第42話 親に対する気持ち
学校から帰ってきてからもお嬢様の機嫌はさらに良くなる。もう留まるところを知らない。界王拳もビックリな上昇っぷり。
「ふんふんふ~ん♪」
夕食のお時間、食堂にて鼻歌交じりにパンにブルーベリージャムを塗っている雨音お嬢様。
ニコニコ笑う姿に俺は引いてしまう。芋助並にキモイ。違和感ヤバイ。何これ、映画版ジャイアンの比じゃないぞ。キャラが違い過ぎる。
明日の夕方、旦那様と奥様が帰ってくるそうだ。
それを知った昨日から現在に至るまでお嬢様の機嫌は上の上、テンション最高潮。普段は喜怒哀楽のうち怒しか表さないのに今は喜が溢れていた。ザ・違和感ですわ。
「あっしたはぁ、帰ってくるぅのよ~」
謎の歌を歌いだす始末。テンションが高いでは済まされない。もはや別人だ。
「火村、明日は早く起きるわよっ」
「なんでだよ。早起きしても親と早く会えるわけじゃねーぞ」
「あ、でもぉ今日は眠れないかも。どうしよ~」
俺を無視して勝手に笑っている。ニヤニヤと頬を緩ませて嬉しそうだ。
うん、あれだよな。ここ最近のお前は問答無用で俺をスルーするよね。ムカつくわ。ユウナ風に言ったらムカツキ。
「沙耶ぁ、明日は携帯持っていくからパパ達が帰ってきたらすぐ連絡してよね」
結局俺のことは無視してメイドさんに話しかけるお嬢様。
が、メイドさんから返事は返ってこない。それどころか姿が見当たらない。
珍しいな。いつも晩飯の時は近くにいるのに。煙草でも吸いに行ったのかな?
どうでもいいが煙草を吸う女性って妙なカッコ良さがあるよね。大好きってわけじゃないけど惹きつけられる魅力を感じる。ただしババア共、テメーらは違う。うんこみてーな口臭を吐き散らしてんじゃねえよ。
「沙耶はどこ行ったのよ。答えなさい火村」
「なぜ俺に聞くし」
俺に聞かれても困ります。デートしていて「何食べたい」と聞いて「なんでもいい」と言われた時ぐらい困る。テキトーにファミレス入ったら文句言うくせに。まぁデートなんてしたことないですけどねっ!
語気が強くなったがそれでもなお機嫌の良い声音だった。今ならスカートめくっても怒られない気がする。いやしない。普通に怒られる。
お嬢様がメイドさんの名前を連呼する中、俺は黙ってクリームシチューを食べる。美味い。クレアおばさんマジパネェ。それはブイヨン!
と、扉が開いてメイドさんがやって来た。それを見てお嬢様がさらに喚く。
「おーそーいー、どこ行ってたのよっ」
うんこじゃないの?
