磐木 徹志(iwaki_tetuji)<3部>
・キレイに刈り上げられた髪が汗でぬれている。
・「磐木君は久しぶりですね。風迫君も。元気そうで何よりです」
「雨峰総監もお元気そうで」
・「俺は勝敗にこだわらんが」不意にその唇の端が少し上がった。「お前らは、こだわるんだろう」
薄く。磐木は笑った。
「『飛天』……怖いのは斉藤だけじゃない。国内屈指と言われる隊だ。他の面々もかなりの実力者だろう」
ゆっくりとその相貌を開けながら。
「どういう飛行をするのか、学ぶ事も多いと思う。今後の作戦のいいヒントにもなるかもしれん」
・「……なら飛、お前、俺のに乗れ」
そう言ったのは、隊長の磐木だった。「多少操縦桿にクセがあるかもしれんが。お前なら何とかするだろう」
「隊長はどうするんスか? まさか辞退するとか?」
「バカ言うな。お前らみたいな無法者をこんな宴席で野放しにできるか。俺が『葛雲』に乗る」
「は? 隊長が!? 乗るんすか? 『葛』に??」
「……なら聞くが、この中で『葛雲』での戦闘経験があるものは? ……俺しかいまい」
「隊長は『葛雲』で……?」
恐る恐る聞く小暮に、ムッとした様子で磐木が答えた。「俺を誰だと思ってる」
「数え切れん」
『葛雲』は主に偵察用に使われる。戦闘用として用いられる事はまずない。
・「……重ねて言いますが、本当に隊長、『葛雲』でよろしいので?」
「くどいぞ小暮」
「そうだ。この人はやると言ったら何でもできるんだろうさ」
クックックと笑いながら、ジンは早速胸元からタバコを取り出した。
「……どうも今、馬鹿にしたように聞こえたが」
「気のせいです」
・「新さん、だったら俺が乗るヤツにちょっと余分に星を付け足してもらえないっスか? 秀一の分って事で」
「OK。ついでに機体に秀一の似顔絵も描いてやるよ」
「待て。その機体は元は俺のだからな。今だけ限定で貸してやるんだから、余計なラクガキはするな」
・「『葛雲』ですよね? あれ、2人乗りの?? あれで模擬戦に??」
「そうですが」
「大丈夫ですか? 何ならこちらで1機お貸ししますが……」
女性からの人気が高い端正な顔立ちで、心配そうに言ったが。
対する磐木は人気とは縁遠い頑固そうな顔のまま「いえ結構」
「慣れた機体がいいので」
「ねぇ、ちょっとちょっと」
それを聞いた星井が、ヒソヒソ声で瑛己と飛に聞いてきた。
「何で『葛雲』?? 慣れてるって、あの人、いつもあれに乗ってるの??」
「あの人にも、色々あるんや」
しみじみと言った飛に、星井は「へぇ……」何とも微妙そうな顔をして磐木を見た。
・その様子に気がついた磐木が、瑛己に声を掛けた。
「飛はどうした」
「まだ少し飛空艇が気になるようで」
「うむ」
磐木にしては珍しく、飛の背中をじっと見つめていた。「聖」
「はい」
「よく気をつけてやってくれ」
「……え」
「明日、遅れるなよ」
それだけ言って、磐木も背中を向けた。
「……」
瑛己は何となく不思議な面持ちで、去り行く磐木の背中を見つめた。
・だがそれは、磐木にも言える事であった。
『翼竜』よりも若干大きく、スピードが劣るはずの『葛雲』で。
しかし、その腕前はむしろ『翼竜』をしのぐほどだった。
磐木と対峙した『飛天』の隊員は、それこそ目を疑う思いだった。
―――なぜあれで、敵わない?
一瞬一瞬、磐木に撃ちかける者はいた。だが誰一人、その機体を真に捕らえられた者はいなかった。
機体を貸しましょうか? 本当に大丈夫ですか? と、実は何度も打診された。最初の1度だけではない。
けれども磐木はそれをその都度、「慣れてますから」で断った。
それに対して『飛天』の内々では、不思議がる者が多かった。笑う者さえいた。
その真実が、ここにあった。
「なるほど」
操縦席で、斉藤も感嘆した。「確かに慣れている」
(何度これで飛ばされたか)
斉藤の後ろを追いながら、磐木は思った。
まだ自分が軍に入りたての頃。飛行技術などないに等しかった頃。
放り込まれたのは、『湊』でも1番と言われる隊。
なぜ自分がここに? と何度も思った。
学生時代、飛行の成績は中の下。
そんな彼をここまでの男にしたのは。
2人乗りの『葛雲』。今は空っぽのその席に。
「―――隊長」
聖 晴高。
これに乗ればいつも、あの日に返る。
そして後ろには、晴高が乗っている。
乗った回数、叩き込まれた飛行技術、言われた言葉。受けた教え。
「ついてこい」
斉藤 流。
磐木にとって本当の真骨頂は、この『葛雲』こそなのかもしれない。
・「飛―――ッッ!!!!!!!!!!!!!」
エンジン全開でその後を追う。
その操縦席には、彼の姿が。
(いや)
顔を、埋めている。
「顔を上げろ!!!!!! 立て直せ!!!!!」
飛――――――ッッッ!!!!
