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海の花

海の花と火薬屋テオル

作者: マビ



 人魚からだってラブレターをもらったことのある男前、ヴァーデリーゼ=テオルはしまりの無い顔で手配書を眺めていた。

「――――――はぁ。」

 悩ましげなため息に、部下はにやにや笑う。彼らが尊敬する頭領―――『海賊』ヴァーデリーゼ商会顔役のテオルは、今や恋の虜であった。


 テオルが眺めている手配書の人物は、【海の花】。テオルと同じく、海賊にも商船にも相手を問わず物資を売ることから海軍に『海賊』とカテゴリされた、海上の商売人である。

 ―――とはいってもテオルが売るのは火薬、【海の花】が売るのは食料や水などその船がほんとうに必要としているものだ。その上、根っからの商売人であるテオルとは違って【海の花】は困窮した船からは金銭を受け取らないのだという。したがって彼女の手配書はすぐに回収され、もう二度と手に入らない。

 手配書に写る【海の花】は優しく微笑み、ラプラスの頬を撫でている。


「――――――はぁ。」


 『海賊』ヴァーデリーゼ商会の頭領にして顔役、【火薬屋】ヴァーデリーゼ=テオルは、【海の花】に一目惚れをしたのだ。――――――手配書越しに。





「……ララベル?」

 

 この海で【海の花】と呼ばれるコトコの舟、ムーンリーフ号は小柄の海獣、ラプラスが轢く小さな舟だ。コトコ自身には大した航海術は無く、航海についてはララベル任せであった。コトコが航海術を学ばないのは油断や慢心からではなく、心の底からララベルのことを信じていたからである。


「ねぇ、ララベル。ぶつかっちゃうよ。」


 大きな帆船を避けようともしないララベルに声をかければ、そんな心配は無用だとでも言うように「ララァ」と返事が返ってくる。意味が分からないがララベルが大丈夫だと言うのなら大丈夫なのだろうとコトコは甲板に出したハンモックに腰掛けて、事態を見守ることにした。


 ―――すると、何やら慌ただしく騒ぐ帆船から小舟が一台放り出されるように落ちてきて、それを追うように人影が。その人は小舟に降り立つのも待っていられないというように小舟を足台に跳躍すると、コトコのムーンリーフ号に飛び移ってきた。

 驚くコトコの顔を見上げた青年は片膝をついたまま固まり、その顔を真っ赤に染めた。ひとつにくくった黒い髪に、黒い瞳。コトコはその顔には見覚えがあった。指名手配されている、『海賊』だ。


「―――おれぁ、ヴァーデリーゼ商会のモンだ。【海の花】とお見受けするが?」


 すっと立ち上がった青年の顔は少し赤みがさしたままだが、ヴァーデリーゼ商会の顔役は男前という評判は本当だったらしい。整った顔立ちは確かに格好いいし、どこか親近感を抱かせる。確かにモテそうだ。コトコは少しだけ緊張しながら、愛想よく答えた。


「はい。【海の花】と呼ばれています、ホンダ=コトコです。あなたはもしかして、ヴァーデリーゼ商会顔役のヴァーデリーゼ=テオルさんではありませんか?新聞で拝見しましたよ。」


 テオルは名前を知っていてもらえたことに内心「いよっしゃあぁぁああああ!」と歓喜しながら、優しく微笑んだ。ヴァーデリーゼ=テオルという男は内と外のテンションの差が激しい男である。


「あのう。それで、どうして私の舟に?」

「あぁ、いや、あなたが見えたと部下が言うモンで、……もし、もしも、行く方向が同じであれば、どうですか。ヴァーデリーゼ商会自慢の『火薬庫』に乗っていきやしませんか。」

「え、でも、」

 そんなご迷惑を初対面の方に、と言い淀むコトコにテオルは畳み掛ける。


「おれぁ、あなたのファンなんです。『火薬庫』にはああ見えてプールもありますからあなたのラプラスにも休んでもらえますし、ムーンリーフ号も格納できます。商売人としてのお話もお聞かせ願いてぇ。……どうですか?」


 緊張した面持ちのテオルを見て、ララベルが優しく鳴いた。ララベルが敵対心を持たないということはきっとこの人は親切心から物を言っているのだろうとコトコは微笑み、頷いた。


