番外編 二人は再会し、クスリと笑った
番外編です。
最終話からの後日談ではなく、本編とは全く違うエンディングの物語です。ifストーリーってやつです。
最終話で終わっていい!って方は読まない方がいいかもしれません。ごめんなさい。
それでもいいよ、他のヒロインが!って方は是非どうぞ読んでくださいー!
あと、かなり長いです。途中でしんどくなると思うよ!
「ハルちゃん帰ろう」
「一人で帰る」
「今日もハルちゃんの家で勉強しないとね!」
「あのねキラちゃん、やり過ぎは逆効果なんやで?」
「行こっ」
「ぐええぇ」
季節が巡ろうとも変わらず傍に居続ける奴がいた。
事あるごとに世話を焼き、真面目君に矯正させようと躍起になる。そのくせ遊ぶ時は遊び、そして付き合わされた。
周りから何を言われても、俺から悪態を吐かれても、そいつはケロッとした様子でいつも通り優しく微笑む。
ずっと傍にいた、いてくれた、そいつの名前は……
春の香りが薄れかけた四月の下旬。空から注がれる陽光は暖かいを通り越して早く夏の訪れを予感させる。気温上がるの早すぎ。太陽くたばれ。
あ、どうもクズのエース、火村陽登でっす。最近のトレンドは、机の上に芳香剤を置いて「ぶりぶり僕うんち~!」と気狂って周りを畏怖させること。効果は凄まじく、昼休みなのに俺の半径二メートルに人はいない。
「今日もボッチ飯か。悲しいねぇ」
などとニヤニヤ笑いながら鞄から弁当箱を取り出す。エース・オブ・クズにはこの程度へっちゃら。寧ろ嬉しいまである。
さて、今日も優雅なボッチ飯を堪能しましょうかね~。
「ハルちゃん」
「……クソが」
芳香剤が効かない奴が来た。
凛としてクールな佇まい、でもどこか子供っぽく幼げであどけない表情も見え隠れするそいつの名前は、日清綺羅々。俺の、天敵だ。
「生徒会長様が何の用ですかー」
「一緒にご飯食べよ」
だと思ったよ。なので結界を強めることにする。
「ぶりぶり僕うんち~!」
「食事中に下品なこと言っちゃ駄目でしょ」
こらっ、と叱責した日清は俺の頭を軽くチョップする。うわこいつうんこにチョップしましたよ頭おかしいんじゃね?
「あ、ごめん、今の痛かった?」
チョップした手は続けざまに俺の頭を撫でる。ナデナデ、ナデナデと。
周りから聞こえる、おぉと驚く声。同時に女子グループからのニヤニヤした目線。あ? 何見てやがる二の腕舐めるぞオラ。
「……別に痛くねーよ。優しすぎるんだよお前は」
「いただきます」
「切り替えが速いなおい!」
クソ、この俺がツッコミを入れてしまった。2年C組では天下無双のボケ担当なのに。
恨めしげに睨むも日清に伝わることはなく、一つの机を挟んで向かい合う形でランチが始まる。
「ハルちゃんのお弁当はいつ見ても豪華だね」
「一流シェフが作っているから当然だろ」
「そっか、まだ使用人の仕事を続けているんだね」
そうだな、来月になれば祝・使用人勤務一周年記念。まさか一年も使用人勤め&高校生活が続くとは思いもしなかった。
俺にしてはすごいことだよね。巻頭カラーで特集を組んでほしいレベル。『あのニートがまさかの!』みたいな。
衝撃の事実、俺こと火村陽登は二年生に進級した。正直無理だと思ったが学年末考査もパスしちゃったんだよね。
それは日清のおかげ、もとい日清のせいだ。テスト一週間前に実家で軟禁されて勉強させられたのはまだ記憶に新しい。うんそうだね、日清ファックだね。
使用人の方も順調だ。相変わらず雨音お嬢様は鬱陶しいしメイドさんはドSだし母さんは社畜。そんな劣悪な環境で使用人として仕えることに慣れてしまった自分がいる。そうだね、俺ファックだね。
「いつまで使用人続けるの?」
「知るか。テメーこそ生徒会いつになったら引退するんだよ」
「次の生徒会選挙まで。ハルちゃんお馬鹿?」
「知っているだろ」
「うん」
そう言ってサンドイッチを食べる日清。たかが弁当を食べる動作一つでも上品さがあり、少し顔を動かしただけでサラリと流れる黒髪を指ですくう様はセレブのよう。雨音お嬢様よりお嬢様感がある。
