第78話 グータラとセクハラ
舞踏会の翌日、俺はリビングでテレビを観ている。優雅な休日の過ごし方である。
床に寝そべり、身も心もカーペットに預けた状態。手が届く範囲にジュースとポテチを置き、グータラなスタイルを確立。
ザ・休日のお父さんだ。それを齢十六歳の俺が完璧にこなしている。もう才能だね。最高にグータラを満喫している自信があるぜ。
「陽登君、そんなだらしない格好をしてはいけませんよ」
そこへメイドさんがやって来た。今日もヒラヒラな黒と白のメイド服に身を包み、呆れた表情で俺を見下ろしている。
「出張帰りだからゆっくりさせてくれよ。明日も会社なんだから」
「ほら掃除機かけるからどいて。暇なら洗車でもしなさいよ」
休日のお父さんの真似をしてみたらメイドさんがノッてくれた。
俺とメイドさん、二人で日曜のお父さんお母さんコントが始まる。
「俺が洗車したら雨が降るんだよね」
「だったら買い物に行ってきてよ。お義母さんと隆さん達が来るんでしょ」
「隆が迎えに行くついでに買ってくるから大丈夫だよ。それよりビールは冷やしてあるか?」
「……アンタ達は何を繰り広げているの」
リビングに来た雨音お嬢様が俺達に尋ねてきた。不思議そうに、こいつら何やってんだ?的な目で見てくる。
「なんだ帰っていたのか雨音。今日は練習試合じゃなかったのか?」
「ほら雨音、もうすぐおばあちゃん達との食事会だから早く着替えてきなさい」
「いや意味分からない。陽登も沙耶も変なことしないで」
なんとノリの悪い奴だろうか。状況を即座に把握して臨機応変に対応しなさいよ。これだから元ボッチは困る。中川家の即興コントを観て勉強してこい。
メイドさんと目を合わせ、やれやれと肩を竦めて半笑い。俺らの仕えるご主人様はコミュ力に加えてアドリブ力も欠如していますね。
「何よ二人して。その感じやめて」
「そういや雨音、三者面談はお父さん行かなくていいのか?」
「意味分かんない。普通に喋りなさい」
はいはいノリがわりーなー。
「お嬢様が休日に部屋から出てくるなんて珍しいな。趣味の生放送はどうしたんですか」
「人を勝手にパソコンの前でボソボソ喋る雑談生主扱いしないで。それ閲覧者何人よ」
「性格ぶっさ、コミュ抜けるわ」
「性格のことでアンタに言われたくない」
お嬢様は冷めた目で俺を見下ろして足蹴りをしてきた。腰に響く衝撃は痛いけど我慢出来る程度の威力。寧ろマッサージみたいで気持ち良いかも~、うっふん。
あと俺って結構足蹴りされているよね。蹴りやすいのかな。いつも寝そべっているのが要因だろうけど。
「お嬢様、もうすぐで迎えが来るそうですよ」
「……分かった」
メイドさんの言葉に返答するお嬢様の声は暗く重たい。目を伏せて不服そうな表情を浮かべている。
辛そうな顔しないでくださいよ~、僕ちんも悲しくなっちゃう~。それは、う、そ~!
「また舞踏会っすか?」
違うわ、と言って首を横に振るお嬢様。左右に揺れる艶やかな黒髪。
「でしたら超会議ですか」
「それも違うわ」
「ちゃんとマスクつけてくださいね。あそこマスク装着が義務づけられていますよ」
「違うって言ってるでしょ」
蹴りが強くなる。腰だと蹴る側も痛いのか、お嬢様は回り込んで腹を蹴ってきた。お腹はやめて普通に痛いから。腹イタリアだ。誰だよそれクソキモそうだな死ね。
引きこもってネットばかりしていそうな雨音お嬢様が外出となれば超会議だと思ったんですがね。
あれって中々に人気あるよな。踊ってみたブースで思いきり脱糞してみたい。脱糞してみたって新しいジャンルを生み出そう。マジ陽登君サイテー。
「じゃあ何の用事で?」
「……昨日会ったでしょ。滝上。あいつと会わなくちゃいけないの」
見上げれば苦虫を噛んだような顔。あらま、お嬢様とても嫌そうですね。
滝上という名前に覚えはある。昨日の今日だから。
滝島、白スーツ着たお坊っちゃまのことだ。庶民の俺を見下し、金持ちオーラを出すキザでいけ好かない野郎だ。そして実際に金持ちの御曹司。
あいつと会うのかー。そりゃご愁傷様。嫌な顔しているのも合点がいく。
「あいつのこと嫌がってましたやん。どして会うの?」
「言ったでしょ。パパと向こうの父親が仲良い。だから会わなくちゃいけないの。……それに」
親同士が知り合い。自分の父親の顔を潰さない為ですか。そんなのうんざりだー、と吹っ切れたのは昨日のことじゃないか。
ま、何か断れない理由があるんでしょうね。何かは知らんが。
「親同士で縁談の話が進んでいるの……」
「縁談?」
少し驚いた。少しだけだから体を起こすことはしない。床に転がったリラックスフォームは崩さず、伸びたままのび太スタイル。
縁談って、まさか縁談? 日本語おかしい。縁談ね~、要はお見合いってことかな。もしくは婚約? やはりお金持ちってのはすごいね。
すごいが、雨音お嬢様の顔色は優れない。あいつと会うのが嫌で嫌で仕方ないのがひしひしと伝わってくる。
