無凱(mugai)
・【天賦】総統
・「下手に手ぇ出したら、即、あの世逝きや。それくらい、あいつの腕はハンパやない」
・何人も、あいつの手にかかってるからな……誰かがポツリと呟いた。
・その名を持つ飛空艇乗りに狙われて、無事に逃れた者はいないとか……かつて、討伐に当たった空軍部隊を、一人で20撃墜したとしたとか……そんな噂ならば聞いた事がある。
・機体は、『翼竜』の1回り……輸送艇ほどの大きさがあり。胴体に描かれた絵は。西洋の神話に登場する―――グリフィン。
・巨大な銀の艇。
・その圧倒さ。その空気。
・瑛己は息を呑んだ。そしてこう思った。
・この飛空艇は、今、空を支配しようとしている。
・何か圧倒的な力が。この空を。
・―――解き放とうとしている。
・今の銃撃。すぐにわかった。「磐木か」
・「翔けろ」
・お前に許された残りの時間を。思うだけ翔けろ。翔けて翔けて、翔け抜けろ。
・そして最後は、我が空に還えしてやる。
・あの、久たる空へ。美しくも残酷で、無限のように儚い、あの空へ。
・―――目の前を行く、青い鳥
クルクルと自分を翻弄する、一機の飛空艇
追いかける。今日こそは……!
そして、青い飛空艇が右に旋回する
死に物狂いで追いすがる
そしてそれは、偶然の事
青い鳥の、脇を捉える
これで終わりだ、射撃ボタンに指を入れる
だが―――
無凱は思った。
見た事がある。
我は、これとまったく同じ光景を。
見た事がある。
・「案ずるな。機はいずれまたくる」
無凱は遠く、空を見た。
そして、
「いずれまた」
・「KY1―1。通称、ナノ装甲。あれだけ撃たれたにも関らず、ビクともしていなかった……恐らくは(小暮)」
・代わり、鉄の格子の向こう闇の中に、巨大な人影が現れた。
顔はよく見えない。だがそれが誰なのか、磐木はすぐにわかった。
「どうだ、心地は」
空気を震わすような、声だった。
【天賦】総統・無凱。
その男はニィと笑うと、鋭く睨む磐木を見下ろし、山のように声を轟かせた。
「久しいな、磐木」
「こうして会うのは、いつ振りか」
「……」
「生きて再び見えた事を、嬉しく思うぞ」
「偉くなったものだな、彼奴も」
「……」
「あのような事がなければ、よもや、お前の敬愛する聖が、そこに立っていてもおかしくないものを」
「……」
馬鹿な。そう磐木は吐き捨てた。
「聖隊長は、そんな事望まん」
「ふふ、然り」
さも可笑しそうに無凱は笑った。それにランプが、ユラリユラリと激しく揺れた。
「聖 晴高……懐かしい名だ」
「……」
「すべては遠い彼方。されどそれは、すぐそこにある光景。一度目を閉じれば、我はあの空に帰れそうな気さえする」
磐木は訝しげに目を細めた。
「磐木、あの空を覚えているか?」
「……」
「俺とお前、聖と袂を別った最後の空だ」
「……」
「我にとって、あれほど甘美な空は、後にも先にも存在せぬ」
甘美?
