【兵庫編】
【兵庫編】
・「12年前の冬のある日、俺達はその海域を目指し飛んでいた」
不審な艇団が海域にたむろしている。その情報を聞きつけ、兵庫達は直ちにそこへと向かった。
「俺はシンガリを勤めた。斜め前には磐木もいた。そして先頭を走っていたのが、ハルだった」
父さん……瑛己はドキリと眉を揺らした。
「しばらくして、〝零地区〟まできた時、俺達は奴らを見つけた」
そして、空戦が始まった。
「向こうは物凄い数だった……空に真っ黒になって襲ってきやがる。俺も、一度に3機も4機も相手にしなきゃならないような状況だった。周りを見ている余裕もない。考える暇さえなかった」
「……」
「どんくらいそんなふうに飛んでたかな……手の感覚も足の感覚も、よくわからなくなり始めた頃だった」
翔ける飛空艇に、ポツリと、雨粒が落ちてきた。
「実際雨だと思った。俺は、やべぇなと思った。それで初めて、辺りを見回した。入り乱れる飛空艇の中に、キラキラと光るものが降っている。仲間はどうなっただろう、ハルは……? まぁ、あいつがどうこうなるとは思わなかったが、それでも俺はグルグルと周囲を見た」
「……」
「そして俺は、空の暗さに気付いた。そりゃ雨が降っているんだ、暗いに決まっている。だけど……違う。その時の暗さは自然のものじゃなかった。雲に覆われてできる暗さ、それとは明らかに違っていた」
例えて言うなら、夜の闇―――いや、それよりも濃く、深く。
「そしてそう思った時、ふと、今まで雨粒だと思っていたもんが、違う事に気付いた」
兵庫はその瞬間、背中に物凄い寒気を感じた。そして、
「空を、仰いだ」
そこに。
「俺は……一瞬、目を疑った」
空が、割れていた。
パラリ、パラリ、卵の殻でもむくかのように。硝子の城が、崩れていくかのように。
「空が割れていた。そしてその向こうに、黒い空が広がっていた」
空……? 兵庫は自分で言いながら、その言葉に眉をしかめる。
―――あんなもん、空じゃねぇ。
「夢でも見てるのかと思った。でなくば、俺はもう死んでいて、あの世への階段を上っているか、だ。だけども爆音が夢オチを許してくれなかった。周りを飛ぶたくさんの飛空艇が、無線から流れるノイズ、吹き荒れる風、そしてハルの機体が……」
兵庫は無線に向かって叫んだ。何を言ったのかよく覚えていない。ただ、滅茶苦茶になって叫んだ。
自分の生を、誇示するように。
「空が割れるにつれて、機体を取り巻く風は強くなっていった。空戦どころの話じゃなかった。操縦桿を握り締め、もっていかれないようにするので精一杯だった。そして次第にその風は、割れ目に向かって吹き出した。俺は何もしてないのに、勝手に機体はそっちに向かいやがる」
ただな、兵庫は葉巻を吹かし、視線を流した。
「一番難儀だったのは、そんな状況になったにも関らず、敵さん、なおも攻めてきたって事だよ。あの根性には参ったよ。こっちはそれどころじゃねーっつーのに」
それは、地獄だった。
「実際、本当にそれどころじゃなかったんだ……そんな事している場合じゃなかったんだ。敵も味方も、次から次へと吸い込まれて行く。俺はそれでも必死に抗い飛んでいた。操縦席から逃げ出す事もできなかった。飛び出した人間は、紙クズ同然に、あっちの世界に消えて行った」
兵庫の耳に、様々な断末魔の声が蘇った。
ぎゃぁぁぁ、助け、吸われる、母さん、うあぁぁぁああああ…………。
だが、それを瑛己に聞かせたくはない……そっと耳にフタをする。
「ふと見れば、そこには、残り少ない敵さんと、ハルと俺だけになっていた」
『兵庫』
兵庫の脳裏に響く声は、色あせない。
そしてその声を聞くたびに、あの日の光景が蘇る。
『逃げろ』
兵庫は叫んだ。馬鹿野郎と。
「こりゃもう、人の身分じゃどうにもできない……人知なんてとっくに超えてる。逃げるぞ、俺は必死に叫んだ」
だが、晴高は言った。もうエンジンが死んでいる。自分はこの風に抗えない。
『咲と瑛己を頼む』
『ばッか野郎ッッ!!!!』
「ザザつく無線のノイズの向こうで、ハルがどんな顔していたのかはわからない……けど俺は許せなかった。てめぇの大事なもんは、てめぇで守れ!! そう叫んだ」
ノイズに混じって、晴高が何かを言った。
そしてそれが、最後の通信となった。
『生きろ』
兵庫は晴高を振り返った。
猛然と荒れ狂う嵐の中で。だが、兵庫の目に焼き付いている。
聖 晴高。
最後に見た奴の顔は。
「笑っていた」
―――そして彼は、〝空の果て〟へと消えて行った。
「その後は……よくわからない。気付いた時、俺はボロボロの機体と共に浜に打ち上げられていた」
「……」
「あの時生き残ったのは、俺を含め、わずかな人数だけだった……磐木もその1人だ。その証言を元に後に調査団が向かったが、その時はもう何もかも終わった後だった。〝空の果て〟なんか、どこにも存在しなかった」
静かで勇壮な、空と海が広がっていただけだった。