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第48話 野球観戦2

「では行ってきますねー」


球場に着いてメイドさんは車から降り、俺は引きずり降ろされ、運転手さんは降りない。


「あれれ、運転手さんは来ないんすか?」


「チケットは二枚しかなくて。それに黒山さんは他に趣味があるようですし。お屋敷に勤める人としては良くない趣味を……」


微笑み、だが冷たくて黒い目が怖い。メイドさんに睨まれた運転手さんは小さな悲鳴を漏らして逃げるように車を発進させた。

あー、ありゃ今日は勝てないな……。やっぱメイドさんが怖いのか。天水家の上下関係を垣間見た気がした。


「さぁ来ましたよ球場ですっ!」


冷徹な瞳は消え、満面の笑みになる。メイドさんのテンションは跳ね上がってギュインギュインと変な擬音が聞こえてくる程だ。テンションと声が高い。

かなりの声量で興奮気味に叫ぶ二十四歳。元気ですね。十六歳はもう帰りたいんだけど。


「さぁ行きましょう陽登君っ」


「だから急に腕掴まないでそして力強いんだよぉ!」


またしても引きずられる形で球場へと入っていく。ぐああああああぁ!?






球場に轟く応援歌と声援。体感温度で感じる圧倒的な熱気、晴天の青空が眩しい。


「ほぼ満席ですねぇ、すごいですっ」


「そっすね。俺吐いていいですか?」


「どこに嘔吐する要素があるのですか?」


どこって、ここ全てだ。

なんだこれ、どうぞ吐いてくださいと言っているようなものだよ。

ファンの熱い応援、選手に降り浴びせるエール、グラウンドを見つめる球場の一体感、どれもこれも俺には眩し過ぎる。球場全体が動いているようすら感じる。

う゛あ゛ぁ……死んだ方がマシだ。熱気がヤバイんだよ。


「わっ、すごいですよ一塁側の席です。打者の全力疾走やファーストベースへの送球が見えますよ!」


死にかける俺とは対照的にメイドさんのテンションはうなぎ登り、止まらない。

もぉ嫌だぁ、僕帰りたいのん! 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だあ!


「マジ帰りましょうよ。パワプロならいくらでも付き合うんで勘弁してください」


「ゲームより生の試合です。ほら座りますよー」


メイドさんに引きずられてシートに座る。というか押し込まれた。軽快&嬉しげに隣の席に座るのはメイドさん。上機嫌な鼻歌が聞こえてくる。

……まぁ確かにすごいけどさ。選手とほぼ同じ目線の高さ、テレビで観るのとは全く違う光景だった。

グラウンドってこんなに広いのか。すげー近い距離で選手が動いている。キャッチャーミットに収まるボールの音が響く。なんだこれ、パネェ。


「ここって内野席、いやS指定席とかですか?」


「そんな感じですよー」


めちゃくちゃ良い席じゃないか。さすがはお金持ちの屋敷で働くメイドさん、きっとお偉い人からチケットをもらったのかな。付き合わされた俺としてはそいつにデッドボール食らわしてやりたいが。


「メイドさんって球場に足運ぶことは結構あるんですか?」


「陽登君、今の私はメイドではありません。チームを応援する、一人のファンですっ」


知らねーよ。テンション上がり過ぎて俺には変人にしか見えないっす。

いつものクールビューティーなあなたはどこにいったのやら。


「なので今日はメイドさんじゃなくて名前で呼んでください」


「メイドさんビール飲まないっすか? 売り子いますよ」


「つ、き、が、た、さ、や!」


「……月潟さん」


「うーん、沙耶でも良いのに。陽登君は照れ屋さんですねー」


不満げに俺を小突いてくるメイド月潟さん。別に照れ屋ではないだろ。単純に呼ぶのが嫌なだけです。

けどメイドさんは意にも介さずニコッと笑って俺の頬を指で押してくる。


「あはは、陽登君のほっぺはぷにぷにだね」


明るく楽しい声、すぐ隣から俺へと向けられている。ひんやりとした指が頬に何度も突いて、頬は熱くなってきた。

え……な、何これキュンキュンする。心地好い感覚が下腹辺りを蠢く。

思えば今は二人きり、まるでデートのような状態。加えて頬をぷにぷに突かれ……ぐおぉぉ、キュンキュンするやつじゃねーかー。カップルがするやつじゃんかー!

