第145話 電車が揺れる、 が触れ合う
夏休み最終日。とうとう、あぁ、とうとう……夏休みが終わってしまう。ロクサスの気分だ。あのゲームいつになったら3出すんだよ。もうストーリー忘れたわ。
最終日、今日は部屋で思う存分ダラダラ過ごしたかったのに俺は街中を歩いている。だっっっるい。なんで俺がこんなことしなくちゃならんのだ。ムカつくわー。
「遅い。何してたのよ」
「公園にいたガキ共にカエル爆竹のやり方を教えていました」
「非道な遊びを教えるな!」
お嬢様がうるさい。声帯引きちぎってやりたい。
事の発端は一時間半前、雨音お嬢様に電話で呼び出しを食らった。お嬢様は珍しく外出、クラスの女子とカラオケしていたらしい。JKっぽいね。夏休み最終日に遊ぶとか充実かっこ笑いですね。
「私を送り届ける任を与えるわ。光栄に思いなさい」
日本語どうした。あと常識も。一人で帰ってこいやー。
いつもの調子に戻ったお嬢様は俺をこき使う。またブチギレてちゃうぞ~? 怒って壁を……あぁ、黒歴史出てきちゃった。恥ずかすぃー。
「本当に火村君来た」
「本当に使用人なんだ」
「本当に一緒に住んでいるんだ」
お嬢様の後ろでクラスの女子数人が顔を寄せ合ってヒソヒソと喋っている。なんか楽しげな雰囲気、キャピキャピしているのが伝わってくる。
「こんなクソお嬢様と遊んでくれてありがとな。帰ったらSNSで悪口書き込んでいいよ」
「誰がクソよ。クソ陽登」
「人様に向かってクソとか言うな死ね」
「アンタが先に言ったんじゃない死ね!」
お嬢様が殴りかかってきたのでガードする。せめてポカポカ殴れ。お前のはバキバキィ!と刃牙が敵殴る時の音だから。
「で、帰るのか?」
「うん、帰る」
「友達にお別れ言えや」
「分かってるわよ。……みんな、バイバイ」
お嬢様はそっぽ向きながらも手元で小さく手を振った。これでも大分コミュ力は向上した方だ。
「また行こうね。楽しかったよ!」
「火村君、雨音ちゃんをよろしくっ」
「左手どうしたの?」
クラスメイトの女子は快く手を振り返す。良い友達だな、お嬢様にはもったいないくらい。あと最後の奴、俺の左手に触れやがったな。この手が治った暁にはまず最初にテメーのスカートをめくってやる。
女子共が見送る中、俺はお嬢様と並んで元来た道を引き返す。夏の終わりとはいえまだ暑く、日差しが鬱陶しい。
「行きは車だったろ。帰りも運転手さん呼べし」
「た、たまには黒山にも休みをあげないといけないの。黒山はもう帰ったわ」
「俺も休暇が欲しいです」
「アンタはいつも休んでいるでしょ」
「そうだった☆ てへぺろ☆」
「ペコちゃんみたいな顔するな。なんかムカつく!」
カラオケ店から徒歩五分で駅に到着。時刻は夕方、仕事終わりのリーマンの姿が目立つ。みんな疲れた顔してますねー。ざまぁ。
「人多いわね」
「帰宅ラッシュの時間帯だな。座れないけど我慢しろよ」
「陽登こそ優先席に座っちゃ駄目よ」
「安心してください。俺くらいのクズになると優先席の前に立ってガードして誰も座らせません。たとえジジイやババアでも」
「本当に最低ね!」
お嬢様に最低と罵られても響かない。木下さんに言われた時は絶命する思いだったんだが。俺はお前じゃ感じないよ。突然の不感症宣言。
それからはお嬢様のカラオケで九十点台取れた自慢を聞き流しているうちに電車がホームへ入ってきた。当然、車内は人がいっぱい。
「痴漢に気をつけてくださいね」
「アンタに気をつけろってこと?」
「公の前で痴漢扱いしないで」
人混みは大嫌いだ。これならタクシー使えば良かったと後悔するも遅く、俺とお嬢様は乗車する。
車内は満員。分かっていたが座れないよな。臭っ、おい誰だ加齢臭するぞ。おっさんの臭いがキモイ。ファブリーズ湿るくらい吹きかけてやりたい。
「陽登狭い」
「我慢しろよ。庶民はいつもこれに乗っているんだぞ」
俺らは車で送迎されているが一般市民は公共機関を使って登校や通勤している。彼らはいつも満員電車の暑苦しさに耐えて外出しているのだ。
うむ、やはり引きこもりが最強。はっきり分かんだね。
