【磐木編】
・「あの日、不審な艇団がいるとの報を受け基地を出た……それは先ほど白河総監が言っていたその通りだ」
―――どうも作戦が大掛かり過ぎやしないかい?
ふと磐木の耳にあの日の兵庫の声が蘇った。
「それは結局……」と、小暮が口を挟む。
彼にしては珍しく、言いよどむその姿に。
その気持ちを察し、磐木がすべてを受け取って答えた。
「先ほどの高藤総監の話が真なら」
―――実験。
「〝空の欠片〟の力を試す、実験……それがその空で行われたのだろう……」
「それは、その不審な艇団を駆逐するために?」
小暮の言葉に磐木は頭を振った「さあな」
「ただ俺達は上の命令で……高藤総監のさらに上の命令で、離陸を命じられた」
伝説には、世界が誕生した時からあるのだという聖なる石。
その力を解放したがゆえに滅んだ街『白雀』。
そしてその力を知った政府が行った実験が。
「12年前の、〝空の果て〟……」
瑛己は珈琲缶に視線を落とす。……途方もなさ過ぎる。
「当時は白河総監の言った通り、空賊の組織も今より混沌としていた。中でも当時一番勢いを持ってのし上がって行ったのが―――【天賦】」
「無凱ですか」
「ああ。当時の空賊は【天賦】と【憂イ候】という組織とで大きく二分されていた。まだあの頃は【憂イ候】の方が若干大きかったかもしれない。だが無凱という男の力で、【天賦】は瞬く間に【憂イ候】と並ぶまでに至った」
「それで、―――いたんスか? 〝その空〟に」
詰めるような飛の問いに。
磐木は彼を振り返り、強い瞳で答えた。「ああ」
「12年前のあの日、あの空に。【天賦】の無凱はいた」
無凱……瑛己は虚空を睨む。
『白雀』でまみえたあの巨大な男。たなびく真紅と漆黒のマント、銀の眼帯。そしてその大地を轟かすかのような笑い声。
(無凱……)
「俺達301飛空隊は最後尾を任せられた。隊列は先頭に聖隊長、最後を原田副長。俺は隊長の脇を飛んでいた」
誰かがゴクリと、喉を鳴らした。
「目標地点は『零地区』。俺達がそこにたどり着いた時……空はもう、入り乱れていた」
仲間の飛空艇と。
「【天賦】の翡翠、【憂イ候】の紅蓮……様々な色、形、飛行……蒼国前線基地と呼ばれる『湊』の、名高いパイロット達が」
最強とうたわれた空賊の連合艦隊と。
「命を懸けて、戦っていた」
自分など到底及ばないような、もっと高みを望むパイロット達が。
「生きる事のすべてを懸け、空を飛んでいた」
―――語る、磐木の横顔は、先ほどの白河とはまた少し違っていた。
白河はまるで、夢から手繰り寄せるかような……自分に向けて語るような語り口調だったのが。
磐木は違う。
その瞳には12年前を捉え。
同時に、自分達を捉えていた。
―――伝える。
普段は多くを語らないこの男が。
その気持ちが痛いほど。彼の言葉を熱くする。
語られる現実を重くする。
「……敵の数は多かった。漠然とも、どれくらいたのかはかれなかった。何分、飛び込んだ途端俺も、何機もの敵艇に囲まれた。さほど腕を持たなかった俺は逃げる事で必死だった。同時に、パニックになりそうになる自分を抑え付ける事しかできなかった。周りを見る余裕などなかった」
以前兵庫から訊いたその日の記憶。
その時描いた映像と、磐木が今語っている映像が重なっていく。
「何分、何時間……どれだけ飛んだかもわからない。心は限界だった。煙の匂いだけが鼻を占める。わけがわからなくなった。どちらが上か下か、海はどれか、空はどれなのか。何もわからなくなってきた。アクセルを踏み込んで突っ込もうとしていた先は海だったのかもしれない。もう手の感覚どころか自分が生きている感覚さえ失いかけたその時」
真正面。
正気と狂気の境目に降り立ったのは。
「銀の獅子が現れた」
灰色のような世界の中で一際輝くその姿は。
「俺にはその姿が、天使か……神に近い物のように見えた」
ああこれで。
―――俺はやっと、空へ。
「俺はその瞬間、息をした。この戦場へ入って初めて息をしたのがその時だったように思った……妙な事を今でも覚えてる。安堵のため息だ。無凱の姿に俺はその時、心から安堵したんだ」
だが磐木は、自嘲の表情を浮かべなかった。
「しかし」
《テツ――――!!!!!!!!》
怒号。
それまで耳に届いていなかった無線の音が。初めて、耳に飛び込んできた声は。
「聖隊長が。俺と無凱の間に滑り込んで」
《オォォオオオオオオ――――!!!!!!》
無凱に撃ちかかった。
ドドドドドドドド
無凱は瞬間、機体を翻す。
それに猛然と、晴高は追撃を始める。
「俺はようやく気付いた」
今自分がまだ息をしている事に。
手も足も動き。
目には空が映る。
瞬けば、涙も出。
唇をかみ締めれば、血がにじむ。
―――生きている。
「まだ俺は、生きているという事に」
《隊長―――!!!》
「俺は慌て、無凱と隊長の後を追った」
そしてそこに至り。初めて空を見た。
あれだけ群れていた飛空挺の数が、随分減っている。
仲間は? さっきまではすぐにでも視界に入った蒼い機体が。
探さなければ見つからない……俺を追いかけていた敵の飛空艇は?
