高藤 慶喜(takatou_keiki)
・『音羽』第8海軍基地 総監・高藤 慶喜(takatou_keiki)は満面に苦笑を浮べた。
「さすがに君には敵わんよ」
大柄な体格に負けずと声の大きいこの男を、白河は、存外好いていた。
・歳は白河より一回り近く上である。だがこの豪胆な男は、『蒼国』の中でも一目置かれた重鎮的存在であった。
・長机を蹴散らすように歩いてくる大柄な男に、兵庫はニコニコと笑い「まだですよ」と言った。
「一本よこせ」と、高藤は兵庫の胸のポケットから1本引っ手繰った。
「火ぃ貸せ」
「へいへい」
・「唯、春の夜の夢のごとし、か……まったくよく言ったもんだな」
・「すっこんでろ!!」
・高藤がその第一報(『湊』襲撃)を聞いたのは、明け方間近の事だった。
『湊』が何者かに襲われた。高藤にとって、『湊』で白河に会ったその夜の事だ。大慌てで召集をかけ、『音羽』海軍、『湊』へ向かって疾け出した。
・『音羽』の高藤総監との面識は、ないわけではない。前に2度―――『音羽』の依頼で『零地区』を飛んだ後日、そして空(ku_u)撃墜命令の折、『音羽』を経由して行った時、挨拶程度で顔を合わせた事はある。
今回も、イの一番で駆けつけてくれたのが『音羽』だった。それから高藤もずっとこちらにいて、復旧作業の指揮をとっている。
・「んな事、白河総監が『蒼光』から帰ってきてから訊けばいいやないか。『音羽』の高藤さんってな、えっらい気難しいおっさんやっつー話やぞ?」
・「あれ? 確か新さんが前にいた海軍って……『音羽』やなかったかな? 空軍にリクルートしたいって言った時、ボコボコに殴られて、『てめぇの顔なんざ、二度と見たかねぇ!! どこいでも行きやがれっ!!』って言ったっていう総監って……」
・「どっちに非があるか、どう見てもわかりきっている事だというのに。軍の上層部にいるのは、目ん玉節穴になった奴ばっかりのようだ」
・「お前らだってよく知ってるだろう? この世界には無限の可能性がある。何一つ、俺らを取り巻いているもので、絶対の保障はない。ここでこうして立っている、この地べたにだって、この先未来永劫、俺らを支えてくれる保障なんて、こんなちびっとの欠片ですらありはしない」
・「かつて何が起きたのか、今何が起こっているのか、そしてこれから」
何が起こるのか。
「そいつを、一直線に結ばなきゃならない時が、きたんじゃないかと俺は思う」
「……」
「磐木、お前だって知りたい事があるだろ?」
「……」
「白河君は怒るかもしれないがな……だが俺は、あんな白河君を見ているのが、正直言って辛い」
「……」
―――兵庫、お前だって。
「聞きたくないなら帰んな。知りたくなけりゃその方がいい。俺はきっと今から、お前らに、余計なもんを背負わせる。空軍の飛空艇乗りとして、普通に空を飛んで行く分には、何ら必要のない事だ。兵庫、俺がしようとしている事は、単なるエゴだ。人の意思など考えてもいない、自分がしたいだけの事だ。それに付き合いたくない奴は帰ってくれ。何も言わん。5分待とう」
・「人はその起源から、空を深く愛し、求めた。どれほどその腕を伸ばし、近づこうともがいた事か。伸ばした手は、いつしか建物へと変わり、高く高く積み上げられた。長い長い時間と、数え切れない命を積み重ね、それでも人は空を求め続けた」
「……」
「なぜそれほどまでに人は空を求めるのか。未だ世界には、何百年に渡って造られ続けている塔がある。崩れてはまた積み重ね、それを繰り返し、人は……その果てに何を求めるのか」
鳥の鳴き声がする。
「だが近年、画期的な事が起った。飛空艇の登場だ。魔法使いでもなく、普通の人間が空を、鳥のように翔ける事ができる時代がきた。だがそれも、最初は今とは比べられないほどの物でしかなかった。そんな飛空技術を画期的に飛躍させたのは、戦争だった」
チチチ……陽射しは暖かい。
「発端は、簡単な偵察用の物だった。だが戦争の脇役でしかなかった物が、次第に表舞台へと借り出されるようになった。最後には、空をも巻き込んで、人はその業を競い合った」
空は蒼い。
「人が空に望んでいたのは、未開の場所に対する欲望でしかなかったのだろうか? そして最後には、そこで血を流す事が目的だったのか? 空は美しい。だが遠く果てしない歴史の果てに手に入れた……そう思い上がる人が、手にした空の欠片は、一体どれほどのものなのか?」
空は高い。
