第137話 真実
病院の待合室にはメイドさんがいた。俺に気づいて小走りでこちらへと来る。
「は、陽登君。いいですか、落ち着いて聞いてください」
「俺は冷静ですよ。母さんの容態を教えてください」
「は、はい。まず初めに、命に別状はありません。今は点滴を打って安静にしています」
「分かりました。病室に案内してもらえますか?」
メイドさんの案内で病院の中を歩く。その道中で事の経緯を説明してもらった。
母さんは仕事中に倒れ、この総合病院に運ばれた。過労による体調不調、しばらくは安静する必要があるらしい。
「……陽登君、大丈夫ですか?」
「俺は大丈夫です。ここが母さんの病室ですね」
「は、はい」
コンコン、とノックすれば中から声が聞こえた。静かに扉を開けば、ベッドの横には……天水家の主とその奥さんが座っていた。
「陽登君か……よく来てくれた」
旦那様はすぐに立ち上がると俺の前に立って、深々と頭を下げてきた。
「すまない。全ては私のせいだ」
主が使用人に謝っている。息を吸いこみ溜めるまでもなく、俺は言葉を吐く。
「頭を上げてください。それより母さんは起きていますか?」
「あ、ああ。既に意識はハッキリとしているよ」
「そうですか。失礼します」
旦那様の横を通り過ぎ、奥様の横に並んで母さんを見下ろす。母さんが、そこにいた。腕に点滴をつけて。
……いつもスーツだったから知らなかった。母さん、随分と痩せたな。
母さんは俺の存在に気づくと小さく微笑みを返してくれた。小さくて、弱々しい微笑みで。
「陽登……久しぶりね……」
「そうだな。月並みだが、無事で何よりだ」
「心配かけてごめんね……」
「死ぬことはないんだろ? せっかくだし俺の最近の話でも聞くか?」
「そうね、アンタの働きぶりを聞きたいわ……」
椅子に座って母さんを見つめる。隣にいた奥様は静かに立ち上がると、旦那様とメイドさんと共に病室から出ていった。
残されたのは俺と母さんだけ。俺は口を開く。
「惨めな姿だなクソババア」
「最近の仕事ぶりを聞かせてくれるんじゃなかったの?」
「俺が真面目に働いていると思ってんの? アンタがいたら一日一回は殴られているよ」
「日に一回で済めばいい方ね。偉いわ陽登」
「褒める基準甘すぎるっての」
久しぶりの母さんとの会話。前に会ったのは空港だったか。
目につく細くて白い腕。それは決して健康的なものではなく、衰えた女性の腕。繋がれた点滴は見ていられなかった。
「陽登、元気そうね」
「……自分の心配してろよババア。俺のことなんか、気にかけるな」
「陽登には寂しい思いをさせてきたから……ごめんね、こんな時にしか会えないで。ごめんね、こんな時にだけ母親面して」
「……」
立ち上がって母さんに背を向ける。手を目元に添えたくなるのをぐっと堪えて、上を見て鼻をすする。
社畜乙、働きすぎなんだよクソババア、ざまーみろ。様々な悪態が頭の中に浮かんではすぐに消えた。まるで言いたくないと脳が拒絶しているかのようだった。
……俺の心配しなくていいんだよ。俺は大丈夫なんだから。
自分のことを心配してくれ。アンタまでいなくなったら、俺は……
「母さん」
「何?」
「……無事で、本当に良かった」
それだけ言って俺は病室から出る。後ろから「ありがとう」と掠れた声を聞き届けて、扉を閉めた。
病室の外、廊下に立っているのは三人。メイドさん、奥様、そして旦那様。
「ただの過労なんですね?」
「睡眠不足と栄養失調で貧血を起こしたそうだ。……君の言う通り、過労だ」
「他に病気の疑いは?」
「容態が落ち着いたら検査すると医師がおっしゃっていた。二、三日は入院して様子を見るそうだ」
「分かりました。あとは俺が傍にいるので旦那様と奥様もお休みになってください」
「……陽登君、冷静だね」
感心しているのか、旦那様は独り言のように呟く。
冷静? そうですね、まずは母さんの容態と今後の検査について知りたかったので。
聞き終えた今、もう冷静ではいられない。堪えた手は拳となり、痛いくらいに爪が皮膚に食い込む。
……お前らが、母さんをあんな風にしやがった。
「睡眠不足と栄養失調で母さんは倒れたのにテメーらはピンピンしているんだな」
「は、陽登君落ち着いて」
メイドさんが慌てて俺の肩に手を乗せる。止めないでもらえますか? いつものクソ発言するつもりじゃないの、分かるでしょ。
「私達のせいです。ごめんなさい……」
今度は奥様が謝ってきた。以前とお変わりなく若々しいですね。雨音お嬢様と同じで綺麗な黒髪。
そう、あのクソお嬢様と同じだ。テメーら天水家は、どいつもこいつもクソ野郎だ。
「俺も馬鹿じゃないです。あなた方を責めても無意味だし母さんはそれを望んでいない。これ以上この件について何か言うつもりはありませんよ」
本当はアンタらをぶん殴りたい。でも母さんは俺にそんなことしてほしくないと願っているはず。
それに母さんが倒れたのは母さん自身の責任でもある。俺が文句を言う筋合いもない。
だから我慢する。我慢しなくちゃ……冷静になって、落ち着いて……。
目の前に、俺の敵がいる。俺から家族を奪った奴がいる。
頭に浮かぶ、母さんの姿。痩せ細ってグッタリして、それなのに俺を見て優しく微笑んでくれた。ごめんね、と俺に謝った。
……駄目だ。やっぱり我慢出来ない。
