第76話 始まる舞踏会
連れて来られたのは大きなホテル。ラブホテルではないことだけ分かる、うん。
大きくて豪華なホテルとしか言えない。なんだこれ、何星ホテルだよ。
「行くわよ陽登」
お嬢様が出てきた。出発する時からずっと思っているが……まぁ、さすがですね。お嬢様はドレスを召している。髪の毛もよく分からんが綺麗に盛って上品に仕上がっている。
何より、お嬢様は美しかった。
ワインレッドの深い赤色のドレス、化粧をしたことも合わさって色気が溢れており、元の素材の良さもあって、単純に、美しい。
「何よさっきからぼーっとして、いつまで私に見惚れるつもり?」
「ナルシストな発言はやめてくださー」
「ふん、さっさと行くわよ」
優雅で綺麗で気品良く、些細な動きすらも目を奪われる。美しいの言葉だけでは足りなく、女神と例えても過度ではない。雨音お嬢様は、素敵だ。
だが発言がウザイ。そして機嫌が悪い。
容易に分かるよ。こんな舞踏会とか集まりが大嫌いなんでしょうね。明らかに嫌がっている。
「お嬢様、俺も行きたくないんでサボりましょうよ。ゲーセン行きたいです」
「ドレスとスーツでゲーセンなんか行けるわけがないでしょ。それに嫌でも行くの。パパ達の評判を下げるつもり?」
ちなみに雨音お嬢様の両親、旦那様と奥様は来ていない。海外事業が忙しいんだってさ。
けどお嬢様は行かなくてはならない。他のセレブ共に顔を見せ、愛想良くしなければならない。そう、それがセレブの宿命。
「お待ちしておりました天水様。こちらへどうぞ」
クソ豪華で眩しいエントランスに入れば清楚で不快感皆無のスーツ着たおっさんが出迎えてくれた。おっさんそのスーツ良いね。青山で買ったの?
「失礼ですが、そちらの方は?」
「私の執事です」
「どーもです」
俺が返事をした瞬間、お嬢様がギロッと睨む。鬼気迫る形相、怖い怖い。
何星か分からない星ホテル、こんなセレブの聖地に庶民の俺が立っている。天水家の財力で特注の高級スーツを作ってもらって付け焼刃なりにマナーを身につけた俺だが、やはりこの場にはふさわしくない人間だ。
自分でも分かる、高級スーツを着こなせてない。今もこうして不審な目で見られている。そして軽い挨拶、さすが俺。
「……分かりました。どうぞこちらへ」
摘まみ出すか?的な空気が流れたような気がしたがなんとか通れた。
と、お嬢様が肘で小突いてくる。
「馬鹿陽登っ、ちゃんとしてよ」
小声ながらも怒っているのが分かる。
はいはいすいませんね。緊張しているような気がしないこともないようであるようなでも違う気がして明日も晴れるかな? そんな緊張です。
「はぁ……どうしてこんな奴が付き添いなのよ」
「うおっ、見てください料理めっちゃありますやん!」
「黙りなさい」
怒られちゃったよ~。だけどさ、これ見てよ。とんでもない大きさだよ。
下を見れば存分に野球が出来る程の広さに敷かれた重厚な真紅のカーペット。上を見ればホグワーツを髣髴とさせる数多のシャンデリア。真ん中を見ればテーブルを彩る様々な料理、銀皿に乗ったステーキ肉がとてつもなく美味そう。
「ヤバイってまぢヤバイよ。ツイートしていい?」
「うるさい」
また怒られちゃったよ~。心の中で「高級ホテルまぢヤバイなう」と呟く。
「沙耶に聞いたでしょ。この舞踏会は顔合わせやダンスだけじゃなく、自分の執事を見せる場でもあるのよ。アンタもちゃんとして礼儀正しく……」
「すいまっせーん割り箸とかもらえます? あと紙皿も」
「話聞いてる!? なんでピクニック気分なのよっ!」
うるせー庶民には割り箸と紙皿だろうが。
こんな高そうな取り皿使えねーよ。この皿にすら俺の存在価値は負けている自信があるぞ。
「いいから黙ってなさい恥かかせないでっ」
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生のハイジって言うだろ」
「ハイジじゃないわよ、そして口笛聞けよ! あとそれ今関係ないでしょ!」
お嬢様テンション上がってきましたね。中々良いツッコミです。
いや悪いけどさー、俺なんかを付き添いに命じた天水家に落ち度があるよ。俺が行儀良くするとでも。甘いわボケー。
会場内を見渡す。立派なスーツ着たダンディな男性、素敵なドレス着たセクシーな女性、たくさんの人がいる。そして見て分かる、共通して言えるのは全員から金持ちオーラが漂っていることが。
俺だって天水家に仕えて金持ちの暮らしってのを体感したつもりだった。が、まだまだ大富豪の世界は奥深いようで。
「今晩は。天水雨音さん」
「はい、今晩は」
ふと一人の男性が話しかけてきた。その瞬間、怒り気味だったお嬢様の纏う雰囲気が変わった。
指先でドレスの裾を掴んでゆっくり滑らか流れる動作で挨拶を返している。纏うオーラは上品で、そっと零す微笑みは大人の色気すら溢れる。これが雨音お嬢様……!?
