4 宿舎の存在価値
「逃げよう」
呟いた力哉は言葉の通り夜中にそれを決行した。ゆっくりと部屋を出て、誰も居ない事を上から確認したのち、階段を下りる。薄暗かった食堂が灯りを完全に失っており月明かりが天窓から差し込むだけだった。
「どうにかすれば元の世界にだって帰れるかもしれない」
力哉は不思議でたまらなかった。ココの兵士たちは毎日を生きていく事ばかりを考えていて元の世界に帰るという願望がいっさい見受けられなかった。今日の戦いだって多くの仲間が死んでいるというのに誰も悲しい顔をしていなかった。それほどこの生活に慣れてしまったということなのだろう。そうなってしまってはおしまいだ、力哉はそう感じていた。
「そもそも何故俺が召喚された?」
召喚と言うワードを訊いた限り、誰かが意図的に力哉を召喚したということになる。だが、無差別に巻き込まれたというだけなら話はそこで終わってしまう。力哉はどうにか結び付けようと頭を捻ったが圧倒的情報の少なさがそれらを足止めしてしまっていた。
玄関口と思しき扉の前まで誰にも見つからずに来れた。不思議に思ったことが見張りが一人も配置されていないことだった。
何故誰も逃げようとしない……。外の様子を直接窺ったわけではないが、部屋の窓から見える景色は木々が生い茂っているだけでフェンスやら有刺鉄線がある風にも見受けられなかった。とくに問題はないと高を括って力哉は脱走を試みたのだ。
「お待ちを……」
扉を開けた瞬間に声を掛けられ思わず外へ出て扉を閉めた。それと同時に壁に張り付きやり過ごそうとした。
「あの、私はここですけど」
後ろから声を掛けられて驚いた力哉は悲鳴を出すわけにはいかず口を覆いながら前かがみに倒れる。
「だ、大丈夫ですか?」
まわり込んで目の前に腰を下ろした人物は給仕係のディアだった。力哉は恥ずかしい姿を見られたと思い目を背ける様に視線を下に下げる。するととんでもない光景が目に映ってしまった。
「なっ……う、薄ピンク……」
興奮のあまり、つい口をついてしまった。
「え?」
力哉の視線を追うように目線を下げたディアが羞恥により顔を真っ赤に染めた。
「ひっ」
明らかに悲鳴を上げそうになったディアの口を慌てて左手で塞ぎもう片方の手で自分の口に人差し指を立てて静かにするようジェスチャーを送る。急ぎのあまり押し倒す形になってしまったが涙目になりながらもコクコクと頷くディアを見ていると自分が犯罪チックな事をしているんじゃないか、罪悪感が湧いてきた力哉だったがこんなことをしている場合ではないことに気付いた。
「ご、ごめんなさい。でも俺いつまでもこんなところに居るわけには行かないんです」
それだけ言って、立ち上がると周りを気にしながらも森へと入ろうとする。
「待ってください」
再び呼び止められ、立ち止まり振り返る。力哉はさきほどの失礼な行為の事も含めて早くココから立ち去りたい一心だったが、罪悪感とそれに伴う償いの気持ちも混じってはいるのでとりあえずは誠意を示すつもりで話くらいは聞いておいてもいいのでは、と自分の中で葛藤した挙句、立ち止まって話を聞くことにした。
「あなたが何処かに逃げようとしているのは分かっています。理由も私には分かります、それを承知のうえでお願いです。どうか、ここから逃げようとは考えないで下さい」
「なぜ、ですか?」
言いよどむように下を向いているディア。両手は自分の服をギュッと掴んでおり何かを必死でこらえているようにも見える。
「……ココに来た異界の方々は優しい人たちばかりでした。この世界で奴隷扱いを受けているにも関わらず、私なんかにも嫌な顔をせず接してくれます。そんな方々が次々に死んでいくことが、耐えられないんです」
力哉は数歩、ディアに近づいて怪訝そうに顔を覗き込む。
「何が言いたいのか、何を伝えようとしているのかハッキリと言ってください」
少し苛立ちを見せる様に言う力哉。一刻も早く元の世界へ帰りたい力哉にとって一分一秒すら惜しかったのだ。
