白河 元康(sirakawa_motoyasu)<1、2部>
・『湊』空軍基地 総監
・白河は、落ち着いた空気をまとった男だった。年は40半ばくらいだろうか。
・瑛己が去って、白河は静かに瞼を伏せた。そして、「まさか、こんな日がこようとはな」
・「あの目……お前によく似てる」意志の強さを現すような、燐とした光を持った目。そして、善も悪も、まっすぐに見晴かすような……あの瞳。
・白河は、同じ光を持った者の事を思い、小さく息を吐いた。「聖……」その呟きは静かに、空に消えて行った。
・「……原田、なぜ、お前がそれを知っている」
・「さぁね。答えろ、白河。お前、自分が何やったのか、わかってんのかよ?」
・「……」
・白河が目をそらした。それが兵庫は気に入らなかった。
・「瑛己達には言ったのか? 自分らが、一体何を守って飛んだのかって」
・「白河……! お前、ハルの息子に、何させたんだよ……!」よりによって、ハルの息子に。
・「自分の親父殺した、何運ばせたよ……ッッ!!」
・「……だったらどうすればよかったというんだ……? まさか、輸送艇を撃墜しろとでも?」乾いた笑いをこぼす白河を、兵庫は殴った。
・「俺は、聖達を」助けたい。残された、たった一つの可能性。
・「助けたい……? バカな……吐くのか、今その言葉を……。そんな気持ちを抱くなら、なぜあの日お前はあの場所に」
―――こなかったんだ?
・一人残された白河は、開け放たれた扉から視線をそらし、自分の腕を見た。
「……聖」
左手で顔を覆うと、白河はしばらくそこで、大声で泣く事もできない自分を呪った。
・〝零地区〟。その言葉が導き出すもう一つの言葉。
だが、磐木は何も言わなかった。白河も目を伏せ、何も答えなかった。
・ひょっとしたら総監は、ここで一晩過したのかもしれない……そう思いながら、先ほど飛が使ったのと同じ言葉で、もう一度瑛己が尋ねた。
・「かもしれん? わからへん? 連絡ができんっちゅー事は、そんだけ、状況がひっ迫しとるっちゅう事やろがッッ! 相手はあの磐木隊長やぞ? それが、動けもできず、何しとるっちゅーんや!! 茶ぁでもしばいとるっちゅんか!! せやのにここで一体、何してろっていうんだ!!」
・その目は、凛と、澄み切っていた。
「総監、僕らも行きます」
白河は、そんな彼を眩しそうに見つめた。「そうか」
「すまん。……いい。私からも頼む」
磐木達を探してくれ。―――助けてくれ。
「聖……頼む」
「はい」
瑛己は飛と秀一を目で促した。
そして2人が部屋を後にし、最後に戸をくぐろうとした時。瑛己はもう一度白河を見てこう言った。
「必ず全員で戻ります」
その言葉は、白河にとって魔法になった。
ガチャリ。
閉じられた扉を見て、白河は、泣きたい気持ちにかられた。
「聖……頼んだぞ」
白河の瞳には、〝あの日〟の光景が蘇っていた。
凛然と笑い、二度と戻る事なかった友と。
泥と汗と怪我にまみれながらも、自分を殴った、かつての友と。
「……頼む……」
それは、総監・白河の言葉ではなく。白河 元康という一人の男の、心の叫びでもあった。
・埠頭の目が痛いと、白河は思った。
その双眸はまるで、こちらの心の奥底まで覗くかのような……奇妙な輝きを灯していた。
・白河の脳裏に、ふと、327飛空隊の面々の顔が浮かんだ。
彼らがここにいてくれたら……。そう思って、内心苦笑した。
それでは簡単に戦争が始まる、そんな気がしたからだった
・「隊長・磐木 徹志氏を筆頭に、中々いい腕を持ったパイロットがそろっているようだ。【天賦】とも対等に渡り、今までどれだけの空賊を撃破してきたかわからない。その腕前は、当方も身をもって存じておりますがね」
「……」
「中でも、副長・風迫 ジン殿は―――。相当のパイロットとお見受けしましたが?」
「……作戦内容を伺いましょう」
それ以上を許さぬように、白河は埠頭を見つめた。
彼はそんな様子に軽く肩をすくめ、「そうですね」と言った。
・そこにいたすべての者が。
瑛己と空(ku_u)との、不思議な縁を。
そして瑛己が〝彼〟に持っているだろう、特別の感情も。……知っているからこそ。
・次の瞬間すべての者が。驚愕に目を見開いた。
白河がその場に膝をつき、頭を垂れたのである。
「総監ッ」
「すまない」
白河は頭を垂れたまま、そう呟いた。
「すまない」
「総監、顔をッ、どうか」
「すまない」
「やめてください……! 総監ッ!」
「―――すまない」
白河の声は、悲鳴のようだった。
誰もが、それ以上の言葉を無くした。
すまない。土下座してそう呟き続ける彼の姿に。彼らはあまりにも多くの事を知らされてしまったからかもしれない。
『零』の海で遭った、『黒』との事。
そして現れた、『黒』からの使者。
そこで白河は何を聞いたのだろう? 何を知ったのだろう?
