風迫 ジン(kasako_jin)<1、2部>
・その言葉に、格納庫の壁にもたれて今までまったく会話に参加しなかった男がククッと笑った。
・長めの髪を後ろで一つにしばり、両手をポケットに突っ込んでいる。ほつれて落ちた一束の前髪を振り払うと、ふっと顔を上げ、マルボロの男を見た。その目はまた、他のどの隊員とも違う色を灯していた。
・黒い一匹の野生の狼。瑛己の脳裏を一瞬、そんな言葉が過ぎった。
・バージニアスリム
・「ザークか……やりかねないな」ジンは眉間にしわを寄せた。
・「……戦争なんて」と秀一が言った。「起らないと思うか?」永久に? ジンが、まっすぐ秀一を見た。
・「それこそ愚問だ」
・ジンは外側の壁で煙草をもみ消すと、そのままポッと空へ放った。
その時ふと思った。この手を離れた煙草は、一体どこへ行くのだろうか。
夜風に誘われ、空へ舞い上がるのか。それとも、飛ぶ事もできずただ地に落ちて、雨風にさらされ果てて行くのだろうか。
ジンは苦笑した。
そんなもの、知った事じゃない。
放った煙草の行方は、振り返らない。
・「……〝零〟か」
その沈黙を破ったのは副隊長・風迫 ジンだった。
・「ああ。調査なんてかったるい仕事、俺はパスだ」
「となると、問題児2人の見張り係になりますよ?」
ニヒヒと笑う新に、ジンは鬱陶しそうに片目を細めた。そして「んなもん知らねーよ」と煙草を取り出した。
・「だが、何かあったとしても、俺は磐木隊長みたいに手加減できないがな」
目だけで制 白河の顔が、かすかに強張った。ジンはソファを挟んで彼の前に立つと、おもむろに、腕の時計を外した。
・「風迫君」
「お返しします」
それをカタリとテーブルの上に置くと、彼は背中を向けた。
・「待て」
「俺は、自分の目で見た事しか信じない」
ポケットに突っ込んだまま、ジンは目を閉じた。
逆光に背を向けて立つ彼の顔は、瑛己の目には、ほのかに笑っているように見えた。
「待つのは飽きた。いい思い出がないんでね」
それに、隊長には恩がある。
「……風迫君……」
・「俺の道は俺が決める―――あんたに、責任はない」
・狼の眼。
・実際に秀一の〝予言〟が当たるのを、彼も何度か目にしている。
むしろ簡単に、くだらないと言えた方がどれほど楽だろうかと思った。
(俺も焼きが回った)
ジンはクッと低く笑った。そして、己の腕を見た。
脳裏を駆け巡る様々な残像。それに小さく舌を打ち、無線のボタンに手をかけた。
・「チッ」
舌を打ったが、彼の表情に特に変化はなかった。
風迫 ジンという飛空艇乗りは、どんな状況になろうとも冷静に大局を見る事ができる。そこが磐木、そして白河の信頼を受けている所だ。
冷静―――だが言い換えれば、冷淡とも言える。
・その瞳が空の青と太陽の光に、薄氷色に輝いた。
・まるでそれは、故意に身分を隠されている―――ジンには、そう思えてならなかった。
何のために? だが彼はそう思って、ニヤリと笑った。
「よほど、この海域に立ち寄って欲しくなかったらしい」
・「銃撃の花か」
・「神は」
操縦桿を立て直しながら、ジンはふっと笑みをこぼした。
「結局俺を、逃がしてくれはしないという事か」
その笑みを皮肉に変えようとして、止めた。
ジンの胸に、また、あのシーンが過ぎった。
それを、ゆっくりと再び、心の向こうに閉じ込めようとしたその時だった
・残された蒼い機体は、その背を見送るように飛んでいた。
それが瑛己の目には、なぜか、淋しげに見えた。
・瑛己はチラリとジンを見た。なぜだかその瞬間、彼は副長の横顔が気になったのである。
目を伏せて煙草を吸う彼の表情から、感情までは伺えない。
だが……瑛己はその横顔に、よくわからないものを感じた。
それは、彼には到底知りようもない……深い、深い、何か……。
・そこにいたすべての者が。
瑛己と空(ku_u)との、不思議な縁を。
そして瑛己が〝彼〟に持っているだろう、特別の感情も。……知っているからこそ。
・ジンは何も言わなかった。腕を組んだまま、ジッと目を閉じていた。
・「空は、飛んでみなければわからない」
ジンが灰皿に煙草の先端を傾けた。
「死んだ後、後悔するのはまっぴらだからな」
・「どんな事を、どんな形で見ても、誰にも言うなって……言う必要はないからって」
―――お前が言わなくても、すでに全員が、何度もその光景を見ているのだから
<第2部>
・それを言うなら、副長も行くべきじゃないか? あの人は、拳銃の名手だという話だぞ?
