第57話 木下ゆずは変わりたい
木下さんと並んでアウトレットモール内を歩く。あれだよね、周りから見たらカップルに見えるのではなかろうか。ウェーイ、俺リア充。
とは言っても普通に歩いていたらお嬢様と遭遇する可能性がある。私を放って置いて他の女と一緒にいるなんて何よ!とヒステリックにキレられるのは目に見えています。よって店の中へ逃げ込むことにした。俺ちょー有能。
「お待たせしました、ミルクセーキと豆乳ラテでございます」
テーブルに置かれる豆乳ラテを持って口元へ運ぶ。うーん、この香り、マーベラス。豆乳の良さが出ている。この芳醇な香りと味わい深さが、えっと、うん、とっても良いよね。すごく良かったです。小学生の感想文か。
「豆乳ラテが好きなんですか?」
「いや初めて飲む。挑戦する心って大事だよな」
常に変えず一つのものを愛するのも良いが新しい世界と味を開拓することも大事なのさ。よって豆乳ラテを選んだ。正直言うと味は普通だった。
喫茶店、奥の壁際の席に座る俺と木下さん。ここならお嬢様に見つかることもない。のんびり過ごそう。
「木下さんも買い物? 一人で?」
「う、うん」
相変わらずおどおどしているなー。俺と目が合うと即座に逸らしてミルクセーキを飲む。その仕草は可愛くて微笑ましい。
小さな動物が枯れ葉の中でどんぐりを拾うかのように、小さく変に機敏な動きは見ていて飽きず心が癒される。
小動物クイーンか。芋助が言っていたことが分かるよ。これは可愛い。犯したい。俺この子と会う度に犯したいと言っている気がする。サイテー。
にしても一人で買い物か。前回も一人だったよな。
……そうだな。なんとなくSのスイッチを入れたくなった。豆乳ラテを一口啜り、俺の口元が意地悪く歪む。
「木下さんはボッチなのか~、寂しい奴だな」
こういった大人しい子を泣かせたい。そんな欲求が沸くことってあるよね。
涙がぐちゅぐちゅ、下もぐちゅぐちゅってやつ? ぐはは。
「……そう、だよね。私、口下手だから……」
「あ、いや、そんな……あ、あれ?」
あれ、木下さん泣きそうになってる。というか泣いてない?
確かに意地悪なことを言って泣かせたいと虐めたけどさ、そんな簡単にしかも本気で泣かれるのはちょっと……。
思わず前のめりになって必死に頭を下げる。Sのスイッチはオフだ。
「ご、ごめん、いやマジごめん。指の数だけ足の腱殴っていいから許して」
「な、なんで指の数?」
それは俺も分からないけど贖罪的な気持ちがあることは理解して。
「ボッチは言い過ぎたわ。まぁ下着買うのに友達と来ないよな」
「……ぅ、ん」
あ、またミスった。デリカシー皆無か俺。
木下さん、さらに俯いてもう顔が見えない。
「ホント何度もすいません。指の数だけ鈍器で足の腱叩いていいよ」
「さ、さすがに鈍器は……」
「だよな、十回も耐えられる自信ないわ」
あっはは!と豪快に笑って豆乳ラテを飲む。無神経なことばっかり言ってごめんね、俺アホなんだよ。
……目を合わせてくれない。これはマズイ。嫌われたか?
まぁ別にそれならそれでいいけど。女なんて星の数いるんだ。一つくらい俺に股開く星といつか出会えるさ。木下さんは違うってことで。
プラス思考ってすごい。無敵だと思う。
しかしポジティブにこのまま場を流していいわけもない。誘っておいて不躾なことしか言えないのに、これ以上付き合わせるのは非常に心苦しい。
「えーと、もう出る? 辛そうだし俺消えるよ」
「そ、そんなことないです。私が駄目なだけで……」
「木下さんは駄目じゃないぞ。俺が社会的に駄目なだけさ」
同級生の女子に下着の話をするって最低だ。死ねばいいんだよ俺なんか。でも俺はヘラヘラ生きる! そう、無駄に生きる!
「そういやバキューム君はその後大丈夫か?」
強引に迫ってきたのを撃退したけどその後は俺知らないんだわ。また変なことされかけてねーか?
