10 必要としてくれて
力哉が目覚める少し前の事。
ディアは悩んでいた。自分の役目はあくまでココに寝泊まりしている人たち、通称『囮』が逃げたりしないように給仕係をしながら見張ること。監視役になってから三ヶ月が経つが、異世界から召喚された人たちは皆一様に最初戸惑っていた。どうして自分がこのような目に、どうやったらここから帰れるのか、口を開けばそればかりだった。実際に気持ちが分からないディアではなかった。向こうの世界がどのようなところかは知らない。戦争に駆り立てられている姿を観察していると恐らくはこことは違い平和な世界なのだろう。だから何なのだというのがディアの胸中だった。毎日の生活が大変だったディアは彼らのそんな話を聞いたところで共感を持てるはずがない。自分にとってはこれが当たり前だったのだ。
だが、それでも自分の運命を受け入れ、陽気に過ごしている彼らを見て何かが少しずつ変わり始めていた。今まで愛想はよくなかったディアだったが、それを心配してきた数人が話を振って、元気づけようとしてくれた。ある時は調理を手伝ってもらった、洗濯も、他の給仕が厳かにならないようにと気遣ってくれた。
どうしてこんなことをしてくるのか。辛いのは自分たちのほうじゃないのか、と尋ねた事もあった。
「誰かを助けることが、自分がいつか元の世界へ帰れた時の美味い酒になるからに決まってんだろ」
そう言った彼は、ほどなくして戦死したとの通告がきた。そこでディアは初めて彼らに対して涙を流した。
自分たちを違う世界だからといって、それでも懸命に生きているのだ。感情が確かに存在するのだ。ディアはそう思い始めた日から、異世界から召喚された奴隷である彼らに優劣をつけるような眼差しは向けなくなった。
そして今、ディアは戦場へ連れていかれた力哉が無事に逃げ出せたか、それのみを心配していた。本当ならば、もうそろそろこの場所は戦場へと変わるはずだった。覚悟は既に出来ている。
ただ……。
視線を二階の窓から一階の方へと向けた。そこでは何も知らずにワイワイやっている兵士たちがいた。ディアが悩んでいたのは、自分たちが囮であることと今からこの場が戦場になることを伝えるかどうかだった。本来ならばそれは命令違反になるのだが、自分もココに残っている以上、それは解消されていると言っても過言ではない。この時点でディアは自由の身となっていたのだ。
「ディ~アちゃん」
ディアが振り向くとそこに階段を上がってくるアキラがいた。ディアはアキラのことが少し苦手だ。ことあるごとにセクハラぎりぎりの事をしでかそうとしてくるのでディアはなるべく接さないようにしているのだが、その無言のメッセージには気付いてはくれない。
「どったの? 難しい顔をしてさ」
「いえ」
それだけ言うと再び窓の外へと顔を向ける。すると隣にアキラがやってきてボソリと口を開いた。
「できれば、アイツらに本当の事を伝えない方がいいと俺は思うぜ」
ディアは不意を突かれ内心動揺はしたものの、それを悟られまいと目を細めアキラを見た。
「ディアちゃんもその覚悟があるから残ったんだろ。なら最後までそれを貫かなきゃ、そうじゃないとディアちゃんがココに残る意味がない」
「あなたがどうしてその事を知ったのかは問いません。……ですが、それを知って尚どうしてあなたは逃げ出そうとしないのですか?」
怪訝そうに窺うディアにアキラは乾いた笑い声をあげた。
「その言葉、そっくりそのままお返ししますぜ? 俺はね、期待の新人である力哉がこの状況を変えてくれるんじゃないかなぁって思ってるんだ」
「リキヤさんはそんなことしません。私と約束しました、無事に逃げてくれるはずです」
アキラは頑として自分の意思を通すディアにたじろぐ。
「そこまで信用しない方がいいと思うけどな、それに俺らみたいな年頃の男は譲れない事もあるんだよな」
ガラリと雰囲気が変わったアキラがそう答える。その表情は何か裏があるのではないかと思いそうになるほど薄い笑みで、少々不気味に思えるほどだった。