「この辺一帯は戦場地です。私たちがいる国と隣国との中央寄りに位置します。休戦状態の現在、迂闊に動けば奇襲と勘違いして徹底抗戦が始まります、ですから脱走など出来ようがないのです」
力哉は耳を疑った。
「冗談はやめてくれよ……だいいちここが戦場だってんならなんでこんなところにこんな建物が……」
言いかけて力哉は気付いた。それと同時にディアの表情が冗談などではないと語っていた。
「そんな……それじゃ、ここはまるで」
「作戦の為の囮なんです。私たち……いえ、この建物自体が」
背筋にゾクリと寒気が奔った。あまりに残酷な事態の掌の上だという嫌悪感と自分たちの状況下に対する怒りが同時に湧き上がった。
「それじゃ、俺が異動させられるっていう戦場は……」
「はい。端的に言えば囮から戦力へと変わります、ですからあなたはある意味助かる見込みが、可能性が増えたともいえます」
ディアは力哉にそっと微笑む。月明かりの下に映し出されるディアのその笑顔はどこか物悲しそうに見え、力哉の中では既に脱走しようという考えは消え失せてしまっていた。
「ここの連中は囮のことを知って?」
「知りません。伝えるなとの指令ですから」
寄宿舎を見上げながらディアはさきほどと変わらない笑顔で再び力哉に振り返る。力哉は激しい歯軋り音を立てた。
「なんで、そんな大切なこと俺に伝えたんですか。いったい何の企みがあって……」
「聞きました。あなたは自分の命の危険も顧みず、初戦で子供たちを助けたって。あなたはお優しい方です、そんな方が真っ先に死にに行くのは耐えられません。こんな時代で、そのような正義感を持った人が居なくなることが嫌なんです」
力哉は全身の力が抜けたのか、その場で座り込んでしまう。
「俺は……そんなんじゃない」
静かに、否定した。だけどディアは首を横に振り、反対に力哉の言葉を否定した。
「明後日には団長が迎えに上がると思います。どうか、戦場でも希望を捨てずに頑張って下さい。それではおやすみなさい」
軽い会釈をしてから、錆びつきかけた扉をキィと短い音を立てて閉める。力哉はしばらく寄宿舎と月を眺めていた。
やはり逃げ出すことも出来た。ディアが言った事全てが本当だという確証もない。ただ力哉を脱走させない為だけのでっち上げだったかもしれない。それよりも腹立たしかったことがあった。
「戦場に出せない奴は、何も知らない囮になるしか無いってのかよ……」
その作戦を考えている人間は、この寄宿舎にいる人たちを、同じ人間扱いしていない。そう思うだけで怒りが込み上げてくる。
「よっ、期待の新星」
振り返ると森の中からアキラが顔を覗かせていた。
「戦場のど真ん中だっつーのに呑気にお月見ですかぁ? 気楽だねえ」
「なっ、お前、知ってたのか!?」
力哉の隣に腰かけるアキラがフッと笑みを零す。
「なんつーか、そういうラノベとかたっくさん読んでたせいか、こういう事に関して妙に勘が働いちゃうんだよね」
力のない笑いだということに力哉は気付いた。
「なんで、そこまで知っててこの状況を受け入れられるんだよ」
その態度に怒りを露わにしそうになった力哉が呆れたように尋ねる。
「知ってるか? ディアちゃんもな、俺達とココに残るんだよ」
「え」
静かに声を漏らした。それもそうだ、てっきりディアは自分と同じように明後日、団長から連れて行かれるものだと、安全な場所へと連れて行かれるのだと力哉は勝手にそう思っていた。だけど、ディアはこの寄宿舎に留まろうと言うのか。どうして?
全てを知ったうえで、何も知らない人たちとともに敵の格好の的として、囮として。
「俺も腹ぁ、括ってんだよ。女の子がここまで覚悟してるのに俺が戸惑ってちゃ、ダサいだろ?」
照れくさそうに頬を掻いたアキラは徐に立ち上がる。
「ほら、もう寝ようぜ。身の振り方は明日にでもゆっくりと考えればいいんだからよぉ」
屈託のない笑顔でそう答えると、アキラはゆっくりと歩き出す。
「俺さ」
アキラは立ち止まり、振り返る。
「お前らの事、死なせねえから」
微かにアキラは鼻で笑った。
「期待しとくよ、力哉」
アキラの後を追うように力哉も寄宿舎へと戻っていく。