3 ロージャ宅
「アシュリア様だ!」
城下町、王城から正門を出ると海景色が一望できる。王都キャルベランは海に面しており港方面は標高が降りていく土地の造りになっている。今日は清々しい程の晴天な為、海からユラユラと反射してくる太陽光に若干目の前を遮りながらも帰り支度として城下町で商店を探っていた。道端で遊ぶ子どもたちが時折アシュリアに気付くと、まるで有名人にあったかのように群がっていく。
「お前たち、あまり遊び過ぎて家族の者を心配させてはいかんぞ?」
「「はーい」」
そういって一人ずつ子供の頭を撫でていく。
アシュリア・ロージャ。王亡き都市キャルベランの厳酷英雄として他国から嘯かれている。戦場においてのアシュリアは確かに人が変わったように激情する騎士だ、だが市民らはそんな彼女に恐れをなしたりしない。彼女の今の慈愛に満ちた顔を見て誰が恐れるのだろうか、誰よりも優しくあるアシュリアは、誰よりも国を愛し、民を愛しているからこそ誰よりも非常になれる。
「いらっしゃい、アシュリアちゃん」
商店街に差し掛かるとアシュリアはこなれた足取りで一通りの食材を見回っていく。
「久しぶり、ギッシュさん」
八百屋の店主らしき男が親しげにアシュリアに話しかける。一見すると渋い顔つきをしていて人が近寄らなそうだが、その笑顔は優しさに満ち溢れている。ギッシュと呼ばれた男は傍にあった野菜を手に取るとアシュリアに渡してきた。
「ホラ、持っていけよ」
アシュリアはその行動に対して目つきが途端に鋭さを増していく。
「そういうのは止めて下さい」
ギッシュはわかっていた。アシュリアがこのような施しを受けるのを苦手としていることを、彼女の優しさを知っているこの辺りの住人はよく分かっている。
「そう怖い顔をするもんじゃねーよ、母ちゃん似の美人が台無しだ」
無意識に強張っていた表情をアシュリアは一気に戻す。
「わ、私はこんなことをしてもらうために騎士になったのでは……ないんです」
少し俯くアシュリアを見て、ギッシュは軽く息を吐きながら瞼を揉んだ。
「わかってるよ、この野菜はディアちゃんに頼まれたものなんだよ。お代は貰ってたけどあの子、寝込んでるって聞いたし……アシュリアちゃんが持って行ってくれると助かるんだけど」
「そう、でしたか……すみません、急いてしまって」
「いいっていいって。にしてもアシュリアちゃんは変わらないな、人に優しくするのは慣れているのに自分がされたって思ったら途端にしおらしくなっちまうの」
ギッシュは一目も憚らない勢いで笑う。その様子に対してアシュリアは顔を真っ赤にしてそそくさと野菜を受け取り、店を後にする。
「またおいでー」
商店街を歩き、さまざまな人から声を掛けられる。
「アシュリアお姉ちゃんだー」「おう、帰って来るなら連絡くらいしてくれよアシュリア」「アシュリアちゃん、また無茶したんじゃないだろうね」「ねーねー、私も聖騎士になれるかなー」
行き交う人々から次々に声を掛けられる。それもそうだろう、アシュリアは遠征続きが多くてなかなか帰って来ることが出来ないのだ。規模が大きな戦のあとは数日の休暇を与えられるが、それも久々のことにあたる。
「すまない、積もる話もあるけど今は急いでいるんだ。しばらくは自宅で過ごすから明日にでもしてくれ」
街路を下りていく先、裏路地ということもあり若干の薄暗さがあった場所から海が一望できる拓けた景色に懐かしさを覚えつつもそこでみんなと別れる。
「また明日ねー」
「ああ」
小さい女の子の頭を撫でたあと、ギッシュから貰った野菜の入った袋を携えて海沿いを歩いて行く。港方面を海沿いに伝っていくと、階段がありそれを上っていく。小さな丘から少し離れたところにあまり豪華とは言えない家があった。横には家と同等くらいの小屋が設置されており、門と外壁以外は隙間がある状態の小屋でアシュリアはその隙間に近付く。
「大きくなったな、アパルス」
小屋の空いた部分から首がぬうっと現れ、主人の帰りを喜ぶようにアシュリアの手元に頭を摺り寄せる。幼いがその姿はドラゴンそのものだった。
「もうすぐお前も属性加護を貰えるようになるな」
『属性加護』、生命には全て何らかの属性が宿ると言われている説だが、それらがハッキリするのは人間では十二歳頃からであり属性加護が決まるとそれ以外の属性の魔法は一部の魔法石と呼ばれるものでしか発動できなくなる。生まれつき属性がない人間も多く存在し、そのなかで更に魔力を持つ人間、持たない人間とことさらに細かく分類されていく。属性と魔法が優れている者が強者になるケースが強いが、その場合は魔力も属性も持たない人間に基礎体力そのものが劣る傾向がある為、必ずしも戦いで劣るというわけではない。
「お前も私と同じ雷属性だったら、嬉しいな」
アパルスの首元を撫でまわし、ご機嫌な表情でアパルスは小屋の門を開け飛び立つ。一般のドラゴンは野生である為に人を襲う事もあるがアパルスは卵が孵ったときからアシュリアとディアと、実家の妹たちと過ごしていたので人懐っこい性格だ。
「夕刻までには帰ってくるんだぞー!」
アパルスは大きく旋回して了解の旨を伝える。ドラゴンは基本的には知力が高く、人を襲うときもなにかしらの理由があるためで、たいていは先に人間から仕掛けてくるケースでの被害が多いという。本来はこちらが歩み寄れば応えてくれる存在なのだ。
