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番外編 元ニートと元メイド

「ねぇ知ってる? 以前このお屋敷に勤めていた伝説のメイドさん」


「もちろん。私達の先輩にあたる人でしょ」


「運転手の黒山さんやシェフも庭師もその人には頭が上がらなくて、今でも恐れられているんだって。怖い人なのかな?」


「ううん、雨音様の話だとすごく良い人そうに聞こえたよ。クールで真面目で、メイドを退職された後は秘書としてご活躍されたそうよ」


「カッコイイなぁ。憧れちゃう」


「今度お屋敷に遊びに来るらしいよ」


「楽しみっ。私達現役のメイドに色々教えてもらいたいなぁ」


「天水家・伝説のメイド。お名前は確か……月潟沙耶さん」











高校三年生は受験の年だとさ。

受験生はファイト。たくさん勉強して、そんで落ちろ。不合格の通知を見て泣き崩れてしまえ。努力は実りませんから~、ざんね~ん。ブハハ。

ちなみに俺も高三だ。なので今日も学校帰りにとある場所を訪れましたよ。椅子に座り、右手に握るはレバー。


塾? ノンノン。パチンコ店だ。


「ほおー、擬似連3までいったか。ちょいと期待」


パチンコは良いぞい。楽しいぞい。春夏秋冬いつ来ても快適な室温設定。

え、音がうるさいだって? 慣れたら心地良い音色だろうがこのクソ童貞共。排尿以外に用途のないその棒を引っこ抜いて盆栽チックに飾って女子更衣室に陳列してやろうか、あぁん?


自己紹介が遅れたな。

俺の名前は火村陽登。高校生と使用人を兼業する元ニート王だ。趣味はパチンコ、特技はさり気なくお嬢様の巨乳を揉むこと、座右の銘は『ダラダラ、ヘラヘラ』の、自他共に認めるクズ野郎さ。


「ゼブラ保留とプレミア演出~。はい確定キタコレ~」


「調子が良さそうですね」


「どーも運転手さん」


運転手さんが俺の隣に座る。お嬢様の送迎を終えたようで。ごくろーさん。

このおっさんとは仕事仲間である以上にパチ仲間としての親交が深い。芋助より仲良しかも。つーか芋助って誰だよキモイな。


「帰りの車内では雨音お嬢様が上機嫌でした。学校で何か良い出来事がありましたか?」


「あいつ? いつも通り同級に対して偉そ~に喋ってましたよ」


「それは何よりです」


「本人に直接聞けばいいのに」


「雨音お嬢様と気さくに話せる使用人は今や君だけですよ」


無礼なだけですよ。あの生意気お嬢に敬慕の念を持ったことがないんで。

顔を見合わせたら悪態の応酬、セクハラとグーパンの攻防、そういったやり取りを二年以上やってきた。


……屋敷で働いて二年が経ったのか。


「運転手さん、タバコおくれ」


「どうぞ」


「またお菓子のタバコっすか。いい加減吸わせてくだいよ」


「未成年だから駄目です」


「俺は既に駄目人間です」


楽園のニートライフから一転、最悪な使用人生活。当時はうんこ漏らして漏らしたうんこを投擲したい程に嫌だったのが、今ではパチンコの騒音のように慣れてしまった。

慣れた生活。当たり前の日常。ダラダラと過ごしてヘラヘラと笑い、満足する自分がいる。


そのはずなのに、どうしてだろう。

時折ふと頭に浮かぶあの人の姿。忘れられないのはどうしてだろうか……。


「大当たりしていますよ。右打ちしないのですか?」


「……へ? ああ、そうっすね」


「たまに儚げな顔をなされるので心配です」


「心配ご無用、帰りにラーメン食べましょ」


「シェフと庭師にも声をかけますね」


「もち」


思い浮かべても無意味だ。俺らしくない。

自分らしく生きようぜ。今が楽しければ全て良し。それが火村陽登の生き方。

そうさ。思い浮かべても仕方がない。あの人はメイドを辞めて秘書になった。屋敷を去っていった。


もう、俺の隣にはいないのだから。




「何しているんですかー」




騒音とタバコの匂いで埋め尽くされた空間を、一つの声が淡々と鋭く切り裂いた。

その声は背後から聞こえた。

もしかして、とザワザワする胸騒ぎを抑えて首を動かす途中、横に座る運転手さんの顔が目に入った。脂汗を滝の如く流して青ざめたおっさんの顔が目に入ってしまったのだ。


「……運転手さん、俺らはどうすれば?」


「黒山さんは諦めていますよ。ですから、陽登君も抵抗せず土下座をする準備をくださいー」


運転手さんからの返事はなく、代わりに背後に立つ人がベストアンサーを述べてくれた。

土下座ですか。うーん、ですよねー、それしかないですよねー。……マジかよ。


俺はレバーを離し、後ろを振り向くと同時に床へ頭部をこすりつける。

そうしなければならないと脳が喚起した。今こちらへ向けられているであろう、あの笑みに逆らうことは出来ないと知っている。

床に転がるパチンコ玉を踏みつけて、その人はクールな口調で言葉を紡いだ。


「お久しぶりですー、陽登君」


一年半ぶりの再会はパチンコ店。恐る恐る顔を上げると、やはりそこにいたのは……かつて俺の上司だった、メイドさん。


「屋敷に帰ったら罰ですねー」


にこやかな微笑と冷ややかな冷笑を混ぜた笑顔で俺を見下ろしていた。











旦那様達が帰ってきた。海外での仕事がひと段落ついたそうな。

現在、食堂では天水家の家族四人が仲睦まじく夕食を食べているのだろう。

はは、俺にゃ眩し過ぎる。さっき母さんからメールが来たが『うんち御膳』と返信してやった。家族と過ごす? うんちだよ。そんなもの欲しくねーわ。

まぁ、近いうちに会ってやろうかな。嫌だけど。マジで嫌だけどな。


ともかく、だ。母さんのことなんざどうでもいい。今はそれどころじゃない。

現在、俺はあらゆる骨董品を拭いて、拭きまくって、倒れた。指先に痛みが走り、赤い液体がタラーリ。グロ描写かな?

指を切ってしまうぐらい働いたのに仕事は終わらなかった。


「ぜぇ、ぜぇ……終わるわけねーだろ」


ここはクソ金持ちの豪邸だっつーの。クソ骨董品の数はクソ百を超える。その全てを綺麗にするのに何時間かかると思ってやがるあのクソメイドぉ!