無凱は? ―――聖隊長は?
ここは?
みんなは?
「そして俺は、撃たれた」
ズンッという突然の衝動と。
事態が飲み込めないまま、落下していく機体。
どこが撃たれた? 誰に? 隊長は? 仲間は?
そんな中見上げた空にあったのは。
「301飛空隊隊長、聖 晴高」
その人は。
「その人が、俺を撃った」
磐木にとって、絶対の人だった。
◇ ◇ ◇
「……最後の言葉を交わす時間はなかった」
ただ。晴高は堕ちていく彼に向かって手を上げた。
高く高く手を掲げ。
天を指した。
―――頼んだぞ。
後は任せたぞ。
だから。
「隊長は……俺を生かすために、俺を撃ち落とした」
俺は手を伸ばした。
スルリと去っていく、隊長の姿に。
声を上げた。
待ってくださいと。行かないでくださいと。
でも迷っている時間はなかった。
「パラシュートを背負い、飛空艇から脱出した」
泣きながら。
空を見上げ。
その瞬間。
空が割れた。
パラリ、パラリと。雪のように。
傷ついた晴高の機体をその欠片は覆い。
海にたどり着いた時。
「空には雪のような白い物が舞い……真っ黒い闇が生まれていた」
飲み込まれていく雲、煙、飛空艇。
「俺は落ちた飛空挺に必死に捕まって叫び続けた」
仲間を思い。わけもわからず。
「そのうちに……気がつくと辺りは夜になっていた」
風はやんでいた。
「もう空には何も飛んでいない。音はただ海の潮騒の音だけ。凍るような冷たい海の上、辺りに残っていた残骸をかき寄せてその上に身を縮め、俺は呆然と星空を眺めていた」
……磐木は、語る言葉と同じように星空を見上げた。
「一面の星空は、まるで吸い込まれるようだった。一瞬、風がやんだだけで空は全部割れて落ちたのかと錯覚したほどだった」
瑛己は磐木の横顔を見つめた。
「そんな星の海の中で、俺の目に一際輝くように飛び込んできたのが、北の一等星である北極星と。そのそばにある7つの星、北斗七星だった」
何があろうと一年中真北にあり揺るがない星と。
常にそのそばにあり、それを中心として空を動く星。
「入隊して間もない頃。右も左もわからなかった俺に、聖隊長はこう言った。俺達は、あの7つの星なのだと」
―――いついかなる時もその星に寄り添い、守り、天を舞う。
「揺るがない存在。それを守る星。俺はあの日、あの場所で誓った」
俺は、あの星になろう。
北の一番星を守るあの星に。
絶対に揺るがないあの星を守る7つの星に。
北極星はいつもそこにある。あれは誰かの目印になる。
ならば。
俺はあの光を守れるような光になろう。
絶対なる何かを守れる翼になろう。
誰かの心の支えとなる光を守れるそんな翼に。
「それが―――〝七ツ〟の由来だ」
聖 晴高に託された思い。願い。
「俺が聖隊長にできるのは、その意志を継ぐ事……あの日あの海の上で誓った。誰かを支える光、その光を守る翼となろうと。俺は決意した」