アシュリアは扉を開けて家の中へと入る。
「ただいま」
アシュリアの一言に返事は無い。それもその筈、ディアは今疲れ果てて眠っているだろうから。危ない目に遭ったのだ、恐い思いをさせたのだ、命を危険に晒されたのだ。ディアは強い人間ではない、属性も魔力もアシュリアと比べれば微々たるものでありディアは体も弱い。
本当はあのような危険な場所へ行かせるのも反対だったが、当の本人は頑として配属を希望した。その一件以来、今日と言う日まであまり口を利いていない。
「顔を見るだけ、それからまた出て行けば会う事はない」
そう自分に言い聞かせて、妹が寝ている筈の二階へと向かう。
昔は使用人がこの家に居たが、現在は実家の方に手配させている。そこには末の妹がいるが恐らく実家を捨てたディアとアシュリアを恨んでいる。何も言わずに出て行ってしまったからそこは間違いないだろう。
「両方の妹から嫌われては、姉として失格だな」
苦笑気味にディアの部屋の前まで来て、一つ咳払いをする。一応はノックを三回して、ドアノブに手を掛ける。ゆっくりと開けると部屋の窓が開いているのだろうか、アシュリアの脇を涼しい風が吹き抜けていく。書物が多く、綺麗にまとまっている部屋だった。ベッド側の窓が案の定開いており、白いカーテンが揺れ動いている。そしてベッドから背を起こし外の風景を静かに感じているディアの姿が目に映った。
「起きていたのか」
とてもうれしい、しばらく眠ったままでいたディアが目覚めていたのだから。だが、己が素直に喜んでいい立場の人間じゃないことは重々承知だった。
だから本心からは喜ばない、その資格がないから。
「お姉ちゃんは知ってる?」
こちらを向かずにディアは唐突に話を始める。
「この風よりもさらに強い風で、倒れてしまいそうなのに何故か安心する、そんな風」
アシュリアは答えない、答えられない。アシュリアは見ていたから、その風を感じているディアの姿を、あの男と風に舞っていたディアの姿を捉えていたから。
「自分で決めた事だから、お姉ちゃんに反対されてた理由も痛い程分かった。だけど後悔してないよ。力のない私だって求められる存在になれた。面と向かって必要だって言ってくれる人が居た。ほんの少しの間だけで、不器用で真っ直ぐしている人なんだって思った。カッコよかったんだよ、好きになったんだよ」
アシュリアは拳を僅かに握った。
「そんな一時の感情、直ぐに冷めてしまう」
「あの人は、リキヤさんはどうなったの?」
アシュリアの目線が逸らされたのを、ディアは見逃さなかった。
「……あの男は魔力が暴走していた。近くは危険だったうえに、敵味方を識別できず悪戯に兵を殺したのだ。あのまま放置していても確実に死んでいた」
ディアはベッドから身を乗り出し、フラフラした状態で立ち上がり扉付近まで壁伝いに歩き出す。
「安静にしていないと――」「心配するフリはやめて」
遮られた一言にアシュリアは口を紡いだ。
「リキヤさんをどうしたの? 答えて」
ここで本当の事を言えば、確実にディアはアシュリアを責めるだろう。今より険悪な関係になることは免れない。
「今頃は処刑場……だろうな」
しかし本当の事を言わなければいけなかった。アシュリアには考えがあった。ただの処刑の為だけに力哉をあそこへと送ったわけでは無い。今回、一つの任務に対しての布石を打つ意味で力哉という存在はうってつけだったのだ。
「連れて行って」
思わぬディアの返答に一瞬、アシュリアは思考が停止しかけた。未だ本調子じゃないディアを熱気が集うあのような場所に連れていけるはずもない。
「生憎だけどアパルスには乗れないから、歩いてでも私は行くよ」
アシュリアを押し退けて階段を下りていくディアの後方から強い殺気が放たれる。
「大人しくいかせるわけには、いかないな」
妹相手に殺気を放つなど、やりたくはない。だが、分かってもらうにはこうでもしないとディアの性格からして必ず無茶な体のままで向かってしまう。
アシュリアは柄に手を掛ける。
「殺すなら殺せばいいよ。私が救えなかった、異世界の人たちの様に」
「何故だッ!!」
階段で立ち止まる妹の背に、アシュリアは感情に身を任せて声を荒げる。
「何故あの男にこだわるんだ? お前ほどのやつが何故……っ」
ディアの表情は柔らかかった、なのにアシュリアを圧倒するほどの殺気を感じた。
「何も知らない土地で、たった一人ってどんな気分なんだろうね。少なくとも最初は同じ世界の仲間がいたはずなのに、みんな居なくなった。それって最初から孤独だった状態よりも酷い事じゃないの?」
アシュリアは奥歯を噛み締め、握りしめていた拳を掃った。
「救いたかった! だが、それで作戦に支障を来せばもっと多くの兵が失われていた……非常にならなければ勝てないんだ、戦には」
「変わったね、お姉ちゃん」
ディアはそれだけ言うと、再び階段を下りていく。アシュリアは黙ったままその場から動けず見送った。そして決意した。
「くそっ」
玄関から外に出ようとしたディアの腕を、アシュリアは掴んだ。
「着替える時間くらいはある、お前の準備が終わり次第出発するぞ」
「お姉ちゃん……」
アシュリアの手が離れて、ディアは振り返る。
「やっぱり少し変わったね」
その表情は久々にアシュリアへと向けた柔らかなものだった。