「萩生君はまた謝ってきて、うん、今は普通だよ」
「そりゃ良かったね」
「火村君のおかげだよ。あ、ありがとうね」ら
別に感謝されることではないさ。筆箱投げてシャーペンをしゃぶらせただけ。
こうやって振り返ると俺は変なことやったんだよな。やるじゃん。
「あ、木下ゆずだ」
ビクッと木下さんの肩が震える。茶色のテーブルにミルクセーキが少し零れ落ちた。
誰か木下さんのフルネームを呼んだ。それは俺の後ろから聞こえた。
「どしたのナツミ? 知り合い?」
「中学の同級生がいた」
振り返れば女子が二人。今時のイケイケなファッションを身に包んでおり、顔面偏差値はそこそこだ。地味ではないが、まぁ可愛くはない。内装は綺麗だけどそんなに美味くないラーメン屋みたいな? 例え分かりにくいね。
「へー、可愛い子じゃん」
「別に普通でしょ。それにあいつ根暗なんだよ」
興味ありげに見てくる女子とは対照的にもう一人は目を細めて苦い顔をする。なんだその顔は。おいコラ。
「あれも中学の知り合いなのか」
「うん……」
俺の問いかけに木下さんは……あ、木下さん、震えてる。
口を噛み締めて顔は白くなっていた。カタカタ、とコップが音を立てる。
「お、おい大丈夫かよ」
「はっ、相変わらずおどおどしやがってウゼー奴」
は? さっきからなんだあいつ。
木下さんのことはある程度聞いた。女子校出身で、物事をはっきり言えず上がり症だ。
そんな奴普通にいるよ。それをな、こっち見て聞こえる声量でベラベラ喋りやがって。何様だ。
「ホント気持ち悪い奴」
ぷーちん。俺の中でまたスイッチが入る。というか何かが切れた。キレやすい若者だからね仕方ないね。
豆乳ラテを飲み干して席を立つ。向かう先は勿論、
「さっきからうるせーよ、木下さんの悪口言うな」
店内の真ん中にいる女子二人の元へ。さっきから大声で悪口言っていやがる女に向けて渾身の睨みを効かせる。このクソ女が、喧嘩売ってるのかあぁん?
「お前、木下ゆずの彼氏か」
「違うけど」
「はっ、どっちでもいいや。お前目が汚れているぞ」
初対面の人になんてこと言いやがる。性格悪いぞこいつ。俺が言うなって感じだが。
感じの悪い、見下した目で俺を睨むクソ女。その程度で怯むかボケェ。
「目はいいんだよ。サングラス等で隠せる。だがテメーのその汚い心はどうしようもないけどな」
「はぁ? 何言ってんの?」
「あ、耳も汚れているから聞こえないのか。耳掃除しとけ耳クソ女」
「あ?」
唸って俺を睨んでくる。男勝りな口調しやがって。
でも少しは需要あるよね。男勝りだけど幼馴染の男子の前では恋する女子になる的な?
生徒会長の男とヤンキーの少女。実は幼馴染で、けれど学校内ではそれぞれのグループで過ごし、けれど家やデートの時はデレデレの甘々な恋人同士になるやつが好きです。あのシチュ考えた人はすごい。
「ちょ、やめなよ」
隣の女子が止めに入る。そして俺の方を向いて頭下げてきた。
「ごめんなさい、この子気が短いんです」
「別に短気じゃねぇし」
「気にするなよ。俺も短小だから」
「「急に何言ってんの?」」
おいおい人がコンプレックス暴露したからってハモってツッコミ入れるなよ。
雑誌の巻末に掲載されているナニを大きくする薬の広告、あれに応募しようか迷った俺の気持ちが分かるか。
「まぁいいか。おいお前、木下さんの悪口言うな」
「悪口? ただ本当のこと言っただけだろ」
喧嘩腰の俺達が喋れば喋る程、店内が少しざわつく。ピリッとした空気は重く、周りの客は横目で様子を伺っている。今すぐにでも店員さんが飛んできそうだ。
だが俺は引く気はない。それは向こうも一緒なのか、耳クソ女は続ける。
「あいつがどんな奴か知ってる? おどおどしてろくに会話も出来ねぇクズだ」
また大きい声で喋りやがって。今の木下さんにも聞こえているんだろうな……。
「他にもよぉ」
「あー、もういいわ。要するに可愛くないお前のひがみだろ」
「……はぁ?」
