第88話 外食
滝上家での贖罪を済ませた俺を待っていたのは恒例の屋敷の掃除。主人のいない現在、財力を見せしめる骨董品や装飾品が埃を被ろうと構わないはずなのにどうして磨かなくてはならないのか。
「金持ちはどうして高い品ばかり買うのやら……ファッキュウ~」
積もる不満が苛立ちを増幅させる。恐らくは俺個人より価値の高い品々を眺めて、こいつらをハンマーで粉々にするのを脳裏に思い描く。
ハンマーって何かを破壊するのに最適な道具だと思うんだよね。いつか異世界に転生して勇者になる時が来たら剣や太刀ではなく鈍器を選ぶだろう。魔王の頭蓋骨を砕いてやる。
「陽登君、掃除は終わりましたか?」
「赤子を撫でるかの如く優しく拭いてあげていますぜ」
サボっていないか様子を見に来たメイドさんに向けて笑みを浮かべて大きな壺をタオルで拭いてあげる。こんな壺どうして買ったんですかねぇ。
漫画だったら封印術に使われるようなおどろおどろしい壺を拭き終えてメイドさんの元へトテトテと歩く。俺かーわいーいー。
「しっかり働いてくれて何よりです」
「そりゃどーも。給料上げてくださぇ」
「上げても強制的に貯金させられるだけですよー」
大学資金に回されるってか。クソ母さんめ。
上等だよ、テメーの老後を楽しみにしていな。老人ホームにぶち込む為の資金に充ててやる。俺は何一つ面倒見てやらねー。久しく会っていない母親を思い浮かべ、顔面に唾を吐きつける。
「もうすぐ晩飯っすか?」
あのアホお嬢様を呼びに行きましょうか、と付け加えたところでメイドさんは首を横に振る。その必要はありませんと言うかのように。
「今日は旦那様と奥様が来ているので外食するそうです」
「へえー」
そういえば滝上家で旦那さんと会った。せっかくだから娘と食事しようってことね。
今頃は親子三人揃って超高級ホテルで優雅なディナーを楽しんでいるのだろう。両親に会い、ふにゃふにゃにとろけた満面の笑みで幸せな時間を過ごす雨音お嬢様の姿は容易に想像つく。
あいつにとって最高の幸せだろうね。良かったなホント。
「ちなみに陽登君のお母様は秘書の仕事でこちらには来られないそうです。残念でしたね」
「残念? いえいえ最高に幸せですよ」
お嬢様が両親に会えて良かったと思いながら危惧していたのは母さんが俺に会いに来ること。
あのババアと二人で食事だなんて嫌だね。牛舎で糞まみれで牧草食べる方がマシだよ。仕事で忙しい社畜ババアざまぁとニヤけてしまう。
「嫌な笑顔していますね。そういうわけですのでシェフには帰っていただきました」
「ほわい? いやいや俺の飯は?」
お嬢様は外食だとして俺はどうなるんだよ。せっかくクソお嬢様の顔を見ずにのんびり食事が出来ると思ったのにぃ。主人のいない使用人は飯抜きってか?
げんなりする気持ちは抑えきれず不満を顔に出してみればメイドさんがニッコリと微笑む。
「陽登君、今日は付き合ってくださいー」
紫に黒を溶かしたような闇夜の下で車のヘッドライトが眩しい。煙草の吸い殻が落ちる道の横には『本日のおすすめメニュー』と書かれた看板、通り過ぎれば道行くおっさんから漂う酒の匂い。頭にネクタイを巻いた人初めて見た。
「賑わっていますねー」
「週末ですからこんなもんでしょ」
私服に着替えたメイドさんと俺は飲み屋で賑わう通りを歩く。お嬢様は外食、でしたら私達も外食しましょうと誘われて来たわけだ。
左右を埋め尽くす飲み屋の数々。リーマン、若いカップル、大学生の集団、様々な人があっちのお店に入ったりこっちの店から出てきたり。中にはゲロゲロ吐いている人もいる。日が落ちたばかりだぞ?