や、ヤバイ顔がニヤニヤしてしまう……。た、耐えろ俺……!


「月潟さんのおっぱいもぷにぷになんでしょうね。俺も突いていいですか?」


よくやった、実に俺らしい返しだ。ゲスな発言、これでこそ俺。

デート気分に浸ってニヤニヤするなんて青春を謳歌するつもりはない。

さぁメイドさん、いつものように厳しい一言を……


「……しょうがないですね。今日だけですよ?」


「へ?」


するとメイドさんはメガホンを使って左右から自身の胸を挟んで寄せて俺に向けてきた。寄せて上がり、ぽよんと跳ねる胸。

……え、え、え、ぬん!?


「ほ、本当に……!?」


喉が絞まる。唾が溢れてくる。目が瞬きを忘れる。ヤバイ。

目線は綺麗な丸い膨らみ。ユニフォームを伸ばす、形の良い曲線が……あ、あぁ……


「なーんてね、嘘ですよー」


パッとメガホンを離してまた俺の頬を突くメイドさん。

その顔は悪戯してやったと言わんばかりに楽しげな笑顔。


「そんなことばかり言っては駄目ですよ~、陽登君はもっと紳士になりましょ~」


「……だ、騙したな!」


こ、の、野郎ぉ!

クソ……クソぉ、信じてしまったぞ! そして割と本気で戸惑ってしまった自分が恥ずかしい。声上ずっていたよチクショー……ダセェ。


「今日の陽登君は可愛いですね」


「どーてーの純情を弄んで……何してくれるんですか……!」


「あ、でもぷにぷになのは本当かもですよー?」


「これ以上俺を惑わさないでください!」


ああぁぁ俺のアホ!

完全に向こうのペースじゃねーか。このアラサー寸前クソ女に……く、悔しい。

もっと言えば戸惑ってんじゃねーよ俺。オッケーもらった時点ですぐ揉めば良かっただろ。せっかくのモミモミチャンスが……。


よくもこの俺をからかいやがって。いつか仕返しするからな。

だが今は無理だ。もう無理、絶対今とか顔真っ赤だろうし。マジで死にたい。顔熱い。やだこれ恥ずかしいやつ。


「ん、どうしたのですかー?」


「……もう試合始まりますね。応援しましょ」


シートに深く座り込んでジュースを飲む。こうなったら試合に集中してやる。この人に負けないくらいのキチガイな叫び声で応援してやるよ。


「始まりました……」


プレイボール!と試合が始まる。メイドさんが着ているユニフォームのチームからの攻撃だ。

メイドさんが帽子をかぶり直し、メガホンを構えて、


「かっとばせー、かっとばせー!」


「え?」


「さぁ初回からボコボコ打ちましょう行けー、ですっ!」


メイドさんが叫ぶ。メイドさんだけではない、球場響き渡る大声援。大きな旗が舞い、動きウェーブする観客、一体感のあった球場がさらに結束する。


「ほら陽登君も声出してっ」


「うぇ、む、無理」


「きゃー! 近い、近いです! カッコイイ! 打って、打ってくださーい!」


こ、これは……想像以上だわ。気圧された。

俺は晴天を見上げ、詰まる息を吐く。もうすぐ梅雨だなー……おぇ。






「完封勝利でしたっ、打線も爆発でした!」


メイドさんのテンションも爆発でしたよ。キャラ崩壊も甚だしい。

試合開始から終了まで、メイドさんの勢いは止まることなかった。常に応援、常に声を張り上げ、ノンストップで吠えていた。

いやぁ、キチガイでしたね。俺は終始圧倒されていたよ。


「どうですか陽登君っ、生の試合はより興奮したでしょう?」


「まぁ、意外と楽しかったです」


最初は嫌過ぎて嘔吐寸前だったが途中から慣れた。普通に試合を楽しんでいる自分がいた。

あの距離で、華麗なゲッツーを見た時は本当に背すじがゾワゾワしたわ。カッコイイんじゃ~。一応昔は野球していたから熱く感じるものはありましたよ。帰ったらパワプロやろ。オールA作りたい。