「ずっと、テメーらには聞きたいことがあった」
「は、陽登君、旦那様に向かって失礼な口のきき方は……!」
「いいんだ沙耶。彼の怒りは尤もだ」
尤も? よくもまあ偉そうに言えますね。俺から家族を奪ったクソ野郎が。
「旦那様、知っているよな。俺の親父は六年程前に死んだ。死因は過労死さ」
小さい頃から疑問だったことがある。
俺はいつも一人で両親の帰りを待っていた。待って、帰ってこないで、一人ぼっちの日々が続いた。
でも両親だってたまには帰ってくる。家族三人で過ごしたことは数回あった。俺にとって、かけがえのない時間。幸せなひと時。
だからこそ覚えている。親父の顔は忘れかけても、親父と母さんの会話は覚えているんだ。
親父と母さんは仕事の話をしていた。互いの仕事について愚痴を言ったりするわけではなく、仕事内容について話し合っていた。
「親父が死んで、それでも母さんは働く。まるで誰かの分の仕事をしているかのように」
「っ! 君は……そこまで知って……」
「今まで言わなかった。でも今のアンタの反応で確信したよ。俺の推測は正しかった」
親父と母さんのなり初めとか知らんが、俺が小さい頃から二人とも仕事で忙しかった。金はあったし、二人がそれなりのポストにいることは予想ついた。
そんな社畜の両親はどこで出会ったのか。答えは簡単さ、
「俺の親父も、アンタに仕えていたんだろ」
「え……!?」
メイドさんが息を呑み、旦那様と奥様は静まり返る。
病室の廊下、怒りは増していくばかり。
「……ああ、その通りだ。君の父親、火村さんも私の会社で、私の部下として働いていた」
「親父は火村さんで母さんは火村君って呼び方ですか。ごちゃごちゃしてますね」
「君のお父さんは高校の先輩だった。私の会社に来てくれて、私の為に働いてくれた」
「その結果親父は死んだ。そして今度は母さんが倒れた」
「……」
いつかこんな日が来るとは思っていた。過労で死んだ親父と同じ会社で働く母さんも倒れるのではないか不安だった。
何より、そんな会社の社長の屋敷で働く自分が滑稽でおかしかった。なんてことない、火村家は家族揃って天水家に仕えていたんだ。
本当、笑えてくる。親父が死んだ原因の下で働いていたんだから。
「全部知っていたよ。だけど言わなかった。母さんがいたから」
でも母さんは倒れた。今回は命に別状はないらしいが下手すれば親父と同じように死んでいたかもしれない。夫婦揃って過労死とか笑えないよね。
少なくても、残された俺は絶対に笑えない。絶対に、許せない。
「母さんは働く。親父が死んでも仕事に打ち込み続けた。このままだと母さんは、親父と同じ末路を辿るかもしれない」
「そんなことにはさせない。火村君には十分な休息と無理のないスケジュールを……」
「信用出来ると思ってんの? 親父を殺した、お前の発言が」
「それは……」
「殺したってのは言いすぎでしたね。けどそれに近いでしょ? そして今度は母さんの番だ」
今回は倒れただけで済んで良かった。本当良かったな。母さんが死んでいたら間違いなくテメーらを殺す勢いで殴っていた。
今なお暴れる拳を抑えて俺はクソ野郎を睨みつける。俺を、メイドさんが隣に並んで必死に宥めてくる。
「陽登君、落ち着いて」
「落ち着いていますよ。社会の大変さも知らない十代のクソガキが手を出さないだけで十分に冷静でしょ。分かったら離れてください」
「は、陽登君……」
「母さんを辞めさせる、なんてことは言いません。それは母さんが決めることだからさ。ただ俺はもうアンタらに仕える気にはなれない」
今まで我慢してきた。真実を口にすることはなかった。母さんが働いているから、俺もまぁ少しは働いてやろうと考えた。
でもさ、もう限界だよ。俺の家族を奪おうとする天水家に住んで働くなんて、やりたくない。
「俺は今日限りで天水家の使用人を辞めます。今までお世話になりました」
「陽登君っ、ま、待ってください。辞めるだなんてそんな……」
「メイドさん、今までありがとうございました。母さんの容態が落ち着いたら荷物をまとめに屋敷へ伺います。今日のところはお帰りください」
「で、でも!」
「母さんは安静にする必要があります。騒ぐのはやめてもらえます?」
あなたにはお世話になった。クズな俺の面倒を見てくれて優しく接してくれた。だから頼むから大人しく帰れ。これ以上俺を怒らせるな。
「沙耶、我々は退散しよう。陽登君、すまない……後はよろしく頼む」
「言われなくてもそのつもりですよ」
メイドさんはまだ何か言いたげだったが旦那様と奥様に連れられていった。視界から消えるまで、俺は旦那様と奥様を睨み続けた。
足音も完全に消えて廊下には俺一人だけ。拳を解いて、痺れる手を軽く揺らして盛大な息を吐く。
ふー、我ながら熱くなってしまった。俺もあんな風にキレることって出来たんだなー。新たな一面を知ったわ~。
……辞めてやる。俺が働くなんて、やっぱり間違っていたんだ。
どれだけ頑張ろうが母さんは帰ってこない。それどころか二度と会えなくなるかもしれない。俺が頑張ったところで、何も変わりはしない。
忘れていたのかよ。ダラダラ、ヘラヘラ。そう生きようって決めたのは俺自身だろ。
辞める手続きは明日以降するとして、今は母さんの傍にいよう。
俺はそっと静かに扉を開けて母さんのいる病室の中へと入った。