白河 元康(sirakawa_motoyasu)<4部>
・海月を手伝おうとする白河を、兵庫が無理矢理止めた。「アホ、トップが動いてどうすんだ」
「俺が行くから、誰かモトを抑えとけ」
・こういう席は人柄がよく出る。
白河と秀一はどこか似ている。瑛己はそう思った。
・「昨日は本当に楽しかった。ん? 磐木、顔色が悪いぞ。二日酔いか?」
「……いえ、大丈夫です」
「そうか。ああいうのもいいな。また機会があったらいつでも呼んでくれ」
白河は昨日の酒を欠片も見せず、ニコニコと笑って言った。その笑顔はとても楽しそうだった。
・兵庫に「モト」と呼ばれた白河が、少し照れ臭そうに、けれども嬉しそうに笑っていたのが印象的だった。
・「仕事だ」
『湊』総監・白河 元康、司令官としての顔になっていた。
・「あいつ、酒、昔から強くなかったもん。なのに昨日は白河が気を使ってジャンジャン注いでたから。あいつもそれに合わせてジャンジャン飲んでたし。死ぬんじゃないかと思ってた」
「……止めてあげなよ」
「いやそりゃもう、自己責任だろ。それに必死に飲む姿が見てて面白かったし」
ヒドイ元副隊長である。
・そう言って兵庫は、葉巻を噛んだ。「ただ、磐木はな……」
「? 磐木隊長?」
「あいつは……上島を相当嫌ってたから」
「……」
「あいつはホレ、ハルの信者だろ? だから、突っかかってくる上島が許せない……わかるだろ?」
「ああ……」
「まぁ、言葉にも態度にも出すような奴じゃないから。直接殴りに行くような野暮はしなかったけどな」
―――もし時が経てば。わからなかった。兵庫は少し思う。
もしもあのまま、ハルが〝空の果て〟に消える事なく。
あの日、あのまま帰還して。
あのまま〝ハル〟という道しるべがあって。
その元に磐木がいたならば。
上島も白河も、そのままそこにいたならば。
―――いつか。
あの頃の磐木では、上島には敵わなかった。それを彼自身も理解していた。
だけど彼が、本当に力をつけた時。
(磐木は上島に、立ち向かう)
それは、あの頃兵庫が思っていた事だった。
あの頃上島は、磐木を小物としか見ていなかった。だけど兵庫はもちろん晴高も、違う。
(磐木は越える)
上島も、そして俺たちをも―――。
・白河の右腕は動かないはずだ。
後で聞いた話、指の動きは多少はリハビリの結果軽い物を掴むくらいはできるようになったそうだ。だが、飛空艇の操縦は論外である。
・そう言えば、瑛己はこの2日間で白河と小暮が一緒に話している姿を何度か見た。
理論家の小暮と、白河が何を話しているのかはわからなかったが。彼がとても楽しそうに笑っていたのが印象的だった。
・「上島とは旧知の仲です。私がまだ飛空兵として隊務に従事していた頃、同じ釜の飯を食った仲でした。もう20年ほどになります」
・「問題が起こる事は予想している。何せ『ビスタ』だ。君らだけでは対処しようもない事態が起こる事も覚悟しているよ。だからついてきたんだ。君らを守り、不必要な災いの粉を振り払うためにね」
「総監」
「……磐木、俺はお前の選択、間違ってると思ってないよ」
・ハハハと笑う白河の姿は、『湊』で見慣れてきたはずなのに、いつもよりずっと頼もしく見えた。
それは、彼がいつも以上の責任感を胸に抱いているからかもしれない。
――自分が守らなければならないという、使命感。
・「あれから5年か」
「はい」
「早いものだな」
そして白河は目を伏せ、虚空に向かって優しく微笑んだ。
「5年振りの故郷の空は、どうなのかな?」
・ああ俺も早く、この空を飛んでみたいと。
異国の空は、どんな風が吹いているのか。どんなにおいがするのかと。
早く俺もこの空を飛びたい。
――そんな目をして空を見上げた磐木を、白河は、くすぐったそうに小さく笑みを浮かべた。
・「さあ、飲め飲め磐木!! お前さっきからまったく飲んでないだろう!!」
「……いや、総監、明日のフライトに影響しますので……」
先日の飲み会同様、またしても酒攻めを始める白河を見て、これもまたその場にいるキシワギ以外の全員が思った。あまり飲ますと、あなたの命にも影響が出ますよ、と。
・基地は俺が守る。
空を飛べない者には、飛べないなりの戦い方がある。
そう教えてくれたのは、
――頼むぞ、聖
・その目は波立たぬ海のように澄んで、穏やかで。
それでいて、すべてを飲み込むように強く。
将校は一瞬言葉を失った。
その様子に白河は優しく微笑んだ。
そして初めて、白い歯を見せて笑った。
「古い馴染みゆえに……できれば」
将校には翌朝の面会を勧められたが、白河は首を縦に振らなかった。
そして結果。
彼は、『七ツ』帰還を待たず、基地を出る。
誰よりも早く、何よりも早く。
どうしても。今すぐに。
あの男に会いたかった。
・(ここにくるのは5年振りか)(ゴルダ収容所)