現に日清が来てから周りの奴らは、特に男子はざわついてチラチラと見ている。テメーらいい加減慣れろ。こいつ頻繁に来てるだろ。
「そういえば中学のクラス会のお知らせ来た?」
「ぶりぶりうんちの俺に届くとでも?」
「だよね」
日清はスカートのポケットから携帯を取り出すと俺に見せてきた。生徒会長が校内で堂々と携帯触るのはどうなんですかねぇ。
「ふーん、クラス会か」
「本格的に受験が始まる前にまたみんなで会おうだって」
あー、はいはい受験ね。忘れかけていたが本来なら俺も高校三年生のはずなんだよな。同級生は来年の進路に向けて準備、決断する時期なのだ。大学に進学とかありえねー。
……ふと、気になった。目の前のこいつはどうするつもりなのか。
「おい日清」
「キラちゃんって呼んで」
「日清は大学に行くのか? 志望大とかあんの?」
「むぅ、ハルちゃんが無視する」
リスみたいに頬を膨らませて不満げだった日清は元の凛とした顔に戻ってこちらをじぃと見つめる。あ? なんだよ。
「私の進路が気になるの?」
「ありえないがもし俺が進学する場合、テメーのいない大学を選びたいからな」
「安心していいわよ。ハルちゃんの学力じゃ無理な大学だから」
「安心したが無性にムカつく」
頭良いアピールですか? あ? あ?
シェフの作りし絶品ミニハンバーグをくちゃくちゃと咀嚼しながら睨みつけるが全く効いていない。これだからこいつは厄介だ。俺のペースに持ち込ませてくれないのだ。寧ろ日清のペースに巻き込まれてしまう。
「話を戻すね。ハルちゃんもクラス会来てよ」
ほらこんな感じ。飄々と俺の攻撃を躱して話を展開させていく。クールというか肝が据わっているというか、とにかく食えない奴だ。
「行くわけねーだろ。中三のクラスメイトなんて誰一人として名前覚えてない」
「私のことは覚えているでしょ」
「え、あなた誰ですか?」
「……最近ハルちゃんが冷たい」
「とにかく俺は行かないし呼ばれていない。じゃあな」
パパッと弁当を食らって席を立つ。俺が冷たい? 前からの間違いだろ。だって俺だぜぇ? 降りない停留所で降車ボタンを押してやったぜぇ~? ネカフェで敢えて大イビキで寝てやったぜぇ~? クズだろぉ~?
……別に中学の同窓会に行っても話す奴いねーよ。あの頃の俺の話し相手といえば一人しか、
「売店に行くの? 私も行く」
いつの間にか隣に並ぶ日清。俺の顔を覗きながらサンドイッチを食べている。生徒会長が食べ歩きとかどうなんですかねぇ。
「ついてくんなし」
「ハルちゃんを一人にしたらクズな行いするでしょ。私が見てなくちゃ」
「メンヘラの一歩手前だな。俺を見る前にテメーは医者に診てもらえ」
「あ、木下さんだ。こんにちは、髪伸ばしているのね」
「木下さんちーっす。違うクラスになっても俺のこと忘れないでな!」
「あ、あううぅ」
地元の商店街は昨今にしては活気がある方だ。降りているシャッターも少ないしアーケードを歩く人達も多い。
その中で、俺も歩いてはいるが足取りは非常に重たい。
「なぁ日清、俺帰っていいか?」
「だーめ」
今この瞬間にもターンを決めて帰りたいのにそう出来ないのは俺の手を掴んで離さない奴がいるから。
トップスはネイビー色の薄いニットを着て、裾が朝顔形に広がった桜色フレアスカートとの組み合わせは程良く緩さが出て、女性らしい上品さがある。口には絶対に出さないが似合っているよ。ちなみに俺は『怠惰』と大きく書かれた長袖Tシャツを着ている。うわっ、俺のセンス、低すぎ……?
「屋敷にまで来やがって」
「天水さんがいなくて良かった。いたらたぶん邪魔されていたもん」
「こういう時に限って両親と外食行きやがってあのクソお嬢様……」
ニヤニヤ笑顔のメイドさんに引きずり出され、ニッコリ笑顔の日清に連れ出されて俺が向かう先は中学のクラス会。
行かないと言ったのに勝手に日清が俺も出席で返事を出したらしい。よって、俺は今、ひじょ~、に、機嫌が悪い!