いや、元メイドか。……あの人、少し変わってたな。

茶色に染めていた髪を黒にして、スーツを着た姿は以前のメイド服よりもさらに大人びて見えた。その一方で、あの微笑みと語尾伸ばす緩やかな話し方に懐かしさを感じた。

……ちっ、馬鹿なこと言ってんなよクソ童貞ハルきゅん。たかが一年半ぶりの再会だろ。


「あ゛ぁ゛やってらんね」


「終わりましたかー?」


「もうすぐでっせ!」


メイドさんが様子を見に来た。慌てて起き上がってタオルを両手に持つ。

ほぉら骨董品ちゃん拭き拭きしてあげまちゅ。木下さんのお胸を撫でるように優しく拭きまちゅよ。木下さんの胸を触ったことねぇけどなぁ! いつか犯してやる。


「終わったら次は草むしりをやってもらいますねー」


「嘘でしょ?」


「屋敷勤めの高校生がパチンコした罰としては当然かと」


「や、でももう夜です」


「庭の手入れがイマイチでした。どうやら私がいない間、庭師さんも同様にサボっていたようですねぇー」


同様にとは、先程の俺や運転手さんのことを指しているのだろう。

メイドさんがアーモンド形の整った瞳に黒ぉい光を宿して俺を見つめる。目が怖い。ヤバイ。ガクブル。


「早く終わらせくださいな」


「はひぃ」


この人には逆らえない。従うしかないのだ。

あぁん、今日は大勝ちしておっさん三人にニンニク山盛りラーメンを奢るはずだったのに。ぐすん。


「急がないと陽登君のお母さんに言いつけますよ」


「心の中でしょんぼりすることもさせてもらえないのね。あの?」


「無駄口ですかー?」


あらやだこの人マジで厳しい。


「お食事は?」


「やってますよー。旦那様と奥様と雨音お嬢様の三人で幸せそうでした」


「それは知ってます。で、メイドさんは」


「私?」


メイドさんは首を傾げる。何をキョトンとされているのやら。


「仲睦まじい時間を過ごす家族、メイドさんもその一人でしょうが。三人じゃなくて四人だ」


「だって私は」


「両親と妹と一緒にいられる貴重な時間が今でしょ」


昔、俺が言っただろうが。

実の親のように慕う旦那様と奥様、妹のように愛おしいお嬢様。あなたにとってあの三人は仕える主としてではなく、家族のような存在のはずだ。


「あなたも天水家の一員なのだから」


「……」


「ま、元ニート王であり現サボり王である俺の監視をしなくちゃいけないのは分かりますけどね」


それでも俺みてーなチンカスには勝手に掃除させといて今は家族団欒しろや。

一番大切なのは家族。一度失ったあなたは知っているはず。……俺も思い知っているよ。


「陽登君は」


「ん?」


「変わっていませんね」


「当然。相も変わらずクズだぞい」


「……ふふ、そうですね」


「てことで今からサボりま、せんよ。はいはい次は草むしりですね」


はぁ、さっさと終わらせるか。


「行ってきまー」


「陽登君」


「まーだ何か?」




「ただいま」




ただいま。その言葉と共に手を伸ばしたメイドさん。俺の体に後ろから触れるか触れないかのギリギリまで身を寄せ、ぽすんと軽い音立てて俺の背中に頭を預ける。

たかが一年半ぶりの再会。たったそれだけのこと。そのはずなのにね……。


「お帰りなさい、メイドさん」


「ふふ、元ですよ」


「だったら上司みたく罰与えないでもらいたい」


「陽登君が悪いからですよ」


「俺が悪いのは口と態度と性格だけです」


「知ってますー」


「そりゃどーも」


「陽登君」


「何回名前呼ぶんすか」


「会いたかったです」


「……そりゃどーも」



慣れた生活。当然の日常。

雨音お嬢様がいて、メイドさんがいた。


「そろそろ離れましょうぜ」


「まだ離れませんー」


「加齢臭がキツイっす。……あの、謝るから背骨を折ろうとしないでください」


例えば、俺がセクハラすればお嬢様がキレてメイドさんが俺を罰する。

例えば、休日にゴロゴロする俺をメイドさんが野球観戦に強制連行する。

当たり前の日々。騒がしくも、ある程度には楽しかったかもな。


「ところで陽登君、手を見せてください」


「……何もありませんよ」


「指。怪我してますよね?」


「なーんで分かるんですかね……」


「分かりますよ。陽登君のことだもんー」


その楽しい日々は少し崩れた。

今から一年半前、メイドさんはメイドを辞めた。旦那様や俺の母さんを支える秘書になり、屋敷を去った。


「手当てをするのでソファーに座りましょうか」


「いいっす。俺は罰が残っているんで」


「今日くらいサボりましょう。一緒にのんびりしましょー」


「罰を与えたのはあなたでっせ」


「ね、陽登君」


「……はいはい」


楽しいのは今も変わらない。だけどほんのちょっとの変化が、少しの崩れが今も心の中に残っている。

だから俺は懐かしく思い、心安らいだのだろう。











「皆さんお久しぶりです。わたくし月潟沙耶はしばらくの間、お屋敷に滞在します。覚悟してくださいねー」


あ、すいません嘘言いました。心安らいでおりません。つか安らげません。

旦那様達がご帰宅された日の翌朝、俺とおっさん三人はメイドさんの前で正座させられている。

おっさん三人こと運転手庭師シェフは歯と肩をガタガタ震わせて、メイドさんは強烈なドS笑顔。うーんこの絶望感よ。うーんこ。


「まず運転手さん。パチンコ禁止です。次やったら分かりますよね?」


「ひぃ!?」


おっさんその1が悲鳴を漏らす。


「続いて庭師さん。お庭の手入れが甘いです。分かりますね?」


「あひぃ!」


おっさんその2が涙を流す。


「シェフは調理器具をちゃんと整頓してください」


「あばばば」


おっさんその3が気絶した。

三人のメンタルが弱い。君らは覇王色を食らった雑魚海賊ですかい。

ったく、情けないのぅ。怖いのは分かるがそこまで恐れ慄くこたぁない。俺が手本を見せてあげます。華麗に対応してやんよ。


「最後に陽登君は、屋敷中の窓拭き及びシャンデリア等の拭き掃除、及び屋敷の全エリアを清掃してもらいます」


「ファック!」


「その後は受験勉強しましょうね。私が教えてあげますー」


「ファッッック!」


ファック。これファックです。人生通算で一万個は発したであろうファックが炸裂しました。万個、お万個、グヘヘ。

じゃなくて。華麗に対応とか無理でした。予想外過ぎたわ。俺だけペナルティの重さが違うんだが? 激しくハードなんだが!?