記憶の中にあるのと同じ様子に、少し安堵も覚え、そして同時に陰鬱ともする。
・何を、と白河は思った。
何をしている、上島 昌平。
(お前は)
一体何を――。
・目の前に、最後の扉が立ちふさがる。
一番奥の部屋。そこは罪人の中でも特級の容疑がかかった者が放り込まれる場所で。
(まさかもう一度ここに)
やってくる日がこようとは。
しかも、今度は。
「できれば上島と2人切りにさせていただけませんか?」
「それは承諾できません。申し訳ありませんが」
「……わかりました。では、立会いよろしくお願いいたします」
かつての、朋。
・――初めてこの男に出会ったのは、もう20年も前になる。
白河が『湊』に赴任になったのは、飛行学校を出てから2回目の異動でだった。
『湊』で待っていたのは、飛空部隊の隊長という役責と。
この男。副隊長として自分の下についた、上島 昌平。
……あの頃の思い出は白河にとって、温かくもあり、苦くもある。
確かに仕事は激務だった。当時は今よりもっと不便な飛空艇で、そして人員も今以上に不足していた。
そのくせ空賊は猛威を奮い、一個部隊の出動回数と飛行時間は毎月、規定を軽くオーバーしていた。
空に上っては戦い、撃ち墜とし、撃ち墜とされ。
得る仲間、失う仲間……それがループして、日常の中にあった。
過酷だった。
けれどもそれでいて、その中でも、楽しい事がなかったわけではなかった。
あんなに厳しい時代だったのに。あの頃を思い出すと、様々な笑顔が浮かんでくる。
白河が手がけた隊、その部下達……中にはもう、今生会えない者もいる。断末魔を聞いた者もいるのに。けれど浮かぶのは笑顔。
隊長なんて向いてないと。あの頃白河はよく思っていた。
(だが)
彼があの時飛空部隊の隊長という責務を果たす事ができたのは、彼を支えてくれた仲間と。あの男がいたから。
聖 晴高。
そばにいる、あの絶対的な指標があったから。
白河はいつも道を迷わず、進む事ができたのだと。
(晴高がいたから)
だから。
(真似事でも)
隊長であれたのだと。
・「お前この数ヶ月……どこで何をしてた?」
上島は一つ目を見開き白河を見て、ぷいと視線をそらした。
「お前……」
――肩の傷が痛む。
「飛べるように、なったのか」
「ええ」
「お前の体は、」
「何回も何回も手術を重ねましたよ。おかげさまで。やはり空はいい」
「……」
「空はいい」そう繰り返し、上島は天井を見上げた。そこには灰色のコンクリしかなかったが、彼の顔は恍惚に染まっていた。
「あの風、空気、質感、そして刹那……空はいい。そして空戦はいい」
「……」
「射撃ボタンを押し込む時のあの感触、それで相手が墜ちていく様を見るとゾクゾクする。たまりませんよ。あれはいい」
そう言って彼はその手を何度か握り締める。
その様子に白河は、目を細めた。「手術は、」
「『黒』でもしたのか?」
「――」
ピタリと手が止まる。
2人の目がまた重なる。
上島の目は、細面に妙にギョロついて見えて。
その様相に白河が思う言葉はただ1つ。
「 反応速度が、ね」
「……」
「格段に。脳回路がもう、たまりませんよ。見える見える。空も空気も風も。腕も足も、スルスルで。たまらない。もう本当に」
――哀れ。
「これぞ、神の域」
「……」
「……となれば、あなたに感謝をしなければいけない。私はあの日、白河さんに撃たれた事で結果、こうして生まれ変わる事ができたのだから」
「……」
「あの頃の私がをどうあがいても、今の私に達する事はできなかった……絶大な物を手に入れる事ができました。本当に」
「……上島君」
「だから私は、白河さんが哀れでならない」
こいつはこんな暗い目をしていたか? 白河は思った。
確かに昔から、いい目つきではなかったけれども。こいつの言葉と視線に落ち込まされた事も何度もあったけれども。
でも、しかし。
「あなたはもう、あの空には戻れない」
「……」
「あなたは適合しなかった……それが、哀れで哀れで」
あいつは俺を、こんな目では見なかった。
「あなたの肩の傷は? あなたも入れたのでしょう?」
「……」
「なのにあなたの右腕は元に戻らなかった……おかしな話です。適合する者、できぬ者……拒んだのは、石かな? それともあなた自身かな?」
「――」
笑う上島に。
白河は目を閉じた。
脳裏に過ぎる様々な映像。
大事な思い出。
そこに浮かぶのは白河にとっての、宝。
だからこそ。
――白河は笑った。
そしてその右腕で、力の限り、鉄格子を殴った。
その音に上島はハッと顔を上げた。
「リハビリで何とかここまで」
「――」
「ただ殴りつける事くらいならできるよ。少しくらいなら物だって掴める」
「……」
「俺はそれでいいんだよ。上島君。俺はそれでいい」
「……」
「俺が望んだんだ。何が大事か、何を守るか守りたいか……天秤にかけた結果だ。後悔はしていない」