・「ああ。総司令に話はつけたが、正直、この先どうなるかの確証はない。先方が今回の事にえらくくご執心でな。このまま簡単に終わるとは思えない」
「……」
「特に……あの男は。必ずまた何かを仕掛けてくるぞ」
「あの男?」
白河はふっと顔を上げ、ジンを見た。その目には疲れというより戸惑いの色が濃く出ていた。
「風迫君。―――埠頭という名に、覚えはあるか?」
「―――」
「『黒国』黄泉騎士団所属・第1特別飛空隊隊長、だそうだ」
「……」
「その顔は……覚えがないわけではなさそうだな」
「……」
ジンは無表情のまま、白河を見た。
「先日きた、『黒』の使者というのは?」
「ああ。察しの通りだ。若いのに随分と弁のたつ、頭の切れそうな男だと思ったよ」
「……」
「先に総司令にまで手を回していたのが、彼なのかそれとも別の誰かなのか、私にはわからない。だがな、風迫君」
「……」
「彼は君を、知っている様子だった」
「……」
「くれぐれも気をつけたまえ―――過去に喰われてしまわないように」
・殴りかかってこられたら、ジンが無視するわけがない。ジンは効率よく相手を沈
・だが、誰一人文句を言う者はいなかった……それは、今回の練習を特に指揮しているのが、副長・ジンだったからかもしれない。
磐木すら、今回は黙って彼に従っている。
瑛己はこんなジンを初めて見た。
瑛己にとって風迫 ジンという人物は、孤高の狼という印象があった。
磐木が吠えている一歩向こうの輪の外で、一人無言で煙草を吹かしている。
副長という肩書きを持ちながら、さして興味なさそうに冷めた目で、隊の事も空の事も見ている……そんなふうに思っていた。
だが今回のジンは違った。
磐木が赤い灼熱の炎ならば、ジンは青い極寒の炎なのだろう。
・「ジンさん―――!!!」
そのまま、ジンの機体は切り裂くように空を滑り、一気に2つ、撃墜した。
空を、宙返りするように舞い上がったその機影を見上げた時、新は泣きそうになった。
・(海月の姿を見て)それを見て、ジンの脳裏を別の横顔が過ぎった。
淋しげで、切なくて……愛しい。
ジンは顔をそらした。
・「悪運は、強い方で」
「……」
「あなたは、ひょっとして俺の事も」
「……噂だけはな」
「そうですか……。俺も、あなたの噂だけは」
・「しかし、白河総監は独断で動けるような人じゃない」
・「あなたのやろうとしている事が、どれほど危険な事か、あんた……わかってるのか?」
「……何が?」
そう言いながらも、兵庫はおや? と思って苦笑した。
「お前さんが気にするような事じゃぁないよ。お前は空だけ飛んでりゃそれでいいんだよ」
「……」
「悪く取るなよ? ただ、お前が知る必要はない事だよ。背負う必要もな。磐木にも言っておけ。お前らはまだ、空の広さと美しさだけ知っていればいいんだ。飛ぶ事を楽しんでりゃそれでいいんだよ」
「……」
「こういうのはな、俺みたいなのに任せておけばいいんだよ。お前だって、せっかく日の当たる所に出れたんじゃねーか。わざわざ、闇に戻るような事するんじゃねーよ。お前が選んだのは、そっちなんだろ?」
・行き交う人の中、目の先に。こちらを向いて、立っている男がいる。
黒い身なりの男。背はさほど高くない。
だが、その顔に。
「―――」
ジンは目を見開いた。一瞬、足を止めかけた。だが……歩かなければいけないと、誰かが背中を押した。止まってはいけないと。
逃げては行けないと。
軒の明かりに照らされて浮かぶ、人影。無造作に揺れる、長い前髪と。その間から覗くのは、少し垂れた目。
