小暮 崇之(kogure_takayuki)<3部>
・「ううっ……ジンさん怖い……小暮ちゃん、手ぇ貸して」
「気持ち悪い。バカ」
「小暮ちゃん冷たい……」
・「……まったく、やれやれですね」
小暮が、隣に座るジンのジョッキに自分のジョッキをカンと当てながら呟いた。
・「……重ねて言いますが、本当に隊長、『葛雲』でよろしいので?」
「くどいぞ小暮」
「そうだ。この人はやると言ったら何でもできるんだろうさ」
クックックと笑いながら、ジンは早速胸元からタバコを取り出した。
「……どうも今、馬鹿にしたように聞こえたが」
「気のせいです」
・「夜更かしするからだ」
「だって。祭りだぜ? ホテルにくすぶってられるかよ」
「何だ、新お前、昨日あの後何時まで飲んでた」
「いつもよりは短いですって。なぁ、小暮」
「付き合わされるこっちの身になれ」
・「新は……普段のあいつなら先日の飛との一件も、あそこまでハメ外して飲みませんよ」
「最近の酒量確かにな……。やはり影響は出ているか。小暮は?」
「あいつは何かあっても表面に見せません」
・「無理するなよ」
小暮が、秀一の肩をポンと叩いた。彼はそれに笑って見せた。
・「小暮は?」
「さあ」
「行き先を聞いてないのか」
「大人ですからね」
その答えに磐木は呆れた。「行き先を言うように言ったのはお前だろう」
「あいつは特別です」
「何だそれは」
「まぁ大丈夫でしょう」
・「磐木隊長から連絡を受けてきました」
磐木隊長からの連絡? しかし瑛己が彼に連絡したのはついさっき。
「遅れてすまん」
いやむしろ早すぎるだろう。と飛は思ったが、唖然としすぎて彼にしては珍しく言う機会を逃した。
・「黒い男たち、か」
「心当たりが?」
小暮が隊で随一の博識である事は瑛己もよく知っている。
・小暮は持っていた黒いバックをその辺に置くと、額に手を当てた。「秀一を狙う心当たりはいくつかある」
「まず第一に、軍の研究機関の連中だ。以前からあいつの予知の力に目を付けた奴らが、引渡しを要請してきている……特にひどかったのがあの時だ。3ヶ月前の秀一が事故で倒れた時。今後の研究のために一度施設にきて、身体の調査をさせて欲しいと。不躾な連中だ。白河総監が断固跳ね除けた。予知と言っても完全じゃないし、突発的な物だ。当たる当たらんは天気予報よりも低いと言ってな。完全100%でいつも未来を予知できるようなわけじゃない。実際100%ではないだろう?」
「……はい」
「噂はでまかせ。神社のおみくじ以下、靴を投げて明日の運勢を占うようなもんだと何度何度も説明して、どうにか引かせた」
「……」
瑛己は苦笑した。いくら断るためとは言ってもそこまで言われると、少し秀一が気の毒な気もしたからだ。
「だがそれでも奴らが諦めておらず、業を煮やして拉致した―――これが第1説」
だが、とここで小暮は視線を外し虚空を眺めた。
「黒尽くめの連中か……武道もそれなりに使えると」
「……」
「ならば有力はむしろこちらの第2説」
「それは、」
言いよどむ相楽医師に、小暮は指を片方の眉を歪めて告げた。
「『黒』」
それはこの狭い空間の中において、一瞬で溶けてしまう小さな音の一つであった。
だがその意味合いは、ただの〝音〟ではあり得ない。
瑛己も飛も目を見開き、小暮を見た。その目を受ける小暮は、クイと眼鏡を持ち上げた。
夕焼けの光でその表面が陰り、彼の目の表情を覆い隠した。
「あちらの特殊機関の連中も、好んで黒服をまとってる」
「『黒』の特殊機関……?」
「それこそ特別な訓練を受けたプロ集団だ。まともにやりあって敵う連中じゃない。〝陸では〟な」
・「足手まといだ。来るな」
・小暮は瑛己を見据えた。その精悍でまっすぐな瞳には、力が宿っている。
内心の眼力に感嘆しながらも、表情には出さず小暮は視線を外した。「……兵は拙速を尊ぶ」
「遅いと思った瞬間に切り捨てる。それでもいいなら」
・途端目の色が変わる2人を前に、小暮は、磐木とジンの心境を思った。
こんな目をされては、置いて行くわけにもいくまい。
・小暮 崇之。
その男の事を知っているようで、瑛己は知らない。
黒髪。短髪だが、目にかかるくらいの前髪はいつも無造作に垂らされている。
327飛空隊随一の頭脳派にして、博識。
元義 新と同室で、一緒にいる事も多い。明るく気ままな新の横で共に笑い、時に無茶をする彼を静かにたしなめる。
