9 旅路の昏倒
アシュリアは湖のほとりで静かに剣を握って構えていた。
朝も早く、上りかけの太陽が湖の水面のユラユラと反射し、アシュリアを照らしつける。だが、アシュリアはそのような事では一切の集中力を切らさない。
そしてユラユラと揺れていた水面はさらに激しさを増し、風もざわつく。湖の底から巨魚が姿を現す。禍々しいその顔は見るモノを凍りつかせ、その間に鋭い牙で獲物を噛み殺す。そういった類の化物だ。
「ディアにこの姿で食卓に並べては怒られてしまうからな」
稲妻のように水面が迸り、アシュリアは一瞬にして巨魚のエラに剣先を突き刺し空中へと引っ張り上げる。投げ出された空中からアシュリアは雷撃を流し込み、痺れた巨魚の鱗が逆立ちを見せる。エラから剣を抜き、地面に向かって投げ刺す。それと同時に腰元から短剣を取り出し、二人分の体積だけ鱗を削ぎおとしてその部分の身を穿り出す。
巨魚は痺れたままで何が起きたかも分からず水中に大きな体を叩き突け、飛沫があたりに飛び散る。
アシュリアは地面に突き刺した剣を抜き血油の乗った部分を和紙で拭き取り、鞘に納める。
「少しいただくぞ」
切り身が刺さったままの短剣をディアが眠っている簡易テントに持ち帰る。
「起きていたのか」
簡易テントを片付けながらディアは振り返る。
「お姉ちゃん、またそんな恰好で歩き回って……」
ディアが呆れたようにアシュリアの姿を見回す。ほぼ下着姿でそこに立っているアシュリアは何食わぬ顔をしていた。
「誰も居ないし、動きやすいから別にいいではないか」
それでも、とディアは有無を言わさずタオルを放り投げる。
「関係ないよ、お姉ちゃんがそんなだと皆がっかりするかもしれないじゃない」
「それは困るな」
前髪をかき上げタオルで身体を拭いていく。
「それはそうと魚を取ってきた。朝食にしよう」
携帯用のコンロの上に切り身を置き、短剣を引っこ抜く。ディアは鞄から赤い魔法石を取り出し木炭の上に置いた。そこから数秒すると煙が小さく立ち込め、やがて火は大きくなっていく。
「殺してないんだね」
ディアは切り取ってきた身の部分から元の魚の大きさを推定して言ったのだろう、事実殺してはいないアシュリアは訂正しようとはしない。
「おかしいか? 人は平気で殺すのにって」
アシュリアはきれいに拭き終えたタオルを頭の上にかぶり、ディアの対面に座る。力なく笑いながら魚をひっくり返す。
「そんな事を言いたいわけじゃないよ、それにその話は今度にしよう」
「…………そうだな」
こんなところで言い争いが発展しようものなら、アシュリアの目的もディアの目的も果たせなくなってしまう。
事は一刻を争うと言ったところだろうか。
「早く食べて出発しよう」
……やはり嫌われているな、仕方が無いか。覚悟はしていたんだ。
朝食を済ませたのち、ディアは後片付けを、アシュリアは着替えを終わらせ旅支度に入る。
「では、行こうか」
「うん」
森を抜け、ケモノ道を進んでいくディアとアシュリア。二人の間に会話はほとんどない。先ほどの険悪なムードになりかけた所為だろう。それでも無駄に取り繕って会話を無理矢理しようとするよりお互い楽だった。
しばらく歩いていると、遠くから女性が子供と手を繋いで走ってくるのが見て取れた。
「何かあったのだろうか」
自然と口が開いたアシュリアは、ディアの方へと視線をよこす。
「また誰か走ってくるよ」
ディアは遠くからアシュリアへと目くばせをしてアシュリアの動向を窺う。アシュリアは視線を戻すとディアが言ったように他にも誰か後ろから走って生きているようだった。
「お姉ちゃん」
「分かっている」
ディアの意図を読み取り、アシュリアは剣を抜きながら前へと出て行く。その親子は目尻に涙を浮かべながら走り寄ってくる。
「助けて! せめてこの子だけでも!!」
親子の後ろから走ってくる男が二人、手には明らかに武器を持っていてこの親子を追いかけているようにしか見えない。助けを懇願するあたり誰しもそう汲み取るのが自然だろう。
「安心してくれ、絶対に二人とも助ける」
