第135話 最低
お嬢様と日清の歌合戦は二時間以上も続いた。その間他のメンバーは聴くかドリンクを取りに行くのみ。
全力で歌い続けたせいか、お嬢様も日清も疲労してしまってソファーにグッタリと沈み込んでしまった。
「わ、私の勝ちよ」
「違う、私の、方が上、手……」
いやどっちも上手かったよ。口に出して褒めないが心の中では賞賛の拍手を送ってやろう。
隣人部の犬猿の仲の二人みたいな張り合いしやがって。なんで君らは会う度に喧嘩するのやら。なあ芋助。
「これアニメ映像流れないじゃん。テンション上がらんわー」
「僕も歌っていいかな」
「良いでっせ。一緒に歌いましょ」
やっとデンモクとマイクを得た芋助と金堂パイセンは楽しげに歌っている。お前ら意外と仲良しだな。入店前は胸ぐらを掴んで掴まれた間柄には見えないよ。
男二人が電波ソングを歌う中、俺は木下さんとのんびり駄弁る。ねぇ木下さんっ。
「木下さんも何か歌う?」
「ひ、火村君が先に歌っていいよ」
「えー、せっかくだしデュエットで歌おうぜ」
「は、恥ずかしいよぉ」
室内の暗い照明でも木下さんの照れた顔が赤いのが分かる。
なんとなく予想していたが木下さんはカラオケが苦手らしい。コミュ障だから仕方ないね。ならどうして今日来たのかは謎である。もしかして俺がいるから? なんてね。
「陽登に近づくなクソ女……」
「お嬢様は休んでいてくださー」
歌いすぎて体力を消耗したお嬢様の威嚇は弱々しかった。これなら木下さんでも怖がらずに……あ、震えている。
「ご、ごめんなさい」
「あいつのことは気にしなくていいってば」
木下さんをフォローしつつお嬢様にドリンクを渡しつつ日清にのど飴を放り投げる。俺の気遣い力が高い。不本意だが。
集まるのは今日で二回目なのに女子メンバーの仲は一向に発展しない。
やれやれ、普通はもっと仲良しになるものじゃないのか? 一緒に遊ぶにつれて互いを知って最後は下の名前で呼び合う仲になる、そういったラノベみたいな展開。俺がラノベの読みすぎなのかな。
「土方君、この曲は知っているか?」
「このアニメ観てましたよ。歌いますか?」
「是非歌おう」
一方で芋達はカラオケを通じて友好を深めていく。意外な事実、副会長がアニメ好きで芋助と意気投合しているのだ。
雨音お嬢様と日清もあいつらを見習ってほしいぜ。せっかく集まったのだから毛嫌いせずに楽しめばいいのに。と、常日頃から全方向に喧嘩売っている俺が言いまーす。説得力ゼロ。
「この曲を会長に捧げます」
「じゃあ俺はハルに捧げようかな」
「金堂、演奏中止していいよ」
「芋助、人生中止していいよ」
日清と俺はそれぞれに中止を促す。でも男子二人は歌うのをやめない。まぁ楽しいならそれでいいけどさ。ドリンクを手に取りながら画面を見つめる。
……ところで俺はいつになったら歌えるの? メロンソーダで喉を潤わせつつ、みんなが歌う姿を眺めるばかりであった。
「私の勝ちね」
「私です」
その後も体力が戻った途端にお嬢様と日清の歌バトルは再開する。二人が疲れたところを見計らって芋助と金堂先輩が何曲も予約して微笑んでいる。俺と木下さんは猫の可愛さについて討論していた。
「猫って尻尾のつけ根を触るとゴロゴロ鳴くけど急にキレるよな」
「そ、そうなんだ」
「あと猫によっては腹を撫でただけで激昂する奴もいる」
「あ、猫のお腹ってモフモフしているよね」
なんやかんやで各自カラオケをエンジョイ中。俺と木下さんは一回も歌っていないけどなっ。
おいそろそろマイク回せ。中学とニート時代で鍛えた高音ボイス聴かせてやる。みんなが絶対知らない歌を歌って盛り上がれない空間作ってやるよ。
「あ、そろそろ時間かな」
芋助が時計を指差して終了の旨を伝える。
いや俺まだ歌ってないから! カラオケで一度も歌えないってどういうことだよ。スーパー来たのに試食しかしていないみたいじゃん。相変わらず例えが意味不明な陽登きゅん。
「もうそんな時間? じゃあ最後はハルちゃん、一緒に歌おう」
「は? 勝手に決めないでよ」
「お前らいい加減にしろ。俺は木下さんと歌う」
マイクとデンモクを奪い取って木下さんと肩を並べる。さあさあ歌おうぜ。何歌う? 流行りのアイドルとか好き?