「む~」
お嬢様は窮屈そうに声を漏らす。不満げに眉間にシワを寄せている。
あのさ、それでもあなた良い方だからね。入り口の端に立てていて、俺はその前であなたをガードしているから。
「陽登近い」
「じゃあ俺の代わりに他の男が眼前に来るぞ」
「それは死ぬ程嫌だ」
「じゃあ生きような」
背中におっさんの体臭をこすりつけながらもお嬢様をガードする。使用人の鑑である。昇給待ったなし。
……俺がここまで頑張るのには理由がある。お嬢様が痴漢されないよう守っているのだ。性格は壊滅的だが見た目はただの美少女。痴漢されてもおかしくない。
今だってオフショルとかいうエロ過ぎるトップスを着てショートパンツを穿いた夏らしい薄着。クリムゾンに出てくる女キャラみたい。あれって表紙は最高だよね。
で、もう一つはお嬢様がキレることを阻止。こいつのことだ、人混みに揉まれただけで発狂して周りに怒鳴り散らす恐れがある。
つまり俺はお嬢様を守ると同時に一般市民も守っているのだ。辛い。
「おええぇ、人混みキモイわ~」
「陽登近い」
「それしか言えんのかカスの極み乙女」
たまに見かけるよね、彼氏が異様な力強さで他を押しのけて彼女に十分なスペースを空ける光景。彼氏は彼女の為にやっているけど周りしたらウザイやつ。
ああはなりたくないので俺はお嬢様を覆うように立っているだけ。密着してしまうが我慢しろよ。
「……」
「……」
電車が揺れる度に後ろから圧迫される。壁に右手を置いて踏ん張り、お嬢様の前に立つ。
眼前にはお嬢様。距離は近いどころかゼロだ。密着している。ただしお嬢様が胸元で両手をクロスしているので柔らかい感触は味わえない。
「ちっ、両手クロスすんな」
「するわよ。アンタ痴漢するもん」
「だから車内で痴漢とか言うな。俺マジで逮捕されちゃう」
この野郎。俺は加齢臭と暑苦しさに耐えてお前を守っているんだぞ。それを痴漢呼ばわり? おまわりが呼ばれるわ。
「ぎょぎょ?」
電車の大きな揺れに思わず魚君な声が出てしまう。カーブする時は減速しろよ運転士。電車でGOをやり直してこい。今時の子供は知らないゲーム。
急カーブによって他の乗客もバランスを崩す。その影響が俺の背中に。おっさん死ねぇ。召喚士の素質があればテメーの帰路におやじ狩りの高校生集団を召喚してやりたいくらいウザイ。
決めた。満員電車には金輪際乗らない。タクシーを愛用してやる。と確固たるブルジョワな誓いを立てても今は我慢するしかない。やだなぁ。
「近い」
「まだ言ってるんかい」
お嬢様の声が顔に当たる。さっきの揺れで押された俺はさらにお嬢様へと密着して今や互いの吐息が当たるくらいに顔が近い。
「ち、近いから離れなさい」
「無茶ヤムチャ言うな」
「ヤムチャは言ってないわ」
「こうなるんだったらハンバーガーじゃなくてラーメンにんにく特盛りを食べてくれば良かったです」
「私にテロしないで、って途中ハンバーガー食べてきたの!? だから迎えに来るのが遅かったのね!」
口が滑った。はいそうですよ、爆竹の話は嘘で本当は駅前でチキンフィレオ食べていました美味しかったです。
おっさんの加齢臭にも負けない口臭でお嬢様に嫌がらせしたかったなぁ。この反省を次に活かそう。
「最低っ!」
「だから響かねーよ」
「……近い」
「しつこい」
「……どさくさに紛れて、き、キスとかしないでよ」
お嬢様のぎゅっと閉じた唇に目がいく。ピンク色の潤った綺麗な唇に。
超至近距離、なぜか口の中が渇いて心臓の鼓動が加速する。
まさかこの俺が緊張している? あっはっは、そんな馬鹿なことが…………っ、ないない、ありえない。……ありえねーって俺の馬鹿。
「したら許さな……くもないかもしれないけど……」
「……すー、はー」
上を見て大きく深呼吸。路線図を見ながら気持ちを落ち着かせていく。……よし、完了。
「こっちから願い下げだわ。血迷ってもしねーよ」
「な、なんですって」
「俺がファーストキスを捧げる相手は決めてある。そう、いかがわしいお店で働く上玉のお姉さんに捧げてさらには童貞も」