「なぜ俺だけ過酷なのん?」


「お三方がサボったのは私の不在もありますが、一番の原因は陽登君の影響かと。陽登君は人を変える力がありますからねー」


ニコリとギロリ、メイドさんの眼光は鋭さと黒さを増す。

以前なら蔑まされても興奮すりゅ~と、ダメージどころか回復に還元していた俺も今は喉を詰まらせて歯噛みするのみ。確かにおっさん三人に「仕事なんてテキトー。メイドさんいないしサボろうべ」と発言した記憶はある。言わなきゃ良かった。


「では各々持ち場に移動してくださいー」


「「「仰せのままに」」」


項垂れる俺を余所に、おっさん使用人は忍者の如く姿を消した。あいつら完全に服従してるよチクショー。

で? 要するに俺は屋敷中を隅々まで綺麗にしろってことか。せーの、ファック。

俺は屈しないぞ。女騎士になってたまるか。俺はオーク側の住人だ。他者をイジリ嬲る側の住人だ。元ニートの腐れっぷり舐めんな。


「陽登君もレッツゴー」


「嫌じゃボケェ、って、力強っ!?」


逃げようとしたが目にも止まらぬ速さで腕を掴まれた。そのまま強制連行。

うん知ってた。昨日も言ったやん、この人には逆らえないと。


「私も付き合うから頑張りましょうねー」


「つまりずっと監視してるってこと?」


「当然です」


「くっころ!」


「それで、掃除と勉強を終えた後は……」


この瞬間、俺は察した。コナン君よろしく閃光が走った。

わたしく火村陽登は、楽な道を選び続けてきた故に嫌なことを回避する為の先読力に長けている。


直感が告げる。このドSクールの元メイドが次に何を言うのか。

恐らく、いや確実に「野球観戦に行きましょうー」だ。もしくは「飲みに行きましょうー」か。最悪なのはその両方セットのコース。

掃除させられて勉強やらされて、応援に付き合わされて飲みに付き合わされるだぁ? それはヤバイ、ヤバ過ぎる。どれくらいヤバイかと言うと、あいつはモテないだろと見下していた奴に彼女ができた時ぐらいヤバイ。


なんとしても回避しなくては。

脳内で早速「やだやだぁ! ばぶぅ!」と叫び床をのたうち回る、幼児退行プランを組み立てた。我ながらキモイ作戦だなおい!

しかしやらねば地獄のフルコースだ。掃除と勉強はともかく、残り二つは絶対に逃れてみせる!


「終わった後は…………そうですね、自由に過ごしていいですよ」


「やだやだぁ! ばぶ……って?」


え? 今、自由に過ごしてもいいって……?


「陽登君ー?」


「あ、いや、なんでもないっす」


「なんでもないのに赤ちゃん言葉で叫ばないでください」


「俺だってたまには羊水漬けだった日々を思い返したいんですよ」


「キモーイ、ですねー」


「褒め言葉として受け取っておきます」


罵られつつも咄嗟に羊水漬けというワードを言い放てる自分の辞書と胆力に驚いた。俺すげぇな。そんでキモイ。

そして、最も驚いたことがある。


メイドさんは言わなかった。

一年半前なら俺を野球観戦や飲み屋に誘っていた。嬉々として連れ回していた。

そのはずが……。


「……メイドさん?」


「さ、行きますよ。まずはお掃除からですー」


「いやだから力が強いなおい!?」


クールな対応や柔和な冷笑は変わらない。あの頃と同じ。

しかし、そのどこかで、機微たる変化を俺は感じた。






髪色や雰囲気にしろ、メイドさんはやっぱり少し変わったのかもしれない。


とか思ってる自分がいました。んな暇ねぇっての。マジで心が安らがない。

それ程に、帰還したメイドさんによる監視は俺の腐った性根を叩き潰そうと攻め続けてきた。


『陽登君と同じ空気を吸いたくないのでマスクをしますー』


『陽登君、ここがまだ汚れていますー』


『陽登君、ここの設問が間違っています。二年の復習ですよー』


『陽登君、お嬢様の下着を盗まないでください。罰として逆さ吊り一時間ですー』


以上のように、俺は朝から夕方までメイドさんに拘束されては業務と勉強のダブル地獄。最後のはただの拷問じゃねーかー。ちなみに俺が10:0で悪い。逆さ吊り状態でお嬢様に殴られた。ドMのゲートがくぱぁとオープンしちゃう。

あ゛ぁ゛吐き気がする。あ、いや、逆さ吊りのせいではない。メイドさんによって真っ当な生活を強いられるのがキツイ。

クズの俺にまともな生活リズムは猛毒。孕まされた気分だよ。吐き気が止まらなぶおぉっえぇ。


「おっ、運転手さん」


メイドさん帰還から数日が経過。

掃除道具を引きずり屋敷内を歩いていると運転手さんに遭遇。数日前、メイドさんに叱られた時以来か。どもども。


「車を出してくださいな。一緒にパチりましょ」


「私は職務があるので!」


運転手さんが真顔で叫び、素早く去っていく。

庭師やシェフも似た反応だったよ。どうやらおっさん共はメイドさんによって見事に真人間へと更生したらしい。恐るべき手腕と恐怖。未だに抵抗しているのは俺だけ。

それも時間の問題。俺も着々と真人間になりつつある。


「い、嫌だ。常人にはなりとうない。俺はクズ人間としてクズ人生を過ごしたいんだ」


クソぉ、全てはあのクソ元メイドが帰ってきたせいだ。あの人さえ帰って来なければ……!

なんだあの人は。俺の世話を焼く暇があるのかよクソが。本当クソ。クソの二乗。俺はクズの百乗。えっへん!


「とか言っても無意味なんだろうね。へいへい笑瓶」


逆らっても無駄。脱走しようが仮病を使おうがメイドさんには通じず、俺は観念するしかないし仕事をするしかない。


俺、今日もダンジョンみてーな屋敷内を掃除して回るんだ。

こんのデカイ屋敷を掃除し終えるのはいつになることやら。え、普段からマメにやっていれば済む話だって? 童貞は黙ってろ。テメェの保健体育の教科書に大量の付箋を貼って晒してやろうか。あだ名が『保健体育マスター』になるだろうよブハハ。俺は誰と話してんの?


「こちらが来月のスケジュールです。ご確認ください」


とある部屋から声が聞こえてきた。ここは確か、旦那様のお部屋だっけ?


