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第144話 戻ってきた日常

八月の下旬。あと数日で夏休みが終わってしまう。


「あぁ終わる……この世の終わりだ……」


「カーペットの下に潜って嘆いている姿撮りますねー」


カーペットの上から聞こえるカシャと携帯の撮影音。

人の情けない姿を撮る前になぜカーペットに潜り込んでいるのかというツッコミを入れてほしかったです。俺のキチガイアクションに畏怖してほしかった。


「あぁ終わる、嫌だ……悲しい……」


「陽登君、夏休みはいつか終わるものです」


夏休み、それは甘美で幸せな、長くいつまでも味わっていたい至福の時間。

それが終わる、終わってしまう……!


「いつか終わりが来る。分かっていたのに、いざ目の前に迫ると体が竦んで心が震えてしまう。嫌だ、早すぎる、俺はまだ死にたくない……!」


「嘆き過ぎですよー。ちなみに夏休みの宿題はやっていますか?」


「……」


「無言でさらに奥へ潜るのやめましょうー」


現実逃避する俺の上に何かが乗る。恐らくメイドさんが座っているのだろう。よって言葉を厳選する。


「ぐえ、重たい。何これすげー重たい。デブが乗っているみたいだ~」


「……私が乗っているだけなんですけどー」


お、今の声はイライラしていた。重たいと言われて苛立ったんだな。嫌がらせ成功っ。

ちなみに嘘ですよそんなに重たくないです。口に出しては言わないけどな。だってその方が面白いじゃん?


「え、メイドさんが乗っているんですか? メイドさん重たいですよー、ダイエットした方が良いのではー?」


「……ムカつくー」


「これならアサガオの観察みたいに記録すれば良かったなー。◯月×日、メイドさんは野球中継を観ながらお菓子を食べていました。太る一方です、ってね」


カーペットの上から感じる苛立ち、唸り声。ぶはは、怒っているんですかー? 女性に太っていると言ったらあかんって本当だった。ざまー。

さてトドメに年齢のこと言ってやりますか。夏休みが終わる悲しみ、あなたをイジめることで発散させてもらおう。


「私も日記つければ良かったです。◯月×日の朝、陽登君が退職した。だけど夕方には帰ってきた、とね」


「ぐっ……」


追撃する前に反撃された。声だけで分かる、メイドさんがニタァとドSな笑みを浮かべていると。


「そ、その話はなしです。あの後散々謝ったじゃないですか」


「酷いこと言われて私ショックだったなー。陽登君が壁を殴った時は泣きそうだったなー」


「いやホント調子乗ってすみませんでした。壁殴って骨折ったのが一番恥ずかしいんでイジらないでくださいマジお願いします」


俺は土下座する。はたから見ればカーペットがもっこりしているだけだろうけど俺土下座しているんです。

……あの日から三日が経った。退職してその日のうちに取り消して復帰。なんとまあ情けない一日だった。

なんですか俺は? クソ馬鹿ですか? 元に戻って最終的に骨折っただけじゃねーかー!


「陽登君、左手の調子はいかがですか?」


「大丈夫です……」


大丈夫、大丈夫なんで俺の黒歴史イジるのやめてっ。恥ずかしくて体溶けちゃうううううぅぅ。

……これ以上は耐えられないので大人しくカーペットから出ると俺はそそくさと立ち上がる。


「部屋に戻ります。写真はSNSに投稿しないでください」


「左手は大丈夫ですか?」


「まだ言う!? どんだけ俺のハート痛めつけたいの!?」


ああぁぁ黒歴史ぃぃ! PTSD植えつけられていくうぅぅ! やめて、本当やめて!

だ、駄目だ。ここにいたらサディストメイドにボロカスになるまでイジられてしまう。早急に部屋へ避難しなければ。足を引きずってリビングを出る。出るはずだった。

けれど足が止まる。後ろから誰かが抱きついているから。


「……なーんですか?」


恐らく、いや考察するまでもなく後ろの人物はメイドさんだ。背中に当たる感触が日清以上、お嬢様以下、木下さん以下だし。これ言うと逆鱗に触れてさらにイジられるから口には絶対に出さない。


