10 また離ればなれ
「お嬢ちゃん、ここはまだ改装が済んでないんだ、危ないから近寄ったらいけないよ」
木材を肩に背負った男が広場の真ん中に立っている少女にむかって声を張る。立ち入り禁止の立札をしていた筈だが、どうやら知らずに入ってきたようだ。
「…………」
無視しているのか、はたまた茫然としているだけなのか、少女は一切反応を示さず竜交祭の会場となる広場の真ん中でただただ立ち尽くしている。
「迷子なのか?」
「……ねぇ、この会場っていつ完成するの?」
こちらの質問には答えず、問う少女。
「ざっと二週間、ってとこかねぇ」
ため息交じりな男の答えに、
「そう」
と、小さく声を発しただけだった。
「竜交祭、好きなのかい?」
男は少女が見ている未完成の会場を見渡しながら訊ねる。
「ええ、それはとても」
「そうか、でも今日の作業は終わりだからそろそろ出て……」
男が見た少女は、静かに涙を流していた。男は言いかけた言葉を咳払いで濁すと、
「もう少しだけな」
そう言うと男は再び作業に戻って行った。あたりはすっかり夕焼けに包まれて、未完成のこの会場でもどこか趣のある背景へと化している。少女は近くにあった噴水の下へ腰を下ろす。とても静かな空間だ。
『お前はただその家に存在していただけだろうが』
「分かってはいたけどそこまで的確に言われると、流石に傷付くわね」
自分でもわかっている。人の心を傷付けていることや、反感を買うような態度も。だけど今は心に余裕がないのだ。自分を分かっていて、役目もしっかり理解している人が羨ましい、妬ましい。
「私は誰」
「貴女はセネカ……ロージャ家現当主セネカ・ロージャ様ですよね」
その男は噴水前のセネカの隣に、いつの間にか座っていた。
「ひっ――」
咄嗟の事で助けを乞う叫び声を上げようとしたセネカは、叫ぶことが叶わなかった。隣に座っていた男の眼が語りかけていたからだ。
『声を出すな』と。
セネカは恐怖に直面していた。だが相手を優位に立たせまいと即座に立ち上がり、突然現れた男に向かい直す。
「私に何か用?」
男はセネカに合わせる様に立ち上がり向かい合うと、その冷ややかな眼差しを穏やかに変えて、
「いやいや、そんなに構えなくていいんすよ。いちお、これなもんで」
男はポケットからキャルベラン国憲兵隊の勲章を取り出し、セネカに見せた。偽物という線は無さそうだ。
大方、屋敷で寝ていたリーンが目を覚ますとセネカが居ない事に気付き、憲兵に捜索願を出した、というところだろうか。セネカの敵意はすっかり消え失せた。
「私を連れ戻しに来たってこと? 悪いけどまだ戻るつもりはないわよ」
セネカはきっぱり断りを入れる。だが男は退こうとはしなかった。
「うんうん、そのほうが俺にとっても助かるね。今から君を連れ去る手間が省けるってもんだ、それにもう帰る家なんてとっくに無いんだから」
「は? どういう意味、それ」
男は不気味に微笑む。夕日が照らす男の顔がセネカには恐怖の産物としか感じることが出来なかった。ふつふつと嗤う男は口で何を言おうと無駄な気がした。その眼は人間を相手に喋っているというよりも、生命ではないものに対して語りかけているようだから。道具のように人を見る人間。
『奴隷とか愚民だったくせに――』
「っ!?」
セネカは思わず涙ぐんでしまう。自分でもそれは分かっていたじゃないか。なのに、リキヤという男の立場を、状況を見ていなかった自分の責任でしかない。
私も、こいつと変わらない……っ。
「そろそろ立役者が登場する頃かな」
男は後ろを向いた。
「やぁ、またあったな。召喚奴隷くん」
息を切らしながらリキヤは立っていた。セネカは流れている涙を拭う事を忘れ、その表情をリキヤは見逃さなかった。
「おいおい、屋敷を抜け出したくらいで兵士ってのは女の子を泣かせたりするもんなのかよ」
……人の事は言えないけど。
リキヤはバツが悪そうにセネカを見た。
「悪かったな、怒鳴ったりして」
するとリキヤはその場で雷鳴を轟かせ、稲妻を纏いながら男の後ろに回り込んだ。右手が使えないので左手で一発首筋に電撃を浴びせると、男はすぐさま倒れてしまった。
「……!? その魔力、なんなの……いったい」
セネカは予想外なリキヤの素早さとどこか身に覚えのある魔力を感じ険しい顔つきになる。セネカは慌てて涙にぬれた顔を拭って、顔を赤らめながら俯いた。
「その……ごめん、なさい」
倒れた男が完全に気を失っていることを確認したリキヤはセネカの頭の上にそっと手を乗せた。
「いや、俺のほうが大人げなかったんだ。むしろ俺の方が謝るべきだよ、ごめん」
セネカは鼻をすするとケロッと表情を変えて倒れた男に向かって歩き出す。
「それにしても妙な事を言ってたわね、この男…………え」
男の顔を見たセネカは凍りついたようにその場に固まった。その途端、セネカは全身に寒気が奔り震えだす。
「この人、じゃない……この人じゃない!」
セネカはリキヤに飛びつくとリキヤはバランスを崩し後ろ向きに倒れていく。するとリキヤの脇腹に痛みが迸った。
後ろに倒れ込んだリキヤはゆっくり眼を開くと、一瞬だけ理解が出来ない状況が目の前にあった。
「なんだ、なにが起きた?」
男の倒れた身体から槍が突き出ていた。まるで仕込まれていたように背中から突き出た有り得ない光景に……、そしてリキヤの服に付いた血が自分のものでは無かったことに。リキヤを庇う形でセネカは倒れていた。槍がセネカの腹を貫き、リキヤの脇腹を掠め、二人とも倒れていた。
