第107話 日清綺羅々VS天水雨音
昼休みの開始を告げるチャイムと同時に教室を飛び出して食堂や売店へ急ぐクラスメイト達をよそに俺は机に突っ伏す。
だりーよー。午前の授業だけで疲れ果てた。気力が底尽きるのに、昨日渡された課題プリントを思い出して余計に気が重たくなる。今日までだっけ? 何も手をつけてないよ終わらねーよ。でも終わらせなくてはないらない。終わらせないとだ。オワラセナイト~。
歌っている場合じゃない。そろそろ課題を始めるか。机の奥からプリントを引っ張り出し、紙のシワを広げる。
「陽登。ご飯食べるわよ」
プリントの上に置かれる弁当箱。視線を上へ持っていけば雨音お嬢様が顎を引いて俺を見下ろす形で立っていた。今日も偉そうな態度。キレキレですね。キレ4。
「今日はクラスの女共と食わねーのか?」
「この私が一緒に食べてあげるのよ。陽登はありがたく感謝すればいいの」
キレッキレですね。剃刀カーブぐらいキレてるよ。ミスフル懐かしいよね。
この私と一緒に過ごせる幸せにひれ伏しなさい、そう言いたいんですかそうですか死ね。俺の前に立つ雨音お嬢様の傲慢な態度に拍車がかかる。女帝ハンコック並みに見下ろしているよ。俺ジャンプ好きだな。
「ほら早くして。私を待たせないで」
こういう風に言われっと腹が立つんだよねー。少し前の俺なら反論して拒否コマンドを連打していたが慣れというものは恐ろしい。嫌がったところでお嬢様は折れないし結果は揺るがないし言い合っても無駄なことは存分に理解してる。俺は黙って弁当箱を取り出して包みを開く。へーへー食べましょうかー。
「今日も俺らの弁当は豪華ですね」
「当然でしょ。私はお金持ちなのだから」
両親は他界し、バイトで学費と生活費を稼ぎながら学校に通う健気な青年。もし俺がそんな主人公で今の台詞を聞いたら全力でボディーブローを放っている。
この馬鹿お嬢様はよくもまぁ人をイラつかせる発言をポンポンと出せるものだ。クラスの女子達はいつもこれを聞いているのかな。だとしたら可哀想&申し訳ない&こいつぶっ飛ばしていいよ、と思う。ガチでイジメていい。トイレの個室に閉じ込めて上からバケツの水ぶっかけるとかさ。何それライフ? あのドラマ本当にえげつない。
「クソお嬢様に感謝はしたくないですが弁当作ってくれるシェフには感謝です。いただきます」
「アンタも大概ね。いただきます」
お嬢様と二人向かい合いそれぞれ手を合わせていただきますを口にする。次に口にするのはどのおかずかな、その時、
「ハルちゃん」
誰かが俺の肩を叩く。優しい叩き方と穏やかな口調。
俺の横に立っていたのは日清綺羅々。この学校の生徒会長がいた。
「……おん」
「変な挨拶ね。ビックリしたの?」
何がおかしいのかクスクスと笑う日清。何がおかしい。おい、何がおかしい。もう一度言おう、何がおかしい。心の中で何度も呟いたが声には出さない。面倒くさいから。
だってそうだろ。どうして生徒会長のお前がここにいるんだ。聞くことすら面倒くさいよ。
「また来ちゃった」
大人びた風貌と凛然とした雰囲気を醸す。だけど俺に向ける顔はどこか幼く無垢な笑み。
お前ってさ、普段は会長職を立派に全うする真面目な奴なんだろ? だから周りの奴らは二日連続で来た日清をチラチラ見つめる。羨望と好意的な視線が俺の傍を通過していくのが分かる。
だから謎だ。日清よ、なぜ来た。
「一緒にお昼食べよ」
見透かしたかのように答える日清の手には小さな包み箱。OLが「私ダイエット中なの~」とアピールして周りに見せる時の弁当箱のように小さくて可愛らしいお弁当。お前それで足りるの? つーか、
「なんで俺がお前と一緒に食わんといけんのじゃボケ」
こうなるよな。変な方言だったが言いたいことは言えた。
「一緒に食べたいの。幼馴染だもん」
だもん、じゃねーよ。語尾にそれつければ可愛くなると思ったら大間違いたぞ。個性出す為にキャラを作るアイドル並みに薄ら寒い。
「そこら中にお前を慕う奴がいるよ。下級生と談笑したいならそっちへ行ったらどうですか先輩」
「む。また先輩扱いする……」
不満げに眉をひそめる表情は昨日見た。
「あざとい顔すんな。俺がお前と同席する理由がないんだよ」
「理由なんていらないでしょ。それにハルちゃん、嫌とか駄目とは言わないんだね」
「……」
円滑にレシーブが返せなかった自分がいる。いやいやー、嫌に決まっているでしょ。お前といると調子狂うんだよ。
昨日は思わずあだ名で呼んでしまったがもうそんなミスはしない。俺は日清に向かって一言を、
「待ちなさいよ」
日清が空いている椅子に座ろうとして俺は反論しようとしたその時、お嬢様が口を開いた。
俺と日清、二人の視線はお嬢様の方へ。あ、なんか胸騒ぎがする。
「アンタ、陽登の幼馴染なんでしょ」
「はい。……あなたは?」
「私はね……ふふっ」
ここでお嬢様が得意げに笑う。胸に手を当てて威張る姿は勝ち誇っているように見えた。
「私は陽登の主なのよ。陽登は私に仕える使用人なの」
「……はい?」
怪訝な面持ちで日清が首をかしげる。クールで大人びたこいつにしては珍しく、見事なまでに驚いていた。
いやこればかりは日清も困惑して当然か。
「……ハルちゃん、どういうこと?」
「説明だりーな……話すと長いから省くが、俺は今こいつの屋敷で働いているんだわ」
「は、ハルちゃんが、働いている……!?」
なんでさっき以上に驚愕してんだよ。そんなに俺が労働していることが意外か。うん意外だね。
と、日清が俺に詰め寄ってきた。その姿は明らかに狼狽していた。
「え、ハルちゃんが働いて……でも、高校に通っているでしょ?」
……言わなくちゃいけないのん? これ言うとまた周りから引かれるから嫌なんだけどー……まぁいいか、もう気にしないでおこう。
「俺は中学卒業後にニートしていたが母親に捕まった。母親が秘書をしている社長の屋敷で働く&高校入学を強制されたんだよ。これでオーケー?」
「……なんとなく分かった」
日清は引いていた。お前でも引くんだね。てことは周りはドン引きだよねほーら周りから哀れな視線がやってきたよ~。俺は立ち上がる。
「なんだテメェらあぁん? 俺が一つ年上のクズだからってテメェらに関係あんのかこっち見てんじゃねぇニート菌うつすぞオラ」
唾を吐き散らして威嚇したらクラスメイト達は慌てて自分らの席に戻っていった。逃げ遅れた芋助の背中に特大の唾がヒットしたのが面白かったです。
「こらハルちゃん、汚いからやめなさい」
引いていたはずの日清はハンカチを取り出すと……なんと、俺の口を拭いてきた。な、何してんの?
