雨峰 かんろ(amamine_kanro)
・「『園原』の総監・雨峰さんから『湊』の327飛空隊に、航空祭への招待を賜った」
・「雨峰総監は……確か、女性で初めて空軍の総監まで上り詰めた方でしたね」
小暮の問いに白河は「ああ」と答えた。
・「『音羽』の高藤さんと同期だったはずだ。慈悲深い、とてもいい人だよ。今回も、かの有名な『湊』の『七ツ』が基地でくすぶっているという話を聞いて、気晴らしにどうかという打診が向こうからあったんだ」
・「雨峰総監は単純に好意でお前達を呼んだ。信頼に足ると私は思っている。何か万が一の事があれば自分が全て責任を取るとも言ってくれた」
・そしてそこで彼らを出迎えてくれたのは、小柄な女性だった。
高藤と同期という事は、50半ばだろうが、見えたとしてもまだせいぜい40代前半。色の薄い茶色の髪を小さく後ろで団子にまとめあげている。太っているわけではないが、小柄なためか少し丸い印象がある。
顔も手も体も小さい中で、ぷっくりとした唇が目を引く女性だった。
少し汗のにじんだ額にハンカチを当てると、優しそげに目を細めた。瑛己は少し安堵するような心持になった。
「はじめまして。私がこの『園原』空軍基地の総監を務めます雨峰 かんろ(amamine_kanro)と言います」
よろしくね、と微笑む顔に、その場にいた一同が少しドキリとした。年は関係ない、魅力を感じさせる笑顔だった。
女性で初の総監……どんな強面がくるかと思いきや。瑛己たちの表情に驚きが浮かんでいた。
「磐木君は久しぶりですね。風迫君も。元気そうで何よりです」
「雨峰総監もお元気そうで」
「ダメダメ。年には勝てません。最近は昔みたいには動けなくて。準備で大忙しなのに、体がついてこなくて困ってる所です」
うふふと笑うその姿に、飛が肘で瑛己を小突いた。何や、印象違うな。上島総監や高藤総監とえらい違うやないか。
「白河君はお元気かしら?」
「はい。息災です」
「白河君は昔から自分1人で抱え込むタイプだから。いつも心配してるの」
・「上島君は何を思い、あのような事を……『日嵩』の兵士たちに罪はない。何を思って、『湊』に兵を率いたのか……」
「……恨み、でしょうか? 白河総監への……」
「恨み? そんな事ではありませんよ。上島君は白河君を慕っていた。少なくとも私の目にはそう映っていました」
雨峰は風に遊ばれる髪を手で押さえた。
「恨みなどと……そんな程度のものであんな惨事を引き起こすとは思えない。考えてもごらんなさい? あの出兵は前も後ろもない戦いですよ? たとえ『湊』を墜としたとしても何が残ります? 何が生まれましょう? 栄誉もなく、残るのは罪のみ。彼らにはもう帰る場所はなくなる。ただ一人の私怨でそのような?」
「上島総監はかつて、『湊』基地の撤廃を訴えていたと聞きますが」
「……撤廃でありません。移設です。『湊』は今の位置では少し南過ぎる。もう少し上に、『獅子の海』の辺りに居を構えたらという案です。あの湾は『蒼光』へのルートへつながる。今の既存の基地では少し警護がゆるい。『湊』をあちらに移設して、『獅子の海』と『蒼光』までの西の鉄壁にしてはどうかという案だったのです』
「……」
「しかしそれをいつしか誰かの手によって捻じ曲げられて……彼の言葉は『湊』の撤廃として世に知れた。同時に彼の名は屈折した形で知れ渡る事となった」
「……」
「私は今でも……上島君を信じてる。おかしいですか?」
・ニコニコ笑う聖母のような雨峰。
瑛己は思った。
自分を呪う運命の女神とやらが本当にいるのなら。きっとこういう顔をしているのだろうと。
・「もしも我らが受諾しなかったら、どうされたんですか?」
「その時はそうね。橋爪君にでも飛んでもらおうかしらね」
ホホホと笑うその傍らで、副総監はもちろん瑛己たちもギョッとした。
軍部最高統括総司令長官・橋爪 誠。
軍部においての1番の権力者であり、それは同時に『蒼国』すべてを掌握していると言っても過言ではないその人に。
「冗談よ冗談。ホホホ。空を離れて何年経つの。現役時代はエースパイロットと呼ばれていたあの子も、さぞかし腕がなまっている事でしょう」
……それはそれで、恐ろしい発言である。
・「腕がなまっているとは、手厳しい事で」
瑛己たちが部屋を出た後。
総監室の奥にあるもう1つの部屋から現れたのは。
「あら? 違うのかしら? 最近も乗ってるの?」
橋爪 誠。その人である。
「……」
返事の代わりに橋爪は鼻で一つ笑って見せた。
「雨峰さんは変わらず手厳しい」
「そうかしら? これでも空軍の聖母と呼ばれてきたのだけれども?」
・「……軍で、私にそんな口を利けるのは雨峰さんだけだ」
「あらあら。そんな事はないでしょう? 高藤君とかは?」
『音羽』海軍総監、高藤 慶喜。
雨峰と同期の、軍の重鎮である。
「あの人はまた別で」
「……そうね」
雨峰は手近なソファを橋爪に勧めたが、彼は座らなかった。
「珍しく来るかと思ったら……また、随分と早いお越しね」
「……」
祭りの盛況は知ってますから。と橋爪は答えた。
「1週間近く政務を留守にして、大丈夫なの?」
「ここで指揮を執ります」
「それもまた困るわね。皆で楽しく大騒ぎしようって言う時に、どす黒いもん持ち込んで欲しくないわ」