アシュリアは笑顔でそう答えるとその親子をディアと共に自分の後ろに控えさせ、向かってきた男たちはアシュリアの前で立ち止まる。こちらに攻撃の意思があるように向こうにも迎撃態勢は出来ていた。
「貴様、邪魔をするなら反逆罪に問われることになるぞ」
男の一人が口を開き、脅しを捲し立ててくる。
「その格好、お前たち処刑場の者の手だな」
男二人の服装を見てアシュリアはピンときた。
確かに政府の管轄にある処刑場とは名ばかりの闘技場ではそこの兵士ですら国家に属していることになる。したがって彼らに逆らえばそれは執行妨害でこちらが捕まっても文句は言えない立場になる。
「そうだ、だから逆らうと……」
もう一人の男が口を開いたと同時に剣の棟でその男の頭を狙い薙ぎ払った。
「がっ、がああああああああ!?」
吹き飛ばされた男は頭から血を流し、もう一人が咄嗟に構える。
「生憎だったな、私は国の最高機関に属しているんだ。あまり顔を知る者は少ないがな」
戦場でも普段は兜を被っているアシュリアは正体が女性ということ以外はその姿をみても本人かどうか判断できないところがある。城の中枢にいる者たちか家が近い城下の方人たちしかその素顔をあまり知らない。
「ま、まさかその強さ……アシュリア様……!」
「どうしてこのようなところにっ」
まさか、すぐに正体がバレてしまうとは予想だにしなかったアシュリアは表情を曇らせる。
……恐らくヴァラウィルが私の特徴を兵士にでも吹聴したのだろう。つくづく余計な事を言ってくれる。
ヴァラウィルに対する怒りが沸々とこみ上げてくる。
「貴様たちの様な輩がいるからだろう!」
さらに女子どもにまで手を掛ける輩が国家に属しているという事実にアシュリアは我慢の限界だった。
剣の刃を処刑場の兵士である男たちに向ける。
「お、お待ちを! その女は夫を殺した犯罪者ですよ!?」
「なに?」
易々と見過ごせない一言を放った男にアシュリアは眉根を寄せ、女性の方へ向き直ってみる。
後ろを振り返った時、不意打ちをしてくるかと意識は男二人から逸らさなかったが、攻撃してこない辺りは、本当の事を言っているのだろう。
「………………」
どうやらワケありの様だ。
「それはあとで聞くことにしよう、今はお前たちを蹴散らすことが優先だからな」
冷ややかな眼差しで男たちに向き直った。その姿に兵士である男二人は心臓が凍りつくような震えを覚えた。それと同時に自分たちが殺されることを、その身体はしっかりと理解していた。
「な、何故です!? 我々はただ、あ、ああ……あああああああああっ!!!」
男たちのいた場所に稲妻が迸り、体が炭のように焦げ付いた異臭を放ち男たちはその場に倒れ込んだ。
「お、お姉ちゃん!?」
構えを解いてアシュリアは親子とディアの方へ振り返る。表情は元に戻っていた。
「何も殺すことないじゃない! この人たちも国を担う兵なんじゃないの!?」
ディアは声を荒げた。しかしアシュリアは表情一つ変えない、ただただ立ち尽くしていた。
「私の素性を知られたこと事態が問題だった。野放しにしては彼らは処刑場へ帰り、アイツに必ず報告をするだろう、それだけは許してはいけない」
……そうだ。アイツにバレてしまえば自ずと事が厄介なことになる。クウェイにはこの作戦自体を知られてはいけない。それだけは何としても避けなければ。
「だからって……だからって殺していい筈がない!」
ディアは悲しい顔をしてアシュリアへと訴えかける、だがアシュリアはそんなディアを無視して通り過ぎようとして立ち止まる。
「あの男にあった時、お前は今と同じことがアイツにも言えるか?」
「!?」
自分でも愚かな事を口走ったと思い静かに眼をつむる。
悔しさを隠し切れなかったディアは強く拳を握りしめ俯く。
「すまない、今のは卑怯だったな」
……ディアは認められないのだ、己の過去を。そしてそんな自分の気持ちに気付いていても尚、同じような道を歩もうとする私の事も、あの男のことも。
剣を鞘に納めると、未だに怯えた様子を隠し切れない親子へと近づき、表情を柔らかくして口を開く。
「話を聞かせて貰えますね?」