「あ、ごめんねハルちゃん。私達ばっかり歌って……」
「気にしてるなら俺にドリンク注いでこい」
「会長、ここは僕が行きます」
副会長が立ち上がると俺に向けて手を出してきた。俺は快くコップを差しだす。ついでにお礼の言葉も添えて。
「ありがとう金堂む先輩。アイスティーにシロップダブルでよろしこ」
「こ、金堂むって言うな!」
「副会長、俺もついて行きますよ」
「そ、そうか。土方君ありがとう」
憤慨する金堂む先輩を芋助が宥めて二人は部屋から出ていく。この三時間で芋助が金堂先輩の扱いに長けていた。あいつ意外と有能?
まあどうでもいい。やっと歌えるんだ。木下さんとデュエットしてキャッキャウフフしたい。待ちに待った選曲をしようと、
「駄目よ。陽登、私と一緒に歌いなさい」
したら俺の真横にピッタリとくっつくのは雨音お嬢様。俺を通り越して奥の木下さんをギロリと睨んでいる。当然、俺の隣からは怯えた悲鳴が聞こえた。
「アンタもドリンク注いできなさい。邪魔よ」
高圧的に命令するお嬢様。たまらず木下さんは息を殺して口をつぐむ……と思ったら意外な返答が返ってきた。
「い、嫌です」
「あ?」
「わ、私、火村君と歌いたいです……っ」
木下さんは震えながらも声を絞り出して雨音お嬢様に抵抗した。顔を俯かせてか弱い声だったけど、はっきりと拒否したのだ。
おお……成長している。嫌なことは嫌と言えるようになっている! しかも木下さんが超苦手としている雨音お嬢様に対して言った。これには俺も感動。
「ふざけないで。陽登と一緒に歌うのは私よ」
だが相手は雨音お嬢様。そんなこと言おうものならさらに威圧的になって命令した。いつか見た不機嫌な黒いオーラを発して舌打ちを連発する。
いやいや……木下さんが頑張って自分の気持ちを言ったんだから、ここはお前が折れろよ。
「天水さん。私達は散々歌ったんだからハルちゃんと木下さんに譲らないと」
日清は常識を弁えて至極まともな説得をする。しかしお嬢様は折れない。それどころか手を伸ばして木下さんからマイクを奪おうとしてきた。
「私が陽登と歌うの」
「い、嫌です。わ、私も……」
「生意気言うなキモイのよ」
「……うぅ」
弱々しくも必死に抵抗する木下さんを、お嬢様が容赦ない罵倒と手で押さえつける。
その間に座る俺、徐々に苛立ってきた。さすがにね、これは言わなくちゃいけない。
「いい加減にしろよクソお嬢様」
お嬢様の腕を掴む。唸れ俺の握力、このクソ女に痛みを与えろ。
「っ、何するのよ」
お嬢様は手を弾くと今度は俺を睨んできた。憤怒が宿る双眸は俺をまっすぐ見て、俺もまっすぐ睨み返す。お嬢様が、少しだけたじろいだ。
「お前はずっと歌っていただろ。最後くらい木下さんに歌わせろ」
「い、嫌よ。私が陽登と歌うの!」
「ここは屋敷の中じゃない。ワガママも大概にしろ」
屋敷では使用人として多少の理不尽さは我慢して聞いてやる。メイドさんや運転手さんも甘やかすだろう。
でも今は違う。不仲にせよ、今は対等な立場の級友や先輩と遊んでいる状況だ。その中でお前一人のワガママが通ると思うな。
