フズ(埠頭)(huzu)
・男は鼻筋に引っ掛けた片方だけの小さな眼鏡を持ち上げると、「ザ」と言ってまたキーボードを打った。
・ザがいなくなると、片輪眼鏡の男は小さく口元をほころばせた。
「生きていたのか」
ダンと、大きく最後のキーを打ち込む。
と同時に、ディスプレイの映像が目まぐるしく縦に流れた出した。
男は天井を見上げると、誰ともなく呟いた。
「楽しみだ」
・「やれやれ」
これだから嫌なんだ……ポツリとそう呟くと、ディスプレイを見やり、そして再び無線のスイッチを入れた。
・「予定変更だ。05-after、作戦を遂行する」
・問いながら、一つの返事しか期待していない。そしてその返事が聞ける事を、男は疑っていなかった。
・男とザ。2人の付き合いは長い。その長い付き合いの中で、男は相棒のこんな歯切れの悪い返事を聞いた事があまりない。
ザが殺れると言えば、実際そうなったし。無理と言えば、それもまた一つの事実となった。
・若い。歳はまだ20も半くらいだろうか……?
・『黒国』の軍服を凛然と着こなし、しわ一つない。無造作に垂れた長めの前髪、その間から覗く瞳は、垂れ目勝ちだが、鋭く輝いている。
そしてその右目には、片輪の眼鏡を引っ掛けていた。
「『黒国』黄泉騎士団所属・第1特別飛空隊隊長、埠頭と申します」
埠頭は余裕の笑みを浮べ、供の者に待機を命じ、白河に向かった。
「座、頼む」
「イェッサ」
・「隊長・磐木 徹志氏を筆頭に、中々いい腕を持ったパイロットがそろっているようだ。【天賦】とも対等に渡り、今までどれだけの空賊を撃破してきたかわからない。その腕前は、当方も身をもって存じておりますがね」
「……」
「中でも、副長・風迫 ジン殿は―――。相当のパイロットとお見受けしましたが?」
・黒い身なりの男。背はさほど高くない。
・軒の明かりに照らされて浮かぶ、人影。無造作に揺れる、長い前髪と。その間から覗くのは、少し垂れた目。
だがその目に宿っているのは、凍えるような炎。
その光を一層増す、右に引っ掛けた片輪の眼鏡。
今は、『黒国』黄泉騎士団・第1特別飛行隊隊長だという―――その男を。
男は微笑んでいた。
ジンはそれから目をそらさず、歩いて行った。
―――最後に会ったのは、極寒の冬。
『裏切り者』
男はあの時そう言った。
その彼が目の前に立っている。微笑んでいる。
『殺してやる』
ジンは歩く。
『俺は絶対に』
例え神が、お前の存在を認めようとも。
―――許さない。
「お久し振りです」
すれ違いざま。
ジンは答えなかった。だが、ピタリと足を止めた。
「また、会えましたね」
「……」
「あなたが生きていてくれて、僕は、とても嬉しい」
「……」
「あなたはよほど運に恵まれているようだ」
「……ここで殺る気か? フズ」
男の気配には、殺気がある。
ジンとフズ、顔を合わせず互い、背を向け話している。
「そうしたいのは山々ですがね」
「……」
「僕は、あなたがどうしたら苦しむのか、どうしたらもう這い上がれなくなるのか、どうしたら気が狂うほどの絶望を味わって頂けるのか……考えて考えて、それが、楽しくて仕方がない」
「……お前がやったあれが、その結論か? ぬるいな、まだ」
「ふふふ。いい口を叩きますね? あなたは何様ですか?」
「……」
「今すぐあなたを、殺してやりたい」
「……」
「ですが、次の機会の楽しみに取っておこうと思います」
「……」
「今日は、あなたにご忠告があってきました」
「……」
「あなたはこのまま数日、ここで過すといい」
「……何」
「そうしたらあなたを、素晴らしい朝が迎えてくれます.絶望の朝がね」