「あのゲッツーはすごかったですね」


「そうですね! あんなファインプレーを間近で見れるなんて……!」


「あまりの嬉しさにお股が濡れましたか?」


「そうですねぐしょぐしょですよ」


……なんか、今日のメイドさんは俺の下ネタを避けずに正面から受け止めてくるんですけど。逆にやり辛い。


「触って確かめてみますー?」


「ぬ!? や、その……っ、え」


「冗談ですよー」


また騙されてしまった。俺の馬鹿! 二回も騙されるなんて屈辱だぁ。

メイドさんのしてやったりな表情が俺の羞恥心とプライドを煽る。ムカつくぅ。だけど、俺にはどうすることも出来なくて、胃から込み上げてくる溜め息を盛大に吐くしかなかった。


「はぁ、今日はメイドさんの完封勝利ですよ」


「沙耶」


「……月潟さんの完封勝利ですね」


「陽登君は頑固ですね」


メイドさんと話しているうちにお屋敷に帰ってきた。

やけに顔の暗い運転手さんが着きましたと弱々しい声で言ってくれる。俺らの応援したチームは勝ったけどあなたは負けたんだね。


「うーん、最高でしたっ」


「そうっすか」


この野球ファンが。満喫しただけでは飽き足らず俺の純情を弄びやがって。

応援しているチームのエース故障しろっ。シーズン最後まで調整のいる重たい故障しろ!

車を降りて玄関先へ着く。扉を開けて中へ入ったところで俺はメイドさんの方を向く。


「えーと、言いたくないですけど礼儀なので。本日はぁ、お誘い頂きぃ、誠にありがとぉございましたー。とても楽しかったですー」


「こちらこそ。嫌々言ってるのが気になりますけど」


しばらくこの人に下ネタ言うのは控えておこう。こっちが追い詰められてしまう。悔しい。

さて、結構疲れたことだし、部屋で寝たい。今日実行するはずだった予定をこなさなくては。


「俺は部屋に戻ります。それじゃあ、メイドさん、また後で」


屋敷に帰ってきたのだから呼称は普段通りにさせてもらうぜ。敢えて強調して言ってやる。

靴を脱いで二階を目指そうとした時、後ろから声をかけられた。


「陽登君」


「なーんすか、まだ何か?」


さっさと寝たいんですけどぉ。僕チンもうヘトヘトですよ。


振り返れば、微笑むメイドさん。今日見せてきた冷たい目の微笑やドS笑顔ではなく、愛らしく柔和で暖かい笑みを浮かべていた。

とても満足げで嬉しそうにニコリと笑う。


「今日はありがとうございました。陽登君と観戦出来て楽しかったです。絶対にまた誘うので一緒に行こうね」


「……次は早めに言ってくださいね。雨乞いの準備をしておきたいので」


皮肉を返してやるはずが、声が裏返ってハスキーな音が喉から出てきた。自分でもビックリの見事なまでの裏声。

それを聞いてメイドさんが小さく吹き出す。肩を震わせて小悪魔な表情を浮かべてクスッと笑う。

その顔を確認した瞬間、またしてもミスったと分かった瞬間、俺は口を閉じて全速力で階段を上がっていった。廊下を進み、勢い良くドアを開けてベッドへダイブ。


……今日は本当に駄目だった。恥ずかしい思いしかしていない。

やけに熱い頬を叩きながらベッドの中、俺はひたすら悶え続けた。


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