「申し訳ありませんでした。あの……」
「ねぇねぇ明日は携帯電話持っていくから連絡ちょうだいね! パパ達が帰ってきたらすぐによ!」
メイドさんが何か言いかけたがお嬢様が遮る。会話になってねぇんだよお前。会話のベンチプレスをするな。
「……雨音お嬢様、その」
「私も早く帰ってくるから一緒に買い物行くの。あとね、えっとね、高校の制服姿も見せないと! それから……」
「お嬢様っ。その……明日、旦那様と奥様は帰ってきません」
スプーンが落ちる音。
カーペットの上で反響し、すぐに消える。
音はなく、静寂が空間を覆い尽くす。一瞬にして空気が冷えて固まり呼吸すら止まりそうになった。
俺やメイドさんや料理に部屋、それよりも何よりも、雨音お嬢様は固まっていた。
「…………え?」
「急遽仕事が入りまして明日にまた海外に経つそうです。お屋敷に帰るのは無理だとたった今連絡を受けました」
いつものように淡々と喋るメイドさんの声が微かに震えていると思ったのは気のじゃない。目線が揺れ、唇を噛み締め、ゆっくりと頭を下げる。
まるでお嬢様の両親に代わって謝罪するように。それが、本当に帰ってこないことを断言していた。
「な……何、言ってるのよ。か、帰ってくるんでしょ?」
お嬢様が口を開く。声が震え、上手く喋れず、明らかに動揺している。
さっきまでの笑顔は完全に消え失せていた。代わりに渇いた笑い声で必死にメイドさんへ問いかける。
「ごめんね……とお二人から言伝を預かりました。しばらく帰れない、とも承りました」
「あ、は、は……違う違う。沙耶ってば違うわよ。パパ達は帰ってくるんでしょ? そう言ったわよね? ねえ?」
お、おいお嬢様やめ……。
言葉をかけそうになったが俺は口を開くことが出来なかった。
渇き割れた声。聞くに堪えない。聞いているこっちにまで絶望が響き渡る。
「ねえ……ねぇ沙耶?」
「大事な会議が入りましてまた海外に戻るそうです」
「嘘よ。帰ってくるって言ったじゃない」
「また今度帰って来られますから……」
冷たく重苦しい静寂を突き破る破壊音。思わずビクッと跳ねてしまった。
お嬢様はテーブルを激しく叩き、衝撃で落ちたコップは割れる。嫌に響く音が耳に残る。
お嬢様は、泣いていた。
怒り、悲しみ、困惑、あらゆる感情が溶け混じりぐにゃぐにゃの表情で、ポロポロと涙が落ちていく。
目を背けたくなる、悲痛な嗚咽が聞こえてくる。
「パパ達の嘘つき……最低、死ねばいいのに……っ」
死ねばいい……?
「おい待て、それは言い過ぎだろ」
「うるさい!」
椅子が倒れ、お嬢様は立ち上がる。涙の溜まった目で俺を睨んでメイドさんには一瞥もくれず部屋から飛び出ていった。
残されたのは俺とメイドさんとほぼ手のつけられていない料理。チラッと視線を向ければキッチンの陰からシェフが怯えながらこっちを見ていた。気持ち分かるよ。
お嬢様が去った後も空気は凍ったまま。
息詰まる重苦しい雰囲気を……。
「シェフ~、シチューのおかわりくださいなー」
俺が吹き飛ばーす。どーんっ。
「陽登君正気ですか?」
「正気も何も今は食事中でしょ。メイドさんは何を言っているんすかー」
「その図太い神経はある意味尊敬しますよ……」
溜め息を吐かれた。物怖じしない勇敢な姿勢と言ってもらいたいけどな。
どこから取り出したのか、箒を持ったメイドさんは割れたコップの片付けを始める。その表情は暗く沈んでいる。
「メイドさんも落ち込むことがあるんですね」
「逆にどうして陽登君はそんなに落ち着いているのですか……」
俺? いやぁ、確かに空気が凍ってクソ気まずいムードだったけどさ。俺関係ないもん。
未だ口を開けて歯をガタガタさせるシェフからおかわりを受け取って食事を続ける。うめー。
「ま、仕事なら仕方ないですよね。それなのにあいつはヒステリック起こしやがって」
馬鹿なのかあいつは。仕事が忙しいのだから仕方ないんだよ。それ分かれよカスが。
あと俺やメイドさんに当たるな。別に俺うるさくねーし。テーブル叩いて椅子倒して叫んだお前の方がうるさい。オマエウルサイ。なぜカタコト?
「お嬢様、とても楽しみにされていましたから」
「でしたね」
「お嬢様にとって、ご両親と会える時間は本当に大切なものなのです。数少ない、大切な時間……」
なんでメイドさんまで泣きそうになっているんすか。もらい泣きですかー。ええいああ君からですかー?