「ありがとう沙耶」

「いえいえ。秘書ですから」

「マスクを着けているけど体調が悪いのかい?」

「掃除の途中でしたので」


扉に耳を当てる。中から旦那様の声とメイドさんの声が聞こえた。

仕事の話をしているらしい。ふーん、俺の監視をしていない時は秘書の仕事をやっていたのね。


「無理したら駄目だよ。こっちに帰ってきてからちゃんと休んでいる?」

「旦那様の方こそもっとお休みになられてください」

「沙耶、ここは私達の家なのだから旦那様とは呼ばなくていい。私のことはお父さんと……」

「旦那様も奥様みたいに雨音お嬢様と遊んであげてくださいね」

「沙耶……」


何気に旦那様とメイドさんが会話している場面は見たことがない。

よし、盗み聞き続行だ。面白い話が聞けるといいな。メイドさんの弱みを知れたら僥倖っすはー。


「沙耶は十分に働いた。何年もメイドとして働き、この一年半は秘書として尽くしてくれた。これからは私達の為にではなく自分の為に……」

「私のことはいいです。恩返しはまだ済んでおりません」

「いいんだ。もう、いいんだよ……! 私と妻が願うのは沙耶の、娘の幸せを……」

「私のことはお気遣いなさらないでください。これからも天水家で働きます。では屋敷の仕事がありますので失礼致します」

「沙耶、待っ」


扉が開き、メイドさんが一人出ていく。足音は遠くなり、聞こえなくなった。

廊下の突き当たりの壁に隠れた俺は、声を出さずに小さく息を吐いた。


……メイドさんの過去は知っている。

両親が離婚したメイドさんは家を出て、行く宛てがなく彷徨っているところを旦那様に拾われた。

その恩を返す為に住み込みメイドとして天水家で働いた。現在は秘書としてさらに活躍している。


その果てが、今しがたの会話だ。

とても家族同士の会話には感じられなかった。少なくとも旦那様はメイドさんのことを本当の娘だと思って接していたのに、当の本人は……。


「甘え下手かよ」


俺でも分かった。旦那様は秘書の仕事を強要していない。望んでもいなかった。メイドとしてでもなく、秘書としてでもなく、自分の娘としてメイドさんに語りかけていた。

それはメイドさん自身も分かっているはず。けれどあの人は決して隙を見せようとしなかった。


……あぁ、そうだったよな。

あの頃から変わらず、誰かの為に働いてきた。それをずっと続けていたんだよな。

メイドさんは変わっていない。クールで真面目で、仕事人間だ。


ただ一つ。メイドをしていた頃と大きく違うのは、


「……やれやれ、盗み聞きするんじゃなかったぜ」


余計なこと思いついてしまったじゃんか。あー、めんどくさ。ブスの机に整形外科の電話番号を彫るぐらい面倒くさい。


「ま、たまにいいか」


俺は腰を上げ、無駄にデカイ廊下をのそのそと歩く。











「使用人の仕事はどう?」


「ちんこ」


「受験勉強もしろよ。ニートに戻ったらぶん殴るからな」


「うんこ」


「おいクソ息子」


「うんち御膳」


「お前メールでもそれ言ってたけど意味分かんねーからな!」


ラストに母さんの鉄拳を食らって食事は終わった。脳の細胞が半壊しましたとさ。

母さんと食卓を囲むのは久方ぶりだった。別に嬉しくも何ともねーけど。社畜ババァの手料理とかキモかったわ。

……元気そうで良かった。


多少は仕事も楽になったのだろうよ。

メイドさんのおかげ、なんだよな。


「そーいや、俺から誘うのは初めてか?」


火村の実家から天水の屋敷へ戻る道中、俺はポケットから野球観戦のチケットを取り出す。母さんとの食事の前に、某ジャガイモ野郎から奪ってきた品だ。


『やあハル! たまには俺とも遊んでくれ。え、チケット寄越せ? 言われた通り用意したけどこれって俺と一緒に行くんじゃ……あ、やめ、痛っ、ハルううぅ!?』


何やら叫んでいたことしか覚えてねーや。芋臭い奴はおとなしく俺に従えばいいんだよヴァーカ。たまには遊んでやる。

さて、チケットは手に入った。ちょっくら慣れないことをしようかね。


まさかの、俺からメイドさんへ野球を観に行こうとお誘いするのだ。

なんと言うことでひょ~。この火村陽登様が誰かを誘って外出するとか天変地異の幕開けだ。

やれやれ、あの元メイドは世話が焼ける。たまには息抜きしろってんだ。俺が付き合ってやるよ。


「ただいまんまん~」


軽快に下ネタを言って玄関の扉を開く。

そこには、奥様がいた。


「あら、お帰りなさい」

「……ただいま帰りました」


まさかの奥様。奥様がいた。俺の顔は赤くなったり青ざめたり、合わさって紫に変色する。

ヤバイ、思いっきり下ネタ言っちゃった。お嬢様相手なら余裕で言い放てるのだが奥様はマズイ。母と娘で顔が似ているとはいえ奥様に言うのはさすがに恥ずかしかった。す、すんません、調子乗りました。


慌てて頭を下げて、奥様が手に持つ物が視界に映った。

……熱さまシート?


「どうかされました?」


「……沙耶がね」


え……?