どちらにしてもそれは、小暮の言葉の的のどれだけかを射ているという事。
そして、白河は。瑛己の気持ちも、『獅子の海』での事も。すべてを知って、理解して。……それであるにも関らず。
どうする事もできなかったのだと。
恐らく、この場にいる誰よりも、苦しんで。もがいて。涙して。
この言葉を紡がなければならなかった彼は。
「すまない」
<第2部>
・「『輝向湾』の上空で、我々は予定どおり空(ku_u)に遭遇致しました。そして、総監の意に添うようにと死力を尽しましたが……空(ku_u)の腕は、我々の想像を遥かに越えていました。我々は、空(ku_u)の撃墜に失敗しました」
・「破損は、須賀飛行兵の飛空艇がエルロンに少々、聖飛行兵の飛空艇が空中で爆破。空(ku_u)は、聖を撃墜するとそのまま、混乱する我々の間を縫い、逃走。気がついた時にはもう、我らの手の届かぬ場所へと消えておりました」
・この人は、本当に心配して、安堵してくれている……そんな、父親のような目だったから。
・「ああ。総司令に話はつけたが、正直、この先どうなるかの確証はない。先方が今回の事にえらくくご執心でな。このまま簡単に終わるとは思えない」
「……」
「特に……あの男は。必ずまた何かを仕掛けてくるぞ」
「あの男?」
白河はふっと顔を上げ、ジンを見た。その目には疲れというより戸惑いの色が濃く出ていた。
「風迫君。―――埠頭という名に、覚えはあるか?」
「―――」
「『黒国』黄泉騎士団所属・第1特別飛空隊隊長、だそうだ」
「……」
「その顔は……覚えがないわけではなさそうだな」
「……」
ジンは無表情のまま、白河を見た。
「先日きた、『黒』の使者というのは?」
「ああ。察しの通りだ。若いのに随分と弁のたつ、頭の切れそうな男だと思ったよ」
「……」
「先に総司令にまで手を回していたのが、彼なのかそれとも別の誰かなのか、私にはわからない。だがな、風迫君」
「……」
「彼は君を、知っている様子だった」
「……」
「くれぐれも気をつけたまえ―――過去に喰われてしまわないように」
・「上島君は、橋爪総司令の信頼も厚い男なのだが……今回、私が少々難儀をしていた時、総司令に2、3進言をしてくれたらしい。何ともまぁ、ありがたい事ではあるのだが」
そう言って白河は苦々しそうに笑みを浮べた。
「昔から、人一倍闘争心と野心の強い男でな……特に、当時隊長を務めていた私には、随分いい感情を持たれていたようだった。私と上島君は、正反対の性格と言っていい。だから、私のこういうはっきりしない物言いと態度が、彼は気に入らなかったらしい。事ある事に反発されたよ。私もあの頃はまだ若かったが、それでも、少し骨の折れる相手だった」
・「ははは。須賀君、期待しているよ」
「総監!! 任せてください!!」
・その時白河の胸を駆けたのは、光であり、闇であった。
泣きたいほどの喜びと、同時に、つんざくほどの深い深い哀しみ。
そして、胸を焦がす……焼け付くような、この感情は。
白河は拳を握り締めた。そしてゆっくりと目を閉じた。
そして再びゆっくりと目を開けると。
目の前に並ぶ磐木達に向けて、深く、頷いた。
そして、
「すまん」
それが、今回のあらましを聞いた『湊』第23空軍基地総監・白河 元康の第一声であった。
・そして……彼らの帰還の報告を受け、慌てて戻ってきた白河は。
磐木を見るなり、無言で抱きしめた。
そして瑛己達一人一人を腕に抱き。
男泣きに、涙をこぼしたのであった。