「嫌。こいつが歌うのなんて聴きたくない」
「おい。本気でやめろ」
「うるさい!」
お嬢様は聞く耳を持たない。俺やメイドさんに命令するのとは話が違うんだよ。それを分かれ。
「陽登、そいつからマイク奪って。私と歌うわよ」
なんだこいつ。裕福な家庭で甘やかされたとはいえ度が過ぎる。俺がお前の命令なら何でも聞くと思うな。
……さすがに、本気で怒るぞ。
「帰れよ。お前の方がウザイ」
「なんですって……!」
「今すぐ失せろ。日清や木下さんにこれ以上不快な思いさせるな」
「……な、何よ。陽登のくせに……っ、私に逆らうつもり!?」
ああそうだよ。逆らうに決まっているだろ。主人と使用人の主従関係かもしれない。
でもな、ここには俺ら以外の人達もいる。いわば友達がいる状態だ。マナーじゃないにしろ最低限の接し方があるだろうが。お前はそれをまるで分かっていない。自分勝手に行動して周りを不快な思いにさせているんだよ。それ何回言えば分かる。
「……両親に会えなくても、また会えるから大丈夫って言ったお前はどうした。あの時みたいに少しは大人になれって」
「それとこれは別じゃない!」
「同じだ。我慢しろってことだよ。お嬢様、ヘラヘラと笑って過ごそうぜ。お前なら出来る、だから今は我慢してだな……」
「うるさい! 陽登のくせにうるさい! 私に命令するな!」
机を叩き、コップが倒れる。喧々しながらも良い雰囲気になっていた場に嫌な空気が流れる。
お嬢様は立ち上がると俺を見下ろしていた。その目は、自分の思い通りにいかずに不貞腐れる子供と同じ目だった。
「お、落ち着けって。お前の両親だって同じこと言うと思うぞ」
「うるさいうるさい! アンタに何が分かるのよ!」
暴れて、罵って、お嬢様が、大声で叫ぶ。
「パパとママのことを分かったように言うな! アンタは片親のくせに!」
パシン!
響き渡る、頬をぶつ音。空気が、止まった。
「最低だよ、天水さん」
突然のことに俺は固まって動けずにいた。向かいの席の日清も座ったまま目を見開いている。
暴れて叫んでいた雨音お嬢様もピタリと立ち竦む。ゆっくりと、追いつかない理解の中で、自分の頬を触る。
お嬢様をビンタしたのは……木下さんだった。
「私を嫌うのは仕方ないと思う。でもね、火村君のことを悪く言うのはやめて」
木下さんは、怒っていた。今まで見たことのない、力強い眼差しと剣幕でお嬢様を見つめて声を荒げる。
「今自分が何を言ったか分かる? 火村君に酷いこと言ったんだよ? 火村君を傷つけたんだよ!?」
「わ、私は……」
「謝って。私のことはどうでもいいから、火村君に謝って!」
木下さんが怒る。いつもおどおどして俯いてばかりの木下さんが、お嬢様を叱りつけている。
その光景に度肝を抜かれた。あまりの衝撃に脳も体も未だに硬直したまま、俺は口をパクパクさせて息を呑むばかりだった。
え、き、木下さん? 木下さんだよね? そんな大きな声、今まで聞いたことないぞ!?