その時、またしても電車が揺れた。先程以上の揺れ、でも手はしっかりと壁を押さえて体勢は崩さない。
踏ん張った、よくやった。己を褒め称えると同時に背中を襲う人混みの重さ。
支えきれず、耐えられず、俺の体は前へと倒れ込んだ。
前へ、前って……そこには、雨音お嬢様の唇が……
え。
嘘だろ。
今のって。
キ……
「……」
「……」
電車は穏やかな揺れに戻る。停車駅が近いのだろうか、座っていた乗客が鞄を持つのが視界の端に映った。
視界の、真ん中、ほぼ全てを覆い尽くすのは、雨音お嬢様。
お嬢様の瞳孔は開き、一点を見つめる。いや、何も見ていないのかもしれない。
お嬢様は固まっていた。そして、俺も。
「え……今の……」
ガタンゴトンのリズムの間を縫って聞こえたのは雨音お嬢様の掠れる声。お嬢様はそっと自身の唇に触れて……
途端に、爆発した。
「な、ななななななななっ!?」
「分かってる、分かっている。冷静になろう。いいか、今のは事故だ。事故なんだ」
「あ、あああああああアンタ今、わ、わた、わたわ、私に……っっっつ~!?」
口が追いついていない。早口で言葉を吐き続けるお嬢様の顔は信じられないくらい真っ赤で大量の熱気を放っている。
お、落ち着け。俺も落ち着くから。いいか、今のは電車が揺れて後ろから押されたことによる事故だ。
だから誰も悪くない。だから……ここで暴れるのはやめてくだ、っ、
「陽登の馬鹿ぁ! わ、私のファースト……あ、あああぁぁ、なんてことしてくれたのよ!」
お嬢様が俺の胸を叩いて吠え叫ぶ。これは暴力ではない。正当な怒りだ。
……あ、あの、その、本当に事故なんだって。ダチョウさんじゃあるまいしキスするなが前フリだと思ったわけじゃ断じてないです。
本当の本当に偶然なんだよ。偶然電車が揺れて、偶然倒れた先にお嬢様の唇が……つっ、駄目だ、忘れろ!
「今のは忘れよう。それがお互いの為だ。な?」
「馬鹿あぁ! この変態! 最低野郎!」
「うわあぁやめろって!」
お嬢様が泣いた。そして叫んだ。
おかげで俺は他の乗客に腕を拘束され、丁度着いた停車駅の駅員に連行されることに。えっ、本当に捕まっちゃったよ!?
ぐあぁ、なんでこんなことにいぃ!?
……俺だって、ファーストだったわ。
「クソが、冤罪だよ冤罪。それでもボクはやってない」
痴漢の疑いで捕まった俺だが、お嬢様が誤解を解いてくれて拘束も解けた。
俺を押さえつけた乗客はペコペコと頭を下げて謝ってくる。当然、俺は牙を剥く。
「テメーらみたいな正義感が強いアピールするクソ男のせいで冤罪が増加しているんだよ。なんですか? 痴漢捕まえて俺カッケーですか? 死ねよくたばれよ慰謝料払えよ加齢臭キツイんだよボケカスアホ包茎ハゲ」
「なんでアンタそんなにサラサラと悪態吐けるのよ」
お嬢様が俺の頭をペシッと叩いて叱る。元を辿ればお前が騒いだのが原因だからな。
クソが、夏休み最終日だってのに嫌な思いした。俺を捕まえた野郎共の靴に一通り唾を吐いて俺とお嬢様は駅から出る。
「もう電車は嫌だ。タクシーで帰ろうぜ」
「うん……」
てことで駅前でタクシーに乗車。運転手が禿げていたので「~に向かってくださいハゲ」と語尾にハゲつける。ストレス発散。
後部座席、俺の隣のお嬢様はチラチラこっちを見てくる。指先を唇に添えて、小さく唸っている。
「……さっきのは忘れようぜ」
「で、でも」
「事故だ事故。ジーコ! ブラジルに大敗したことも忘れろ」
「うぅ……」
がー! 唇を触る仕草やめろ! 俺も思い出すだろうが! 一瞬のうちに感じた湿っぽさと感触がああ。ファック! ファックファック! ジーコファック! ファンの皆さんごめんね。
「間違ってもメイドさんには言うなよ」
「さ、沙耶に?」
「お前とキ……っ、バレたら俺が今日の晩飯抜きにされるから」
最終日に飯抜きとか悲しすぎるだろ。明日から学校という辛い事実を迎えるにあたってこれ以上最悪が重なってたまるか。
「沙耶は……今日いない」
……あ? メイドさんがいない?
「シェフもいないわ。……き、今日は……っっ、私と陽登だけよ」
「……え?」