「ここにしましょうかー」
メイドさんに続いて入ったのはごく普通の居酒屋。入店と同時にどこからか『いらっしゃいませ』と声が聞こえる。個人経営のバーや狭い汚い臭い居酒屋ではないチェーン系列の店だ。
「当然ですけど俺は未成年ですから酒は飲めませんよ。つーか入店出来るんすか?」
「保護者同伴なら大丈夫ですよー」
あなた、俺の保護者でしたっけ? 保護者アンド上司アンド恋人みたいな? 最後のは違うかー、あっははっ! ぎゃっははは! うへへへへぇぇ! どうした俺。
やって来た店員に年齢確認を求められてメイドさんは免許証を提示し、俺が未成年であること、自分は保護者であることを説明している。
しばらくして部屋へと案内された。へぇー、個室タイプの店なのか。
「うふふ、年確されましたー」
何よその嬉しそうな声色。自分はまだ若いとでも言いたいのかな。
機嫌の良いメイドさんと向き合う形で掘りごたつに足を入れて座った。飲み屋に入るのは初めてだからそこそこ新鮮である。お昼頃に来て食べる市場の刺身くらい新鮮。例え分かりにくい!
「私はお酒飲みますが陽登君は駄目ですよー」
分かってますよ酒は飲みません。あ、呑みません。
コンビニで酎ハイ買って「あ~、酒うめ~」とやんちゃ気取る奴みたいにはなりたくない。大人しくソフトドリンクのメニュー欄を開く。
「決まりました?」
「俺はウーロン茶で」
「は~い」
のんびり間の抜けた声をしたメイドさんはテーブルに置かれた呼び出しボタンを押す。すると個室の引き戸が開いて店員さんが現れた。
「生中とウーロン茶をお願いします。とりあえず以上で」
「注文するの慣れていますね。よく飲みに来られるんですか?」
「陽登君、固い口調はやめていいですよー。今はプライベートのお食事ですから」
名前で呼んでください、と付け加えられた。野球観戦の時も同じこと言われたのを覚えている。ぜってー呼ばんわ。頑なにメイドさんと言い続けてやる。
しばらくすると注文したビールとウーロン茶が運ばれてきた。ジョッキに注がれた黄金色の液体と白い泡。仕事に疲れた社会人を癒すビールってやつだ。
「それじゃあ乾杯でーすっ」
「ういっす」
メイドさんはジョッキ、俺はグラスを持って互いのを合わせた。
メイドさんは両手でジョッキを持ち、コクコクと可愛げな飲み方でビールを飲んでいる。ぷはっ、と口からジョッキを離し、目を閉じて痺れたように震えている。
「うー! 美味しいですっ!」
「良い飲みっぷりですね」
「えへへー、ありがとうございます」
喜ぶあたり、選んだ選択肢は正しかったみたい。ちなみに他には「おっさんみてーな飲みっぷりですね」があった。これ言うと確実に怒られていただろう。
お酒を楽しむメイドさんを眺めつつウーロン茶でお通しの浅漬けをつまむ。微妙だな。
「にしてもまさかメイドさんと二人で居酒屋に来るとは思いませんでした」
「お嬢様もいないことですし、たまには羽を伸ばしましょうよ~」
いつもはクールで大人びた人だが今は違う。普段よりも声が大きいような気がする。ニッコニッコと笑ってビールを飲み干して次の飲み物を選んでいるメイドさん。飲むペース早くない?
「食べ物も一緒に注文しますか」
「俺よく分からんので任せますよ」
メイドさんは唐揚げ~、お刺身~、と謎の歌を口ずさみながらメニュー表をめくる。おいおいこの人もう酔っているんじゃね?