ベッドに寝るメイドさん。そのすぐ傍の椅子に座る奥様と俺。


「前々から微熱が続いていたみたい。今は大分落ち着いたわ」


「そっすか」


「お家に帰ってきてからもずっと働いていたのよ……」


奥様が呟くように言葉を漏らし、弱々しく悲しげにメイドさんを見つめた。俺も視線はメイドさんへ向けている。

目を閉じ、安らかな寝息を立てるメイドさん。遊び疲れ果てた子供のように、ぐっすりと寝て動かない。子供のようで、それでいて、やつれたような白い顔……。


「大丈夫なんすか?」


「大丈夫、じゃないわね。体調を崩しているのに無理して働いて……」


奥様のその声音はどこかで聞いたことがある。

そう、旦那様と同じで、とても悲しそうで心配そうだった。


「沙耶はね、昔からこうなの。私達が何を言っても恩を返したいの一本槍。ひたすら私達に尽くしてきた。自分のことは一切顧みないでね」


「……」


「今回の休暇も、沙耶だけは休まなかったのね……。私には雨音と過ごしてと言って、一人で色んなことをやっていたの」


旦那様達が食事をしている時は使用人を叱責して、家族団欒をせずに俺の監視や勉強に付き合って、夜は秘書の仕事をしていた。この人は休まず働き続けていた。

その結果が、このありさま。


「はっ、お馬鹿ですね」


俺は乾いた声でせせら笑い、手に力がこもる。チケットを潰れるくらい強く力をこめて……。

ホント馬鹿だ。笑えるよ。この数日間、一緒にいた人の容態の変化に気づけず野球観戦に誘おうとした自分のクソさに反吐が出る。


反省は後だ。

今は、この人を……。


「奥様、後は俺が看ておきます」


「うん、陽登君にお願いするわ」


「……意外っすね。俺に任せていいんすか」


「陽登君だもの」


奥様は弱々しくも笑うと、席を立つ。

娘と同じサラサラで綺麗な黒髪が、振り返った先の俺の眼前を通った。


「失礼ながら俺と奥様ってほぼ面識ないですよ」


「陽登君のことは火村さんから聞いているわ。どうしようもない馬鹿息子だと」


「言ってくれるねぇあのババア」


「それに、沙耶からも聞いている。たくさん、いっぱい、あなたのことを話してくれたわ」


「メイドさんが……?」


反応を返せず動揺する俺に、奥様は笑顔を見せる。


「沙耶がお仕事以外で話してくれたのは雨音とあなたのことばかり。クズでだらしがなくて、最低最悪の使用人だって」


「大正解っす」


「でも本当は優しくて温かくて、人を変える不思議な魅力があるんだって」


「……」


「君の話をする時の沙耶はとても楽しそうだった。あなたを信用する理由はそれで十分。……私や夫でも、この子は一度も甘えようとしなかった。だけど陽登君ならきっと大丈夫。沙耶を、私達の娘を、よろしくお願いね」


そう言って奥様は席を立つ。パタン、と扉が閉まって残されたのは俺と眠り姫なメイドさん。

静かな空間に、一人分の寝息が微かに聞こえる。


俺を信頼されてもなー。んじゃま、やることやりましょう。


「メイドさんのおっぱいは成長してるかなっと」


こいつぁチャンスだ。お嬢様のきょぬーに比べたら物足りないかもしれないが、平均よりは大きいであろうお胸を揉み揉みタイムといきましょかー。

俺を真人間に矯正しようとしやがって。復讐だ。揉んで、ブラとパンツ剥ぎ取って、盗撮して、体の全てを触ってやるべ!


「へっへっ」


「すー……」


「……まぁ、今日は勘弁してやるか」


いや別に可哀想とか思ったわけじゃねぇから。日頃からお嬢様の巨乳を触っているから性欲は満足してるし。良心が勝ったとかビビったとかではないから勘違いするなよクソ共。


……おとなしく傍にいてやるよ。俺が早めに気づけばこんなことにはならなかった。悪かったです。

眠る元上司を眺めて、ふと机に目をやる。


「んだこれ? 高校の参考書じゃん」


参考書が何冊も積まれていた。どうしてこんな物がメイドさんの部屋に?

付箋が貼られたページをめくると……そこは、俺が受験勉強でやっている分野。俺がメイドさんに教えてもらっている内容だった。

それだけじゃない。テーブルには大量の資料や書類が広げられていた。対比するかのように、部屋の隅のダンボールに詰められた野球のユニフォームは埃を被っていた。


「っ、この人は……」


昼間は俺や他の使用人の監視、夕方からは俺の勉強を見て、夜はこうして部屋で作業をしていた。好きだったはずの野球観戦もせずに、本当に休まず働き続けたのか。


知っていた。メイドさんはこういう人だ。

旦那様に拾ってもらってから今日までずっと。常に誰かの為に尽くしてきたんだ。


「なんだよそれ」


今は落ちついて安らかな寝息を立てているこの人は、起きたらまた働き続ける。誰かの為に尽くし続ける。

自分の為ではなく誰かの為に。


「……メイドさんは変わっていないですね。クールで真面目で、仕事人間だ」


ただ一つ。メイドをしていた頃と大きく違うのは、


「だけど以前なら甘えてきただろ。俺には隙を見せてきただろうが……っ」


少なくとも一年半前は、あなたは俺に甘えてきたじゃねぇか。

野球を観に行こうとか、飲みに付き合ってもらいますとか、自分を見せていた。

クールで真面目で微笑んだりドSだったり、でも少しおふざけがあって、俺に話しかけてきた。甘え下手でも、俺には隙を見せてくれたのに。


今はどうだ。他のことばかり気にかけて自分のことは蔑ろにしている。

一年半ぶりの再会。久しぶりに会って、この数日間、あなたが見せたのはたった一度、あの一瞬だけだった。


俺の背中に寄り添っただけ。触れるか触れないかの、抱きつくとも呼べない程度の触れ合いだけ。

それだけかよ……俺に言った本音は、会いたかったです、の一言だけなのかよ。俺は……。


「……陽登、君……すー……」


「っ……!」











恐らくまともに説得してもメイドさんは話を聞かないだろう。

誰の話も聞かず、誰かの為に働き、働きまくり、自身のことを顧みることなく生きていく。

アホだな。カスだね。頭おかしいっすわ。他人の為にとかくだらねぇ。自分さえ良ければ世界がどうなろうとそんなの関係ない、今が楽しければ全て良しの思考を持つ俺には考えられない生き方だ。

俺には関係ない。メイドさんの人生だ。勝手にやってろバーロー。あなたがいなくなれば俺は再びパチンコをエンジョイしてやるよ。


……そうあるべきだろうが。俺はそうして生きてきただろ。

なのに、どうしてだろうね。どうして俺は…………いや、本当は気づいている。逃げているだけだ。自分の本当の気持ちから。


もう逃げるな。本当はもう分かっている。嘘だと撤回したけど本当は再会した時に心がすごく安らいだ。貶しているけど本当はあの人が弱りかけて眠る姿を見て心を動かされた。自分の気持ちに気づいたんだ。


なぁ、火村陽登よ。お前の座右の銘はなんだ? ダラダラ、ヘラヘラだろ?