・「君たちが受けた依頼の事は、もう何も言わない。だが……磐木達を救ってくれた事、心から感謝する。本当にありがとう」
そして、手を出したのである。
来は何と言っていいかわからなかった。白河を見つめた。
そんな来に、彼は穏やかに微笑みを浮べた。
その顔は、あまりにも強く、優しくて。
「ありがとう」
そのまま肩を抱いた白河に。来は、自分がまだまだ小さいのだという事を知った。
・大柄な体格に負けずと声の大きいこの男を、白河は、存外好いていた。
・「白河君は、橋爪君が上にいる限り、生傷が絶えそうにないな」
・「……私がもっと、総司令の意に沿えるような人間であればよかったのですが」
「ははは」
高藤はテーブルの端に置いてあった灰皿を引き寄せると、上着のポケットから煙草を取り出した。「そんな人間は、世界広しと言えども、中々いやしないさ」
・「それに、結局の所で橋爪君は、君を手放したりはしない」
「……え」
高藤は手早くマッチで火を点けると、ふぅ……と吹かした。
「殴られるほど、好かれているんじゃぁないのか?」
・「あの時翼を失ったのは、白河君も同じだというのに」
「……高藤さん、それは」
「誰にも言わんさ」
「……」
「だが……君はそれでいいのか? 特に原田に……憎まれ続ける事に、それでいいのか?」
白河は目を伏せた。そして高藤の太い指に挟まれた煙草を見た。
白河は煙草を吸わない。その理由は別に、体のためとかいうのではない。
ただ、弱いから。
自分の脆さを白河はよく知っているから。
「いいんです」
それに頼れば、逃げられなくなる自分を知っている。
だから。白河はこれ以上、自分で自分の首に鎖を巻きたくなかった。
―――それでも時折、恋しくなる事がある。頭の片隅を、奇妙な誘惑が駆ける事がある。
それは決して、煙草を吸いたいとかいうのではなく。
ただ、弱い自分を隠してしまいたくて。
「もう、慣れました」
「……そうか」
心の内にある哀しみを、それが消し去ってくれるというのならば。
それがたとえ、ほんの一瞬だとしても。
・その目には、別の光景が過ぎっていた。
あの日……聖 晴高達を見送り、そして。
その後起ったあの―――彼の人生を変えた、あの時の、あの光景が。
・―――あの時死ねたらよかったと。
未だに白河は、悔やみ続けている。
・「総監」
直にここも戦場になる。瑛己は急かした。だが、
「聖君……いいんだ」
私は裁かれなければならない。
「私は、あの日、君の父さんを」
―――見殺しにしたのだから。
・「行かないと行っているだろうッ!!」
白河のこんな怒声を。
瑛己はギリと歯噛みをした。そして、
「あんたがそんなふうに命を捨ててて、誰が、あんたのために命を懸けるっていうんだッ!!」
「―――」
ダンッと、瑛己は扉を殴るように部屋を飛び出した。
「聖―――!!!」
待て。
白河は手を伸ばした。
待ってくれ。
その背中は、いつかの映像と。
まるで。
「晴、高……ッ!」
・隊長・聖 晴高。口数は少ないが、いつも凛としていて。どれだけ情に厚いか知っている。そんな彼を支えるように、いつも笑い話や馬鹿な話をして、隊を盛り立てていた副長・原田 兵庫。
磐木にとって、晴高と兵庫は憧れであり、目標であった。
眩しかった。
そして、その2人をいつも静かな視線で……どこか、淋しげに見つめていたのが。当時、第304飛空隊、隊長・白河 元康。
そしてそんな白河にいつも苛々しながら厳しい視線を送っていたのが、副長・上島 昌兵だった。
・なぜそれほどまでに、上島は白河を憎むのだろうか?