「では、お言葉にあまえて。」

「光栄です、【海の花】。どうかおれのことぁテオ、と呼んでやってください。」

「えぇと、じゃあ、テオ。どうぞよろしくお願いします。」


 照れたようにはにかむコトコに、テオルはハートを射抜かれた。ずっきゅうううん。もう心臓でも内蔵でも持って行ってくれという気持ちをぎゅっと押し込めて、コトコの手を取る。


「豪華客船にも劣らぬヴァーデリーゼ商会自慢の大型帆船、『火薬庫』での旅をお楽しみください、お嬢サン。」


(うわあぁああああ【海の花】の手めっちゃやわらけええぇぇええええ!)








「やりましたねボス!」

「さぁっすが俺らの上司!」

「いよっ!ヴァーデリーゼ商会の顔役!」

「止せよお前ら、そんなに褒めるなって。」

 賓客を扉の隙間から覗き込む部下たちは揃って上司を褒めそやした。それに照れてれと頬を染める上司を尻目に、ぼうっと少女を見つめる視線がひとつ。

「かわいいなぁ、【海の花】……。」

「オイこら!あんまりお嬢さんをジロジロ見るんじゃねぇ!」

 途端に般若の表情で部下を追い払おうとし始める上司に、「かわいいなぁ」と呟いた部下は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。それでもまだ残って【海の花】を遠目に眺める男たちを、テオルは室内に聞こえない程度の大きさで叱りつける。

「持ち場に戻れテメェら!」

「いや、ここが持ち場なんスけど。」

「じゃあここはおれに任せて他に行け!」


 馬鹿だ、この人。部下たちは顔を笑いに歪ませながら「「了解しました、ボス。」」と下がったが、遠く離れた場所で爆笑した。

「いやぁ、上手いこと仕事がサボれたなぁ。」

「酒でも飲むか。」

「おっ、いいな。【海の花】に乾杯といこうか!」


 陽気な男たちはどやどやと立ち去ったが、テオルは緊張した面持ちですぅ、はぁ、と深呼吸を繰り返した。


 この扉の向こう側には、【海の花】が居る。

 【海の花】が、俺の船で、俺の誘いで、俺のテーブルに着いて、俺を待っている。

 ・・・・・・。


 うわぁああああああああああやっべぇええええええええええ!


 テオルはひとしきりテンパった後、どうにでもなれ、と扉を大きく開いて部屋に乗り込んだ。

 







「それでさぁ、その時の海賊どもの顔ったら酷いもんでねぇ。俺はどうなることかと。」

「それで、どうなったんですか?」

「すったもんだあってイチャモン付けて来たから、そのまま撃ち合いになっちまったよ。」


 けらけら笑う男の話をコトコはうんうん頷きながら柔らかい表情で聞いている。男の―――ルーデリーゼの話を。テオルは早歩きに近寄って怒鳴った。


「持ち場に戻れルーデリーゼー!」

「嫌だなぁ。ボス。俺の持ち場はここですよ。何しろ俺ぁあんたの秘書ですからね。」


 さらっと受け流すルーデリーゼは「あんたがお嬢を放ってあっちに行っちまうから俺がお茶と菓子をお出してお相手させていただいてたんだろうが。」とバリンボリン煎餅を食べながら茶をずずっとすすって横目でテオルを見てにやりと笑う。この野郎、楽しんでやがる……!テオルは唇を噛み締める。ガッタンと椅子から立ち上がったルーデリーゼはテオルの肩を抱いて小声で話す。


「大体なぁ、落ち着いて考えてみろって、テオル。お前、お嬢と二人っきりになって大丈夫なのかよ?」

「は、……?」

「まともに話できんの?」

「…………。」

 意地悪く聞くルーデリーゼに、テオルは黙りこむ。勢いで出てきたのは良いが、海の花が同じ部屋に居ると考えただけで心臓は高鳴りこの胸から飛び出して行きそうだ。

「俺はお嬢と結構話が合うみたいだけど、どうする?」

 ルーデリーゼというテオルのひとつ年上の秘書は、確かに話術に長けている。テオルだって話下手な訳じゃないが、相手が海の花となれば話は別だ。

「………………三人分の茶を頼む。」

「あいよ、おとっときの玉露いれてくるからな。」


 にっこりと笑ったルーデリーゼはくるりと振り向くと「じゃあお嬢、お茶のおかわりもって来させていただきますんで。」と手際よくコトコの湯飲みを奪うと給湯室に下がっていった。


