橋爪 誠(hasizume_makoto)
・「お前は……、橋爪 誠(hasizume_makoto)・軍部最高統括総司令長官殿がやろうとしている事は、あの空に再び、地獄への入口を開けようとしている、そういう事だぞ?」
・「今回の件を、橋爪・軍部最高統括総司令長官殿も大変遺憾に思ってみえるご様子」
・それを消すために、男は手近に置いてあったワインに口付けた。
美味いとも不味いとも、何も思わなかった。
・「橋爪。随分手広くやってるそうだな。周りの連中は泣いているぞ?」
そう言うと初めて、その男―――『蒼国』軍部最高統括総司令長官・橋爪 誠―――は、兵庫に目を向けた。
・その眼に、兵庫は内心息をのんだ……こいつの眼は、あの頃から変わっていない。
頬の線の引き締まったシャープな顔立ちに、髪は乱れなく整えられている。背丈は兵庫と同じくらいだが、凛然とした軍服姿に、実際よりも高く見えた。
そして宿る、強い、瞳。
・「〝空の果て〟で再び、その空を掻っ切る、そういう事か」
「さぁて」
・「お前も会いたいだろう? 親友に……」
・「全部、わかってるな」
「何がだ」
「あいつが『湊』へ行った事。そして、〝それ〟を運んだ事も」
「……」
「それだけじゃない。全部わかってて……、そんなにハルが憎いか」
・「この世界に、抗えないものがあるとしよう」
「……」
「絶対的な力、歯向かう事できないもの。人はそれを、運命だとか宿命だとか言う。さながら、神のご意志だ。それに振り回され、人は生きていく」
・「お前の意志など関係ない」
それを聞くか否か、兵庫はスルリと部屋を立ち去った。
・「抗えないもの」
誰にともなく、橋爪は呟いた。
「それが、俺となる。それだけだ」
・「橋爪総司令って、元、空軍上がりだって? 当時は〝鬼神〟って呼ばれてたって聞いたけど」
「ああ。その頃から、そして今も、舞台が空から陸に変わっただけで、あの人のやり口は何一つ変わらないさ」
小暮は無表情で眼鏡を持ち上げると、足を組替えた。
「逆らう者は、容赦なく斬り捨てる人だ。あの人に楯ついて、現在重い役職を担っている者はいない。……まぁ、役職だけならまだいいが。下手をすれば、その生命さえ剥奪される」
・「磐木達の第一報が届いた時、丁度私は総司令と共にいたのですが……ただ一言『有無』と」
・「それに、結局の所で橋爪君は、君を手放したりはしない」
「……え」
高藤は手早くマッチで火を点けると、ふぅ……と吹かした。
「殴られるほど、好かれているんじゃぁないのか?」
・「そうかな。俺からすればよっぽど、上島君の方が橋爪君の眼中にはないと思うがね」
・「唯一の救いは、橋爪君が動かない事だ。良くも悪くも、どちらにも転ばん。この話はこのまま流れて行くだけだ」(高藤)
・「閣下はここ数年は参加されていないが、今年は出席を発表された。何せ閣下の出身は、」
『園原』空軍なのだから。
・「話してあったか? 2ヶ月前のあの一件で、軍本部は幾度も『七ツ』の出頭を要請してきた……必要ないと突っぱねてきたが、最終的に『不必要』と決めたのは閣下だ」
・「もしも我らが受諾しなかったら、どうされたんですか?」
「その時はそうね。橋爪君にでも飛んでもらおうかしらね」
ホホホと笑うその傍らで、副総監はもちろん瑛己たちもギョッとした。
軍部最高統括総司令長官・橋爪 誠。
軍部においての1番の権力者であり、それは同時に『蒼国』すべてを掌握していると言っても過言ではないその人に。
「冗談よ冗談。ホホホ。空を離れて何年経つの。現役時代はエースパイロットと呼ばれていたあの子も、さぞかし腕がなまっている事でしょう」
……それはそれで、恐ろしい発言である。
・「腕がなまっているとは、手厳しい事で」
瑛己たちが部屋を出た後。