(あの日も……)
『すまん。すぐに行く』
困ったように言う白河と。
その後ろで、何とも言いがたい目で晴高を見た上島。
あの時の顔が、磐木は忘れられない。
『心配するな』
そう言って白河の肩を叩いた晴高は。数時間後〝空の果て〟へと飲み込まれた。
・その後間もなく、白河は『蒼光』へ配属され、階級を上げた。
・白河と上島の間に、あの後、何があったのだろうか?
なぜなら。後で聞いた話では。
あの後、上島は事故に遭い。
そして白河の右腕はあの日以来、ニ度と、動かなくなってしまったのだから。
・「こんな所で何してやがるッ!! 大馬鹿野郎!!!」
「原田……!」
「さっさと来い!! 死にたいのか!!?」
「しかし……」
「馬鹿野郎!!」
・「これで貸し借りなしだッ!! さっさとしろッッ!! 俺だってまだ、傷が痛ェんだよ!!!」
・「馬鹿野郎」と小突いた。
けれどそれは、まったく痛くなかった。
だから、泣けそうになった。
・〝空の果て〟……そこからどうにか逃れ、気付いた時、磐木は病院の寝台の上にいた。
あの日、結局白河達304飛空隊はこなかった。
磐木はそれに関して何も言わなかった。だが兵庫は、白河を殴った。
それも、病院に入院している白河を。失意の底にいる白河を。
何が原因なのか詳しい事はわからなかったが、白河の右腕は永久に、動く事はなくなった。
噂では、拳銃の誤射を受けたと聞いた。それで、一番大切な神経が、砕けた。
それが昇進の理由ではなかったろうが、白河は首都に異動となった。
・白河と上島がもめている姿はよく見た。心底困ったように返す白河に、挑むように畳み掛ける上島の姿……「白河も大変だな」と晴高は苦笑していた
・白河と上島は、兵庫に言わせれば〝いいトコのお坊ちゃん〟だった。それなりに地位も名誉もある家に生まれ育ってきた。上島はどこぞの大臣の補佐をやった奴の息子だし、白河も、国鉄の役員関係者の家だったはずだ。
。
・「橋爪か……馬鹿な。行った所で時間の無駄だっつーのに」
何であいつはそれがわからないんだ? 兵庫は缶を潰すように握り締めた。
「しかし、白河総監は独断で動けるような人じゃない」
わかってるさ、そんな事は。昔から、あいつは何一つ変わらない。
……俺がどんだけ汚れても、あいつは、白いままだ。
・自分のような人間に頼まなければいけないほど、あの人の周りには、信用できる人間がいないのか……ジンの顔が、ふっと陰る。
ジンにとって、白河は命の恩人である。
そしてそれは、磐木も同じだ。
・「そして……憎しみも、怒りも、全部自分のせいにして。あの日のすべてを己のうちに封じ込め、その無念さも哀しみも、傷みも、すべて背負う事で……それでお前は、本当に、納得しているのか? 白河君」
・「十字架を背負う事が、己の使命だとでも思っているのなら、お門違いもいい所だ」
「……」
「もう、それ以上自分で自分を傷つけるな」
「……」
「これ以上、生きる事に怯えるな」
・「……あの日」
白河は、かすれたような声でそう呟いた。
そこから先は、自分が話します。そう言って。
誰もがその声にじっと耳を傾けている。
そして兵庫も。
どこか、苦しそうな顔をして。
「〝零〟の海で不審な艇団がいる……直ちに調査に向かうようにと、私達は命令を受けた」
白河の顔にはアザが幾つもある。それが、白河の心そのもののような気がして、瑛己は目をそらした。
「第301から311、315、318、326、327、329……それだけが当時基地にあって、その命令を受けた。当時は今よりもっと空賊が猛威を振るっていて、あの頃大きな組織が幾つもあったから。その2つ3つが合同で何か事をなそうとしているという噂もあったため、作戦は思ったより大掛かりなものとなるはずだった」
白河は、何を見て話をしているのだろう?