「嫌になったら帰るからな」
「それも、だーめ」
「クソが……」
ムカつくが会場に到着してしまった。お好み焼きと書かれた暖簾をくぐって店内に入る。中には……おお、見覚えがあるようなそうでもないメンツだ。
「お、次は誰かな……って、ひ、火村!?」
「火村君?」
「あ、本当だ……」
ざわつくクソ紳士淑女。意外な奴が来た、ってリアクションですね。つーかみんな俺のこと覚えているのか。俺は君らのフルネームどころか名字も覚えていないで~。あと男子数人が俺を見て顔をしかめている。何かあった?
「みんな久しぶり」
俺の後ろから日清が顔を出す。途端、店内はさらにざわつく。それは良い意味の騒々しさだと簡単に伝わってきた。
「日清さんだ!」
「めっちゃ綺麗!」
「最高っ!」
盛り上がる男子共。中には立ち上がってガッツポーズしている輩もいる。日本代表がゴールしたみたいなテンションだ。
日清コールの中、当人は軽くニコッと微笑んで女子グループに混じってきゃっきゃと喋りだした。「久しぶり~!」「綺羅々ちゃん綺麗!」「三年連続で生徒会長やっているんだよねっ」ときゃぴきゃぴ~な鬱陶しいガールズトークを横切り、俺はテキトーに席に座る。
「久しぶりだなー。北大路橋君は変わってないねー」
「お、俺のこと? いや名前が変わっているんだけど」
「一緒に白球を追いかけた日々は忘れられないよ」
「忘れるというか身に覚えがないって!」
などと元クラスメイト達と雑談しているうちに参加者が揃った。注文した全員分のドリンクがテーブルに並び、一人の女子が立ち上がる。いかにも文化祭で張り切っていそうな顔だ。あいつが幹事ね。
「それでは久しぶりの再会を祝して、かんぱーい!」
おっぱーい、と心の中で呟いてジュースを飲む。始まったクラス会は賑やかで、昔こんなことあったねとか担任がウザかったとか最近はバスケ部が強い等のしょーもない会話に花咲かせて楽しそう。
盛り上がる周りを余所に俺は目の前の鉄板に集中。イカ、エビ、タコ、豚が入ったミックスお好み焼きだ。これ食ったら次はもち明太チーズ注文しようっと。
「おい火村」
「んあ?」
絶妙な焼き加減のお好み焼きに高めの打点から青のりをかける俺に、とある男子が話しかけてきた。君は、えーと……名前分からん。B男君と呼ぶか。
「お前が来るとはな。予想外だ」
「俺も来るつもりはなかったよ。日清に連れて来られたに過ぎない」
「日清さん……ちっ、なんでお前なんかに」
B男君がチラリと見る先、そこには日清。他の女子と喋っていて周りには男子が集まっていた。みんな日清に話しかけるタイミングを伺っているのが伺える。へー。
「なんでお前なんかと日清さんが……」
「すいまっせーん、もち明太チーズくださーい」
「おい話聞いているのか」
「聞いた上で無視しているから安心しろ」
「なんだと! というか俺と目を合わせろ!」
「北大路橋君もっとマヨネーズかけないと。マヨラーの扉開こうぜ」
「無視するな! このクズが!」
こいつうるせーな。芋助とは違った意味でウザイ。芋助は大声なりに気持ちの良いツッコミをしてくれる。でもこいつは怒っているだけ。明らかな敵意を感じる。
B男君はまた舌打ちすると俺を見下ろす。どうやら因縁があるらしい。
「ハッキリ言う。お前がいたせいで日清さんと話せなかった奴が大勢いるんだよ」
なんだ、随分と浅くてくだらない因縁だった。てゆーか俺からしたら知らんわの世界。日清が勝手につきまとっていただけだろ。
「今日も一緒に来たよな。まさか大学も同じところに行くつもりじゃないだろうな」
「それがテメーと何の関係が?」
「お前がいると邪魔なんだよ。日清さんに近づくな」
だから俺に言われても困るってー。日清に言ってよー。
「心配しなくても俺の頭じゃあいつの志望大には行けないってさ。それに俺まだ二年だから」
「は? 二年生? お前、まさか留年したのか?」
「留年っつーか一年間ニートしてた」
B男君はぎょっと驚いた顔を浮かべる。けれど次第に頬を歪めて、最後には大声で笑いだした。
「ぎゃははっ! ダッセー! カスだとは思っていたが一年間ニート? 留年より酷いだろバーカ!」