あの、学校ではボッチで不機嫌な顔しかしなかったお嬢様なのか?
「君のお父さんとは仲良くてね。今日は来れないのかい?」
「申し訳ありません。父と母は海外のお仕事が外せなくて」
「仕方ないね。ところで、私と踊ってくれるかな?」
「はい、喜んで」
男性に手を取ってもらい、お嬢様は優雅に歩いていく。
本当に美しくて息呑む綺麗な動きに俺は感動を受けた。ステーキ肉、もっと感動を受ける。これ美味い。
男性に引かれてお嬢様は踊る。社交ダンスってやつか。他にも踊っている奴らはいるが、その中でお嬢様は目立っていた。
まぁね、この際もう正直言うわ。お嬢様超綺麗だよ。あれ反則だろチートだろ。とりあえずハイジに謝れ。
「にしてもすげーな」
お嬢様と一緒に入ってきてからチラチラと視線を感じていた。
さっきの男性、つーか三十代後半のおっさん。いつ話しかけようかタイミング伺っていたのを俺は伺っていたからね。
離れてしまったお嬢様、踊る姿もまた美しい。俺さっきから美しいしか言ってねー。でもそうだから仕方ないだろ、あぁん? そうだよなみんなぁ?
とにかく美しいんだよ。踊りも上手い。ドレス姿でよくあんなに踊れるものだ。
「ありがとうございました。楽しかったですわ」
「こちらこそ。今度良ければ食事でもしよう」
ペコリと頭を下げてお嬢様は戻ってくる。その前に他の男性がまた話しかけてきたようだ。お嬢様は微笑んで、応じている。また踊り始めた。
大人気だなぁ。さすがですね。
お嬢様を見つめる男が何人もいる。次は俺の番だと言わんばかりにスタンバイしてる。おいおいマジか。大人気アトラクションに並ぶ列みたいだ。ビッグサンダー・マウンテンかよ。
「ありがとうございました」
「今度食事でも……」
「次は僕と踊ってください」
どんどん相手が代わっていく。回りが速い。いや……マジですごいな。
おっさんだろうと老け顔の男性だろうと、お嬢様は嫌な顔せず微笑んで受け答えし、踊る。
微笑んで、微笑んでいる。
笑顔とは呼べない、ひどく安定したらだけの、一定の作り笑い。
「……無理してるなぁ」
分かる、これでもあいつの使用人として仕えてきたから。
優雅で綺麗で愛想の良いお嬢様は、本当なら高飛車で生意気でクソみてーな性格のワガママ女なんだよ。普段は不機嫌なオーラ出しまくりだぞ。死ねよ。
でも両親や従姉妹の前ではさ、嬉しそうに笑うんだよ。ニヤニヤとだらしない笑顔をするんだよ。
それがさ、今はどうだ。完全に作り笑いだ。無理をして演じている。
そんなお嬢様を、俺は見たくないと思った……。
「それにしてもこのパイ包みクリームスープ美味ぇな」
味わい深さ突き抜けだわ。パイを破ったら温かいトロトロのスープ、パイとスープが相性抜群だ。
ただこの容器洗うの大変そうだなー、と変な心配するぐらい美味しい。
「……陽登」
クリームスープに舌鼓を打っていると目の前にお嬢様が立っていた。ダンスは一通り終わったんですかい。
その時、お嬢様が俺の足を踏んづけてきた。激痛が駆け抜け、声にならない悲鳴がスープと共に溢れる。
「あがっ……ぁ!?」
な、なんてことしやがる……っ!