・ここにきて、『葛雲』の出力を呪った。
空戦では、渡り合える。磐木の飛行には無駄がない。『葛雲』で走れる最短距離で渡り合えば、どうにか、『翼竜』を上回る事もできた。
しかし直線では違う。
アクセルは全開。鉄板の床まで突き抜けそうなくらいに踏み込んでいる。
それでも追いつかない。
とうにギアは切り替えてある。
それでも。
(『葛雲』の壁)
雲では、竜に敵わないか。
・「……」結局瑛己は、「……何でも、ないです」
何から話していいのかわからず、そう言った。
それでもしばらく磐木は、瑛己の言葉を待つようにじっと黙って彼を見ていたが。
「……、……そうか。何かあったら、すぐに言え」
「……はい」
「いつでも構わん」
・この時初めて瑛己は、磐木がいつになく多弁な事に気がついた。
(心配されている)
そう思った。
瑛己は頭を垂れた。
嬉しかった。
そして、さっきすべて話してしまえばよかったと後悔をした。
・「俺は、隊長失格だな」
ボソリと呟いた。
らしくない声音に、ジンは彼を見た。
「飛の変化に気づいていた。しかしそれ以上何もしなかった」
「……隊長」
「一つ間違ったら、取り返しのつかない事になっていた」
視線を落とし、磐木は目を閉じた。そしてもう一度、
「俺は、隊長失格だ」
目を閉じれば過ぎる、あの人の姿。
(聖隊長……)
もしあの人だったならば、もっとうまく隊をまとめるのではないか?
実際、あの人が率いた隊は、磐木にとって最高の部隊であった。
(俺は何をしてきたのだろう)
本当に俺は、隊の連中を見てきたのだろうか?
怒る事、注意する事ばかりに気を取られて。
(肝心の部分を)
隊をまとめる事。そして隊員の事。
本質を。
見落としていたのではないか?
(俺は、本当は)
そんな器では―――。
そう思ったその時。
「隊長」
ジンが呟いた。
「俺は隊長に救われました」
「……」
「あんたがあんたである事で。隊の連中は救われている。そういう所はあります」
「……」
「あんたは揺るがんでください」
「……風迫」
「俺らがバカして飛んでいられるのは、あんたという不動の柱があるからこそ」
だから。
「迷わんでください」
・「あの連戦は……若い連中には、きつかったな」
・「今日は『葛雲』には乗ないんスか?」
茶化す新を磐木は睨みつけた。
「無駄口叩く暇があるなら、とっとと乗り込め!」
「へーい」
しかし瑛己は、一瞬磐木の目が『葛雲』に注がれたのを見逃さなかった。
・「どうした」
「……いえ」
「ん?」
書類を見ながら、白河は優しい口調で問いかけた。
磐木はそんな白河を一瞥だけして、また、床の模様を見た。
その表情は、隊長・磐木 徹志として隊の者に見せた事のないものだった。
「須賀君の事か?」
・「自分のせい、でしょうか」
「ん?」
「須賀が、あんなふうになったのは」
白河は今度はしっかりと磐木を見た。「どうして」
「なぜそう思う?」
「……自分が追い詰めたのかもしれません……」
過酷な隊務、そして秀一の事。
けれども磐木は思う。
自分はこれまで、規律を重んじ、厳しいだけの隊長だった。
それが一層、飛を追い詰めていったのではないか?
もっと自分に隊長としての器量があって。
もっと隊員に気を配れる隊長であれば。
飛は、あんな事にならなかったのではないだろうか?
自分のやり方の悪さが。
飛を追い詰め。
(〝七ツ〟の誓いなんぞ……)
自分の胸の中だけの事。自分だけが、聖 晴高に誓えばいいのに。
(なぜあんな話を)
他の者たちにも、足枷を作っているのではないだろうか??