だがその目に宿っているのは、凍えるような炎。
その光を一層増す、右に引っ掛けた片輪の眼鏡。
今は、『黒国』黄泉騎士団・第1特別飛行隊隊長だという―――その男を。
男は微笑んでいた。
ジンはそれから目をそらさず、歩いて行った。
―――最後に会ったのは、極寒の冬。
『裏切り者』
男はあの時そう言った。
その彼が目の前に立っている。微笑んでいる。
『殺してやる』
ジンは歩く。
『俺は絶対に』
例え神が、お前の存在を認めようとも。
―――許さない。
「お久し振りです」
すれ違いざま。
ジンは答えなかった。だが、ピタリと足を止めた。
「また、会えましたね」
「……」
「あなたが生きていてくれて、僕は、とても嬉しい」
「……」
「あなたはよほど運に恵まれているようだ」
「……ここで殺る気か? フズ」
男の気配には、殺気がある。
ジンとフズ、顔を合わせず互い、背を向け話している。
「そうしたいのは山々ですがね」
「……」
「僕は、あなたがどうしたら苦しむのか、どうしたらもう這い上がれなくなるのか、どうしたら気が狂うほどの絶望を味わって頂けるのか……考えて考えて、それが、楽しくて仕方がない」
「……お前がやったあれが、その結論か? ぬるいな、まだ」
「ふふふ。いい口を叩きますね? あなたは何様ですか?」
「……」
「今すぐあなたを、殺してやりたい」
「……」
「ですが、次の機会の楽しみに取っておこうと思います」
「……」
「今日は、あなたにご忠告があってきました」
「……」
「あなたはこのまま数日、ここで過すといい」
「……何」
「そうしたらあなたを、素晴らしい朝が迎えてくれます.絶望の朝がね」
「……何を」
「中々見れるものじゃないですよ? 内輪の戦いなんて」
「……ッ」
「『日嵩』は、【無双】に送り込む予定だった全勢力を『湊』へ送ります。そして総指揮は―――言うまでもないですね」
「上島が」
「結局、あの人は空でしか……いや、地獄でしか、生きられないのかもしれない」
あなたと同じように。
「どうぞ、命を大切にしてください。僕が殺すその日まで」
「……殺す殺すと簡単に言えるうちは」
ジンは虚空を睨んだ。
「お前にとって生も死も、おぼろにしかない証拠だ」
「……」
フズは笑った。そしてジンを振り返りもせず言った。
「あなたは変わった」
「……」
「でも、今のあなたの方が、殺しがいがありそうだ」
「……」
ジンは歩き出した。
「そうそう」
それに背を向けたまま、フズは言った。「もう1つ」
「先日、『蒼光』に行った時、随分懐かしい顔を見かけましたよ」
「……」
「街中でチラっと見ただけだから、空似かもしれない……だけど、そっくりでしたよ。あの女に」
「―――」
ジンは。ピタリと足を。
「ひょっとして、あなたも探していたんじゃないかってね。見つかりましたか? あなたの、愛しい人は」
止め、てはいけない。
「あなたと僕、どっちが先に見つけるんでしょうね? ―――時島 恵を」
止まってはいけない、誰かの声がする。
歩かなければればいけない。前へ、進まなければいけない。
『走って……ッ!!』
振り向いてはいけない。
『走ってッ……!! ジンッ、早くッ……!!』
泣いてはいけない。
『生きてッ……!!』
行かなければいけない。
その約束を、守らなければいけない。
想いが、交差する。
胸が苦しい。
誰かに解き放って欲しいと思う。
だから、その名前を呼ぶ。
ずっと、叫び続けている。
その心に、届くようにと。
そして二度と。
離れてしまわないように。
・きっと、ジンもどこかその辺にいるのだろう。