その為に今は頑張れ。あの人の為にずっと頑張れ。それがお前の望んでいるものだから。


だから俺はこの部屋に来た。


「おはよーございます」


「……下着泥棒!」


部屋に入ると、こちらを殺す勢いで睨みつける女が立っていた。我が主、天水雨音お嬢様だ。

ハッキリ言って美少女だよ。正直、自慢のお嬢様だ。透明感ある白い肌やら整った完璧な容姿は何度も見惚れたし、何度もセクハラしてきた。


「誤解ですよ。俺は仮面ヒーローごっこがしたくてブラを拝借しただけですって。双丘変態ブラジャー好きナンジャー」


「地球戦隊みたいに言うな!」


「てゆーかブラの表記を見ましたが、また大きくなりましたね。ついにFカップ到達?」


「な、ななっ……!?」


「おめでとうございます。お祝いとして、今夜は赤飯をFカップブラジャーで型を取ってお皿に盛りますね」


「死ね!」


お嬢様のフルスイングビンタが俺の頬を強襲。あーはいはい慣れた慣れた。ビンタの際に乳が揺れる様を間近で拝めるので満足っす。


「では調理にブラジャーを使用しますので俺に預けてください。お嬢様はノーブラでお過ごしくださいね」


「死ね!」


単刀直入の死ね発言。続けざまに俺の顔面は強烈な一撃を食らった。


「て、テメェ、顔面に足蹴りはガチで駄目だろ。暴力系女子は流行らないと何回言ったら分かる」


「アンタこそいい加減にセクハラやめなさいよ! ぶん殴るわよ!?」


馬鹿なんですかぁ? もう既に殴られた後でぇす。

……これも今日で最後か。


「今度やったら本気で許さないわ」


「もう二度としないよ。今まで悪かったな」


「は? どういうことよ」


「こっちの話」


覚悟を決めたんでね。セクハラは今回で最後だ。あ゛ぁ゛、木下さんの爆乳を揉むことは叶わなかったか。がくっ。

パチンコも引退だ。最後に一発当てたかったけど、それよりも欲しいものがあるから仕方ない。


気を取り直して、と。

俺は今もぷんすかぷん状態で怒る雨音お嬢様の前に正座する。


「ふん、丁度良いわ。今日は沙耶へのプレゼントを買いに行こうと思っていたの」


「プレゼント?」


「沙耶ったら帰ってきたのに私と遊んでくれないの! 昨日は寝込んだみたいだし、プレゼントをあげて喜ばせるわっ」


ほんの数秒前まで激昂していたくせに今は上機嫌。

プレゼントあげるのはとても良いと思うよ。あなたもメイドさんを喜ばせてあげてね。


「パパとママと一緒にお買い物よっ。アンタも同伴させてあげるわ。昨日もね、ママとお買い物したのよ。それでね」

「ちょっとタンマ。俺の話を聞いてもらえますか」


何よ、とまたしても不機嫌に口を尖らせるお嬢様。俺は正座した状態のまま、お嬢様に向けて真剣な顔を向ける。


「申し訳ありませんが、俺はお買い物にはついて行きません。代わりに許可とお願いがあって来ました」

「はぁ? アンタは私の使用人なんだから命令を聞きなさ……は、陽登?」


だよな。お嬢様が口噤んでビックリするのも当然か。俺も自分がこんなことするとは考えたことなかったよ。


「一生のお願いだ。力を貸してくれ」


でも、今はやる。

俺のクソみたいな考え方もプライドもどうでもいい。


「な、何してるのよ……陽登が自分から土下座なんて……」

「協力してほしいんだ。頼む」


あの人の為に。他人の為に頑張るあの人の為に。俺は覚悟を決めてきた。何より、自分の気持ちから逃げないことにした。


待っていろ、元メイド。











ここへ来るのは二回目。

澄み渡り輝く海。白く眩い砂浜。見渡す限りの絶景には、俺ら以外に誰もいない。

俺とメイドさんの二人のみ。


「景色を眺めるのはそのへんにして別荘に行きましょう」


「病み上がりにすんませんなー」


「陽登君が謝ることはありません。私は大丈夫です。さ、早く。旦那様達が来る前に済ませましょう」


ここは天水家の別荘。孤島に別荘はベタであり非現実的。あらやだ二律背反ですわよ、とツッコミを入れたくなる。

今日は午後から旦那様と奥様と雨音お嬢様がこの別荘にいらっしゃる。よって俺とメイドさんは先に来て別荘を掃除することになった。



というのは、嘘だ。


「旦那様方は来ませんよ」


「陽登君? 何を言って……」


「明日の朝まで俺とメイドさんの二人だけです」


メイドさんからすれば意味が分からないだろう。今朝起きて、雨音お嬢様に指示されてここに来たのだから。

孤島へ来る為のクルーザーやら食料やら、そういった準備を整えてくれて許可してくれた雨音お嬢様には感謝だ。サンキューお嬢様、見事にメイドさんを騙せたぜ。


さあ、ラストは俺の番だ。


「……私を騙したんですね」


「あらやだもう気づきました?」


「陽登君がニヤニヤしていますからね。何が目的ですか?」


「まぁまぁ、まずは歩きましょ」


「……帰りますよ。陽登君には仕事も勉強もありますし、私もやることが」


携帯を取り出して船を呼び戻すつもりのメイドさん。

俺はその手を掴み、こちらへと引き寄せる。掴んだ手は絶対に離さない。


「駄目ですー。はいこれメイドさんの真似ですー」


「な、何を」


「俺は勘の良いガキなんでメイドさんの思うようにはさせませんー。ほら行きますよ」


手を握り、砂浜を歩く。砂の心地良い感触と、手に伝わる温もりと、密かに胸の奥で始まったドキドキも全て噛みしめて歩く。

この俺が緊張するとは。ホンマ慣れないことはするもんちゃいますな。

まぁそれでもやるんだけどね。


「陽登君、どこに?」


「着きましたよ」


「ここは……」


崖の上。眺める夕日はまさに絶景。性格が野グソの俺でも見た時は惚れ惚れとした。綺麗だなと感動した素敵な場所。

ここは、メイドさんが教えてくれた場所ですよ。


「昼でも眺めは一級品っすね」


「どうしてここに?」


「語尾伸ばした冷静な口調はどうされました? あなたらしくない」


「旦那様達が来ないのに、どうして私と陽登君はここにいるんですか」


「そりゃメイドさんに休暇を取ってもらおうと思いまして」


「私に休暇は必要ありません。私は仕事が」


「いいから俺の話を聞いてください」


言葉を遮り、手を握り、俺はメイドさんを見つめる。


「メイドさんが躍起になって働き続けるのは恩返しの為ですよね」


「……」


「自分を救ってくれた旦那様の為。家族のように接してくれた天水家の為に。あなたは俺に話してくれましたよね」


「そうです。私はいただいた恩を返すべく、天水家に仕えています。陽登君のように、お母様から強制されてやっているわけではありません」


「俺と比べられてもねぇ」


「私は自分の意志で天水家にいます。恩を返す為に働いています。邪魔しないでください」


「もう十分だ、と両親に言われてもですか?」


「……そもそも私はそんなことして良い身分ではありません」


メイドさんの決意は固い。元ニートの俺では想像もつかない忠誠心だろう。


「お世話になったから、恩を返したいから……か」


「はい。ですから私は」


「恩返し恩返しうるせーよクソボケ」


テメェはカビゴンか。タイプ一致とでも言いたいのか、あぁん?