うっわウザイ。なんですかそのわざと店内に響かせるような声。ただゲラゲラと笑うのではなく、意地悪く悪意に満ちた笑い声だ。
「周りより一年遅れているくせして頭が悪くて性格も最低! お前将来どうするつもりだよ。ニートになるつもりかぁ?」
「そのつもりだけど」
「うわー引くわー! やっぱカスだわ!」
蔑んだ目で馬鹿にしてくる。うーん、これは酷い。俺じゃなかったら泣いているところだ。
あまりに騒ぐので他のテーブルの奴らもこっちに注目している。なるほど、これが狙いか。やけに露骨に大声で笑っているのは、全員が見ている中で俺を辱めたいのね……。
「火村、お前ホント駄目な奴だな」
「そーゆーお前は予備校で居眠りして講師に説教されたらしいな」
「!? な、なんでそれを……!」
「あ、マジ? テキトーに言ったら当たったわ。俺と同じで馬鹿なオーラが出ていたからさ」
「なんだと!?」
俺をハメるつもりなのだろう。はっ、甘いんだよ。こちとら毎日のように日清やクソお嬢様相手に悪態を吐きまくっているんだ。返り討ちにしてやる。
「で、お前の言い分は俺に日清に近づくなってことね。けどそれは俺にじゃなくて日清に伝えるべきだと思うんだ。だから言ってやるよ」
注目を集めて辱めようとしたのは失着だったな。逆に利用させてもらう。
立ち上がり、息を吸い込み、心配そうにこちらを見つめる日清と目を合わせる。
「おーい日清! こいつ、俺とお前が一緒にいるのが気に食わないって言っているぞー! たぶん、いや確実にお前のことが好きだぞー!」
「ば、馬鹿やめろっ」
「え、好きじゃないの!?」
「いや、それは、っ、す、好きじゃないし」
「好きでもないのに日清に近づくなとか言ったのー!? じゃあどういう意図があるのー!?」
ほら言い返してみろよ。どんどん自分の首が絞まっていく一方だぞ~。
言葉に詰まるB男君、みんなに注目されて顔は赤くなる。耳まで真っ赤だ。あらら~、ダッセーのはどっちですかな?
「せっかくのクラス会なのに俺を貶めようとして何が目的かな~? 本当は日清のことが好きなんだろ~!? 顔が真っ赤だぞー!」
「や、やめろって……」
んだよ張り合いのない奴め。お前がやろうとしていたことをやっただけだぞ。やるからにはやられる覚悟もしとけ馬鹿。
……ん、そういや……あぁ思い出した。こいつ、俺を冷かしていた奴だ。あの頃も似た方法で撃退した覚えがある。俺もこいつも変わってねーな。
「くっ、この、う……」
みんなに見られて日清に見られて恥ずかしさのあまり顔が真っ赤なB男君は口をパクパクさせて俯いてしまう。他のテーブルのノリ良い男子に「告白しろよー!」と煽られてさらに可哀想な状態。
限界寸前のB男君、涙目で俺を睨みつけて歯を剥き出す。なんですかー、先に仕掛けたのはそっちだぞー。
「な、生意気なんだよ火村! 片親のくせに!」
「……はぁ、またそれか」
こいつ、中学生の時も負け惜しみでそれ言っていたな。
片親。生意気な俺を馬鹿にする言葉だった。今思えば、事実だし片親だから何?って感じなのだが……当時の俺には、泣きたくなるくらい嫌な言葉だった。
……で? それがどうした。今じゃノーダメージだわ。何なら自分から言ってやるよ。
「あのさー、高校生にもなってそんなことでしか言い返せないのか。冷静に自分の発言思い返せよ、お前マジで惨めだぜ」
「ぐっ……」
「つーか片親のおかげで念願のニートになれたから死んだ親父には感謝しているよ。何なら母さんも死ねばいいって思うわ。あ、母さんが死んだら親なしって馬鹿にしていいぞ。一緒に俺の母親の死を願おうぜ~」
「ハルちゃん」
「ん?」
振り向いた先、そこには日清。右手を上げて右から左へ振るう。
パシン! 鋭く痛々しい音に続いて襲ってきたのは左頬の痛み。ジンジンと奥歯まで響いて視界が揺れる。
日清に、ビンタされた。
「ぁ、え……?」
「ハルちゃんの馬鹿!」
俺を突き飛ばし、日清は店を飛び出た。わけも分からず手が左頬をさする。
眼前に舞ったのは、絹のように優艶でサラサラな髪と、涙だった。あいつ……なんで泣いて……。
