1 ロージャ邸のメイド
王都キャルベラン。海に面したこの街は毎日が活気に満ち溢れている。港が近くカモメの鳴き声がよく響いている。子供が笑顔で駆け回る、まさしく平和な国だ。
丘の上、海がよく見える規模がまあまあ大きな家があり、ソファで横たわる青年はそんな平和をぶち壊すほどに不機嫌な面を滲ませていた。
「ちくしょうめ」
みると利き腕である右手にはグルグルと包帯が巻いてあった。不幸そうな男、リキヤはつい数日前まで闘技街コルークにて囚われの身となっており、それらを打開するべく奮闘をして見事脱獄に成功した。黒炎獣のヴァラウィルと対峙した際にどうやら全身をひどく痛めつけていたらしく、右腕に関しては折れていたそうだ。身体中を自動治癒の麻酔が働いていたせいで発覚が遅れた。助け出した元囚人たちに運ばれながらこの王都キャルベランへと連れて来られ、何の縁かディアの家で療養することとなった。元々召喚兵であるリキヤは王立関係者にバレてしまえばたちどころに捕らえられそうなのが、リキヤの胸中で渦巻いている不安要素ではあるが、そもそも闘技場においての囚人という枠がきちんと作用していなかった為か、そのあたりは曖昧になりつつある。
「中二病みたいな異名なんか付きやがって、なんか腹立たしいぞ! ヴァラウィルめ」
現在、ディアとアシュリアとお付のメイドが一人だけ住んでいるこの家ではリキヤに自由など無かった。
リキヤの視界には気持ちの良さそうな原っぱが広がる丘が、窓から見える。足腰が弱っているわけでもないし、ましてや下半身に異常があるわけでもない。そしてすぐそばには勝手口がある。リキヤはふと立ち上がり、ゆっくりとドアに近付いてドアノブに手を伸ばしてみる。
「どちらへ行かれるのですか」
ひきつった顔でリキヤが振り返った先には先ほどまで居なかったメイドがそこに居た。三つ編みを結ったアレンジボブでゆるふわな栗色をした髪のメイドは、その髪型とは裏腹に無表情のままリキヤを見つめていた。
「ちょっと……トイレ」
「ならばこちらへ」
有無を言わさず手を引かれトイレの前まで連れて来られた。
「どうぞ」
威圧感のようなものがリキヤには耐えられなかった。メイドの名はルティさんというらしいが、彼女はところ構わずリキヤを見張っており、どこかへ行こうとすれば阻止してくるような人だった。
実際トイレに入って用を足したリキヤがドアの隙間を少し開けると無愛想な瞳が間近にあったのだから。要は居心地がよろしくはないのだ。ゆっくりする暇もメイドは与えてくれないのか、とリキヤはメイド喫茶のメイドが恋しくなりそうであった。
「用は済みましたか、ではソファへどうぞ」
「あ、はい」
職場で逆らえない上司のような存在感を放たれたまま、リキヤは何も反論できないのが現状だ。大人しくソファに座るリキヤをお世話する、というよりはまるで監視しているような窮屈な思いを感じさせるルティは太ももの方に手を掛けナイフを取り出した。
「ひっ」
ラッキースケベを発動させたのかと勘違いするほどのおみ足にワクワクしていたリキヤは出てきた刃物に驚き竦み上がるが、相も変わらず無表情のルティはこちらの反応など気にも留めず、今度は机の上に置かれていた皿に盛りつけられていたリンゴを取り出し剥き始めた。
「ふぅ」
体の方はよくなっても心の方に新たな問題が発生しそうでリキヤは憚らず溜め息を吐いた。
「…………」
……気まずいな。
リンゴが剥かれるシャッシャッという甘い水分を含んだような音以外、何も聞こえてこない。かと思ったが案外風の音が聞こえてくる。風を感じられるほど静かだということがハッキリしてしまった。
「あのぉ」
人と話すのがここまで緊張しいものだと、社会に出てもうまく立ち回れる自信を喪失しそうだと真剣に思い悩んだ結果、リキヤはコミュニケーションを試みることにしてみた。
「なにか」
黙々とリンゴの皮を剥きながらルティはこちらを一瞥した。一応、気にかけていてくれているのだろうか、リキヤは薄く笑ったが、すぐに視線をリンゴに戻されてしまう。
「この家って、他に誰かいるんですか?」
ちょっとしたお屋敷のような作りなのでもしかしたら他にも使用人がいるのかと思ったのだ。リキヤは未だルティしか見かけたことがない。他にもいるのであれば、あわよくばチェンジ……交代制に世話係をお願いしたい一心だった。
「アシュリア様は現在、緊急招集でキャルベラン城におります。ディア様は下町のお手伝いをなさっています。使用人はわたくしだけです」