さらに驚いたことは、倒れている男は先ほど気絶させた男ではなかったというところだろうか。服装は一緒だった、的を間違えたつもりもない。
何故か気絶させた対象が変わっていた。
「あーあ、無駄な怪我負いやがってよ」
倒れている中年風な男の背中を破り、さきほどの兵士だった男が現われた。セネカを貫いた槍を掴むとその槍は消えてなくなった。リキヤにはそれが自分の手元に戻したようにも見えた。
「あ、召喚奴隷くん。動いたらこの子殺すからね」
言うが早いか男は血だらけのセネカの腹を抱え高く跳躍した。
「リ……キヤ……」
「そうか、リキヤって言うのか君は。俺も名乗っておこうか、グロート・バレンティン」
兵士だった男、グロートはセネカを抱きかかえたままリキヤを真っ直ぐ見ていた。まるで何かを待っているかのように。
「何が目的なんだ!」
リキヤは声を大にして問う。それしか今は出来ない。奇襲に失敗したリキヤは同じスピードでグロートに通用するとは思えない、それにセネカを人質に取っている分慎重にならないといけない。手は出せない。
「俺達は、ようやく見つけたんだよ。このバカみたいな世界を変える方法を……そのための一部でしかないのさ。このセネカっつーお嬢ちゃんは」
「なんだよソレ! そんな女の子を巻き込んでお前らはいったい……っ!!」
グロートは唇に人差し指を当てた。
「大きい声出すから」
空気が一気に冷たくなった。それは陽が落ちたからだけではなかった。それだけで説明が出来ない、そんな気持ちにリキヤはなった。
「魔力感知できないってつくづく不便だよねぇ、いやこの場合は殺気が勝ってるかな。とにかく役者が揃った」
「見つけました、ようやく」
ゆっくりとこの広場にやってきた人物が放っているこの空気にリキヤは全身の毛が逆立ちそうだった。
「ルティさん」
死にもの狂いで二度、戦ってきたリキヤは気付いていた。ルティの殺気が、自分の方に向いていたという事実に。その理由は定かではないがリキヤは警戒心を見せた。
「それじゃ、リキヤ! あとは足止め頼むぜ? 一足先にアジトに戻っとくからよ!!」
リキヤを失墜に呑み込ませる一言を言い残し、グロートは素早くその場から逃げ去った。
「おい待てよ!!」
「待つのはあなたの方ですが?」
グロートを追いかけようとしたリキヤの足先数センチのところに火花が奔る。地面が僅かにコゲていた。
「魔法ばかりと思っていたけど、銃まであるのか……この世界って」
嫌な汗がリキヤのこめかみを伝って下へと流れた。少しの魔法でさえ今のリキヤには体力消耗を激しく強いられる。それすらさっきのグロート相手にスカしたばかりで呼吸が整っていない。
「何か企もうとしていますね? 無駄ですよ」
一か八かっ!
体重をかかとに掛けて思いっきり飛ぶ。一瞬でここを抜けきれば、グロートに追いつける可能性は充分にある。セネカをすぐさま取り戻すためには、ルティを説得している時間が最早惜しい。
グンと勢いに乗ったリキヤは空を切るように広場から出れた、筈だった。しかし、眼前に広がっていたのは広場のステージだった。
「っ!?」
リキヤは抵抗する暇も無くステージとなる骨組みに突っ込んでいた。おかしい、確かに高く飛び出した筈だ。だが、リキヤは体のあちこちが痛むことに違和感を覚える。突っ込んだ時とは違う別の痛みが既に体感していた。
「あなたが跳躍したと同時にこちらで軌道を変えさせていただきました」
ルティは片手に携えたショットガンのような形状をした銃を見せびらかす。リキヤにはその言葉の意味が分からなかった。
「簡単です。あなたの飛ぶ方向をあらかじめ弾道で導いただけのことです。数十発当てれば軌道は大きくズレる」
ルティは倒れ込んでいるリキヤに近付きこめかみに銃口を突きつけた。
「セネカお嬢様は、どこに連れ去りましたか?」
「嘘だろ、雷を伴ったスピードだったと思うんだけど……ぐぁあ!!」
右腕に一発撃ちこまれた。
「いくら装具を付けているとはいえ、キズに響くでしょう? アシュリアお嬢様とディアお嬢様のおめがねに掛かっているとはいえ、優先すべきこととはズレます。口調から察してもあの男となんらかのつながりがあるであろう、もといセネカ様を連れ去った張本人……あなたを尋問する理由は十分です」
「グロートってやつが誘拐していったのを見てなかったのかよ、明らかに狙う相手間違えてるだろ……」
「では、そこに倒れている人は、あなたの仕業ではないのですか?」
ルティは無理矢理にリキヤを起こし、俯せに倒れている中年風な男の下へ歩かせられる。リキヤはそれを見て驚嘆した。その男はリキヤが放った攻撃以外の外傷を一切負っていなかった。
「おか、しい。背中が開いてた筈だ、まるで脱皮をしたみたいな……!」
幻でも見ていたのか、もしくはグロートとかいう男の仕業なのか? とうとう俺の頭がおかしくなったのか。
訳が分からなくなっているリキヤを余所にルティが引き連れていた兵士が遅れてぞろぞろと広場に集まってくる。
「セネカお嬢様を連れた何者かが逃走しました。ここは大丈夫ですので引き続き街中の捜索をお願いします、それと……」
「がっ」
ルティはリキヤの後頭部に銃身を振り下ろした。
「この方を牢に幽閉してください。敵の情報を持っていると思われます」
リキヤの眼が静かに閉じていき、その場で覚えていることは、ここで全てだった。