「……お、おい」
「……あー、皆さーん、俺と日清は先に帰りまーす。北大路橋君、俺のもち明太チーズ食べていいよ」
先程の賑やかムードは一変。突然の出来事、まさかの日清退席に会場は静まり返った。全員がポカンとして、けれど事態の深刻さは誰しもが分かっているのか、重苦しい空気はお通夜を彷彿とさせる。
俺は、俺だけは酷く普通にヘラァと笑う。みんなごめんねー、せっかくのクラス会なのにねー。
狼狽えるB男君に二人分の会費を押しつけ、ヘラヘラのんびりと歩いて店を出る。
店を出て、走り出す。先に出ていった奴に追いつく為に。
「待てよ日清」
走っている日清の姿を発見。アーケードを駆け抜けて追いつき、肩を掴んでこちらを振り向かせる。
日清は……泣いている。
「……馬鹿」
「とりあえず泣き止めよ」
「知らない」
涙は溢れて頬を伝う。唇をぎゅっと結んで悲痛げな表情と掠れた声に含まれる怒気に、気圧されそうになるが退かず決して手を離さない。
「……どうしたんだよ」
日清はなおも泣き続ける。その涙を拭いてあげるハンカチも持っておらず、顔を合わせることしか出来ない。
妙な沈黙。とん、と胸に当たる日清の頭。俺のTシャツにしがみついて日清は口を開いた。
「嘘でも、自分のお母さんが死ねばいいって言わないでよ……!」
弱々しくも怒気含んだ声が胸に直接響く。
いつもの叱責とは違う。ふざけて軽く怒られたのとはわけが違う。本気で怒る日清の涙に、後悔の念が広がっていく。
「ただ言い返しただけって分かってる。本当はそんなこと思っていないって分かってる。でも、それでも……ハルちゃんは、あれだけは言っちゃ駄目なの……っ!」
胸元から聞こえる埋もれた声。その震えは俺にも伝わり、目の奥が熱くなる。
怒られているのに、しがみつく幼馴染の優しさが……嬉しかった。
「……だからお前は優しすぎるんだよ」
「お母さんが死んでもいいなんて言わないで……!」
「悪かった。マジで反省している。だから泣くな。どうしてお前が泣くんだよ」
……まあ、こいつが泣いてくれるから俺は泣かずにいられる。俺の代わりに泣いてくれる、怒ってくれる。
なら俺は俺が今できることをやる。自省して、後は、泣き止むまでそばに居続ける。しばらくして震えが止まり、日清は顔を上げてくれた。
「出てきちゃったね。みんな心配してるかな……」
「だろうな。お前モテまくりだったぞ。そのせいで俺が絡まれたんだ」
「ハルちゃんに酷いこと言う人は大嫌い。最低よ。許さない」
「辛辣だなぁ」
「……ハルちゃんのこともまだ許してないんだからね」
泣き止んでとはいえ涙の溜まった瞳でキッと睨みつけられた。普段は凛然としてクールな佇まいなのに、この子供が拗ねたように小さく膨らんだ頬を見ると思わず苦笑してしまう。
「じゃあ、どうしたら許してくれるん?」
「……じゃあ、今度デートしよう」
ゴールデンウィーク。ひらがなで表記するとごーるでんうぃーく。
なぜひらがな表記だって? なんかアホっぽく見えるでしょ。ひじかたいもすけ、ほらアホみたい。あ、元からだったね~。クラスが違ってもあいつとはたまに話している。
「だーれだっ」
「にっしんきらら」
「ブー、不正解。正解はキラちゃんでした」
「お前どんだけ俺に呼ばせたいの? ぜってー呼ばんけど」
背後から目を覆うというクソテンプレしょうもないアクションを仕掛けてきたのは日清。
ベージュの花柄ワンピースの上から白色のレースガウンを羽織ったカジュアルな装い。サラサラの髪を留める赤のヘアピンは日清定番のワンポイント。ちなみに俺は『堕落』と書かれた七分袖Tシャツを着ている。相変わらず~。
「で? お前の言う通りの準備をしてきたぞ」
俺は見せるようにして背中を向ける。背中にはリュック、中には着替えが入っている。
デートってどこに行くつもりだ。といった訝しげな目で見ると日清は楽しげに頬を緩ませて微笑む。
「温泉に行くよ」
「ふーん、だから着替えがいるのか」
「泊まるからね」
「ふーん、泊まるのか……あ?」
泊まる? え、いや……あの、それは一体……!?