「空を飛ぶ鳥は、果たして自由だと思うか? 翼という宿命を背負い、死ぬまで飛ぶ事を運命付けられた鳥達は、本当に果たして自由なのか? 俺達は翼を手に入れた。空を手に入れたと思っている。だが本当にそうなのか? 手にした翼は絶対のものか? この世に絶対などというものがあるのか? 伸ばし続けた両腕は、本当に空を、掴む事ができたのか?」
指が、空気を、素通っていく。
「翼という十字架を背負い」
風が吹き抜けていく。
「空は本当に自由か?」
髪がかき乱れる。
「そして空は」
瑛己は空を見た。
「飛ぶ鳥を、許しているのか?」
眩しかった。
「そして俺達はそこに、本当に、求めていたものを見つけたのか?」
・「あの日、様々な事が起った」
高藤は静かに、そしてゆっくりと口を開いた。
「数え切れない、かけがえのない幾つもの命を、その空は連れて逝ってしまった。哀しみも怒りも、恐怖もそして喜びも……すべてを飲み込み、無となり、永遠となった」
高藤の声だけが、部屋にシン…と響き渡っている。
「俺はあの日、簡単に奴らを送り出した。ある者とは祝言の打ち合わせの途中だったし、飲みに行く約束をしていた奴もいた。そして……喧嘩したまま、永遠に別れる事になった奴もいた」
一瞬、高藤が瑛己を見たような気がした。
「あの日、空に何が蠢いていたのか、どれだけの意思があったのか。俺は何一つ気付けなかった。ようやくそれを知ったのは、もう、すべてが終わってからの事だった」
兵庫が目を閉じている。
磐木はじっと、虚空を睨んでいる。
その目に映っているのは、恐らく、ただ1つ。
―――〝空の果て〟。
・「哀しみが、人の心を裁くというのなら。苦しみが人の心を癒すというのなら。神は一体あの日、俺達に、何を望んでいたのだろうか?」
・「十字架を背負う事が、己の使命だとでも思っているのなら、お門違いもいい所だ」
「……」
「もう、それ以上自分で自分を傷つけるな」
「……」
「これ以上、生きる事に怯えるな」
・白河が上島を撃った事、それは恐らく高藤が全力をかけて外に漏れないようにしたのだろう。
だから直に高藤は『湊』を離れる事になり、遠い辺境の基地へと左遷された。その後も、まったく畑違いの海軍に異動させられるなどしたが、しかし彼を慕う者は多い。それは、高藤のそういう所からくるのだろうとも思う
・「今から20年前の『園原』航空祭、10回目の記念大会。その時、模擬空戦の相手として招待したのが、聖 晴高君率いる隊だったのよ」
「父さんの……」
瑛己は写真を見た。
「そしてその時相手をしたのが、橋爪君率いる隊だった」
「え」
「そこで2人は出会ったのよ」
20年前の航空祭で―――。
「その頃はまだ聖君は部隊を任されたばかりで。『湊』でも駆け出しの部隊。でも当時『湊』の総監をしていた高藤が凄く推しててね。『湊』の1番はこいつらが取る。いやこいつらはこの国で1番の隊になる!って。だったら勝負しましょうよって話になったのよ。うちで1番の隊と高藤の1番の隊」
雨峰はクスクスと笑った。
「私も高藤も若くて。お互い、総監になって基地を持ったばかりだったから。同期だし、いつも彼とは競い合ってきたわ」
「……試合の、結果は……?」
瑛己は恐る恐る聞いた。それに雨峰が嬉しそうに笑った。「勝ったのはうちの斉藤君の隊」
「……と言いたい所だけれどもね。勝敗は結局つかなかったの」
「?」
「被弾数も同じくらい。どっちがって判別はつけられなかった。しかもどちらも、誰も落ちそうにない被弾跡ばかり」
「……」
「悔しいけれどもね。同点って事になったのよ。本当にあの時は悔しかったわ。でも同時に、仕方ないかとも思った。それだけ凄い空戦だった」
「……」
「長年色々な飛空艇と空戦を見てきたけれども。いまだ私にとっての1番は、あの時の模擬空戦よ。命を懸けた実戦よりも……ね」
実戦に勝る、模擬空戦。
そんなものが存在するのか?
瑛己は目を見張った
「その写真はその時の物よ。あの時聖君には生まれたばかりの子供がいるって言ってたけれども……あの時の子がこんなに大きくなったのねぇ」
<4部-邂逅編>
・「俺は来週赴任だ。『湊』の総監は歴代ツワモノばかりだからな、汚点を残さんように頑張らなきゃならん。ほら、前にいた高藤さんは覚えてるか? 今は『賛々原』からこっちに戻って、『音羽』海軍の指揮を取ってる。『湊』は目と鼻の先だから、ヘマすると飛んできてぶん殴られそうだよ。『湊』にいた頃、俺も他の連中もよく悪さするたびに殴られてたからなぁ」
・ああ、そう言えば。晴高と兵庫も高藤総監には殴られてた。あれは何でだったんだろう?
理由は忘れたけれども、その後皆で打ち上げだって言って町に繰り出したんだ。確か焼肉屋。晴高と兵庫は何事もなかった様子で大笑いしてたな。