まずアンタは間違っている。動機と行動が伴っていないんだよ。


「家族のように接してもらったから。そう言うならあなた自身も家族のように接しろよ。俺は言いましたよね」


一年半前、俺らは飲みに行った。メイドさんはベロベロに酔いつつも自分の気持ちを語ってくれた。それを聞いて俺は答えた。


「メイドさんは既に天水家の一員だ。旦那様と奥様からは娘と呼ばれ、雨音お嬢様からも慕われている。ただのメイドや秘書じゃない、ただの家族だ」


「……陽登君はいつもそう言ってくれますよね。ですが私は天水家の本当の家族ではありません。他人なんですよ。あくまで家族のように、です」


「本当の家族を失った身分のくせにお高くとまってんじゃねぇ」


「陽登く……っ?」


あくまで他人? 本当の家族じゃない? 何言ってんだ。


「あなたがこんなにも身を呈して働いているのは、家族の温もりをもらったからでしょ。失ったことがあるから、大切なものをもう一度手に入れたことが嬉しくてたまらなくて幸せで、だから頑張って恩を返そうとしているんだろうが」


俺には分かる。失った辛さも、その大切さも。

きっかけや境遇は違っても、俺とメイドさんは失った辛さを知っている。何が大切なのか気づいている。

俺も同じだよ。最初は嫌々で働くことになったあのクソお屋敷で、大切なものをもらった。温もりと心地良さをもらった。


「あぁそうだな。自分の居場所をもらって、その恩を返したいんだよな。でもな、旦那様も奥様も、もう望んでいない。いや最初から望んではいなかったはずだ。娘の幸せ、ただそれのみを願っている」


「……」


「メイドさんのおかげで旦那様は仕事が楽になったでしょう。俺も母さんが元気になってすげー嬉しい」


「だったら、それで良いじゃないですか。私はこれからも皆様の為に働きます」


「だったら、メイドさんはいつになったら自分の為に頑張るんですか。他人の為に頑張ることが自分にとっての幸せとでも?」


「ええ、そうです」


確かにメイドさんがいてくれてみんなが幸せになる。

けど。

それじゃあ駄目だ。だってメイドさん自身が……。


「はー……すうぅ……」


大きく息を吸い込み、溜める。


「……もういいですか。帰りましょう」


「駄目でぇす。これからが本番でぇす」


覚悟しろ。

俺ら以外誰もいない孤島の、この絶景で、どこまでも響き渡るようにして俺は言ってやる。叫んでやる。この人に伝えてやる!


「恩返しばかりの日々でいいのかよ! 天水家の為? じゃあいつになったら自分の為にやるんだよ。どんなに頑張って、どんなにみんなが幸せになって、そうして最後に待っているのはなんだよ。あなたが一人ボッチの結末だろうが。一人がどれだけ辛いことか、家族を失った貴方には知っているだろ。俺だって知っている。あの苦しい思いを、頑張ってきたあなたがしていいわけがない!」


恩返しと言いながら他人のように気を遣っている。

違う。間違っている。


「あなたは自分の道を歩いていいんです。それをみんなが望んでいる。だから……」


「陽登君」


繋いだ手に、メイドさんはもう片方の手を乗せる。手を重ね、見上げた先にはいつも見てきた微笑み。

メイドさんは笑っていた。でもその笑顔は、やっぱり違う。


「私は自分の意志でやっています。私がそうしたいから、誰かに尽くしたいから、なんですよ。不幸ではありません。今が幸せなんです」


「……」


「お気遣いありがとうございます。私は大丈夫ですから」


「大丈夫じゃない」


「いえ、そんなことは」


「俺には甘えてこいよ」


「っ、陽登、君?」


「この孤島この場所で、あの綺麗な夕日を眺めてあなたは俺に言ったじゃねぇか!」


仕事ばかりの日々。俺というクソの新人が入ってきて、雨音お嬢様に友達ができたり、天水家の家族が再会したり、あの頃は色々とあった。

その中で、あなたは俺に寄り添ってくれた。俺には本音を言ってくれたじゃないか。


あのとろけるような夕日が見渡すもの全てをオレンジ色に染め上げる中で、あなたは言った。

こんなに楽しかったのは初めて、と。たまには甘えてもいいですか、と……。


「たまには……いいや、いつでも甘えてきてください。両親にも妹にも甘え下手なメイドさん。俺はここにいますよ」


「で、でも……」


「それともあの時の言葉は嘘とでも?」


「嘘ではありません。私は、陽登君には……っ、それでも私は……」


「誰かの為に、と言うなら……ではこうしましょう」


手は離さず、俺は立ち上がる。メイドさんの手を引っ張り上げて、俺の前に立たせる。俺の方を見てくださいと促す、と目を合わせてくれた。

まだまだ空高くで燦々と輝く日差しの下、あの夕日もあの空気もどこにもないけれど。


俺の気持ちは決まっている。

もう一度だ、火村陽登。お前の座右の銘はなんだ?


今度は俺がもう片方の手をメイドさんの手の上に乗せる。

ダラダラ、ヘラヘラと。だけどまっすぐにこの人を見つめて。






「俺の専属メイドになってください」


「…………はい?」


「誰かの為にと言うなら俺の為に尽くしてください。俺がメイドさんを雇います」


意外なセリフでしょ? こんなこと言われるとは思っていなかったはずだ。あっはっは、俺らしい発言だよ。

そうさ。俺は俺でしか言えない言葉であなたを納得させてやる。俺なりの言葉であなたに想いを伝える。

自分の本心から逃げないし、あなたを逃がしはしない。


「もし俺は大学に受かってもサボって留年するでしょう。なのでメイドさんには俺と一緒に住んでもらいます。毎朝大学に連れて行ってください。ご飯を作ってください。全般的に世話してください」


「ば……」


「金はあります。これでも二年間屋敷勤めだったんで。まぁ途中で払えなくなるだろうから、その後の給料は出世払いってことでよろしくっす」


「ば、馬鹿なんですかー……?」


間の抜けた、素っ頓狂な声を漏らして、メイドさんは驚きつつも呆れた表情でのこちらを見つめる。おっ、口調が戻ってきましたねー。


「俺は馬鹿でクズです」


「本当、駄目人間ですね」


「でも俺は人を変える力があるそうな。ですよね、メイドさん?」


「……うん、そうだね」


「メイドさんも変えてやりますよ。あなたが誰かの為と言うのなら今はそれに従いましょう。俺の専属メイドになってもらって、俺と一緒にいてもらいます。……俺がそうしたいんです」