「予約取れて良かったぁ」
「あの?」
「今から新幹線に乗るよ。旅館にチェックインして荷物を置いたら観光しよっ」
「ちょっと?」
「空中展望台やパワースポットもあるらしいよ。楽しみだね」
「ねえ!?」
話を聞けぇ! 何嬉しそうに旅行プラン語っていやがる!
温泉と聞いて、近くの健康ランドにでも行くのだろうと高を括った俺の予想は即潰された。旅館? 観光? ガチ旅行じゃねーか!
「待て。これは反論する。論破してやる」
いーよ、と日清が促す。言い負かせてこいつの計画を潰さなくては!
「まず、俺は外泊の許可をもらっていない」
「月潟さんはオッケーだって」
「……次に、旅館に泊まる金はない。金銭的に無理だ」
「月潟さんがハルちゃんの口座から出していいって。家を出る前にカード渡されたでしょ?」
「……お、俺って枕が変わると眠れないんだ」
「これハルちゃんの枕。ハルちゃんが来る前に月潟さんが車で来て渡してくれたの」
クソがあああ。クソメイドおおお。俺が知らないところで勝手に話進めてあまつさえ俺が言い訳する内容も予想してやがった。
あ、あの人はやっぱ有能だな……。屋敷出る時は知らぬ顔で見送ったくせに!
「い、いや俺はまだ行くとは……」
「ハルちゃんがクラス会で言ったこと許さない。ハルちゃんのこと嫌いになる」
「……行くか」
「うん!」
論破された。俺が言い返せないポイントをついてきやがって……!
こうなっては逃げ道なし。ハメられたことを嘆くより、完璧にハメた日清とメイドさんの手腕を讃えよう。しゃーねぇ、付き合ってやるよ。
「とりあえず金を下ろす。そんで駅弁買って新幹線乗るぞ」
「……騙してごめんね。お金も払ってもらって……」
「気にすんな。金ぐらい俺が全部出してやるよ」
給料の大半は強制的に貯金されているから金は溜まっている。寧ろやっと使えるから嬉しいくらいさ。
「それに……」
「ん? ハルちゃん?」
「……ま、お前との旅行も悪くないかもな」
「……ハルちゃん~!」
「抱きつくな暑苦しい」
「暑苦しいから顔が赤いの?」
「……いいから行くぞクソ日清」
腕に抱きついてニヤニヤ笑うムカつく幼馴染から顔を背けてATMを探す。こっち見んな。
GWとあって乗客の多い新幹線で駅弁を食らい、あっという間に旅館へ着いた。
あのさー……旅行に着いたのはいいが……
「予約している火村綺羅々です」
予約名はこの際どうでもいい。館内の豪華さや予想以上の金額も目を瞑ろう。問題は……
「わー、景色すごい。海が見えるよ!」
「あの?」
「夕食の会席料理、楽しみだね」
「ちょっと?」
「食べ終わったら貸切露天風呂行こっ」
「そこ、それ! なんだこのプラン!?」
移動中はテキトーに雑談して詳しくは聞かなかったが改めて旅行プランを見れば……貸切露天風呂ぉ!?
貸切ってなんだ、どういうことだ。まさか……二人で入るってことか!?
「源泉かけ流しだって~」
「正気か? いくらなんでも……」
「私はハルちゃんなら平気だよ。あ、興奮してきた?」
「貧乳に興奮しねーよ」
日清にポカポカ殴られた。あなた気にしてるのね。女の魅力はそこだけじゃないから安心して。俺は完全なる巨乳派だけどねー!