「やめろ馬鹿」
「動かないで。もうっ、いつまで経ってもだらしないのね」
日清は少し呆れながらもクスクスと笑って俺の口元にハンカチを添える。まるで出来の悪い弟の面倒を見る姉みたいな、または母親のような慈愛に満ちた瞳が俺を捉えて離さない。
「はい、綺麗になった」
「……そのハンカチ寄越せ。洗って返す」
「別にいいよ。ハルちゃんのだから」
いやどう考えても汚いだろ。ニート菌がたっぷり染み込んでいるぞ。俺の菌を舐めるなよ。
常人の体に侵入してやる気を削いでいき、駄目人間へと退化させてしまう、そうなる前に菌がダラダラとサボって消滅するぞ。あらやだそれって無害なんじゃ、うおっと!?
「ちょっと……何してんのよ」
俺を押しのけてきたのは雨音お嬢様。イライラと自分の髪を指で巻いて、小さく歯ぎしりしている。
あれ……なんか、黒いオーラが出てるような……。
「あら、私はハルちゃんの幼馴染なのでハルちゃんの世話をしないといけないの」
「はあ? 話聞いてた? 今の陽登は私の使用人なの」
「随分と生意気な主人なのね。ハルちゃんが可哀想」
「あ? なんですって?」
えー、実況はワタクシ火村陽登でお送りします。現在、日清とお嬢様は睨み合っており、互いの間では激しく火花が散っています。
……な、なんだこれは。どうしてこの二人は対峙してるのん? なんで俺はちょっと気まずいのん?
「陽登は私の使用人なの。人の所有物に勝手に触らないでよ」
「私の大切な幼馴染をもの扱いしないで」
「さっきから幼馴染幼馴染……それが何よ。関係ないでしょ」
「関係あるわ。だらしないハルちゃんを更生させるのは私の使命。そちらこそハルちゃんに酷いことしないでね」
「な、なんですってぇ……!」
えー、解説はワタクシ火村陽登でお送りします。両者火花を散らしたまま罵り合っております。なぜこのようなことになっているかと言いますと、全然分からん……。
こいつら初対面だよな? なぜいがみ合っているんだよ……。
「大体なんでここに来たのよ」
「ハルちゃんと一緒にご飯食べるため」
「残念でしたぁ、陽登は私と一緒に食べるの。アンタは出てけ」
「駄目。ハルちゃんは私と食べる」
「はあ? 私と食べるの!」
「ハルちゃん」
「陽登!」
「「こいつに言ってやって」」
えぇ……。マジでなんだよこの状況。ラノベ風に説明すれば、幼馴染とお嬢様に詰め寄られるハーレム主人公みたいじゃないか。俺っていつの間に主人公になったの。ニート、使用人、主人公と進化しているのか? ナックラーからフライゴンに進化したぐらいビックリ。あの変態は予想出来なかった幼少の頃。
「ハルちゃん」
「陽登早く!」
「えー……んなこと言われても……そうですね、雨音お嬢様」
名前を呼ぶとお嬢様は勝ち誇ったように拳を握りしめる。そして日清を見てドヤ顔していた。
「ふふっ、やっぱり陽登は私と食べたいんでしょ仕方ないわねぇ」
「いや違くて。最近喋り方が俺に似てきましたよ。お嬢様なんだから汚い口調はやめてくださいねアホ」
「……」
「それと日清先輩、あなたと一緒にランチするつもりはありませーん。さっさと自分の教室か生徒会室に戻ってください先生に言いつけますよ」
俺は弁当を持つと教室から出ていこうと走る。後ろから二人が追ってきたり、クラスメイト達が邪魔で廊下に出れない。こういう時は、
「ついて来るな! 邪魔だ! 唾飛ばすぞぉ!」
そこら中に唾を吐き散らす。クラスメイトが悲鳴を上げて逃げていき、道が開く。俺は唾を出し続けながら廊下を疾走していった。
「……や、やっぱりハルは頭おかしいな」