第81話 優しい笑み
午前から午後へと繋がる昼休み、俺はぼんやりと外の景色を眺める。今日も空が青い。青空を見つめていると気持ちが安らぐ。
ちなみに俺の席は教室の真ん中らへんだが今は窓際の席に移動している。本来座るはずの女子生徒がチラチラと見てくるが一切気にしない。ごめんな、センチメンタルな気分になりたいから座らせて。
「どうしたんだいハル君。何か悩み事かね」
「お前を黙らせる方法を考えていた」
「へぇ。何か思いついた?」
「とりあえずカレーにぶち込めばいいかなと」
「俺を本当のジャガイモ扱いするのやめろ。コトコト煮込んでどうする」
時間が経つのを忘れる心地良さに浸っていたのに芋助が邪魔しに来た。
あ、俺はジャガイモをカレーの具材にするなら角が取れてルーに溶けてトロトロになるまで煮込みたい派です。具材全部グチャグチャが好き。何の話?
「別に何も悩んでねーよ」
「えー、普段ヘラヘラ笑って他人の嫌がることばかりするハルが真面目な顔しているのは異常だろ。いつもみたいに他人をいたぶれよ」
「お前の中で俺の評価がとんでもないことは分かった。特に改善はしないが」
「しないのかよ」
「なんでやねーん」
「「あっはっは」」
笑顔で芋助とハイタッチ。
「よし消えろ」
「ひどくね!?」
芋助は大きくのけ反って顔をしかめる。鼻の穴を膨らませた顔に軽く殺意を覚えて思わず拳を握りしめるが、こいつを殴ったところでうるさいだけだと予測して再び窓の外を眺める。
今日も世界は平和だ。突然ゾンビが現れて世界中パニックにならないかな。授業中に中学生がする妄想の定番、もしゾンビが現れたら。引きこもっている俺は数日後とかに「え、ゾンビいるの?」と遅れて慌てることだろう。
「そういや今日は天水さんと飯食わなかったのか?」
芋助の言葉につられて後ろを向いてしまう。そこには雨音お嬢様の姿。他の女子数人とお喋りしている。
……いつもの高飛車で偉そうな笑みじゃなく、どこか寂しげに見えるのは俺の気のせいで間違いない。
「今までも毎日一緒ではなかっただろ。別々に食べることもあるさ」
「ふーん、そうだっけ?」
「そうだよ」
「じゃあさ、なんで」
お嬢様から目線を外し横へ横へと、すぐ真横の芋助と目が合う。
黒髪ツーブロック、いつもは馬鹿みたいなタレ目がなぜか鋭く真摯に見えた。
「なんでお前らどっちも辛そうなんだよ」
「……あ?」
「い、いや怒るなってばよ。ハルも天水さんも沈んだ顔しているくらいなら一緒に食べればいいのになーと思っただけだ」
「……」
「確かにちょっと前なら天水さんもクラスメイトと一緒に食べていたけど、ここ最近はずっとハルと二人きりだったじゃないか」
机を叩き、立ち上がる。芋助に向かって思いきり肩をぶつけて俺は教室の出口へと向かっていく。芋助の憤慨したツッコミに耳を傾けず、どこも見ずに意識を濁して何も考えずにひたすら歩む。
廊下に出れば賑わう生徒達でいっぱい。やれ売店に行こうだの次は移動教室だの、それらは騒音となって辺りを埋め尽くす。
「芋助に当たるとかだせーな……ちっ」
俺の独り言は誰の耳にも届くことなく廊下は騒がしいままだった。
教室を出てどこか行く宛てがあるわけでもなく俺はぼんやりと歩いていた。
はー、怠いな。図書館にでも行って昼寝でもするか。とか思いつつ向かった先は食堂の横にある売店。
昼休みが半分終わった頃もあってか、昼休み恒例のパン争奪戦の熱気は冷めていた。飯は食ったし、ジュースでも買うか。
「おばちゃん」
「はーい、もうパンほとんどないよ?」
「いや呼んだだけ」
「もうっ、からかわないでよ~」
「ははっ、うんこ」
「急にうんこ!?」
おばちゃんとフリートークを楽しんで売店を通過。
うちの高校の売店ってパンの品揃えは良いけどジュース類はイマイチなんだよね。自販機の方が選びやすい。
てことで自販機へと向かう。そこには、おどおどしながらも必死に自販機と向き合っている女子生徒がいた。あ、木下さんだ。
「何してんの?」
「ひゃうっ!?」
声をかけてみる。すると木下さんはボブカットを激しく揺らして奇声を上げた。奇声でも声が可愛いとか反則ぅ、どんだけ~。
直後、木下さんは勢い余って自販機のボタンを押した。ガタンッと音が鳴ってジュースがこんにちは。
「あ、悪い。今間違って押したよな」
「ひ、火村君っ。ううん、だ、大丈夫だよこれ飲もうとしたか、ら……」
木下さんが取り出したペットボトルには『ただの雨水!』のラベルが貼られていた。
固まる木下さん。すぐさま顔中から汗が噴き出る。
「そ、そうそう。こ、これ美味しいよね」
「いや無理すんなよ。どう見ても間違っただろ」
俺が急に声かけたせいでボタン押しちゃったんだろ。となれば俺にも非はある。