……いやさ、絶壁の日清に興奮しないとしても混浴って倫理的にヤバイだろ……。
「金堂む先輩なら発狂して喜ぶだろうな」
「金堂と混浴なんて死んでも嫌。ハルちゃん以外絶対に嫌だから」
ドンマイ金堂パイセン。あとB男君を初めとする男子諸君。
「俺に襲われても知らないからな」
「ハルちゃんならいいよ。でもハルちゃんにそんな度胸ないの知ってるもんっ」
「……空中展望台に行こうぜ。さっさと準備しろ」
「準備完了っ」
「だから腕に抱きつくな!」
その後、めちゃくちゃ観光した。
空中展望台から見る絶景を写真に撮ってアイコンにしたり、女子に大人気の縁起あるパワースポットを撮影してアイコンしたり、海岸沿いを散歩して澄み渡った海をバックにツーショットを撮らされたがこれはアイコンにしなかった。
旅館に戻れば出迎えてくれるは鰆の焼き霜造り、金目鯛の姿煮や海老真薯など超豪華な会席料理を堪能。天水家のシェフに負けず劣らずの腕前だった。
うん、素晴らしい。天水家でセレブな生活に慣れたと思っていたが違うもんだね。普段の生活では味わえない贅沢感というか、のんびり過ごせるというか、あとはやっぱり……隣にこいつがいるからなんだろう。
隣の奴。うん……隣の……。
「ハルちゃん入らないの?」
「なんでお前は普通に入浴してんだよぉ……!」
夜の海が一面に展望できる露天風呂を照らすはきらめく照明。涼を感じる心地の良い海風に吹かれて湯気がゆらゆら立ちのぼる。
アンティーク調のウィンザーチェアに座って景色に集中する俺。その隣、湯に浸かってゆったり寛いでいる日清。俺がいるのに、裸になっている。
「もっと恥ずかしがれよ!」
「タオル巻いているから平気」
「湯船にタオルつけんな」
「じゃあ外そうか?」
「そうなったら俺が席を外す」
「でしょ。だからこれでいーの」
日清の満足げな声と湯がちゃぽんと波打つ音が聞こえる。見ていないから分からんが日清は温泉を存分に楽しんでいるのだろう。癒される~!とか言ってる。呑気か。隣に男がいるっつーの。
観光や料理が最高だったなら今この状況は最悪だ。温泉番組よろしくタオルを巻いているとはいえ傍には裸の女子。
「早く入ってよ。気持ち良いよ?」
「あぁん? 誘ってんのかボケが」
「いつもセクハラ発言ばかりしているくせにいざそうなると弱いのは相変わらずね」
「……上等だ。入ってやるよ」
お前や酔ったメイドさんにその弱点を何度イジられたことか。その度に所詮俺は口だけのチキン野郎なのだと惨めなったことか。
BTTFのマーティがチキンと呼ばれてキレるのと同様、俺もカッとなって服をバッと脱いだ。オラオラすっぽんぽんになってやるわ!
「どーだ!」
「やーん」
「棒読みやめろ!」
ざぶん、と勢いよく露天風呂に飛び込む。湯気の下、熱い湯が身に染み渡り、思わず口から「あぁ」と満悦した唸りが漏れてしまう。
確かにこれは気持ち良い。加えて、湯に浸かったまま眺めることが出来る絶景。まさに極楽と呼ぶに相応しい。
「こっち向いていーよ」
「ぜってー嫌だ」
日清に背を向けて口元まで湯に浸かる。何があっても後ろは振り向かないぞ。小学校からの付き合いである種の気心知れたお前の体を見たいとは思わない。そう、言わば母親の裸を見たくないと同じ心理。……たぶん。決してビビッているわけじゃない! いいな!
「ハルちゃんと温泉に来られるなんて夢みたい」
「夢なんじゃねーの? 痛っ」
「痛かった? じゃあ夢じゃないね」
後ろから髪を抜かれた。おいおい接近すんなよ!?