「可愛い木下さんに嫉妬しているだけなんだよな。分かる分かる、チョーワカルンデスケドー」
いつか会ったギャル二人の真似をしてみる。そういやあの時の二人も木下さんと同中の奴らだったな。
「お前らの中学、木下さん以外ろくな奴いねーな。女子校のくせに。クソブスのギャル二人の次は汚い耳クソ女かよ」
「ギャル二人……あっ、まさかお前がミキとカオリを泣かした奴か!」
「泣かした? エイリアンとプレデターが黒い液体垂らしていた記憶しかねーわ」
「この……何様だよおい」
完全に喧嘩腰になったよこの人。
連れの女子が困惑した顔で必死に止めようとして、店員さんがこちらをチラチラ見ている。
ふと、後ろを振り返る。木下さんがこっちを見ていた。俺と目が合い、逸らされた。あらら、なんてこった。
「おいこっち見ろよテメェ」
「なんで汚いクソを見なくちゃいけないんだよ馬鹿か。駅のホームでおっさんが吐いたゲロを好んで見ないだろ。それと一緒だよ分かったかクソゲロ女」
「さっきから言ってくれるじゃねぇか……!」
「さっきからありきたりなヤンキーの喋り方ばっかだな。それすごくダセェよ?」
「テメェ!」
俺に殴りかかろうとするこいつを連れの女子が必死に抑えている。
拳は俺に届かず、眼前で叫んで暴れる耳クソ女。顔がどす赤くて歯が剥き出しだ。
「お、落ち着いてナツミ!」
「こいつ絶対許さねぇ! ボコボコにする!」
「え、ボキボキ? 確かに短小でもボキボキになったらそれなりの大きさになるよね」
「ぐあぁぁこいつ短小の話しかしねー!」
「お客様!」
と、ここで店員さんが血相変えてやって来た。さすがに騒ぎ過ぎたか。
「他のお客様のご迷惑になりますのでやめてください!」
「すんません。じゃあ俺は出ます。そこのクソ短気クソダサイ耳クソ女を抑えといてください」
俺が爽やかスマイルで店員に謝るとクソ女が叫び散らす。
どうどう落ち着いて。血管切れて血が出ますよ。血を出すのは股下からで十分でしょ?
後ろを振り向いて手招きして木下さんを呼ぶ。こっちへ来た木下さんの顔はまだ真っ白だった。
「テメェ逃げる気か!」
「店員さん、その人たぶん女の子の日なんで気が荒ぶってます。短小とか叫ぶキチガイなんで気をつけてください」
「無視すんじゃねぇ!」
うおー、怖いねー。でも馬鹿だこいつ。
店員さんが止めに入って他の客も注目している中、冷静な俺に対してお前は暴れまくりの気狂い野郎。
客観的に見てお前が悪役だよ。学校に連絡されて出禁食らえバーカ。
「行こう木下さん」
「ぁ……は、い」
さっさと会計を済ませて店から出る。
出てからも店内からは耳クソ女の悪態が響く。
本当に短気なんだな。もっと煽り耐性つけろ。俺マジでくだらない下ネタしか言ってないから。
「うーん、出るハメになったな。ごめんな」
「ううん、でも……」
未だに顔色が優れない。声が弱々しい。それは前からか、あっはっは!
「ごめんなさい、私のせいで火村君が……」
「いや俺が絡みに行ったせいじゃん。木下さんが謝ることない」
うるさい店から離れる為に歩く。俺の後ろをついてくる木下さんの顔色はまだ優れない。俺のせいで嫌な思いさせちゃったかな。いや違う、悪いのはさっきのクソ女だ。木下さんのこと悪く言いやがって。
気が弱いから。上がり症だから。それを理由にして可愛い木下さんをイジめる。最低だなホント。あ゛ぁ、すげぇムカついてきた。
「……ひ、火村君怒ってる?」
いつの間にか隣に並んでいた木下さん。涙で潤んだ瞳は揺れ、痛々しいぐらいに顔は弱りきっている。
どうして、この子がこんな顔をしなくちゃいけないのだろうか。何も悪いことはしていないのに。
「さっきのクソ女には怒っている。けど木下さんには怒ってないから」
「私のせいで……」
「がー! 私のせい私のせいってうるせーよ。だったら変わってみろやクソボケ」
足を止め、木下さんの手を取る。思いきり握りしめる。この子の手は柔らかくてほんわかするなぁとか今はどーでもいい。超スベスベ。じゃなくて!