「陽登君が……?」


「はい」


慣れた屋敷勤めの生活。雨音お嬢様にセクハラしたり殴られたり、木下さんにクソボケと言ったり言われたり、芋助をイジメたりイジメたりと、慣れた俺の当たり前の日常。


それは少しだけ崩れた。メイドさんが去り、いなくなって、俺は気づいた。

充実しているはずの日常なのに、それなのにどうしてあなたのことを思うのか。寂しいと感じてしまうのはなぜなのか。


少しの崩れは、俺にとって大切なものだった。俺にとっての大切な想い。


「以前にも言いましたっけ? 俺はメイドさんが好きですよ」


簡単なことさ。隣にいてくれたあなたが、気づいたら大切な存在になっていたんだ。誰よりも、何よりも。


言わせてください。

もう一度、改めて。

俺の本気の想いをあなたに伝えます。


「俺はメイドさんが好きです。あの頃からずっと、あの頃よりも大好きになりました。絶対に俺があなたを変えてみせます。俺があなたに尽くす以外の幸せを見つけてあげます。俺の人生をあなたにあげます。だから、俺の隣にいてくれませんか?」






潮風が吹き、髪がなびく。

俺の想いはどこまで響いただろう。この人に届いたのだろうか。


その答えは、言葉として返ってくる。






「ズルイです」



「クズでどうしようもない理由、それなのにまっすぐに気持ちを告げられたら私は……」



「私は……っ、私も」







「私も好きです。ずっと前から好きでした。陽登君が……大好きです……っ!」


手は繋がれる。手は重ねられる。二人分の体温が混ざり溶けた。

俺はニヤリと笑う。メイドさんは困ったように笑う。


「メイドさん、それは上司と部下として?」


「元上司です。それに意地悪はやめてくださいー。……上司と部下として、ではないから私は今こうしているんです」


繋いだ手、重ねた手。それはほどけ、代わりに互いに相手の体を触っていた。互いに腕を回し、目一杯に抱きしめる。

触れるか触れないかではない。思いきり、ぎゅっと抱きしめ合っていた。


「陽登君、大きくなりましたね」


「一年半も経てば身長も伸びますよ。メイドさんは痩せましたね」


「わーい、ですー」


「褒めてねーよ」


「あーあ、ですー……」


「なんすか?」


「私は自分の気持ちは誰にも言わないでおくつもりでした。一生我慢するつもりだったんですよ? 片思いで終わる予定だったのに……」


「残念でしたね。実は両思いでしたとさ」


「陽登君は本当に分からない人です。不思議な人です」


「そーですかい」


「……私はもう二十六歳だよ?」


「俺は高三で十九歳です。別に良いんじゃないですか? つーか付き合うとかじゃなく契約です」


「私のお給料は高いです。陽登君の貯金じゃ払えないかも」


「んじゃあ払わない方法を取りましょう。どーせいつかは二人の共有財産になるってことで」


「プロポーズですかー?」


「俺が素直になっているんですから茶化さないでくださいー」


「そーですね、とてもレアですっ。……陽登君」


「ん?」


「私も、少し素直になります」


言葉を交わす間も抱きしめ合っていた体を離し、メイドさんはまっすぐと俺を見つめる。

黒髪を潮風になびかせ、アーモンド形の瞳にうっすらと涙を浮かべ、だらしなくもヘラヘラと微笑みを綻ばせた。


「陽登君の不思議な魅力にいつしか惹かれて、私にとって陽登君は誰よりも心許せる人になっていました。陽登君にだけは本音を言えちゃうんです」


「ふーん」


「そういった素っ気ないツンデレな態度も好きです。顔が赤いもん」


「別に赤くないですー」


「私の真似しないでくださいー。んー……そうですね、私の負けと言ったところでしょうか」


何がです?

そう問いかける前にメイドさんは再び抱きつく。華奢な体を全て俺に預けてきた。


「陽登君に変えられちゃいました。あとは惚れた弱みですかねー。好きと言えたのは陽登君のおかげと、私自身がそう言いたかったからです。……初めて自分のことを自分の為に言えましたっ」


「……何度でも言いますよ。これからは自分の為に幸せになってください」


「そうですね、陽登君に幸せにしてもらう為にまずは受験勉強ガッツリと見てあげますー」


「めんどくさ。やっぱ給料が払えないってことで契約はなしに出来ません?」


「駄目ですー。もう契約しちゃいましたー。一生離しませんー」


「俺メンヘラ嫌いっす」


「それにお給料はいりませんよ。代わりに、これからはいっぱい甘えるから」


「……金よりかかりそうな給料っすね」


「はい顔が赤いー。帰ったらお父さん達に教えてあげなくちゃですー」


「や、やめろぉ!」


「陽登君」


「はいはいなんですか」


「私、ここで陽登君と過ごしたあの日が人生で一番楽しかったです。そして今、更新されました。私は今、人生で一番幸せです」


「奇遇ですね。俺もです」


メイドさんが隣にいる。俺を見つめて微笑む。


「陽登君ホント可愛いですー」


「メイドさんの方が可愛いんじゃないですかね?」


「えへへー、ですー。……嬉しい」


好きな人がいる。メイドさんが隣にいる。ダラダラと会話して、ヘラヘラと笑って、二人寄り添う。

それがすごく嬉しくて、幸せだった。











「ねぇ知ってる? 以前このお屋敷に勤めていた伝説のメイドさん」


「もちろん。私達の先輩にあたる人でしょ」


「運転手の黒山さんやシェフも庭師もその人には頭が上がらなくて、今でも恐れられているんだって。怖い人なのかな?」


「ううん、雨音様の話だとすごく良い人そうに聞こえたよ。クールで真面目で、メイドを退職された後は秘書としてご活躍されたそうよ」


「カッコイイなぁ。憧れちゃう」


「今度お屋敷に遊びに来るらしいよ」


「楽しみっ。私達現役のメイドに色々教えてもらいたいなぁ」


「天水家・伝説のメイド。お名前は確か……月潟沙耶さん」




「え? 違うよ?」


「違う?」


「今のお名前は火村沙耶だって」


「へぇー。…………え゛? 火村って、天水家・伝説のクズ使用人の!?」


「座右の銘は『ダラダラ、ヘラヘラ、あとキビキビとですー』だったかしら?」


「沙耶さん幸せなのかな……?」


「今度雨音様に聞いてみ……て、あ……あなた方は……?」





「お屋敷変わってないですねー」


「そーっすね」


「ほらキビキビと動いてー」


「へいへいしょーへい。どうも、元ニートと」


「元メイドですー」

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