「……何を」
「中々見れるものじゃないですよ? 内輪の戦いなんて」
「……ッ」
「『日嵩』は、【無双】に送り込む予定だった全勢力を『湊』へ送ります。そして総指揮は―――言うまでもないですね」
「上島が」
「結局、あの人は空でしか……いや、地獄でしか、生きられないのかもしれない」
あなたと同じように。
「どうぞ、命を大切にしてください。僕が殺すその日まで」
「……殺す殺すと簡単に言えるうちは」
ジンは虚空を睨んだ。
「お前にとって生も死も、おぼろにしかない証拠だ」
「……」
フズは笑った。そしてジンを振り返りもせず言った。
「あなたは変わった」
「……」
「でも、今のあなたの方が、殺しがいがありそうだ」
「……」
ジンは歩き出した。
「そうそう」
それに背を向けたまま、フズは言った。「もう1つ」
「先日、『蒼光』に行った時、随分懐かしい顔を見かけましたよ」
「……」
「街中でチラっと見ただけだから、空似かもしれない……だけど、そっくりでしたよ。あの女に」
「―――」
ジンは。ピタリと足を。
「ひょっとして、あなたも探していたんじゃないかってね。見つかりましたか? あなたの、愛しい人は」
止め、てはいけない。
「あなたと僕、どっちが先に見つけるんでしょうね? ―――時島 恵を」
・どことも知れぬ土地、とある建物、とある一室にて。
「我を呼び出したのは、お前か」
昼間にも関わらず、ランプの小さな明かりしかない暗い暗い部屋。
目の前に座る相手の顔も、明確には見えないような視界の中で。
男は腕を組み、座っていた。
その貫禄は、設けられていたその椅子では役不足。
闇の中でもその巨体がうかがい知れる。
【天賦】総統・無凱。
彼が身にまとう黒い甲冑が、ランプの明かりに鉛色に光った。
「お待たせいたしました」
「真に」
苛立ちを帯びた無凱の声と眼光に、常人ならば震え上がる所だが。
しかしその視線を受けた人物は、平然とそれを流した。
無凱はそれに、内心感嘆した。
だが表情に浮かぶほどではない。
「申し遅れました。わたくし、『黒国』黄泉騎士団所属・第1特別飛空隊隊長、埠頭と申します」
片眼鏡を引っ掛けたその男は、無凱を前にありえないほど静かな微笑みを浮かべた。
・「いえ、本当に。こちらも別件で色々忙しくて」
・「俺は最初は、お前がこちらの任にふさわしいと思ってたよ。元【ケルベロス】のフズ」
・その名に。
フズの相貌がふっと厳しく細められた。
言葉を選ぶように間を開け、フズは右目だけに引っかかった片輪眼鏡をスイと持ち上げた。
「俺はこの国に、二度と表立って入れない決まりがあるんで。それに……ハハ、まとめる前に俺だったら、全員ぶっ殺してますよ」
「――」
「『黒』の手前……いや、あえて言うならドトウ閣下の手前があるんで野暮は打ちませんがね。拾ってもらった恩義がありますので。……あんただってそうでしょう?」
・「俺も、二度と、【ケルベロス】の名は出さないでいただけますか」と言った。
口元は笑っていたが、目はまるで氷のようだった。
その瞳に圧倒され、上島は知らず後ろへ一歩たじろいだ。身を引いてから、自分がした行動に激しく舌打ちをした。
・「さあ? どっかで嗅ぎ付けたんでしょう。それとも、あなたがここにいると密告した者でもいるとか?」
そう言ってニンヤリと笑うフズを、上島はじっと睨んだ。
・――写真に写る、片眼鏡の男。
「【白虎】の基地内で偶然撮影した物だそうだが」
その顔はまるで、カメラに気づいていたかのように。しっかりとこちらに視線を合わせ。
笑っていた。