総監室の奥にあるもう1つの部屋から現れたのは。
「あら? 違うのかしら? 最近も乗ってるの?」
橋爪 誠。その人である。
「……」
返事の代わりに橋爪は鼻で一つ笑って見せた。
「雨峰さんは変わらず手厳しい」
「そうかしら? これでも空軍の聖母と呼ばれてきたのだけれども?」
・「……軍で、私にそんな口を利けるのは雨峰さんだけだ」
・「あらあら。そんな事はないでしょう? 高藤君とかは?」
・(高藤は)「あの人はまた別で」
・「それもまた困るわね。皆で楽しく大騒ぎしようって言う時に、どす黒いもん持ち込んで欲しくないわ」
「……迷惑はかけません」
「当たり前よ」
今のこの『蒼国』で、最高権力者たるこの橋爪にこれだけの口を叩けるのはやはり、彼女をもって他にはいない。
女性である事、そして何よりこの雨峰は橋爪の恩師であるという事。
それが可能にしている奇跡である。
「それにしても……随分と暴れたものね、上島君」
「……」
「まさか、あなたの指示じゃないでしょうね」
「……なぜ私が」
「……確かに、〝なぜ〟ね。あなたに『湊』と潰す理由はない。本当にやりたければ権力でどうにでもなるでしょう」
それに何より。
「あなたは白河君を、大事にしてるものね」
・「あなたが聖 晴高に初めて会ったのも、航空際の模擬空戦だったでしょ?」
・「機体に小さく白で十字架が刻んであるやつ。わかるか?」
「……ああ……? それが?」
「ここだけの話」
と、飛は瑛己の耳元に小さくささやいた。
「橋爪総司令の」
・軍部最高統括総司令長官・橋爪 誠。
引き締まったシャープな体と、顔立ち。
歳は兵庫と同じ。40半ば。
軍の最高の地位に最年少で上り詰めたその男。
(……)
遠目にも、空気が違うと瑛己は感じた。
彼が放つ圧力。彼がまとう雰囲気。
ただそこにいるだけ、黙して座っているだけにも関わらず、周りを圧倒する何かが彼にはある。
そばにいる者はどことなく緊張の色を濃くしているように見えた。
世間から〝鬼将〟と呼ばれる男。
空軍時代から、敵にも仲間にも恐れられ、それは今も変わらない。
・ただ、瑛己が小さい頃家を訪ねてくれ、一緒に遊んでくれたのがこの2人であった。
(いや)
橋爪に遊んでもらった記憶はない。
橋爪とどういう時間を過ごしたのかはよく覚えていないけれども。
頭を撫でてくれた。それは良く覚えている。
大きな手だった。
そして温かかった。
・12年前、父・晴高の葬儀のあの日まで。
瑛己の中でそれは揺るがず、絶対であった。
けれどもあの日。
橋爪は彼に言った。
『俺を恨め。瑛己』
あの日は雨が降っていた。
周りの人たちは涙雨だと連呼した。幼い瑛己はその日、その単語を初めて聞いて、初めて知った。
自宅に入りきらないほどの弔問客の中で。
橋爪は、少し離れた木陰にポツンと1人立っていた。
瑛己はそんな彼を見つけ、側に寄った。
何と声をかけたかは覚えてない。
ただ、しっかりと耳に焼き付いているのは。
『お前の親父を殺したのは、この俺だ』
俺を恨め。瑛己。
そして彼はそのまま、咲子に会う事もなく去って行った。
・動けば終わりなのである。
山岡は橋爪の真横を撃っている。
その場から1歩でも動けば、逃げ出せば。
弾丸は彼の体を貫くであろう。
「一歩も退かないか」
山岡は唇の端を吊り上げた。
・瑛己は橋爪を見た。
瓦礫の中で立ちすくむその背中が。ふっとこちらを振り返った。
「……」
瑛己は声を上げようとした。
だがそれより先に、橋爪は周りの人間に促されて。足早に去って行く。
彼はそれを目で追った。
・(橋爪のおじさん……)
目が合った。
そんな気がした。
だとしたら、12年ぶりだ。
あの日以来の。