「親が決めた話だから断りにくいんだな。そりゃお気の毒に」
「……」
何にせよアニョハセヨ、俺にゃカンケーないことですな~。どうぞ存分に見合いしてくださー。
豪華な料亭で挨拶を交わして親達は「後は若い二人でウフフ」と言って退席。二人は池のある庭でお散歩。ご趣味は何ですか、ゲーム実況です、私は生放送です等と談笑する。ええやん素敵やん。
「……」
「ん、何か?」
さっきからお嬢様が俺を見てくる。足蹴りをやめ、俺の前にしゃがむ。
ロングスカートを履いているからパンツが見えないのが残念、ってそうじゃなくて。
じぃ~、と見つめる瞳はウルウルと微かに揺れ、何やら羨ましげなご様子。
「アンタは気楽で良いわね」
ポツリと呟く声はこの距離なら簡単に聞き取れる。
失礼っすね、俺だって悩むことぐらいあるさ。横に配置してあるポテチだってどの味にするか悩みに悩んで買った品だ。やはり堅あげのうすしお味が最強だ。とか言うとピザポテトが一番だろ、と反論してくる奴がいるよね~、あるあるだよね~。
俺はポテチを頬張ってお嬢様に向けてニヤニヤと笑ってみせる。目の前の女の子は恨めしげに目を細めて口をへの字にして唸り声を上げた。ご機嫌ななめです。
「お嬢様、そろそろ準備を」
メイドさんの催促。けれどお嬢様は反応しない。聞こえていないはずはないでしょ。俺が聞こえているのに。
お嬢様はメイドさんには答えず、俺を見つめるばかり。
「……私もゴロゴロしたい」
小さな小さな、微小で掠れる声を聞き取れたのは俺だけ。
お嬢様は前へと傾き、俺に重なるように倒れ込んできた。俺のお腹に乗っかるお嬢様のお腹。接地部分が暖かくてしっとり程良く重みがかかる。
「何してんのお前?」
「……」
問いかけには答えず雨音お嬢様は俺の上でゴロゴロを始める。
顔の方へ近づいてきたかと思えば次は足元へ転がっていき、見事にだらしない回転を披露してくれている。セレブのお嬢様がすることじゃないぞ?
「お嬢様やめてください。陽登君も迷惑がっていますよ」
叱責の意を込めたメイドさんの注意が飛ぶ。
しかしこの子はゴロゴロをやめない。時折、「むー」と意味不明な鳴き声を上げるだけ。
変な奴だな。俺の上で転がって何が面白いのやら。ただ、さっき聞いた言葉は俺の頭から離れない。
あの声が、小さな本音が。だから俺にしては珍しく優しい言葉をかけてしまうのだろうか。
「見合いが嫌ならドタキャンして俺と一緒にダラダラしませんか。楽しいですよ」
「陽登君」
注意の矛先は俺へと向いたか。何を言っているのですか、と睨みを効かせるメイドさんの姿が目に飛び込んできた。
ちょいとお怒りのようで。どうどう落ち着いてください。俺なりに出来る提案をしようと……
「うん。陽登とダラダラしたい」
っと、あら?
腹上のお嬢様が声を出す。素直ではっきりとした声音。
そして甘えるようにベッタリ倒れ込む。絶妙な具合で腹部と腹部が重なっているんだよなぁ。もう少しズレてくれたらおっぱいが当たるのに。ねぇお願い、ちょっと下にズレて。柔らかい感触を味わいたい。
「……よし」
お嬢様が俺の足の方へ転がっていった辺りで俺は自分の腹の横で手をパーにして構える。
転がっていたお嬢様は止まり、逆回転して今度は俺の顔の方へゴロゴロと迫ってきて……
ジャストドンピシャリ。
丁度良い位置で俺の手の上にお嬢様の胸が乗っかって、ふにょふにょの感触が手の平を覆う。
「ひゃう!?」
ビクンッ!とお嬢様は固まって可愛い悲鳴を上げた。プルプルと震えて俺の位置から見える横顔は色っぽく紅潮する。
というか……うっおぉっ……! な、なんだこの感触は……す、すげぇ。
「ひぅ……ば、馬鹿陽登!」
喘ぎ声を漏らしたお嬢様が目にも止まらぬ速さで起き上がる。
真っ赤な顔で俺の顔面を足蹴り。痛い! 顔面蹴るの反則!
「あ、アンタ今……! こ、このアホ馬鹿この変態!」
「ありがたきお言葉、身に余る光栄に存じます」
「だから誉めてねーよ!?」
身に余る程の罵声を食らいつつお嬢様の強烈な顔面蹴りはさらに続く。ぐお、顔が変形する。や、やめて。サンジの整形ショットかよ。
「し、死にゅ……」
「この馬鹿使用人……もういい、行くわ」
雨音お嬢様はスカートを翻してリビングから出て行く。足音が遠ざかっていくのが聞こえるよ……がふっ、軽く三途の川が見えた。か、顔がぁ……。
「陽登、アンタもついて来なさい」
「えー、俺もー?」
「文句あるの!?」
「いえ全くありません。すいませんでした」
謝るからその鋭い目をやめてください。めちゃくちゃ怖い。
早く準備しなさいよと捨て台詞が聞こえた後、起き上がってみたらすぐ傍に立っているメイドさん。ニコリと笑って、
「陽登君、今月の給料大幅にカットです」
「ふ、ふぁい……」
メイドさんもリビングを出る。もし異議申し立てたら即母さんへ報告だっただろう。ほ、本気で決めた。お嬢様にセクハラするのはもうやめる。
俺は震える足でなんとか立ち上がって息絶え絶えに二人の後を追った。