「天水さんの為に火村君が大変な思いをしているのが分からないの? 天水さんの味方で親身に接してくれる大切な人に酷いことを言って……最低! 天水さんの、クソボケ!」
「な、何よ……わ、私が……っ」
ビンタされて完全にストップ状態だったお嬢様も次第に口を開く。でも言葉は続かず、木下さんの剣幕に圧倒されて先程のような態度には戻らない。
お嬢様は黙って唇噛みしめ、目に涙を浮かべる。
「っ、何よ! どいつもこいつも! 私の陽登なのに、私だけの……全員消えろ!」
目をぎゅっと閉じる。涙が滴となって流れ、俺のすぐそばに落ちた。
赤い頬と赤い目、お嬢様は逃げるように部屋から飛び出るとそのまま走り去ってしまった。
残されたのは俺と日清と木下さん。俺は何も言えず、木下さんは肩で息をして扉を見つめて、日清が静かに口を開いた。
「木下さんがしなかったら私が殴っていたよ」
日清は澄ました顔でそう呟くと倒れたコップを拾ってテーブルに置く。殴っていたって……いやいや、お前も殴るつもりだったのかよっ。
いやいや、そっちは問題じゃない。大問題なのはこっち、木下さんだ。俺は慌てて立ち上がって木下さんの肩に手を乗せる。
「だ、大丈夫か?」
「私は平気。……ごめんね、関係ない私が怒鳴っちゃって……」
「そんなことないわよ木下さん。天水さんがハルちゃんに酷いこと言ったのだから。さっきのビンタ、素晴らしい一撃だったよ」
日清の言う通り、木下さんのビンタは……うん、強烈だった。
突然の出来事でちゃんと見れたわけじゃないが、木下さんが立ち上がってお嬢様目がけてフルスイングのビンタをお見舞いしたのは視認した。パシン!って音が室内に反響してたよ。ドラマ以上のビンタでした。
「私はいいの。それより、火村君は……」
「ハルちゃん、大丈夫……?」
木下さんが俺を見つめ、日清も心配そうに俺の傍に近寄る。
うーん、片親ねぇ。……久しぶりに言われた。中学時代は俺に反撃するワードとしてよく言われていたっけ。
散々言われて慣れたつもりだったが、久しぶりに言われたら……柄にもなく動揺してしまった。
「ひ、火村君」
「ハルちゃん……」
「……ぶはは、大丈夫だっての。俺を誰だと思ってやがる、天下のクソニート火村陽登だぞ」
ダラダラ、ヘラヘラ。それが俺の心情。だから俺はニヤッと笑ってみせる。強がりや笑みでもニッコリ笑顔でもない、俺なりのニヤニヤと小馬鹿にした微笑を浮かべてみせる。
頬が震えている。けど無理矢理抑え込む。
「他人に散々嫌なこと言ってきたんだ。自分が言われたって平気だよ。だから、心配するなよ」
悲痛げな目で俺を見つめる木下さんの頭を撫でる。ナデナデ、ほらほら撫でまくってやる。シリアスなシーンでセクハラ行為してやるぜ~。
「ハルちゃん、無理しないで……」
後ろからキラちゃんが俺の頭を撫でる。そっと撫でて、微かに泣く声が聞こえた。まるで俺の代わりに泣いてくれるかのように日清の声が背中に当たる。
……お前は騙せないか。そりゃいつも隣にいたからな。さすが幼馴染、機微たる変化も見逃さないってか? ……これだから、お前は……。
「おいハル、今そこで天水しゃんが泣きながら走っていたけど何が……何があったの?」
「会長ぉ!? 泣かれておられるのですか!? うわあああぁぁ!?」
芋助と金堂先輩が戻ってきた。あぁ、お前ら良いタイミングでドリンク注ぎに行っていたな。さっきまでとんでもないシリアスムードだったぞ。今もだけど。
発狂する金堂先輩を落ち着かせ、キラちゃんをなんとか座らせて俺は一息ついた。
もう大丈夫、なんかアホ男子二人の姿を見ていたら落ち着いたわ。お前らに助けられるとはな。
その後、俺と木下さんが一曲歌ってカラオケは終了した。
お嬢様は……そのまま帰ってこなかった。