「自分は、隊長には向いていません」
「……」
白河は、じっと磐木を見た。磐木はその目を受けなかった。
そしてふっと、白河は息をこぼした。「それ、」
「最初も言ってたな。覚えてるか?」
「……」
「何度も何度も。俺がお前に隊を持たせようとするたびに、お前はそうやって断り続けた。自分には向いてません、と言ってな」
「……」
「でもな、磐木。俺はお前に隊を持たせたかった。そしてその選択を、間違っていたとは思ってないよ」
「……」
「誰でもつまづく」そう言って、白河はまた書類に目を落とした。「順風満帆に生涯、つまづく事なく走る事ができる人間なんかいやしない」
「……」
「そして越えられない試練を、神は与えはしない。乗り越えてさらに強くなる事を願うからこそ、神は人に試練を課す。俺はそう思う」
「……」
「須賀君なら越えるだろう。どんな高みでも、壁でも、ぶち壊して突破する。そういう奴だろう? そしてお前も」
「……総監」
「信じてやれ。そして俺はお前の事、信じてるよ」
・「今期は基地の補修や『園原』への遠征などにより、休暇らしい休暇を取る事ができなかった。1ヶ月遅れだが、明日より2週間、休暇とする事にする。もう総監には申請を出した。故郷に戻るのもいい。自由とする」
327飛空隊面々に向け、磐木はいつもの強い口調でそう言った。
「また急ですね」
小暮の言葉に、ジンがクッと笑った。「この人はそういう人だ」
「風迫。今何か、皮肉のように聞こえたが」
「気のせいです」
表情を直し、ジンが続ける。「全員大体の予定を立てて後で隊長か俺に報告するように。いいな」
・「夏季休暇は業務規定内だ。取っていないのは我が隊だけだった。昨日事務方から文句を言われた。それだけだ」
「ああ、それでですか。昨日事務の内藤さんにガミガミ言われてたから。何かなと思って見てたんですよ」
「……あの人はどうも苦手だ」
・磐木が持っていたのは濃い目のお茶だった。
・「山岡は、空(ku_u)は誰かの命令で動いているのではないかと……」
「そうか」
ううむと磐木は唸った。「それは俺も思っていた」
・「俺も少し調べてみよう。お前も気になるだろうが、無茶はするな」
「はい」
「また何かあったら言ってくれ」
今日はここまで。
磐木は背中を向けた。
だが不意に瑛己を振り返り、「瑛己」
「話してくれて、ありがとう」
風に消えるほど小さな声でそう言ったように聞こえたのは、気のせいだったかもしれない。
・宿舎の受付、その脇にある公衆電話。男は背中を丸めて立っていた。
「……ああ、元気でやってる。大丈夫、父さんは……そうか、ならいい……」
『湊』第327飛空隊・【七ツ】。隊長・磐木 徹志。
握り締めていた小銭を1枚、電話に入れる。太いその指から離れた硬貨は、ガチャンと音を立てて中へと流れ込んでいった。
「母さんも気をつけて……ああ。大丈夫。これから寒くなるから……わかってる、ああ。うん」
その表情は優しい。
元々それほど大きくない瞳を一層細め、磐木は母の声を聞いていた。
「ああ、年末には戻る……うん。わかった。ありがとう」
・「……いつからそこにいた」
「今さっきですよ」
「趣味が悪いな」
「まぁ、そこそこに」
風迫 ジンであった。
・「実家ですか」
「ああ」
「隊長も顔見せに行けばいいのに」
ジンは胸元から煙草を取り出した。
「書類がたまってる」
「あんたは優しすぎる」
・「小暮は?」
「さあ」
「行き先を聞いてないのか」
「大人ですからね」
その答えに磐木は呆れた。「行き先を言うように言ったのはお前だろう」
「あいつは特別です」
「何だそれは」
「まぁ大丈夫でしょう」
それではいざという時に連絡がつかんだろうが、と言おうとして磐木はやめた。
ジンが大丈夫というのなら、恐らく大丈夫なんだろう。
副隊長・風迫 ジン。
一見、隊務にも隊員にもそれほど深い関心がない一匹狼に見えるこの男だが、実はよく見ている事を、磐木は知っている。
そ知らぬ顔をしている事も多いが、見えない所で実はかなりきちんと磐木をフォローをしている。
磐木の目には見えない物をこの男は確かに捕らえ、その上で副隊長としてどうするべきかを考えて行動している。
磐木は今まで何度も、彼が脇にいてくれたからこそ乗り越えられた事があった。
全幅の信頼を置いている。そう言っても過言ではなかった。
・「風迫」
「はい」
「何かあったか?」
「……別段」
「嘘つけ」
「……」
「何かあっただろ」
「……」
ジンは内心舌打ちをした。
磐木はこういう勘は妙に鋭い。
野生かなと、ゴツ顔の男を見て思った。