「試すなら自分でやれ」
「どうぞ」
「俺にさせるつもりかよ。……しねーよ」
「今うなじ見せてるよ? 見ない?」
「……」
心頭滅却。ひたすら心頭滅却だ。こいつのペースに呑まれては弄ばれる一方だぞ。エリートクズとしてそれは許されない。びーくーる、冷静に……
「この前は殴ってごめんね」
その声と共に、背中と背中が触れ合う。熱いお湯の中、日清の温もりが背中に広がった。
「別に。あれは俺が悪かったし」
「でもハルちゃんにビンタしちゃって……」
「だからお前は優しすぎるっての」
お前は聖人か。雨音お嬢様なら謝るどころか怒るぞ。明らかにあいつが悪いのに俺が殴られるんだよなぁ。理不尽だよ。
「……母さんが死ねばいいなんて思ってない」
「うん」
「あの時はついカッとなって言ってしまった。……その、ごめん」
「私も無理にクラス会誘ってごめんね」
「俺ら謝ってばかりだな」
「ハルちゃんが謝るの珍しいから録音すれば良かった」
「ひでー言われよう」
あはは、と日清が笑い、俺も口が緩んでしまう。
背中合わせで温泉に入っているのに、普通に話したり本音を言ったり、さらには謝って笑って……
それが出来るのは、こいつだから……。
「来年、卒業なんだね」
日清がポツリと呟く。さらに近づいてきて俺の背中に体重を預けてくる。
「またハルちゃんと会えなくなっちゃう」
「俺としては嬉しい限りだな。のんびり出来るぜ」
「私は寂しいよ」
「……来年の話だろ。まだはえーよ」
「ハルちゃん」
「何?」
「大好きだよ」
「……」
「口が悪くてクズで最低でだらしなくて、不真面目だし良いところはちょっとしかない。でもそんなハルちゃんの世話を焼くのが楽しくて嬉しくて、大好き」
立ちのぼる湯気。湯気揺らす風。風に吹かれる俺と日清。広大な露天風呂は今だけは二人だけの空間。熱い湯で体はとろけて、それ以上に心は温かい。
くっつけた背中。いつの間にか手も合わせ、顔を見合わせなくとも二人の距離は今までで一番近くて、何より、心地良かった。
「な、何か言ってよハルちゃん」
「うんこ」
「むー、ムード壊さないでっ」
「俺がそういう奴だって」
「知っているよ」
「だよな」
うん、と呟いて俺らはクスクス笑う。笑って、手を繋いで、いつまでもこの時間が続けばいいとクソスイーツな思いが溢れてこぼれて、心から願ってしまう。
こいつの言う通り、来年には離れ離れになる。二年前はニートになりたいって願いを叶える為に高校には行かず田舎に逃げた俺。
そんな俺を迎えてくれた。一緒にいてくれて、傍にいたいと言ってくれた。それがどれ程ありがたいことか。どれ程救われてきたか。どれ程、何よりも……嬉しいことか。
だったら俺も、自分の気持ちを言うべきだ。
口は悪いしクズだし最低で、素直な気持ちを言うなんてクソ程も似合わない俺だけど、一番近い場所で傍にいてくれるこいつに、伝えたいことがある。
「お前が世話を焼いてくれるから俺はテキトーに過ごせている。お前のおかげだよ」
「ハルちゃんが素直だ~」
「茶化すな。今日くらいは本当の気持ち言わせろよ」
「え、ハルちゃ……っ~!?」
「俺も、お前のことが……」
季節が巡ろうとも変わらず傍に居続ける奴がいた。
事あるごとに世話を焼き、真面目君に矯正させようと躍起になる。そのくせ遊ぶ時は遊び、そして付き合わされた。
周りから何を言われても、俺から悪態を吐かれても、そいつはケロッとした様子でいつも通り優しく微笑む。
ずっと傍にいた。いてくれて、これからも一緒にいると約束した、そいつの名前は……
「よう。久しぶりだな」
桜が咲く四月の上旬。空から注がれる陽光な温かいけれど気温は上がらず、まだまだ寒さを感じる。太陽もっと働けカスが。
入学式。似合いもしないスーツに身を包んだ俺は大学の正門に立つ。風に吹かれて桜の花びらが舞い、歩く人達は鷹揚に手を振って級友と話している。
その中で、風でふわりと流れるサラサラの髪を指ですくい、昔から変わらない笑顔で立っている奴がいる。待ってくれていたのは日清綺羅々。俺の、幼馴染だ。
「また同じ学校だねっ」
「俺の学力じゃ無理な大学とはなんだったのかな~?」
「ハルちゃん受験勉強すごく頑張ったらしいね。月潟さんに聞いたよ」
「ホントあのクソメイドめ……」
「私、一年待った。もう我慢出来ない」
正門を通って大学へと向かう人達に逆らって、そいつは俺の元へ駆け寄る。駆け寄って、両腕を広げて……俺の胸元へ飛び込んできた。
俺も抱きしめ返す。温もりが、想いが、満たされていく。
「待ってくれてサンキューな、キラちゃん」
「また一緒にいられるね、ハルちゃんっ」
抱きしめ合い、互いの温もりを感じて、互いの顔を見て俺らはクスリと笑った。
いつものように、ずっと、いつまでも。