白雀
・「無理もない。今市場に出回っている物で、『白雀』を記した物は一つもないよ」
「……?」
「この町は数年前に、地図から消されてしまった町なんだ」
「消された……?」
その時、来の目に過ぎった複雑な色を、瑛己は見逃さなかった。
「この町では、国家絡みで軍に関る様々な実験が行われていた。だがある日を境にそれはすべて破棄され、町自体が消滅する事となった。それが、実験の失敗によるものか、逆に成功のためなのか、はっきりした事はわかっていない」
「『白雀』を使う。あそこには第4基地につながる隠し通路がある。そこから潜入する―――そして聖君、さすがに君をこの先には連れて行けない。そこから先は、俺と昴に任せて欲しい。それでもいいか?」
・『白雀』。その町並みは、白い石の廃墟という印象だった。
建物は傷み、崩れ、原型を正確にとどめている物はほとんどない。
こうなる以前は一体どんな所だったのだろうか……? 瑛己は脳裏の中で、賑やかに人が行き交う町並みを想像した。
古びた木切れが転がっている。『……亭』、宿だろうか、食堂だろうか? それとももっと違う何かの店だろうか?
瑛己はその看板らしき木切れが落ちていた傍にあった建物に目を向けた。
入口は、放たれたままになっている。
覗いてみる。薄暗い。天井が半分落ちた空間があるだけだった。
そして燃えた跡がある。
「……」
瑛己は店を離れ、再び、歩き出した。
沈黙という時間に守られた町並み。
地図から消されてしまったというその町は。
「……」
爆撃に遭っている。瑛己はそう思った。
白い石畳に時折こびりつく黒い跡。
時間と風だけでは、ここまで町は崩れ落ちない。
ひしゃげたように砕ける建物は。天井から何かを叩き込まれた衝撃を物語っている。
しかし一体、なぜ?
「軍に関る実験、か……」
それが何であれ。
その爆撃の主が、一番消し去りたかったのはここだなと、瑛己は不意に立ち止まった。
そこには、黒い大地が広がっていた。
何かの建物があった形跡はある。だが。
それは、見事なまでに完全に、消え失せていた。
スッポリとそこだけがまるで、別の次元にでも通じているように。
世界から剥ぎ取られていた。
ただただ、黒い大地を残して。
焼けた大地に、何かを刻み込むかのように。
「……」
『白雀』。
一体ここで、何が起こったのだろうか?
・吹いた風が何かを呟いたように聞こえたが、瑛己にはそれが、わからなかった。
それは、偶然だった。
一人、『白雀』という町をボンヤリと歩いていると。
瑛己の耳に、微かに、リン……という鈴のような音が届いた。
鮮明な音ではない。サビに濁った、聞こえるか聞こえないか、そんな程度の音だった。
だが、瑛己にはそれが聞こえた。そして音を振り返った。
そこに、一枚の扉があった。
建物……そう呼べるような物では、もう、なかった。外から見ただけでも、そのほとんどは消えていた。
瑛己はジャリと靴を鳴らし、その扉へと向かった。
こんなふうになっても、扉はしっかりと、内を守るように閉じられている。
そのノブに、鈴は引っかかっていた。
・ここが民家だったのか、何かの店だったのか、それとも……? 何も、わからない。
本棚の一つも、食器棚の一つも、テーブルの一つも、残っていない。
あったのはただ、椅子。
壁際に唯一、形を留めていたその上に。
なぜか。写真立てが置かれていた。
瓦礫の中にあって。その一角だけが、奇妙な違和感に包まれている。
瑛己は一歩、踏み出した。
誰かの意思が、ここにある。でなければあり得ない光景。
・「石は、色々な道を辿り、あの時ある小さな町にあった。発端は実験中の事故……石を研究していた施設で起った大きな事故。これが、その後の運命を変えた」
トクン。
「その時正確に何が起こったかはわからない。だが、確かに石は力を放とうとした。それをその場にいた全員が目の当たりにする事になった。直後その町は、町自体を消し去る事で、すべてを闇へと覆い隠した。地図から消えた町―――その名は、『白雀』」
「『白雀』やて!?」
・海岸沿いの丘から、その場所はよく見える。
――『白雀』。
かつて『白い宝石』とも呼ばれたその街。
だが今は風のみが通り過ぎて行く。
焦土、そして瓦礫の廃墟と化している。
「……」
人の気配はもちろんない。
(あの事故から14年か……)
〝地図から消された〟あの日から――。