「やたら滅多に女性が男に抱きついたら駄目ですよ。勘違いされまっせ」


なんで俺の周りの女共は簡単に接近してくるんだよ。ボディタッチが多いぞ。


「もっと貞操観念を持ってですね」


「陽登君お帰りなさい」


「……それ三日前も聞きましたよ」


「あの時はお嬢様がいたので。二人きりの時に改めて言おうと思っていたのですー。……陽登君に嫌われたの、かなり辛かったんだから」


声はゼロ距離で背中に当たり、沈む。メイドさんは頭をコツンと当てて俺の服をきゅっと弱く握る。

……まあ、あれだ、子供じみた勝手な言い分を聞かせてメイドさんには色々と気を遣わせたから申し訳なく思っています。あの日はたぶんこの人が一番苦労したことだろう。

この人は全く悪くないのにね。一時の感情で嫌ってしまった自分はアホだ。


「本当にすみませんでした」


「陽登君が帰ってきてくれたので大丈夫。お姉さん嬉しいですっ」


「そう言ってもらえると気が楽になります。てことで離れてくださー」


「んー、もうちょい」


「えー……」


「冗談ですよ。もう満足ですー」


背中から離れていく感触。十分に距離が空いたことを感覚で察して振り返ればメイドさんはいつも通りニコニコと笑っていた。


「……まあ、罪滅ぼしってわけじゃないですが今度また野球観戦に付き合いますよ」


「暑いしダルいからやめときます」


「俺みてーなこと言わないでくださいよ」


「ふふ、私も陽登君に影響されたみたいですー」


「悪影響どーもすいません」


「宿題頑張ってください。私も、頑張りますっ」


両拳を見せてウインクする姿からはやる気が見れて取れた。二十代半ばの女がウインク……む、無茶しやがる。

にしても頑張るって、メイドさんは何を頑張るんだ? あなたいつも仕事やっているじゃん。そして宿題はやるつもり一切ない。


「ま、気が向いたら誘ってください」


「うんっ」


メイドさんに頭を下げてリビングを出る。埃一つないピカピカの廊下、クソ広い屋敷内を歩く。

あーあ、どうして夏休みって終わるんだろうな。夏休みを堪能しているうちに「あ、もうこのまま教育したくない」と堕落する高校が一つくらいあってもいいじゃないか。校長ニート化しろよ。


……にしても、たった一日で退職と復帰を果たすという見事な負け犬っぷりを発揮した俺のダサさたるや……。せめて一週間は粘ろうぜ。一日はさすがに早過ぎる。もやしの賞味期限以下じゃん。

そのくせ問題はまだある。母さんの仕事環境については何も解決していないし、何より問題なのは、


「……あ」


「ん、ああ、お嬢様」


二階に上がる階段でお嬢様と遭遇。毎度のことながら今日も美しいですねー、と心の中で呟く。

お嬢様はこちらを見て、固まる。俺が「あ?」といった顔で見つめ返すと目を泳がせて小さく口をすぼめた。


「陽登、ご、ごきげんよう」


「ごきげん麗しゅー。てゆーかさっき昼飯一緒に食べただろ」


「そ、そうね……うん……うん」


……はあ~。まだこの態度なのね。

あの日からというもの、お嬢様の様子がおかしい。俺に対して余所余所しいのだ。話しかけても返事は曖昧で目を合わせてくれない。その態度がまるで申し訳なさそうに見えて仕方がない。


「あのさ、いつまでそうしているつもり?」


「べ、べべべべ別に普段通りよ?」


いや全く普段通りではありません。普段のテメーなら会えば高飛車な態度で理不尽な物言いをしていただろうが。

なのにこの三日間はそのナリを潜めて超大人しいじゃねーか。こんなの雨音お嬢様じゃない。別人だよ別人格だよ闇遊戯だよ。最後のは違うか。


「はあ~~……別に、俺はもう怒ってねーよ」


とりあえずあの一件は片付いたはず。お前の言う通り俺は帰ってきてやったんだ。それでオッケーだろ。

……だーみだー。お嬢様の顔中に『申し訳ない』と書かれてある。こいつ、俺に遠慮している。

原因は分かっている。お嬢様は俺に気を遣っているのだ。俺に対して酷いことを口走ってしまった罪悪感が拭えていないのだろう。その辺は、ほら、なんてゆーの? フワフワ~と流せばいいじゃん。喧嘩した小学生が翌朝にはそれとなくお互いに謝って仲直りするみたいな感じでさ。