財布から小銭を取り出し、ジュースと小銭を無理矢理交換。
「ひ、火村君?」
「これ俺が飲むから。違うの選べよ」
何か言いたそうにしているが俺はもう蓋を開けて一口飲んだから。
はいこれ俺のやつ~。誰にも渡さな、うえ!? 何これ、ただの不味い水なんだけど。こんなの販売しているクソ会社はどこだ。訴えるぞ。
木下さんは口をあわわわ~とさせていたが手の小銭に視線を落として黙った。少し経ってから俺に向かって頭を下げ、自販機に小銭を投入。
「え、えいっ」
自販機のボタンを押す時にかけ声出す人初めて見たわ。それはちょっとぶりっ子が過ぎるんじゃないですかね。
けれど甘く見ることなかれ。恐らく木下さんは真面目にやっているのだろう。だからこそ怖い。これが天然あざといという天性の女の武器。童貞なら一発で惚れてしまう。末恐ろしい。
「あ、ありがとう」
本当に買いたかったジュースを手に取った木下さんはしどろもどろになりながらも再び礼を述べてきた。
木下さんは牛乳を買った。これ以上おっぱいが大きくなったらどうするつもりだ。メロメロになる男子が増えること間違いなし。
牛乳パックにストローを挿したところで木下さんはまたしても固まる。こいつ何回フリーズするんだよ。ウィンドウズ95か。
何を考えているのか分からないが、固まっていたウィンドウズ木下は牛乳パックを俺に差し出してきた。その顔は少しだけ赤い。
「や、やっぱり火村君に悪いよ。そっち私が飲むからこっち飲んで!」
「駄目です。つーかあなたも俺と間接キスは嫌でしょ」
マジで不味いから木下さんに飲ませたくないのもあるが一番は木下さんに俺との間接キスを味わわせたくない。
木下さんのキュートな唇をクズの菌で汚すとかあってはならぬ。ならぬ!
お前高校生にもなって間接キス気にしてんのかよー、と煽ってくる奴がいたらディープキスしてトラウマ植え付けてやるから覚悟しろ。
「え、か、間接き、きき、キス……!?」
ほら見てみろ。頭が沸騰して真っ赤な顔から湯気が出てきているぞ。木下さんは口を閉じたり開いたり、目はグルグルと回って上体が揺れる。
こんなに拒絶反応を示している。それでよくもまあ飲みかけのジュースを交換しようと言えたものだ。そんなに俺の間接キスが嫌ですかそーですかそーだよねそうなのかよっ。
「牛乳飲んで大きくなれよ。期待している」
「ふぇ、な、何を……?」
何って、それはナニです。本人を前にして言えるか。セクハラになるだろ。
おいおい陽登君、いつもお嬢様にはセクハラしているくせに良い子ぶってんじゃ……お嬢様、か……
「……火村君?」
おいおい陽登君、なんでお前まで固まっているんだよ。脳裏に浮かんだ人物の顔だけで戸惑っているんじゃねーよ。だせー。
その場で踵を返し、残りの雨水を一気に飲み干す。苦くて不快で舌触りの悪い水が喉を通って腹に溜まる。不味さのあまり吐き気がするが強引に押し込んで深く深呼吸。
……何も考えるな。ヘラヘラしていろ馬鹿。
「じゃあな。また教室で」
木下さんに背を向けたまま俺は歩きだす。どうせ行く場所はないくせに歩を進める。どこに行こうとしているのやら。
あー、それにしても不味かった。今度芋助への嫌がらせ用に買っておくか。さてと、じゃあ今度こそ図書館へと、
「待って火村君」
手を掴まれて足が止まる。視界がぐわんと歪んだのは一瞬のこと。
振り返ればそこには俺の手を握る木下さんの姿。普段通りのおどおどした表情だったが、目だけはしっかり俺を直視していた。
「わ、私で良かったら相談に乗る、よ?」
「……は? 何が?」
自分の声が微かに震えていることに気づく。さっきから、教室を出た時から自分の声が弱々しくて震えていたことに、今になって気づいた。なんで俺はこんなにも落ち込んでいるんだろう……。
そして喧嘩を売っているかのように冷たく返事をした自分が本当にダサイ。芋助に当たって今度は木下さんだ。さすがに自己嫌悪する。
ごめん、と追加で述べて歩こうとするが体は動かない。……木下さんが手を離してくれないから。
「何か悩んでいるよね。とても、辛そうだよ……?」
「別に辛くねーし。変に邪推するのやめろや」
「こ、今度は私が火村君を助けたい」
キツく当たってしまったのに、それでも木下ゆずは言葉を止めない。まっすぐ見つめる瞳と口下手ながらも真剣に向き合ってくる。
その姿を受けて、濁っていた意識が少し晴れた気がした。
晴れて、思わず呟いてしまう。弱々しく、でも意地っ張りに。
「……よろしく頼むわクソボケ」
まともにお願いすることも出来ない自分に自己嫌悪。
頼ろうとしているくせに言葉遣いが荒い。なんて幼稚でダサイんだ。自分で自分をグーパンで殴りたい。
「うんっ」
だけど木下さんは優しく微笑んでくれた。