「……は」
「ただな上島君。君は少し検討違いをしている」
――押さえ込め。そういう声が聞こえる。
けれどもう限界だ。そういう声が強くなっていく。
「確かに『七ツ』だけをこの国に送るには不安要素があった。彼らが不必要なゴタゴタに巻き込まれるのは目に見えていたから。守りたかった。それは俺にしかできない事だから。だが同時に」
上島を見つめる、白河の目は。
「お前に会いたかったんだ。会えるなら真っ先に。何よりも先に」
「――」
「あの日、『七ツ』をお前に預ける事を俺は了解した……けど、……はは、あれは参ったな……まさか君が、【天賦】と繋がっていようとは……」
「……」
「俺の不注意だった。だが。上島君。俺は君を許さんよ」
「……」
「あまつさえ『湊』をあんな目に。私の大事な部下達をあんな目に」
上島は息を呑んだ。
かつて彼は見た事がない。これほど強く激しい目をした白河を。
怒りに燃える、白河の姿を。
――あの日以来。12年前〝空の果て〟が現れたあの日。
(いや、)
それ以上の。こんなたぎる、白河の姿を。
「俺が気に入らないのなら、直接仕掛けてくればいい。あんな間接的な真似せずとも――俺は、俺が君にした事をわかっているよ。本当は俺はあの日、罪を課されるはずだったんだ。この手は汚れている。君に制裁を下されるのならばそれは仕方がない事だと思っているよ」
裁かれるのは自分自身。
「なのにお前は……俺ではなく別の物に矛先を向けた」
ああ、もしも今目の前にこんな格子がなかったらと白河は思う。
この手は。
「上島君。俺はお前を許せんよ」
あの日起こったのは成り行きの果て。サイを投げたのは上島の方。
だが今度は違う。
白河の本気の目。
その視線はすでにもう刃。
上島は思わず心臓を掴んだ。
そこはかつて、白河に撃たれ、今は。
――別の物が埋まっている場所。
白河は、感情をあらわにした自らを一瞬恥じるような顔をした。唾を飲み息を整え瞬きした時には、険しいがいつもの顔に戻っていた。
「もう俺には、空に上がる翼はいらない。代わりに翔け上がる者達がいる。そして俺はそいつらを守りたい。そいつらが戻る場所を守りたい……それは飛ぶ事以上の悦びだ。俺の命なんざいつでもくれてやる」
「……」
「俺にしてみれば、自分の事しか愛せないお前の方が、よほど哀れだ」
そう言って白河は、じっと上島を見た。「俺は」
「この手で、生涯、見える物すべてを守り抜く。誰が何を仕掛けてこようとも。それだけ言いにきた」
あとは物言わず部屋を後にする白河の耳に。
その部屋の扉が再び閉められる直前、奇声が聞こえた。
それは人の叫びというよりは、獣の雄たけびのようで。
白河はもう一度思った。
哀れだと。
・20年前。出会った頃のお前は、えらくとがった目をしていたけれども。
それは未来に向かって、輝いていた。
聖 晴高と301飛空隊という絶対的な壁を前にして。俺は最初から勝負を諦め、憧れるだけでいたけれども。
その高みを目指せといつも叱咤してくれた。
それは鬱陶しい事も多いし腹も立ったけれども。晴高なんぞと比べてくれるな、俺は俺でのんびりやりたいだけなんだから放っておいてくれと。何度も何度も思ったけれども。
『一緒に頑張りましょう!!』
そう言われるたび結局苦笑して、頷いてしまう自分がいた。
俺が隊長になれたのは、真似して憧れられる奴がいた事と、同時に。
支えてくれた奴がいたから。
白川さんが隊長でしょ!? と言ってくれた奴がいたから。
ギラギラの目をしたそいつは、熱すぎるほどの太陽のようで。
困る反面、時折その熱に浮かされる事もあったんだ。
でも、こうして北の大地で再会したお前のその目は。
漆黒にとりつかれた、星の明かりもない、ただの闇ではないか。
・肩の傷はもう痛まない。
(後悔はしてないよ)
白河は、脳裏で上島に語りかける。
翼は失った。でも自分は後悔などしていない。
その代わりに得た物は、計り知れないから。
「……戻りましょうか」
――もう、絶対に。
自分の想いは曲げない。
二度ともう、あんな後悔をするのはいやだから。
刻んだ想い、そして手にした、かけがえのない物を。
その腕の傷跡は、訴えかける。
――生涯。
守るべきものは、己の命より。
魂。
そして誇りであると。
・「……私が倒れた後、基地の指揮は白河殿が取ってくださったと聞きました。混乱する中、あなたの的確な指示のお陰で冷静に動く事ができたと皆申しております。本当にありがとうございました」
・――戦争になるかもしれない。
キシワギの言外に含まれた言葉を、その場にいた全員が感じている。
『黒国』と。
亡命という言葉が出ている以上、上島一人の行動とは思えない。
もっと大きな――それは国規模の。
となれば、出る答えはたった1つ。




