第16話 三日目・ドラマチック嘘つき
教室に入れば既に奴はいた。机に突っ伏して寝ているクソ女。
俺は迷わずそこ目がけて直進して、
「おいクソお嬢様、起きろファック」
机の足を蹴り飛ばす。
お嬢様の机が激しく揺れ、同時に教室内の空気も揺れた。ざわわっ、と騒いですぐに黙り、あっという間に沈黙状態。朝一番の教室、水よりも重たい空気が空間を埋め尽くす。
その中でお嬢様は不機嫌そうに顔を上げる。
「あぁ火村ね」
「あぁ火村ね、じゃねーよテメェ。昨日俺を置いて帰りやがって、どういうことだあぁん?」
立ったまま腰を垂直に曲げ、目線をお嬢様に合わせる。まるで昔のヤンキーの如くガンつける俺。
対してお嬢様は、どことなく申し訳なさそうだった。
「そ、それは、その……一人で帰ってくると思って……」
「はあ? そんなの無理なんですけど。お前ん家のアクセス方法なんて知らないんだけど?」
「そ、それよりアンタ昨日どこに行ったのよ。こっちは帰ってこないから心配して……」
し、ん、ぱ、い~?
「話逸らすなクソ。まずは謝罪だろうが。謝れよ」
「な、何よ、使用人のくせにその態度は」
「あぁそうだよ使用人だよ。だから言っているんだよあぁん? お前の家に泊まり込みで働いているんだ俺は。お前のワガママで置いてかれたら使用人として働けないんだよ分かります?」
「だ、だから」
「だから? 使用人のくせして私に逆らうな、か。暴論だな吐き気がする。いいか、まずは使用人の俺を置き去りにしたお前の過失を認めろ。話はそこからだ」
申し訳なさそうにしていたと思ったらいつも通り偉そうに反論してきやがって。
良い機会だ。ここでこいつをボッコボコにしてやる。
今回のケースじゃ俺に大した落ち度はない。押し勝てる。
「っ……わ、悪かったわよ」
そっぽ向きながら小声で雨音お嬢様は謝った……なわけないよなぁ。
今のが謝罪? 笑わせる。
「本当に謝る気あるなら誠意見せろや」
「せ、誠意って」
「土下座に決まってんだろ。頭を床につけて許しを請うんだよ」
「なっ……ふざけないでよ使用人のくせに!」
あぁ、こいつ何も態度変わってねぇ。これだから生粋のクソ生意気お嬢様は。
「だ、か、ら~。お嬢様が言うように俺は使用人だ。主人と使用人ってのは主従関係かもしれないけどそれは一種の契約に基づいてるの。そして使用人は主人の世話をする係であって下僕じゃないんだよ」
ヤンキー姿勢を崩さずさらに詰め寄る。唸るように声を出し、睨んだまま一切目線を逸らさない。
「お前は俺より偉い立場だ。けど自分の非をうやむやにして自分は悪くない、とかしていいわけないだろ。上司が自分のミスをなかったことにして部下に八つ当たるのと一緒だぞ」
「そ、それは」
「主人と使用人の契約関係がある以上、お前は自分の非を認めてちゃんと謝る義務があるんだよ。それをいい加減理解しろ。使用人のくせに~、とかじゃないんだよ」
「っ、は、はい」
睨みを効かせてかなり大声で責め立てた。
効果はてき面のようでお嬢様は少し涙目で本当に申し訳なさげに口をぎゅっと閉じている。
よし、あともう一押しだな。俺は違うスイッチをオンにする。
「……昨日は帰ることが出来ず、近くの公園で一夜を過ごしました」
「え……っ?」
「高校生一人では夜遅くまでファミレスやカラオケにいることが出来ません。フラフラ歩いて警察に補導されて天水家に迷惑かけるわけにもいかず、公園の隅っこで座り込んでました」
「そ、そんな……」
嘘ですけどね。
「俺、知らなかったです。五月でも夜の外は寒いってこと。身を覆うものはなく凍え死にそうでした。空腹のあまり寝ることもままならず、錆びた公園の水で喉を潤して……げほっ!?」
口に手を添えて俺は咳き込む。片膝をついてその場に崩れて今にも血を吐きそうな辛い歪んだ表情を浮かべる。
「ひ、火村!? 大丈夫?」
慌ててお嬢様が俺の横へ駆け寄り肩を支えてくれた。
けど俺はその手を弾き、よろめきながら立ち上がる。体はフラフラ、後ろへ倒れて背中から机の上に落ちる。
「ぐうぅぅ……っ!」
机が倒れる激しい音。クラス中が息を呑み、あまりの深刻さに固まる皆。中には手を覆う者も。
倒れこんだ机の主に謝りながら俺は床に座って肩で息をする。
咳き込むことも忘れない。本当に血が出そうな勢いだ。まぁ出るはずないけど。
「辛く寂しく、一夜が永遠のように感じられた。たった一日なのに、こんなにも辛いのかと思った。もう、死んでしまおうか……頭裂ける思いだった」
我ながら名演技だな。お嬢様を含め誰一人として俺が嘘を言っていることに気づいていない。この調子だ陽登、もっと苦痛に満ちた表情を浮かべるんだ。
「でも俺が野垂れ死んだら天水家に迷惑がかかってしまう、お嬢様にご迷惑がかかる。それだけは嫌で、俺は必死に意識を保ちました」
なのに、なのに!
「這いずって学校まで戻れば……お嬢様に会えると嬉しかったのに……それなのに! お嬢様は俺のことなんて全然……うぅ」
「そんなことない! 私だって陽登が帰ってこなくて昨日はずっと心配で……」
お嬢様は泣いていた。涙でぐちゃぐちゃの顔を両手で覆って悲鳴のように「ごめんなさい…」と声を漏らしていた。
へぇ、少しはまともな反応も出来るんだな。もっと泣き喚け、罪の意識に苛まれるがいい。
「火村……ごめんにゃさい……うえぇぇん……!」
「雨音お嬢様……」
お嬢様は号泣、クラスメイト達も涙ぐんで俺らを見つめている。
ようし、フィナーレだ。ここまで来たら堕ちたも同然。
あとはこの女に土下座をさせれば……けーっけけけ!
「あー! ハルー!」
最高にシリアスなムード。教室が感動と悲しさで満ち満ちていたのに、そこへアホの声が突き刺さった。
芋助だ。
「さっきは悪かったってばよ~。お前の気持ちも分かるってばよ~」
ズンズンと歩いてこっちへ来る芋助。
あ、おい馬鹿。今は……
「もうホモ発言しないからまた家に泊まり来てくれよ。昨日ハルといて楽しかったからさ~」
あああああああぁぁぁぁぁぁ!?
おま、おま、お前えぇぇ!
「……ぇ?」
ピタッと泣き止むお嬢様。
あ、あ、これヤベェ。
自分の顔中から汗が噴き出し、唇が震えだすのが分かる。脳が何か呟いている。これヤバイよ、と。
「今の……どーゆーこと?」
雨音お嬢様がギロッと睨む。その途端、今度は全身から汗が流れる。
ま、まじゅい……これはマズイ。
「えーと、そのー……」
「は、る、とぉ~?」
「わ……悪かった」
「オラぁぁぁ死ねぇクズ使用人がぁ!」
そっぽ向いて小声で謝ったら脳天に椅子を落とされた。
お嬢様は持った椅子をそのまま投げ落とし、俺は土下座するような形で床に沈み込んでしまった。