今更ながら考えてみると、この人とは毎日顔を合わせているがガッツリ話したことはなかった。一緒にテレビの野球中継を観たりする程度でプライベートな話はほとんどしたことがない。
せっかくの機会だし、メイドさんの言う通り羽を伸ばしてトークを楽しむか。
「メイドさんっていつから屋敷に勤めているのですか?」
「コークハイ美味しいですぅー!」
話聞けよ。体を震わせて喜んでいるメイドさんを細目で見つめる。いつものクールで物腰落ち着いた雰囲気はどこいった。
「高校三年生の時ですねー」
聞いていたんかーい。ウーロン茶を軽く零しながら思わず息が詰まる。
「てことは十五年前ですか」
「ぶっ殺しますよー?」
嘘ですジョークですユーモアです。笑っているのに目が異様に怖かったので慌てて頭を下げる。
高校三年生ってことは六年前かな。随分と長いこと勤めているし、まさか高校生の時から働いているとは思わなかった。
「俺と同じ境遇っすか? 親から無理矢理働けと言われたとか」
「私の場合は違いますよー。両親が離婚して家庭が崩壊し、家を出た私を旦那様と奥様が拾ってくださったのです」
またしても口に含んだウーロン茶が噴き出る。何サラッとクソ暗い話してんの!?
思いもしないメイドさんの重たい過去を聞いてしまい、そして軽率に過去を尋ねたことを反省。今度は本気で謝罪する。
「軽々しく質問してすみませんでした」
「謝ることはないですよ。今では良い思い出です。私はメイドとして働きながら大学にも通わせていただき、今もこうして屋敷に置いてくださる旦那様方に感謝しています」
ニコッと微笑んでメイドさんは呼び出しボタンを押す。
いつもは凛としてクールで大人びたメイドさんにそんな過去があっただなんて……。きっと俺には想像もつかない人生を歩んできたのだろう。両親が離婚して一人になるなんて、他人事ながら同情してしまう。
苦労したんだろうなぁ。今は梅酒片手に幸せそうな顔してるけど。
「旦那様と奥様は私にとって父親、母親のような存在です。ですが血は繋がっていない。だからこそ、私は使用人としてお二人に尽くそうと思っています。それが私の出来る恩返しであり、親孝行です」
「……メイドさんカッコ良いですね」
えへっ、そうですか?と嬉しそうに頬を緩ませて梅酒をゴキュゴキュ飲み干すメイドさん。
この人にそんな過去と思いがあったのか。他のメイドと比べて出勤数が多いし住み込みで働いているのには理由があったのね。一人勝手に納得しつつ俺もグラスを空にする。
「てことは雨音お嬢様が小学生の頃から知っているんですね」
「そうですよ。小さい頃からお嬢様はすっごく可愛くて~!」
はいはいそうですか。テンション上がっていますね。
酒飲んでエンジンかかってきたのか、いつもと比べて圧倒的に口数が増えている。
「お嬢様は主人というより妹って感じですね」
「なるほど。あんなクソ生意気な妹とかムカつくでしょう」
「捻くれているだけで根は良い、素敵な女の子ですよー?」
えー、嘘だあ。俺に対する言動と態度が酷過ぎるのですが。外見が良いから許されている存在であって発言と行動は最悪そのもの。ブスだったら世界政府が抹殺するレベルだ。
「ですから陽登君、これからもお嬢様をよろしくお願いしますね」
「それは約束出来ないわー」
「ふふっ、そうですか」
……なーんですか、その顔。『そんな捻くれたこと言って実は~』みたいな顔。ニヤニヤ笑うのやめてください。
俺はメニュー表に顔をうずめる。最近の俺は俺らしくねーなー。前みたいにクズでゲスな顔ができないのかよ。ゲスの極み陽登はどこにいった。
「今回の滝上家との縁談も陽登君のおかげで台無しに出来ました。ここだけの話、陽登君には感謝しています。ふふっ、ありがとうございます」
「そう思うなら罰を科さないでくださいよ」
「表向きにはそう出来ません。陽登君に嫌な役を全て押しつけますー」
「サラッと酷いこと言っているよな!?」
面子の為にお前犠牲になれってことだからなそれ。俺はイタチか! 犠牲の犠牲にか!
あーあーもうやってられねーよっ。自分酒飲んでいいですか!?
「怒らないでくださいよ~。さぁお姉さんと楽しく食事しましょう」
なんつー上司だチクショー。