「私達304番隊は、あの時任務から帰ってきたばかりで。若干飛空艇の調子に乱れがある者がいた事もあり、少し遅れて出撃する事になった」
『すまん。すぐに行く』
磐木の脳裏に、あの時のあの、白河の困ったような顔が浮かんだ。
そして、
『心配するな』
凛然と笑う、晴高の笑顔が。
「だが……出撃の時間がきても、誰も、そこに、現れなかった」
いや、現れたのはただ1人。
『待ってても、無駄ですよ』
「上島君が、笑いながら」
『他の奴らには、304は基地で待機になったと伝令しておきました』
「私に、銃口を向けた」
『……何のつもりだ』
ハハハ、上島は笑って、トリガーに指をかけた。
『やめましょう、白河さん』
足がすくむとは、こういう事か?
『304番隊は、飛空艇故障者・体調不良の者多数のため、出撃不可能。総監の所にそう言って頭下げてきてくださいよ』
『何を』
『頭下げるのは、得意でしょう?』
その言葉に、金縛りが少しとけた。
『何のつもりだ、どうして、上島君』
『あんたも俺も、上に行ける人間だ』
上島は口の端を釣り上げた。『こんなトコで舞台の袖に消える人間じゃない。俺達は選ばれてんですよ』
『何の話だ』
『駄馬が死ぬのは、昔から当然の事』
埒があかない。
『俺は行く』
『たった1人で?』
『当然だ』
約束した。
すぐに行くと。
待っててくれと。
必ず行くから。
絶対に。
『それ以上動いたら、撃ちますよ』
『勝手にしろ』
『強情な人だ』
飛空艇に向かおうとした。
その背中から、ガンッッ! と心臓が跳ね上がるような音がして。
『―――ッッ!?』
横手にあった飛空艇のプロペラの一片が、凄い音を立てて砕け散った。
『次はあなたに当てます』
『……上島ッ』
なぜこんな事を。
『あんな奴らに構う事はない』
『上島』
『あんたも俺も、選ばれた人間だ。あんな奴らと……どうしてあんたはそうも、奴らと親しくしようとするんですか? 捨てておけばいい。あんたも俺も』
『―――それ以上』
『あんたは、あいつらの事を親友とでも思っているかもしれないが、あいつらにとってあんたなんか、所詮』
『やめろッ』
『ハハ、白河さんでもそんな顔、するんですね』
『上島』
『撃ちます。銃の腕は保障します。しばらく病院で大人しくしていてください』
『貴様』
『一緒に上に行きましょう。俺とあんたは、あいつらとは違う』
絶対行くから。
必ず行くから。
そう、約束したのに。
「……上島君は、俺を撃った」
白河は、瞼を伏せて、そう言った。
「弾は、右腕で砕けた。そこから先の事は……残念ながら、よく覚えている」
いっそ、記憶が曖昧であったら。
あの時の事を、忘れてしまえたら。どれほどよかったか。
あの痛みも、そしてあの感触も。
哀しみも。
「俺は……奴に殴りかかった。滅茶苦茶になって。変な話だが、俺のこの右腕が最後にした事は、上島君を殴る事だった。もみくちゃになって、泥だらけになって、気付いた時、俺は奴の銃を奪い取っていた」
『ハハハ、撃てよ』
上島の声が蘇る。
『俺を撃って、聖達を追いかければいい。だがな、もう遅いよ。今更行っても手遅れさ。聖達は今頃』
白河は唇をかみしめた。
『あの世と地獄の境目で、苦しみと怒りと絶望を胸に、最期の時間を味わっているよ? ハハハハハ……駄馬に相応しいと思わないか? 白河さん? この俺達と肩を並べようとしたいけ好かない連中の最期に、これ以上相応しい舞台は』
引き金は、指の中で、スルリと動いた。
耳が潰れるような音がした。
「俺は上島君を、撃った」
・白河が上島を撃った事、それは恐らく高藤が全力をかけて外に漏れないようにしたのだろう。
だから直に高藤は『湊』を離れる事になり、遠い辺境の基地へと左遷された。その後も、まったく畑違いの海軍に異動させられるなどしたが、しかし彼を慕う者は多い。それは、高藤のそういう所からくるのだろうとも思う
・戸惑う白河に、兵庫は少し顔を赤らめた。そして、馬鹿野郎とその手を取った。
右腕を。
「モト」
「―――」
そして、その頭を小突いた。
全然痛くない。
「無理すんなよ」
それだけ言って、兵庫は部屋を出て行った。
「兵庫っ……」
白河は。その場に、泣き崩れた。