「陽登、その……」


左右に揺れる瞳。パッと目が合えばすぐに逸らしてしまう。何か言いたそうなくせしてハッキリとは言わず口を開いては閉じる。お前は木下さんか。


「私、あの……ごめんなさい……」


頭を下げようとするお嬢様。俺は階段を上り、お嬢様の肩に手を乗せた。お嬢様がビクッと震える。でも俺は引かず、お嬢様の隣に立つ。


「そんなのお前らしくねーぞ」


「うう……」


「本当にもう怒っていない。だから、いつも通りのお前でいてくれよ」


今回の件で反省して言動を控えるとか性格を直すとか、そんなの望んでいない。お前はお前らしく、俺を振り回せばいいんだよ。


「何良い子になろうとしてやがる。高飛車で理不尽でワガママで性格ブスで、自分勝手に命令するクソでカスなお前はどうした。そうじゃないと俺の調子が狂うし、俺は……楽しくない」


「……」


「好き勝手に命令して都合の悪い時は無視して俺を振り回せよ。だってお前は主人で俺は使用人。俺が悪態を吐きながら反抗しながらもお前に付き合う、それが好きなんだ」


逆もあるぞ。俺がクソみたいな言動でお嬢様に嫌がらせして戸惑わせる。そういったやり取りも面白い。

そう、お前と一緒にいると……楽しいんだよ。だからお前がそんなんじゃ張り合いがない。だから、だから、


「俺に遠慮するな。俺はお前の為に戻ってきたんだ。言っただろ、これからもよろしくって」


「陽登……」


「おう」


「……なんで私のお尻触っているの」


肩に乗せていた手は語っているうちに下へとスライドしてお嬢様の乳房を通過してさらに下へ、ハリのお尻へ着地。モチモチしていて撫で心地が最高だ。

お嬢様から、怒りのオーラが溢れ出る。


「そういやお尻を触るのは初めてだったか」


「……陽登」


「いやね、真剣に話している最中にお尻撫でるのってシュールだなと思ったんです。あ、パンツの中に手を入れていいですか? 直に触ってみたい」


「……陽登ぉ!」


お嬢様は俺の右手を掴むと引き剥がし、思いきり噛みついてきた! お嬢様の歯が食い込む! 手の甲に歯型がああぁ!?


「ぐおおおお!? 噛みつくことはないだろ!」


「うるさいうるさい馬鹿陽登! 反省していた私の気も知らないで! しかもアンタ途中む、胸も触ったでしょ!」


「せっかくだしおっぱい経由しないと勿体ないだろうがああぁあぁ!」


「最低な言い分で逆ギレするな!」


お嬢様は歯を剥きだしたまま蹴りを放ってくる。防ぎたくても左手は骨折、右手は噛まれて痛い。ヤバイ、両手使えない。防げない!?


「痛っ、痛いって、蹴りは普通に痛いからやめろ馬鹿っ」


「馬鹿はどっちよ。私のお尻を触ってタダで済むと思わないで。その腕切り落としてやる!」


「タタラ場のエボシみたいな台詞言うんじゃねぇ」


「このクソ馬鹿陽登! もう知らない!」


お嬢様は頬を膨らませて怒り心頭。顔をどす赤くさせてズンズンと大股で階段を下りていき、戻ってきた。そして俺の腹に蹴りを放つ。


「げぼおぉ!? 蹴る為に戻ってきたんかい!」


「ふんっ!」


俺が撃沈したのを見届けてからお嬢様は鼻息荒く一階へと下りていった。階段の途中で倒れ崩れた俺、腹の痛みに悶え苦しむ。

や、やってくれたぜあのクソお嬢様。そりゃ上条さんよろしく語っていた途中でさりげなくセクハラした俺に非があるかもしれないが蹴ることはないだろ。怪我人に足蹴りってひどくない? まぢひどぃょ。


「……ははっ、やっと元に戻りやがって。あれでこそ、雨音お嬢様だよ」


高飛車で理不尽でワガママで性格ブスで、自分勝手に命令するクソでカスで今時流行らない暴力系女子。

それがお嬢様。俺が仕える、俺が一緒にいたい、雨音お嬢様なんだ。


ようやく元通りの関係になれたことに自然と笑みがこぼれる。俺はニヤニヤと笑いながら腹の痛みに悶えていた。見た目ただの歪んだ性癖男であったとさ。

……カーペットの下で土下座、蹴られてニヤニヤ笑う。俺ヤバイ奴だな。まあいいか。どぅふふ。

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