「……迷惑はかけません」
「当たり前よ」
今のこの『蒼国』で、最高権力者たるこの橋爪にこれだけの口を叩けるのはやはり、彼女をもって他にはいない。
女性である事、そして何よりこの雨峰は橋爪の恩師であるという事。
それが可能にしている奇跡である。
「それにしても……随分と暴れたものね、上島君」
「……」
「まさか、あなたの指示じゃないでしょうね」
「……なぜ私が」
「……確かに、〝なぜ〟ね。あなたに『湊』と潰す理由はない。本当にやりたければ権力でどうにでもなるでしょう」
それに何より。
「あなたは白河君を、大事にしてるものね」
「……」
橋爪は窓辺に立った。
それを目の端で捕らえ、雨峰は自分のデスクに置いてある写真立てを手に取った。
「……会って行かないのかしら?」
「誰に」
「決まってるでしょう」
「……」
「『湊』か……不思議ね。まさか父親と同じ所に所属して」
―――今またまさに、この地にやってきた。
「あなたが聖 晴高に初めて会ったのも、航空際の模擬空戦だったでしょ?」
「……」
「聖 晴高、原田 兵庫」
「……」
「あの日のあの空戦は、目に焼きついて離れない」
多分、生涯。
「『湊』第301飛空隊……別名、何だったかしら?」
「忘れましたよ、そんもの」
「…まぁいいわ」
ねぇ、橋爪君。と雨峰は言った。
「時々、どうしてもどうしてもどうしても―――譲れない〝想い〟に、胸が締め付けられる事はない??」
・「姫……とは?」
「ああ、雨峰総監の事です。基地内では皆そう呼んでます」
姫。
確かに……〝自由奔放なお姫様〟と言った印象がよく似合う女性である。瑛己は内心「なるほど」と思った。
・彼女の服装は軍服ではなく、灰色のスーツ。胸元に上品な紫とピンクのコサージュがよく映えていた。
ニコリと微笑むその笑顔は、規律の厳しい軍のイメージとは程遠い。まさに花のような、〝聖母〟と言った微笑みであった。
・雨峰は、デスクの脇に置いてあった写真立てを手にした。
それはもう20年も前の写真。
セピアに色を染めたその写真に写るのは、2人の青年。
この写真を見るたびに。雨峰はこの日の事と。
――あの日の事を思い出す。
それはコインの裏表のような記憶。
・高藤と同期だと聞いたが、本当なんだろうか? いよいよ瑛己はいぶかしんだ。とても瑛己のイメージにある50半ばの女性ではなかった。
・「勇気と無謀は別物」
「……」
「理解している、そういう顔ね。そう。あなたはそういうタイプの人間じゃない。咄嗟の想いが勝ったのでしょう」
「……」
「けれども、咄嗟の瞬間だからこそ、冷静に考えなければいけない。覚えておきなさい」
「……はい」
「ただ、何が本当に正しい選択だったかは、それが遠い過去になっても、わかる事はないんだけれども。でもすべてにおいて絶対なのは、己の意志」
「……」
「自分が正しいと思う道ならば、誰が何と言おうとそれが絶対。それだけは絶対。後で選択に後悔しても、取り戻す事はできない。ならばその瞬間かけた〝絶対〟だけは、己の真実だと。……未来において、過去から言い聞かせてあげられる慰めは、それだけかしらね」
・「今から20年前の『園原』航空祭、10回目の記念大会。その時、模擬空戦の相手として招待したのが、聖 晴高君率いる隊だったのよ」
「父さんの……」
瑛己は写真を見た。
「そしてその時相手をしたのが、橋爪君率いる隊だった」
「え」
「そこで2人は出会ったのよ」
20年前の航空祭で―――。
「その頃はまだ聖君は部隊を任されたばかりで。『湊』でも駆け出しの部隊。でも当時『湊』の総監をしていた高藤が凄く推しててね。『湊』の1番はこいつらが取る。いやこいつらはこの国で1番の隊になる!って。だったら勝負しましょうよって話になったのよ。うちで1番の隊と高藤の1番の隊」
雨峰はクスクスと笑った。
「私も高藤も若くて。お互い、総監になって基地を持ったばかりだったから。同期だし、いつも彼とは競い合ってきたわ」
「……試合の、結果は……?」
瑛己は恐る恐る聞いた。それに雨峰が嬉しそうに笑った。「勝ったのはうちの斉藤君の隊」
「……と言いたい所だけれどもね。勝敗は結局つかなかったの」
「?」
「被弾数も同じくらい。どっちがって判別はつけられなかった。しかもどちらも、誰も落ちそうにない被弾跡ばかり」
「……」
「悔しいけれどもね。同点って事になったのよ。本当にあの時は悔しかったわ。でも同時に、仕方ないかとも思った。それだけ凄い空戦だった」
「……」
「長年色々な飛空艇と空戦を見てきたけれども。いまだ私にとっての1番は、あの時の模擬空戦よ。命を懸けた実戦よりも……ね」
実戦に勝る、模擬空戦。
そんなものが存在するのか?
瑛己は目を見張った
「その写真はその時の物よ。あの時聖君には生まれたばかりの子供がいるって言ってたけれども……あの時の子がこんなに大きくなったのねぇ」
・出立はいつ? 明日です。
それから少しの間、診察室から呼ばれるまでの間、何気ない会話をした。
先に呼ばれたのは雨峰だった。
「また会いましょうね」
微笑む彼女に、瑛己は大きく頷いて見せた。
診察室に消えて行くまで、瑛己はその姿を見送った。
その笑顔は夏の匂いと共に彼の記憶に鮮明に残った。
未来永劫に。