聞き惚れてしまうほどにぴしゃりと言い終え、再び静寂が訪れる。
「そ、そうなんですねぇ」
リキヤの背中は冷や汗でぐっちょりとなっていた。なんとも居心地がよろしくないこの状況で更に悪化するように汗が溢れてくる。
暇をつぶそうにもこの世界にはゲームや携帯も無ければラジオやテレビもねぇと言う風に、なんとも生粋のデジタルっ子であるリキヤからすれば逆に落ち着かないのも無理は無かった。この家には数十冊の本があるものの、この世界特有の名称で書かれた言葉や物が多い為、ほとんど分からずじまいだ。だが言葉そのものはリキヤの知るひらがなやカタカナ、漢字に気持ち悪い程似ていたので読めないことはない。問題はどうして似ているのか、という点なのだが考えたところでどうにもならないので深くは考えない様にしている。
「俺みたいな異世界人って珍しいですか?」
なかなか思い切った質問を投げつけてみる。感情を表に出すことがないルティから何が返ってくるか未知数であったためか、おいそれと聞いてはいけない気がしていたのだが会話のネタが底を尽きそうなリキヤは半ば自棄になりつつ訊ねてみた。
「いえ、珍しくはありません。異世界とはザラに言いますが、住んでいる場所の違いで言語が通じない事は別におかしいことではありません。それは私たちの世界でも国ごとに違いがあるのと差異は無い筈です。それに視点を変えれば種族という違いもありますので……ですからあなたのような方にでもそのような特別な感情は湧きませんのでどうかご安心を」
一問一答、というわけではなくこちらが更に訊ねることが分かっているかのように補足情報を付け加え、しかもさりげなく自分の考えを言えるという部分に関しては使用人の鑑かな、と思わせるほどリキヤはただただ感心する。
そういうもんなのか……。
この世界に来て、ようやくきちんとしたところで落ち着いてはみたものの、いざ冷静に立ち返るともっとこの世界の事を知りたいと思うようになっていた。
「なにか迷っていますね」
何もかも見透かされている、そんな気がした。
実際、まだこの世界で過ごすことについて割り切れてはいないリキヤが失いたくない何かをこの世界で出来てしまった。もちろん雹華のことだって諦めたわけではない、だが帰り方が分からない以上、今やるべきことは一つ。
「どうやって異世界から兵士を連れて来るんですか」
それを行う方法と場所を知ることだ。そうすれば帰れるかもしれない。リキヤはこの家の窓からは街の様なものは見渡せなかったが、王城があるはずだと推察している。目覚めてからこの家より一歩たりとも外へは出ていない。王城があったとしてすんなり入れるはずがない、いずれは侵入することにもなるか、と半ば反逆めいたことになるかもしれないがそもそもリキヤはこの世界において国籍が存在しない。本来は居てはいけない者、異端であり異常であり、生きぬく術がなく取って付けたような力しかない。
はっきり言って自身は無力だと感じるしかない。だからこそだったのか、同じような境遇の人間や魔力のない人々を知らず知らずに自分と重ねてしまうのは、否めない事実だった。
「私は……いえ、ほとんどの人はあなた達の存在しか知らないと思います。どういう経緯でどこから来たのか、事情は聞かされません」
「え……」
リキヤの思考が数瞬、止まった。いや、予想をしていなかったと言えば嘘になる。雑兵以下のような扱いをするような作戦を立てる連中のことだ、自分たちはまさしく道具扱いということは察していた。それでも己の優遇は良かった方だという事も。戦力になりえないと判断されれば囮、戦力になると判断されればめでたく戦場で華を散らすことが出来る。そういう管制の下で使われていた。
そう思うとリキヤの心から滾ってくる抑えきれない衝動がこの場に居座ることを良しとしなかった。
……今すぐにでも乗り込んでお偉い方を殴ってやりたい。
「…………」
そんなリキヤの表情を読み取ったか察したか、ルティは静かにその場から立ちあがる。
「下見……というのはいささか聞こえがよろしくはないですね」
ルティはヘッドドレスと取り、身に着けていたエプロンを外し、立ったまま丁寧に、器用に折りたたむ。
「一分お時間を頂戴いたします」
突然のことのため、リキヤは眉根を寄せる。
「なんの話なんすか」
「支度をします、街中を見学してみたくはありませんか?」
気のせいだろうか、無表情のはずのルティの顔はどこか嬉しそうに見えたのは。