「―――あー、その、お嬢さん。騒がしい奴だったろう。お疲れのところすまねぇな。」

「いいえ。とても楽しいお話を聞かせていただきましたよ。」


 【海の花】は手配書と同じように優しく笑う。テオルは気が気ではない。おい、目の前に居ンのはホンモノだぞ。海の花。かわいい。






「それで、お嬢さんは、」

「あの、テオ。わたしのことは、どうぞコトコと。」

「こっ、ここここ、」

 声のひっくり返ったテオにすかさずルーデリーゼのツッコミが入る。

「ニワトリか。」

「こ、コトコさん!」

「はい、テオ。」

 にこにこしているコトコに、テオルはきゅーーーんと胸が締め付けられるようだった。


 この人の手配書には、【海の花】としか書かれていない。

 この人にこの海で出会って、名前を呼ぶことを許された。それだけでテオルは天まで舞い上がって雲の上まで行ってしまいそうなくらい気持ちが明るくなった。


「コトコさん。」

「はい、テオ。」

「…………コトコさん!」

「は、はい。」

 何でしょう?と首を傾げる仕草に目眩がして、テオルは危うく椅子から落ちそうだった。

「…………すまねぇな、お嬢さん。うちのボスはちょっと変わった奴なんだ。」

「いえ、そんな。噂に違わず格好いいですよ。」


 う、海の花に褒められた!と衝撃を受け背景に電撃を走らせるテオルを横目にチラっと、ルーデリーゼはため息を吐いた。こうやって偶然出会って船に誘うまでは良かったものの、その後がダメダメだ。こりゃあどうやら時間がかかりそうだと、ルーデリーゼはボスのみっともない背中を叩いてやりたくなった。


「それで、お嬢さんは、どうして海の商売人に?」

 ルーデリーゼはテオルの恋路はとりあえず放っておいて、可憐な少女の生い立ちに興味を持った。コトコという少女はおっとりしていて物腰柔らか、とても1人で海に出るようなおてんばには見えない。

 コトコは柔らかく笑ったが、一瞬その瞳に影が射したのをテオルは見逃さなかった。

「すまねぇ、コトコさん。俺の部下が不躾な質問をしました。」

「いえ、違うんです。―――――わたしは、兄と弟を探しているんです。」

「…………兄弟を?」

「えぇ。あの、信じて頂けないかもしれないんですが、わたしと兄と弟は、いわゆる『はぐれもの』でして。」


 はぐれもの。


 テオルとルーデリーゼは顔を見合わせた。

 『はぐれもの』というのは、この世界に起きる怪奇現象の1つだ。

 世界の裂け目とも言える歪みから、時折人や物が落ちてくる。それらを総称する言葉が、『はぐれもの』。


「こちらに来た時は一緒だったんですが、裂け目から落ちて来る時に、わたしは南の海のラプラスの群れにの所に。兄は東に、弟は西に、それぞれ飛ばされてしまったんです。」

「……………それからずっと、あのラプラスと一緒に?」

「えぇ、あの子と旅をしています。商売をしているのは、成り行きで。」


 テオルはコトコの不運を思った。後ろ盾をする人も無く、世界のことも何も分からず、頼れるのはラプラスだけ。


 ずっと、たった、ひとりで。


「――――――――――あなたのお兄さんと弟さん、おれも一緒に探させてくれよ。」

「………え?」

「おれぁ、あなたの力になりたいんです。【海の花】ホンダ=コトコさん。おれぁあなたの商売の姿勢に惚れ込んでるんだ。なぁ、おれにも手伝わせちゃあくれませんか。」

「………そんなこと、お願いできません。商売って言っても、わたしはあなた方のようにキチンと本業にしている訳では有りませんし。」

「いや、それに関しちゃ心配無いぜ、お嬢さん。俺たちヴァーデリーゼ商会はあんたに火薬を売らせるつもりはねぇ。なぁ、ボス。」

「勿論だ。コトコさん、おれぁあなたの手伝いがしたいんです。あなたは今まで通り商売をしてくれればそれでいい。あなたはここに居れば自分であれこれしなくったって、いろんな街に向かうことができる。俺たちヴァーデリーゼ商会のツテだって使える。こいつぁおれからの申し出だが、―――取引きだ。」