足の甲が、甲が、あぁ……なんつー痛みだ。
「て、テメェ、何しやがる……!」
「うるさい……別になんでもないわよ」
なんでもないぃぃぃ? 理由になってないぞオラァ。あぁあぁぁ、これ確実に出血してるよ。そんな気がする。
このクソ女、っ…………うーん……そうか。
俺に向ける顔は辛そうに見えた。表情には出していないが、なんとなく分かる。
そして、お嬢様の後ろから迫ってくる男達。
「雨音お嬢様」
自然と手が動き、お嬢様の手を取る。
自然と足が動き、お嬢様を引っ張る。
「は、陽登?」
「少しお疲れですね、外で休みましょう」
会場を出てエントランスを抜けて外へと出る。吹き抜ける風が気持ち良い。
星の見えない夜空、見上げ続けると暗闇に飲み込まれそうに、ならないよね。かっこ笑い。
「な、何よ急に。戻らないと……」
「俺に当たるぐらいイライラしているくせに何言ってんだよ」
苛立っているのがバレバレだよ。おかげで俺の足は激痛で悶えている。どうしてくれるんですか。慰謝料請求しますよ。
「……お嬢様が無理して頑張るのはご両親の為っすか?」
「……」
そりゃあね、こんなデカイ会場で周りはおっさんや年上の男ばかり。欠席した両親の代わりに天水家の人間として精一杯良い子で愛想笑いを浮かべているんだろ。
「体裁や面子ってのがあるんでしょうね。お金持ちってのは大変だな」
「……そうよ。パパ達の代わりに私が頑張らないといけない」
ポツリと零れた言葉は車の走る音に掻き消える。俺からすれば後ろの巨大ホテルも中の豪華な装飾やステーキ肉も全て規格外。
そんなセレブの輝かしい世界でお嬢様は一人頑張っている。本当は嫌で仕方ないくせに両親を思って奮闘している。だって両親のことが大好きだから……。
「無理しなくていいと俺は思うけどな」
「……?」
「本来はお前の両親が参加すべき集まりだろ。お前がそこまで無理する必要はないんじゃね?」
「そうはいかないわよ。だってパパとママが……」
あー、ごにょごにょ喋りやがって。鬱陶しいぞ、いつもの調子はどうした。
俺も上手く言葉で言えない。だからお嬢様の頭を一回だけポンと撫でる。触って程度だが、その一瞬で俺なりに優しく手を乗せた。
「お嬢様が苦しんでいると知ったらあの二人は絶対にやめさせるぞ。お前の両親たぶん親バカだから」
空港で一度会っただけだが、父親も母親も娘にデレデレだった。あの父母がお嬢様のことを無下にするはずがない。
ちなみに俺の母親はとんでもない畜生です。俺もクソ息子だけどねっ。
「今はあの二人がいないから代わりに俺が止めてやるよ。クソお嬢様、よーく聞きやがれ」
主人に対する言葉遣いとして最低最悪な俺の言い方。マジで俺はクソ、はっきり分かんだね。
だがはっきり言わせてもらおう。これは俺の意見だ。
「俺はお前が辛そうに笑っているところを見たくない。両親や従姉妹に見せるヘラッとした笑顔をしやがれ。それが今出来ないなら無理して笑うな。分かったかクソお嬢様!」
車の走る音にも負けないぐらい声を上げて俺は叫ぶ。世界を舐めきっている俺が大声で何かを言うことは珍しいんだぞ。良かったなある意味歴史的瞬間だよ。
息を整え、お嬢様と向き合う。おいコラ文句あるならかかってこいや。卑猥な言葉を口走ってやらぁ。
「……ぷっ」
ぷっ? 今、お嬢様が吹き出した……?
「わ、笑わせないでよ馬鹿陽登、くくっ……! ふんっ、いつもヘラヘラ笑っているアンタと違って私は大変なのよ」
「んだとオラァ」
「でも、まぁアンタの言う通りかもね」
そう言った瞬間、確かにお嬢様は笑った。さっきまでの愛想笑いではなく、自然と零れる、お嬢様だけの素敵な笑み。
続いてやって来たのは拳だった。俺の腹に撃ち込まれるお嬢様のパンチ。
「ぐえ、テメ、クリームスープ嘔吐しちゃうだろ」
「戻るわよ陽登」
「えぇ……はいはい、りょーかい」
ワインレッドのドレスを身に纏い、あらゆる視線を釘づけにさせる美貌と麗しさを持ち合わせ、そんな気品ある姿に似合わない声で「馬鹿陽登」と呟いた雨音お嬢様は再び会場の中へと入っていく。