俺は気にせず飯を食らう。せっかくの食事がクソ不味い空気のせいで台無しだわ。あーウゼェ。でもグリルチキン美味過ぎりゅ~。
「お嬢様が他人に心閉ざしていることと関係ありますよね」
「陽登君……?」
「このまま空気最悪の中で飯食うの嫌なんでテキトーに話してくれます? お嬢様について」
雨音お嬢様の友達を作ろうとしない姿勢。でもどこかで何かを求めている。寂しそうにしている。
原因は恐らく、いや間違いなく、両親だ。
「……旦那様と奥様は海外事業で世界各地の主要都市を行き来しています。日本での滞在時間はごく僅かです」
手を動かしながらメイドさんは語り始めた。
コップの破片がカチャカチャ音を立てる中、シェフのおっさんが歯を震わせる音の中、俺はその声に耳を傾ける。
「このお屋敷に帰ってくることはほとんどありません。雨音お嬢様が中学生になった頃から忙しさが増していき、お二人がお嬢様と会う機会は減りました」
……。
「小さい頃、雨音お嬢様はご両親にとても愛されていました。旦那様と奥様に挟まれて、お嬢様はいつも笑って幸せそうだった。それが中学生になってから、ご両親と会う回数が減ってからはお嬢様の笑顔も減っていき……」
終いには心を閉ざしてしまった、と。
両親からたくさんの愛情をもらい、それが当然の世界で過ごしてきたお嬢様。だからこそ失ったことが辛く、失ったことが憎い。寂しさを他の何かで埋めることが出来ないで、家族以外の他人に依存することも出来ない。
そうして捻くれたボッチになってしまったわけだな。うんうん、なるほど。
「それでも、今のお嬢様にとって旦那様方と会うことは何にも変えられない大切なものなのです」
「会えると思ったのに会えなくなった。だからあーやって拗ねたわけですね」
小さく頷いてメイドさんはコップの破片を回収し終える。真っ直ぐ立ち上がり、俺と向き合う。
その目は何でしょうか、俺に同情を求めている? アーモンド形の瞳は光を失い、清楚な顔立ちには疲労と困惑が出ている。すがるような瞳、何かを訴えかける表情。
とりあえず俺はニヤニヤと笑ってメイドさんの胸の辺りを眺める。メイド服とエプロンの上からじゃよく分からないけど程良い大きさで張りも良さげ。グフフ。
「陽登君のお母さんだってお仕事で忙しいでしょう。陽登君も……ご両親とは会っていない」
またそれですか。
「俺の話をするのはやめてくだされー」
「ごめんなさい。でも陽登君ならお嬢様の気持ちが分かるはずです。どうか、お嬢様を責めないでください……」
お願いします、とメイドさんは頭を下げる。
あなたさっきから頭を下げてばかりですね。おっぱいを凝視してきたゲス男に対する態度じゃないと思うよ。
「いえいえ、責めるつもりはありませんよ。あとお嬢様の気持ちは分からないです」
水を飲み干し、乱雑に口を拭って席を立つ。
顔が真っ青のシェフにご馳走様を告げて俺は部屋を出ていこうとする。てゆーかシェフはまだ怯えているんかーい。もっとメンタル鍛えましょうねー。
扉に手をかけ、そのは手は止まる。
またしても口が動く。……よく勝手に動く口だな。
「……」
寸前で抑え込み、俺は音立てず息を吸う。
「陽登君……?」
「まっ、メイドさんもそんなに落ち込まないでくださいよ。せっかくの可愛い顔が台無しですよ~」
扉を開いて部屋を出る。廊下に出れば何一つ音の聞こえない無音の世界。耳が痛くなる程の、辛く、暗く、静かな一人ぼっちの世界。
「お嬢様の気持ちは分からない、か」
何を言っているんだろうね、俺は。
声は廊下に染み溶けていくように消えていき、俺は歩く。ゲップをしたらシチューの匂いがした。こういうのってあるあるだよねー。濃厚なとんこつラーメン食った後とか特に。
分かるよ。お嬢様の気持ちが痛い程に分かる。
俺だってそうだったから。
ゲップの次に出てきた言葉に、何を言っているんだとツッコミを入れて俺は自分の部屋へと戻っていく。




