて目立つことこの上ない。全てを台無しに出来るほど禍々しい色相をしているキノコに関してはどうしてその色を選択したのか問いただしたい気分ではあった力哉だがすんでのところで留まる。
「括目するがいいね、私が人の前に姿を現すのはお前で三人目ね」
力哉は少女の言葉に疑問を抱きながらも敵意は無いと感じ取ったことで警戒心を薄ませる。
「今出てきたのも魔法って感じか……何でもアリだな、ホント」
地面から出てくるなんて心臓に悪そうだ、そんなことを想いながら地面の感触を確かめる。普通の地面だと再認識したところで立ち上がる。身長はキノコの被り物のおかげで力哉より少し高いくらいだが本来ならば力哉の胸辺りまでの身長しかないその少女はジーッと見定める様に力哉を見ていた。
「この魔法はそれぞれの属性のなかで窮めないと扱えない魔法なね。素人がバカみたいに真似すると地面の奥の奥まで落ちて熱源地で黒焦げだね」
ニヤニヤと語る少女の言葉にブルッと身震いする力哉は真似は出来ないけど出来たとしてもやらない事を心の中でひっそりと誓った。
「で、お前たちの目的は何なね。私に何をさせようとしているね」
少女が一歩、詰め寄ってくる。それは恫喝するような雰囲気を醸し出していて、迂闊な事を言えば殺されてしまいそうだった。先ほどの様子からは想像できないほど気の変わりが早い。
「お、俺はただ止めたいだけだ」
言うのを躊躇った力哉だが、どうやらこの少女は戦争と関係がなさそうだと直感的に判断したことで思いの丈を吐き出してみた。
「死なせたくない人たちがいるんだ。そのためにはココで起こる戦争を止めなければならない」
「あの男もお前も全く同じことを言うね、しかもそれは本心なね」
『この子は嘘をついていない』『だけどこの子に魔力は無い』
「そう、なね。でもあの男とは約束した手前、不可能となるとプライドが許さないね」
『ビックリするくらいこの子の中は』『空っぽ空っぽ』
力哉には不思議な声が聞こえず、ただ少女が独りでに納得している様子しか目に映らない。故に何をしているのか分からない。
「目覚めないわけではないね、おいお前。喜べ、私の魔力を注いでやるね。それでお前の言っていることが叶うかどうかは分からないがね」
すると少女の身体に巻き付いていたツルが地面へと吸い込まれていき、着ていたものが無くなり全裸になった少女が力哉の瞼に焼き付いた。
「うわっ! ちょ、駄目だって女の子がそんな事を」
「黙るね、お前に見られたところで恥じらいも糞も無いなね」
すると足元を伝ってツルが力哉の身体に巻き付いてくる。咄嗟の事で抵抗の意志を示す前に、それらは力哉の行動を封じてあっという間に身動きが取れなくなる。
「なんだよ、これ。放せよ、放せって!」
「黙れと言ったね。私もいい加減にこの戦争には飽き飽きしていたところだ、お前が終わらせられるならそれで別にいいね」
裸になった少女が力哉に近付いてくる。身動きは愚か指先一つ動かせない力哉は何もできずに歩み寄る少女の行動をひたすら待つだけ、そして力哉の口に右手を突っ込みそこから流れる様に根が体内に入り込んでいく。
「あぐぅ!?」
とめどなく押し寄せてくる吐き気に目尻に涙が浮かび息が出来なくなる。激しく抵抗するも植物の根強さにただただ悪戯に体力を消耗していく。
「あの男の言う事も一理あるが、私はプライドが高いね。約束通り戦争は終わらせる力は与えるけどちょっとした仕掛けも施させてもらったね」
力哉の口から手を引っ込める頃には既に白目を剥いて気絶をしていた力哉だった。力なく倒れていく力哉に冷ややかな眼差しで見下ろしながら少女は口を静かに開く。
「忌々しい人間、私の力を利用しようとした報いは受けて貰おう」
少女は地面に吸いこまれるように、沈み跡形もなく消えていった。