アキラは階段をゆっくりと降りて、
「ただの囮じゃないことを、知らしめてやればいいんだよ」
そう言い残してディアの前から去って行った。
それから程なくして味方陣営が後退してきたことを悟ったディアは静かに時を待った。
「敵襲だぁ!!」
外で散歩していた兵士が慌てた様子で戻ってくるのと、寄宿舎に炎系の魔法が飛ばされてきたことはほぼ同時だった。
「とうとう訪れてしまった」
分かってはいた。自分はソレを受け入れ、ここに居る人たちに運命を委ねようという覚悟で残ったのだ。
それでも体の震えはディアの本当の気持ちを隠そうとはしてくれなかった。外の様子を窺うと寄宿舎を護らんと兵士たちが躍起になっていたが、弓兵と魔法支援の部隊にその命を儚く散らせていった。
そして敵の戦力が分散した頃、森の中で鳴りを潜めていた味方部隊が敵兵の殲滅に掛かった。敵は予想だにしなかった奇襲にその勢力を衰えさせ、完璧に思えた隊列がことごとく散り散りになっていった。そこから先は文字通り残党狩りとなっていったわけだが。しかし殊の外敵の多さにその戦闘は滞りを見せていた。
「一人でも多く同胞の仇をおぉッ!!!」
数名の兵士が燃え盛る寄宿舎内に入ってきた。その姿に狼狽したディアは適当な部屋に入って身を屈めた。
「恐い……恐い……」
今さらになって死への恐怖がディアを襲った。もはや足も竦んでしまっている、ここで見つかってしまったら確実に殺されてしまう。
「捜せっ、一人でも多く戦果を遺せ!!」
敵兵の手がすぐそこまで迫っている、ディアは縮こまって目を静かに瞑った。早くこの悪夢から醒めたいと願って。そして、
「居たぞっ、生き残りだ!」
部屋を順々に開けていた兵士が途中でディアの潜んでいた部屋を当ててしまった。それでもディアは目を閉じたままだった。
「女子どもだろうと容赦するな、確実に殺せ」
ディアの眼にはうっすらと涙が光る。ああ、何も知らされていない妹が私の死を知ったら悲しんでくれるだろうか……家を捨ててしまった私を、そして姉を許してくれるだろうか。
敵兵がディアに向かって剣を振り下ろした。
ディアの身体が何かに抱き寄せられたのを感じた。ゆっくりとディアが目を開けるとそこに居る筈のない人が居た。逃げてくれると確かに約束をした力哉が居た。木の根が敵兵たちを縛り上げ、身動きがとれないように足の関節部分を力強く締め、膝から下の感覚を奪った。
「なん、で……?」
「言ったじゃないすか。俺はそんなんじゃないって」
逃げて欲しかった、戦場になんて来ないで欲しかった、どうして自分を助けたのだ、さまざまな言葉がディアの頭を過る。だが、ディアの口から出た言葉はこの中のどれでもなかった。
「ありがと……っ!」
堪えていた感情が溢れ出た。涙が止まらなかった、生きている事の喜びを知ってしまった。死にたくないと思ってしまった、覚悟を決めた筈なのに。
そして何より、自分は生き残ってしまった。他の人が無残に殺されていくなか、自分は無様に生き残ってしまった。そしてそれを喜んでしまっている、私は酷い人間だ……!
「生きててくれて良かった」
力哉はディアを抱き寄せ頭を撫でた。
「ありがとう」
何故……、このリキヤという男は助けた私に対して感謝の言葉を口走ったのだろうか。
「何も知らない俺が頼れるのは、ディアさんだけなんだ」
「あ……」
ディアはそこで気付いた。誰もいなくなったこの寄宿舎で、自分を必要としてくれている存在が居たんだ、と。途端に胸が熱くなったディアは嗚咽を漏らしながら力哉を抱き返した。様々な想いがあっただろうが、今は一つの感情だけが働いていた。
私は、奴隷として召喚されたこの人に、この身を預けようと。
「ディアさん、ここはいつ崩れるか分からない。危険かもしれないけど、俺と一緒に外へ逃げてくれないか?」
抱き寄せていた身をそっと離してディアの瞳を真っ直ぐに見つめる力哉。ディアは未だ拭いきれていない涙をグッとこらえて笑顔で、
「はい」
力強くそう答えた。