小さなランプの光が、磐木の目の中に灯った。
「俺は聖隊長を」
そう言って磐木はゆっくりと立ち上がった。
「生涯賭けて、守り続ける」
「聖を守る?」
「俺にとって隊長との最後の約束は、絶対のものだ」
「それが、お前がこの空にある理由か」
「そうだ」
一際、無凱は大きく笑った。
「お前は変わらぬ」
それがいい事か悪い事か、磐木はもうその答えを知っている。
「『七ツ』―――あの時命を賭した、聖の遺言のなれ果てか」
「……」
「磐木、お前はその遺言に、己の命を捧げるか」
それに磐木はフッと唇の端を釣り上げた。「愚問だ」
「元より、あの空で覚悟は決まっている」
「ふははは! 小気味良い」
「無凱、貴様の狙いは何だ」
ピタリと無凱を見つめ、磐木は格子の手前に歩み出た。
「俺達を殺すために生かして、何を目論む?」
すると無凱はクククと低く笑い、スッと手を出した。「この手」
「あの折、聖によってもぎ取られた。この足もだ」
「……」
「我の体の半分は、もはや痛みを感じぬ。だがこの心とて同じ事―――我の願いは、お前と相対し、また、事同じくする」
「……」
「どの道、長居はさせぬ。神にでも願っている事だ」
「……」
無凱はもう一度ニッと笑うと、格子に背を向けた。
その背中に磐木は「おい」と声を掛けた。
「空の七つ星、7番目の星が、何と呼ばれているか知っているか?」
無凱はゆっくりと振り返った。
「破軍星」
「……何が言いたい」
だがそれに磐木は何も答えなかった。
しばらくの沈黙の後、無凱はフンと鼻を鳴らし、歩き出した。
磐木はその背を見るともなくそこに立ち、そして、ゆっくりと目を閉じた。
「祈る神など、おらん」
だが祈るとすれば。
磐木にとってそれは、ただ一人の顔。
(隊長……)
その顔と、7番目の星が、重なって見えた。
・巨大な男だと思った。
風になびくのは、深紅と漆黒のマント。そこから突き出すのは、鍛えられ隆起を帯びた黒い二つの肩、そして双腕。身にまとうのは、黒光りする鎧のような物。
その面差しは。腕と同様日焼けした肌……そして、左目を覆う、銀の眼帯。
・来の撃った弾の一つが、一瞬がら空きになった無凱の腕を突き抜けた。
血が吹き出す。だが、無凱の顔に、動揺の色はない。
・拳銃なんか、使った事はない。
だが、瑛己はそれを握り締め、真っ向、無凱に突きつけた。
銃口を。そして。
その双眸を。
その面に、無凱は。
「――ッッ!!?」
・その顔を無凱は知っている。その目を、無凱は。
かつて、その空で。
「聖 晴高ァァ……!」
その名を、呼んだ。
かつてその空で翼を見え、そして、果てへと消えて行った蒼い鳥。
それと、たった今銃口を向けた少年は。
「そうか……そういう事か……」
無凱の脳裏に、『獅子の海』が蘇る。
あの時、空(ku_u)が現れる間際、真っ向勝負を挑んできたあの飛び方。あの時胸に浮かんだ、奇妙な感覚は。
聖 晴高。
12年前のあの時と同じ、あの翼。
・どことも知れぬ土地、とある建物、とある一室にて。
「我を呼び出したのは、お前か」
昼間にも関わらず、ランプの小さな明かりしかない暗い暗い部屋。
目の前に座る相手の顔も、明確には見えないような視界の中で。
男は腕を組み、座っていた。
その貫禄は、設けられていたその椅子では役不足。
闇の中でもその巨体がうかがい知れる。
【天賦】総統・無凱。
彼が身にまとう黒い甲冑が、ランプの明かりに鉛色に光った。
「お待たせいたしました」
「真に」
苛立ちを帯びた無凱の声と眼光に、常人ならば震え上がる所だが。
しかしその視線を受けた人物は、平然とそれを流した。
無凱はそれに、内心感嘆した。
だが表情に浮かぶほどではない。
「申し遅れました。わたくし、『黒国』黄泉騎士団所属・第1特別飛空隊隊長、埠頭と申します」
片眼鏡を引っ掛けたその男は、無凱を前にありえないほど静かな微笑みを浮かべた。
・「―――聖」
男はその名を持つ者をただ1人知っている。
何度も何度も翼をまみえ。最終的に。
あの、地獄の空で別れを遂げた。
―――そう思っていた、人物。
この空にて、ただ1人、彼がその翼を認めた人物。
その実力。その技。
―――【天賦】総統・無凱。その名を持つ者に。
敗北の屈辱と絶望を味あわせた人物。
聖 晴高。
・「村雨、」無凱は深く唸るようにして、無線に向かって言った。「我は一時、編隊を離脱する」
《総統?》
・「ふはははははは!!!!」
天に木霊するごとく、無凱は笑った。
「上々。愉快なり!!」
眼下を見下ろす。黒い海にポツンと浮かぶパラシュート。あそこにいるのであろう。
「蘇ったか、聖 晴高!!!!」
地獄より舞い戻ったか、聖 晴高!!
何たる愉快か、何たる喜びか。
無凱は笑い続けた。
あんな飛行ができる者は、この世にあの男しかいない。
「この世でまた、そなたと翼を交える事ができようとは」
これぞ無凱の。最大の。
―――夢の続き。
・神など信じぬ。
神など頼らぬ。
されど。
今宵だけは感謝しよう。
また我の前にかの翼を与えてくれた事。
これで我はまた。
退屈せずにすむ。
・「向こうは何と言っておる」
「……まだ快諾とはいきませんが」
「よい。お前が生きてそこにおる。それが答えだ」
否ならば、生きて帰らせるわけがない。
「あやつはそういう男だ」