・「銃弾の雨の中、あの人は身じろぎ一つしなかった。眼力一つで凶弾を避けたと、評判になっている。またあの人の伝説が増えたわけだな」
・―――雨峰総監。
それでも俺は、飛びたいんです。
もう何もかも遅くて。もう間に合わないとしても。
俺は、2度とあんな後悔をしたくないんです。
たとえ、この先。
2度と飛べなくなったとしても。
この一瞬、もうこの一度だけでも構わない。
飛びたいんです。
2度と生涯、俺は。
飛べなくなっても、構わないから。
・「今から20年前の『園原』航空祭、10回目の記念大会。その時、模擬空戦の相手として招待したのが、聖 晴高君率いる隊だったのよ」
「父さんの……」
瑛己は写真を見た。
「そしてその時相手をしたのが、橋爪君率いる隊だった」
「え」
「そこで2人は出会ったのよ」
20年前の航空祭で―――。
「その頃はまだ聖君は部隊を任されたばかりで。『湊』でも駆け出しの部隊。でも当時『湊』の総監をしていた高藤が凄く推しててね。『湊』の1番はこいつらが取る。いやこいつらはこの国で1番の隊になる!って。だったら勝負しましょうよって話になったのよ。うちで1番の隊と高藤の1番の隊」
雨峰はクスクスと笑った。
「私も高藤も若くて。お互い、総監になって基地を持ったばかりだったから。同期だし、いつも彼とは競い合ってきたわ」
「……試合の、結果は……?」
瑛己は恐る恐る聞いた。それに雨峰が嬉しそうに笑った。「勝ったのはうちの斉藤君の隊」
「……と言いたい所だけれどもね。勝敗は結局つかなかったの」
「?」
「被弾数も同じくらい。どっちがって判別はつけられなかった。しかもどちらも、誰も落ちそうにない被弾跡ばかり」
「……」
「悔しいけれどもね。同点って事になったのよ。本当にあの時は悔しかったわ。でも同時に、仕方ないかとも思った。それだけ凄い空戦だった」
「……」
「長年色々な飛空艇と空戦を見てきたけれども。いまだ私にとっての1番は、あの時の模擬空戦よ。命を懸けた実戦よりも……ね」
・『園原』航空祭の事は新聞に載っていた。そして途中で事故があったとは書かれていたが、その詳しい内容には触れられていなかった。
まして、橋爪総司令長官が襲撃されたなどという事はまったく。一文も触れられていなかった。
他のメディアも同様。その件は報道規制が掛けられているようだった。
・「そうか。……そうだよ。俺とハルは、あの航空祭で初めて橋爪に会った」
「……」
「当時『園原』の『流鏑馬(yabusame)』と言ったら、結構名が通っていたよ。隊長・橋爪 誠。こいつがまた、手強い」
「『流鏑馬』……」
それが、橋爪の隊の名称。
「結局、模擬空戦で決着は付かなかったけどな。……何と言うか、物凄くな、これが」
楽しかったんだ。そう言った兵庫の表情に、嘘はなかった。
「あいつとはそれからの付き合いさ。作戦を一緒にした事もあった。『湊』と『園原』はそれなりに距離はあるがな、お互い意識してたし。よきライバル……そして友だった」
初めてその時、兵庫の目に影が差した。
でもそれも一瞬の事。すぐに彼はそれを拭い去り、笑顔で瑛己を振り返った。
「『白雀』は、奴さんの故郷さ」
「故郷……」
「相手は幼馴染だって言ってたかな。ハルと咲ちゃんも幼馴染。同じだなってハルが笑ってたのをよく覚えてるよ」
瑛己は息を呑んだ。
高藤が言っていた。『白雀』は軍の研究施設があった……そしてそこで、〝空の欠片〟の力を解き放つ方法が探求され―――。
解明されたその時、街は、滅んだのだと。
「奥さんは」
「ん?」
「……橋爪総司令の奥さんは?」
今では地図から消えた街。
街が消え、人が消えたと高藤は言っていた。
ならば。
「さあ」兵庫は目を逸らした。
「嫁さん探さなきゃいけない立場なのに、人の嫁さんの事まで気にかけてられねーよ。ははは」




