相楽 秀一(sagara_syuuiti)<1、2部>
・白い長袖のカッターにジーパンという男が立っていた。歳は20前くらいだろうか……? 短く刈り込まれた黒髪。童顔に、人懐っこそうな笑顔が浮かんでいた。
・「相楽」ふっと、ジンが振り返った。「〝予言屋〟としては、どっちが勝つと思うんだ? 聞くまでないかもしれんが」
・〝予言屋〟。彼がそう呼ばれているという事を、瑛己は昨日酒場でチラリと聞いた。何でも、何度か、彼が出撃前に言った事が当たったのだとか
・あの童顔の少年……歳は後で聞いたが、20歳。学年としては、自分と飛より1つ下らしい。いつも穏やかに、ニコニコと笑うあの少年が。どんな飛行をするのか。
・そんな飛を見て、秀一は少し胸を撫で下ろす。彼もまた、輸送艇に群がってくる輩を払いのける事に必死だった。
・「……大丈夫」まっすぐ空を見ながら、秀一は呟いた。「誰も死なない」
・死なせない―――心の奥底で彼がそう呟いたのを、知る者はいなかった。
・飛と秀一は同じ部屋である。3人用の部屋だが2人で使っている。そのうちあちらに引越し命令が出るかもしれない。
・秀一は裏口から医務室に入ると、早速、頬を膨らませた。
「瑛己さん、ご無事で何よりです……だけど、僕は怒ってるんですから」
瑛己は秀一の様相に小さくギョッとし、それから吹き出した。
「何が面白いんですか!? 僕は真剣に怒ってるんです!!」
「悪い悪い」
パタパタと手を振りながら、瑛己は笑いをこらえるように顔を背けた。
・こんな事を言ったら秀一はますます怒り出すに違いないが―――怒ってる姿が、なんだか子供じみてて、妙にかわいらしくて。
・「しゅぅー、何また駄々こねとん。お前に黙って飛んだのは悪かったと思うが……ええやないか、何とか2人、無事に帰ってこれたんやから」
・すると秀一はキッと飛を振り返り、猛然と掴みかかった。「そういう問題じゃない!!」
・「飛も瑛己さんもッッ……!! 自分で勝手に危険に飛び込んで……ッッ!! 残された僕がどんな想いで待ってたかッッ……!! どんなに心配したかッッ……!!」
・飛は苦笑して、トントンと秀一の肩を叩いた。「泣き虫」
・「ガキの頃から変わらんなぁ、お前は。安心しろって、そう簡単に、俺はくたばらへんから。な、瑛己」
・そしてその瞬間秀一が、大きく目を見開いた。
「……あ……」
途端、その手が震え始めたのを。飛は驚いて彼を振り返った。
・瑛己は、半信半疑、尋ねた。
秀一が〝予言屋〟と呼ばれる事は知っていた。何度か、出撃前に彼が言った事が当たったのだと……だが、本当にそんな事があるというのだろうか?
未来を見る事ができるなどと―――そんな事が?
・それを秀一が補う。秀一は飛ほど戦闘飛行に長けていない。一人で敵と渡り合っていくにはまだ甘い。
・が、援護に回せば別だ。327飛空隊の誰よりも、いい動きをする。(ジン談)
・「げぇっ! 秀かいな」
あいつ無茶苦茶チェック厳しいからなぁ……嫌そうに飛が喚いた。
・そこにいたすべての者が。
瑛己と空(ku_u)との、不思議な縁を。
そして瑛己が〝彼〟に持っているだろう、特別の感情も。……知っているからこそ。
・「……僕もお聞きしたいです」
飛の隣にいた秀一も口を開いた。その声は震えていた。
「どうしてそんな、突然……? 何で……」
秀一もまた、瑛己がこの基地へきた時からよく知っている。飛が思うのと同じくらい、瑛己の気持ちを知っていた。
・普段は滅多に麦酒など飲まない秀一も、この日は珍しく口をつけていた。
この顔で、実は秀一は飛よりも酒に慣れている。
普段飲まないのは嫌いだからではなく―――単に、酒の強さで周りの人間を閉口させたくないからだった。
だがそんな彼でも、こうして自棄になったように飲む事がしばしばある。
・「磐木隊長は、瑛己を外さんやろうな」
「……」
「あの人は、そーゆー人や」
一時の感情のみで、作戦から外すような人間ではない。
秀一は俯いた。それは彼自身、よく知っている事だった。
(それが果たして、いい事なのか悪い事なのか)
秀一にはわからなかった。
ただ酷だと思った。
・「どうしてあんな命令が……。空(ku_u)を倒せなんて、僕らに……」
・「一番最初は、僕がまだ5歳の時。飼ってた犬が事故に遭う映像でしたよ」
「……」
「最初は気のせいだと思ってたんです。偶然見た夢と似たような事が、現実でたまたま起きただけに過ぎないって。既視感ってありますよね? それくらいにしか思ってなかった」
「……」
「大きくなって落ち着いてこれば、次第に消えて行くものだろうって父は……医者は言っていました。けれど、消えて行くどころか逆に、むしろそれは強くなっていくようだった」