性格は、正確にして律儀。磐木と同等、筋をまっすぐ通す所がある。
磐木、ジンの行き届かない細かい部分をフォローする、いわば影の補佐役。
・小暮は肩から黒い鞄を下げている。外見だけで見ても重そうである。だが速力は飛、瑛己に劣らない。むしろ油断すれば置いていかれるのは2人方だ。
・ジープは瑛己たちの横でピタリと止まった。運転席にいたのは、
「乗れ」
「小暮さん……どないしたんですか、これ」
「借りてきた」
「誰に……」
「わからない。そこらにあった。何でもいいから早くしろ」
・「飛空艇を奪う」
「―――!??」
「時間との勝負だ。グズグズはしてられん」
「そ、それ大丈夫なんスか!? う、奪うって……!?」
飛がタジタジしている。瑛己は面白い物を見るように飛を見た。
「事後報告でいいだろ」
「いいんスか!?」
「仕方ない。今は緊急事態だ」
・「すまん……俺はどうも、考えが先走る」
言って小暮はポリポリと頬を掻いた。
「俺は同じ事を何度も言うのは嫌いだ。1度しか言わない。いいな」
・―――俺らも大概無茶やとは思うけど、小暮さんほどやないで。
・小暮はその中でたった1人【無双】の基地に乗り込み、あろう事かそこで飛空艇を奪ったその上、『日嵩』にまで戻り、作戦の虚偽を調べてきている。
「……」
小暮ちゃん、ちゃれんじゃぁ……と呟いた新の声が耳に蘇った。
そんな小暮からすれば、仲間である『燕蔵』の飛空艇を奪うのは容易いのかもしれない。……第一にに現在乗り込んでいるこのジープ。すでにサイは投げられている。
・2人が聞いている事を忘れたように、小暮は呟いた。「人は空を目指した」
「そこに到達した今、次に目指すのは、〝神〟の域かな」
―――〝神〟の域。
もう一度瑛己は、小暮の言葉を頭の中で反復させた。
・一瞬小暮は黙ったが、一つため息を吐いてから言った。「……俺の最初の赴任地だ」
・「よし」吐息のように小さな声で小暮が呟いた。「アレをアレする。段取りはいいな。行くぞ」
瑛己は唖然とした。「待ってください」
「あの、何を……?」
段取りがどうのと言われても、何一つわからなかった。
瑛己の様子に、小暮は面倒臭そうに顔を歪めた。
「説明しなきゃわからんか」
「はい」
「……」
小暮は天を仰いだ。
「……あの飛空艇を奪う。段取りは……いい。とりあえず音を立てずについてこい」
・覗きこむと、何やら手のひら大のキーボードのような物と、カード、そして棒を鍵穴に差し込んでいた。指は絶えず動いている。
・無断で基地に侵入し、誰に会う事もなく飛空艇を奪って今、こうして空にいる。追ってくる者さえいない。
瑛己はふと、前を行く小暮の機体を見た。
ここに至るまですべて、彼の後を追いかけてきた。
もしあの時小暮が現れなかったら。瑛己たちは未だに診療所で頭を抱えていたのだろう。
『黒』が主犯だと……そんな事すら、彼らだけでは思い至る事はできない。ほんの小さなヒントでさえ、瑛己たちは持ち合わせていなかった。
小暮がいたから。
彼が情報通であるという事は、瑛己も充分よく知っている。
だが……何かひっかかる。
ここに至る経路。小暮は『燕蔵』が最初の赴任場所であると言っていたが―――。
あまりにもできすぎているような気もする。
・いつもしている眼鏡は今、胸のポケットにしまわれている。
・まさかここで『黒』が出張ってくるとは……しかもその目標が秀一だとは……。
「……本気なんですね、父上……」
ふと陰ったその瞳には、何が映ったのか。
・(もしもここに磐木隊長がいたら)
どうするだろうか? そう思って自嘲気味に笑った。
ぶっ飛ばされるか? いやしかし。
―――それが国家のためと言うのなら。
「……」
小暮は一度深く深く瞬きをし、そして無線スイッチを押した。
「聖、飛、聞こえるか」
ジャックされても構わない。
・《これより我々は、最後の1機を撃墜する》
・《『黒』の狙いは秀一の〝力〟だ》
未来を予知できる力?
《解明して、それを軍事目的に利用する気だろう》
それは、
《そんな事されたら、『蒼国』は終わりだ》
「 」
《『黒』の兵士がその力を持って向かってきたら、》
「 」
《どれだけの人間が死ぬと思う?》
「―――ッ」
《そんな事だけは絶対に、阻止しなければならない》
だから。
《もう俺たちに残された道はただ一つ。このまま秀一ごと、あれを撃ち墜とす》