「え、ぁ、っ、その……!?」
突然手を握られたら動揺するよな。当たり前だ。
青ざめていた木下さんの顔に赤みが差し、自分の手が俺に掴まれているのを確認して一気に真っ赤になる。見事なリアクションだなおい。
「オラァ、嫌だったら自分で振り払って悪態を吐いて俺を罵れ」
「で、出来ないです……っ」
プルプルと震えて口を噛みしめている木下さん。トマトみたいに真っ赤な顔で目をぎゅ~と閉じている。
バキューム君に迫られた時と何一つ変わっていないねぇ。
変わっていない。なら変わればいい。
俺は力を緩め、少し屈んで木下さんと目線の位置を合わせる。
握りしめられていた手が緩んだことに気づいた木下さんが目を開き、バッチリ俺と目が合う。
「自分でズバッと言えるようになろうぜ」
余計なお世話かもしれない。俺が偉そうに説教垂れることでもない。
でも、それでも、俺は今この子に変わってほしいと思った。自分の気持ちを言えるように、ちょっとは前を向いて話せるようになってほしいと。
だから俺は言う。この子の目を見て、握った手は離さないまま。
「ダラダラ、ヘラヘラ。俺のモットーだ。物事を深く考えず自由にのんびり過ごすのはちょー楽しいぞっ。木下さんもそうなってほしい。今のお前はすげー苦しそうだからさ」
「だ、ダラダラ? ヘラヘラ?」
あ、リピートやめて。なんか自分のクズさ加減を再認識させられちゃう。
ダラダラ、ヘラヘラ。お嬢様にも言ったことあるが、嫌なこと抱えて過ごしても面白くないだろ。両親の愛に飢え、会えないことにイラついて自分の殻に閉じこもったお嬢様。前向きじゃない。
木下さんも同じだよ。気が弱くていっつも俯いている。下向きだ。それじゃあ暗くていつまで経っても光は差し込まない。
「俯いてばかりじゃ苦しい。ちょっと視線を上げ、言いたいことは言い、そんでヘラヘラ笑う。そんだけで楽しい気分になれるんだ」
「そうなの、かな……?」
「そうなんだよ。俺がそれを証明していーる!」
ドヤ顔で笑ってみせる。見てみろよ俺を。テキトーに生きているし、将来の夢はニートなんだぜ。どうかしているだろ。
でもなんやかんや楽しく過ごしているよ。ダラァと過ごしてヘラァと笑っている。
「てなわけで、少しでいいから変わってみようぜ」
俺の提案はただのお節介だ。この子自身、変わりたいとは一言も言っていない。俺が変われと提案しているだけ。
だけど俺は思った。この子に変わってほしいと。ヘラヘラと笑ってほしいと思ったんだ。
だってこの子は……木下さんは、俯いている表情より笑顔の方が絶対似合っているのだから。
「どうするかはテメー次第だ。でも変わりたいのなら、俺が手伝ってやるぜ」
離した手を木下さんに向け、ニヤッと笑ってみせた。我ながら臭い台詞を吐いたものだ。う、うえぇ。臭いよぉママぁ。
対して木下さんは目をパチクリさせて俺をぼーっと見つめる。あ? どうした思考停止してんの?
と、俺がじぃ~と見つめ返していることに気づいたのか、またも顔を真っ赤にして木下さんは顔を俯かせ、なかった。おぉ。
「あ、あの……!」
どもりながらも、赤い顔で口をパクパクさせて、それでも懸命に顔を上げて木下さんは、俺の方をしっかりと見た。
揺れていた瞳は落ち着き、必死に前を向く。
大きく息を吸い込んで吐き、彼女は俺の手を握り返してきた。
「わ、私変わりたいです。その、て、手伝ってくださいっ!」
精一杯振り絞った声。強弱がブレブレの震えた弱々しい叫び。
けど、届いた。
なんだ、やっぱ頑張れば自分の気持ちを言うことが出来るじゃん。十分だよ。あとは俺に任せろ。
「俺がお前の世界を変えてやるよ」
我ながら中二臭い台詞を吐いてしまったぁ。うっ、うぐっ、おえぇぇ。臭いよ気持ち悪いよクソババァ~。
臭い台詞吐きまくりの俺と違って、よく言ったぞ木下さん。面倒くさがりの俺が自ら進んで手伝ってやるのだ。相当レアだぞ。自分でもビックリだよ。
んじゃあ今日からスタートだ。木下ゆずの、自分を変える特訓が幕を開ける!