「……」
「小さい頃は夢でしか見なかった映像が、段々と昼間……普通に起きている時でも見るようになって。瑛己さんも知ってますよね? この間総監室で……。突然脳裏に映像が滑り込んでくるんです。こっちの都合も関係なく……何の前触れもなく、突然、見たくもない映像が」
「……」
瑛己はグイと珈琲を飲み干した。その動作に、秀一がビクリと肩を揺らした。
「……ごめんなさい、こんな事言われたって、瑛己さんだって迷惑なのに……」
「外れた事は?」
「……え?」
「〝映像〟が、外れた事はないのか」
秀一は躊躇いながら、ゆっくりと首を振った。
「……1回だけ」
「じゃあ、今回も外れる」
「確かにあの時も……『獅子の海』が危ない事を、僕は知っていた。あの映像を見たのは瑛己さんがくる前日だったけど。僕はあの時、確信があったんですよ。絶対大丈夫だって」
「……」
「それは、あなたがきたから」
「……」
「僕の映像に瑛己さんはいなかった。そしてあの日、『海雲亭』であなたを見た時、僕は思いました。感じたって言ってもいい……未来は変わる」
「俺に運命を変えろと?」
「あなたなら……」
「そういう宗教家まがいの台詞、好きじゃないんだ」
「……瑛己さん」
「買いかぶらないでくれ」
「……」
瑛己はスッと立ち上がった。
それを目で追いかけ、秀一は何かを叫ぼうとするかのように顔を歪めた。
だがその声は。瑛己の瞳に掻き消された。
その、凛としたまっすぐな眼差しが。
困ったように笑う……その姿が。
「俺は」
瑛己は瞼を細め、遠い水平線を眺めた。
「自分のできる事を、精一杯やるだけだよ」
「……」
「だからお前も」
瑛己は秀一を見た。「負けるな」
その目に秀一は、胸の奥から何かがドッと溢れそうになるのを感じた。
「瑛己さん……」
瑛己はそっと視線をそらした。金色を浴びたその横顔に、秀一は……ふっと笑みをこぼした。
「……あなたが何で女神様に愛されるのか、わかる気がします」
・「瑛己さん、顔真っ赤ですよー。えー! やっぱそーなんだぁ!?」
<第2部>
・「うん! 『名探偵ライラック』シリーズの最新刊! 発売と同時に飛ぶように売れて、これ、最後の1冊なんだって! 僕、ちょっと感激で」
・すると秀一は頭を抱えた。「よしてくださいよ」
「それでなくてもあいつ、最初は『渡り鳥になるんや!!』って言い張って、じじ様とばば様と毎日大喧嘩していたんですから……。間に挟まれた僕なんか、2人に『飛を説得してくれ。聞かんようだったら、崖から突き落としてくれても構わん』とせがまれ、飛からは『ジジィとババァを説得してくれ。無理なら、海に突き落としても構わん』と。本当に、困っちゃいましたよ」
・「結局、お互いが取っ組み合いを始めて、最終的に『空軍で我慢しろ』という事で落ち着いたんですが。僕としては、ヒヤヒヤですよ……。一緒に空軍に入る時、くれぐれもよろしく頼むと頭を下げられてますし。かといって、『渡り鳥になるんや!!』と叫ぶ飛を止められる自信もありませんし」
秀一も、きっと、飛も。
・知っていて、何も聞かないでくれた。
知っていて、何も変わらず接してくれた。
後ろからトボトボと着いてくる2人の気配に、ふっと、瑛己は苦笑を浮べた。
「……ありがと」
ボソっと、呟いた。
それに秀一は、ハッと顔を上げた。
・瑛己の内心の葛藤とは裏腹に、前を行く秀一の機体は、微塵もぶれない。
・「? そーかなー、僕、結構面白かったけど」
「……秀、お前の神経回路、腐ってるんやないか……?」
・「思いやられるな……」
「あれ? 瑛己さんがそんな事言うなんて」
「……俺も、ああいうのはどうも苦手だ……」
そう言ってらしくなくベットに倒れ込む瑛己を見て、秀一はふっと笑った。
「……何が可笑しい」
「いえ。だって、瑛己さんが『苦手だ』だって」
「……悪いか」
「いえいえ。ちょっと、嬉しくて」
「……何が」
「何でもないですって。ちょっとかわいいなって思っただけですよ」
「…………お前に言われたら、俺も終わりだな」
「何ですかそれー! どーゆー意味ですかー!」
・その横を、下へ、青い機体が斜めに墜ちて行った。
黒い煙が視界を覆った。
だがその寸前に見えたのは。
炎を上げた、秀一の機体だった。
・これは、夢だ。
そう思い、秀一は目を開けた。
「―――」
最初に見えたのは、操縦桿を握りしめる自分の両手。
目の端に、ゴーグルの縁が見える。
飛空艇……? そう思った刹那、機体を、恐ろしいほどの風が殴りつけてきた。
ナンダコレハ?