「――――――取引き。」

 テオルの言葉に、コトコの瞳が鋭くなる。――――あぁ、商売人の顔だ。テオルはコトコの凛とした表情に背筋がぞくりとするのを感じながら、余裕げに笑ってみせた。

「【海の花】がヴァーデリーゼの船に乗っているとなれば、その噂は瞬く間に広がるでしょう。海賊に一度指定されて取り消される例ってぇのはそう良く有る事じゃない。つまり、おれたちにとっちゃぁあなたが居てくれるだけで良い広告塔になるんですよ。あなたは、居るだけでいい。ここに居てくれるだけでいい。」

「その場合、ララベルはどうするんですか。」

「もちろん、大歓迎です。ラプラスってぇのは希少種でおとなしいが、いざって時は自分の身を守れるくらい強いんでしょう。実際あなたはあのラプラスに守られてきたはずだ。おれからの条件はひとつだけですよ。あなたがこの船に乗っていてくれさえすればいい。」

「えぇ、それは、そうだけど。――――――どうしてそこまで良くしてくれるんですか。」

 困り果てた表情で、コトコはそう問うた。もう商売人はどこにもいなくて、困った女の子が1人だけ。

「言ったでしょう。おれぁ、あなたに惚れてるんですよ。」


 朗らかに笑ったテオルに、コトコは顔を真っ赤にした。


 直ぐ様テオルは言葉が足りなかったことに気がついて、あわあわと言葉を重ねた。


「いや、あの、ちが――――くもないんですけど、おれぁ、商売人としてのコトコさんに、って話をですね――――――なぁに笑ってやがるルーデリーゼ!!!!!!」


 照れ隠しに怒鳴りつけるテオルがおかしくて、ルーデリーゼはとうとう耐え切れず爆笑した。


「くっ・・・ははは、あははは!ははは!お、おまっ、お前ってやつは、げほっげほっ、」

「おい、こら、ルーデリーゼ!!!!!!」


 げらげら笑うルーデリーゼがうっかり勢いでコトコの肩なんかを叩いたもんだから、テオルはそれに大激怒してルーデリーゼを部屋から締め出した。

 そうして振り返って、真っ赤になったコトコとふたりきりになったことを悟る。


「――――いや、その、違くてだな。、じゃなくて、違くてですね。」

「…………あ、あの、」


 ガタン!と立ち上がったコトコの懐から何かがひらりと飛び出して、それは風に乗ってテオルの足元へ。

 慌てたコトコが拾いに行くより、テオルが拾い上げる方が早かった。


 ――――それはヴァーデリーゼ=テオルの手配書。丁寧に切り抜かれて、きれいに四つ折りに角を揃えて折ってある。

 

 3秒ほど固まった後、コトコを見れば、そこにはさっき以上に真っ赤な顔。


「か、か、かえしてください…………。」


 か細い声に、「あ、あぁ、はい、どうぞ。」なんてテオルも訳の分からないまま素直に自分の横顔が写った紙切れを手渡す。

 

 ちょっと待て、こんな恥ずかしそうにおれの写真を持ってるってことは、つまり、つまり、その、何だ。


「あ、あの、これは、ちがくてですね……。」


 照れて真っ赤な顔の【海の花】が何事かもにょもにょ言い訳をし始める前に、テオルはコトコを腕に抱きしめてしまうことにした。

 どっこんどっこん言う自分の心臓に加えてもうひとつ、慌ただしい鼓動が聞こえる。


「……………そ、そういうことだと思ってもいいですか。」



 声を震わせるテオルに【海の花】はこくりと頷き、いよっしゃぁあああああああとテオルが心の底で叫んだ瞬間、部屋のあらゆるドアが吹き飛んだ。どやどや部屋に押し入る部下を、テオルが真っ赤な顔で怒鳴りつけるまで、あと1秒。




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