台風の真っ只中を飛んでいるかのような感触。
嵐の中なのか? 思うように操縦できない。
「……くッ!?」
底を突き破るくらいにアクセルを踏み込む。操縦桿がひどく重い。
視界が暗い。
これは一体……秀一は、流れる汗を雑把にぬぐった。
そして、空を仰いだその瞬間。
「―――ッッ!!?」
そこにある光景に、秀一は、言葉を失った。
刹那。
ドドドドドド
まさか、銃声?
こんな空で。
ガツンガツンッッ
機体が揺れるのが、嵐のためなのかそれとも被弾したためなのか、もはや、わからない。
コンナ、
意識が溶けていく。
コンナ現実ガ。
もう一度、秀一は空を振り返った。
ポツリポツリと、何かが空から降っている。
まるでそれは、雨のような。
空が、割れた、欠片。
〝空の果て〟が、そこにあった。
・―――秀一は、撃墜された時、頭を強く打った。
体の怪我は、大した事はない。致命傷となるほどのものはなかった。
だが、―――心が。
・秀一には特殊な力がある。
〝予言屋〟そんなふうに呼ばれるその力。未来を見てしまうというその力を……聞きつけた、軍の研究組織が。秀一の身柄の引渡しを求めているのだという。
それを白河は断固として撥ね付けている。
・「あいつが俺の家の傍に越してきたんは、まだこんなちっこいガキの頃やった」
ポツリポツリと飛は口を開いた。
「あいつの父ちゃんは医者でな。越してくる前は、どこぞのデカイ病院におったって話や。何思ったか知らんけど、あんな小さい町に越してきてな。まともな医者がいなかったから、皆、めっちゃ喜んだって、家のジジィが言ってた」
だがそれは、瑛己に語っているというよりも。
「せやけど、そーゆーやっかみがあったんやな……秀は、近所のガキ連中に結構苛められて。あいつ、すぐ泣くし。俺も正直、面倒な奴やと思ってた」
「……」
「家が近いし、ジジィとババァがうるさいし。しゃーないと思って付き合ってやってたんやけども……ある日、あいつの母ちゃんが俺の家に飛び込んできたんや。秀一が、部屋から出てこない。何とかしてくれって」
「……」
「『飛、お前、何かしたのか!!?』ジジィとババァが怒鳴るし。俺、全然心当たりねーし。その前の日、馬鹿連中に絡まれてるトコ助けたくらいなもんで。俺、濡れ衣だし。だけどジジィが殴るし。いい迷惑だ。俺は頭にきて、秀一の部屋に殴り込んだ」
「……」
「したらあいつ、布団引っかぶって泣いてやがる。俺が扉蹴破って入ると、すっげぇビクついてやがるし。ますます容疑が掛かるし。一発殴ってやろうと思って秀一の胸倉掴んだら」
「……」
「あいつ、グチャグチャの顔して俺に言ったんや……『なんで?』って」
「……」
―――飛、死んじゃうの?
「泣きわめく秀一をぶん殴って、洗いざらい白状させた。俺が死ぬトコを見たって……。あいつが時々、変なもんを見る事は知っとった。それが原因で、苛められてるってのも知ってた。けども俺は……んなもん、どうでもよかった」
―――バーカ。
「勝手に未来を決められてたまるか」
―――死なねーよ、阿呆。
「あの日から、俺と秀一の中で何かが変わった……俺は誓った。絶対に秀一より先には死なないと。空で死ねたら本望やと思う。だけど―――俺は、秀一の〝未来〟をブチ壊す。そのために空を飛んでる。そしてあいつが、親父の反対を押し切って医者の道を選ばなかったのは、あいつなりに、〝未来〟と戦うためや」
―――飛は、僕が守る。
「来んなって、どれだけ言ったかわかんねーんやけどな」
「……」
「それなのに……何でこんな事になっちまうんやろ」
「……飛」
「なぁ、瑛己……人の運命って、何やろう……? 生きるって何やろう? 死ぬって……何なんだろう?」
「……」
「秀一は今、夢の中で、何を見てるんやろう……?」
・「……皆は……?」
荒く息を吐き、そう呟いた。
「早く、空を」
「え?」
「止めなきゃ……早く……」
うわごとのように言ってまた、目を閉じた秀一に。
昴は「大丈夫」とその頭を撫ぜた。
なぜだかわからないが、そうしてやらなければいけないような気がしたからだった。