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空-ku_u-【用語集】  作者: 葵れい
登場人物 【湊】
1/89

聖 瑛己(hijiri_eiki)<第1部>

挿絵(By みてみん)


 ・歳は、先月21を迎えたばかり(3月生)

 ・パイロットが小さく、歌を口ずさんでいた。

 ・白い翼を、瑛己は見た。「空(ku_u)……」

 ・そう言って自分を見た白河の目が、とても優しくて。少し居心地の悪くなった瑛己は視線を外し、思わずポロリと言葉を漏らした。「……運がよかっただけです」

 ・『笹川』空軍基地は、瑛己がつい今朝方までいた所だった。

 ・空(ku_u)は「風だった」 空を駆け抜ける、一陣の白い風。そう思った……それ以外の言葉が、瑛己には思い浮かばなかった。

 ・『湊』第23空軍基地、第327空軍飛空隊・通称『七ツ(nanatu)』。

 ・ 瑛己の突然の異動。出発間際、元同僚の1人が彼にこう言った。「先にくなよ」

自分がその〝優秀なパイロット〟の枠に入るとは思えない。さほど飛行技術に優れているわけでもないし、学校を主席で卒業したというわけでもない。

 ――〝空の果て〟が見たいだけだ。と。



 ・瑛己はそれに軽く苦笑すると、自分は軽めの朝食を頼んだ。トーストとサラダ。昨日と同じメニューだった。

 ・〝運命の女神に好かれた男〟(飛がつけた)

 ・そこには瑛己の名前と、出身、生年月日、そして『湊』空軍基地 第327飛空隊 『七ツ』所属と掘り込まれていた。

 ・これは、パイロットが配属と共に渡される物で、身分を証明するドッグタグの役割も担う物だった。

 ・「あの目……お前によく似てる」

 ・意志の強さを現すような、燐とした光を持った目。そして、善も悪も、まっすぐに見晴かすような……あの瞳。

 ・『明義』基地到着…そこで何を言われたのか。ここの総監がどんな人だったのか、何を話したのか……後になって、瑛己はまったく思い出せない事に気付いた。

 ・「怖かった、だから向かった、か」

 ・青く光る飛空艇。その機体の中央に、無造作に、7つの星がかれていた。後で聞いた話。これは、新が磐木の許しを得て、前日の夜に描いたものだった。すべての機体に刻まれたそれを見て、瑛己は瞼を閉じた。



 ・翌日、いつもと同じに目を覚ました瑛己は、昼過ぎまで宿舎で本を読んで過した。

 ・瑛己の部屋は本当は2人用だったが、同居人はなく、1人で使っていた。

 ・両手を鍵盤に落とすと、一つ、指を込める。もう一つ込める。それが、メロディになっていく。

 ・それは瑛己のよく知る曲だった。そして一番気に入りの曲だった(〝約束の場所〟)。

 ・無凱は自分を捉えていた。銃口がこちらを向いたのに気付いた。なのに。結局、無凱は撃たなかった。空(ku_u)が現れたからだろうか。だがその前に撃てる機会はあった。無凱は、その瞬間を外した。

 ・(なぜ?)

 ・そして突然現れた白い飛空艇……。まるで自分達を助けにきたかのように。無凱……【天賦】が退くのを見るや否や、自分の仕事は済んだとでも言うように、去って行った。

 ・無凱はなぜ撃たなかった? そして空(ku_u)はなぜ……。

 ・〝砂海〟で助けられ。今回も、自分は。

 ・一体……〝彼〟は、何者なんだろうか? 二度も自分を助けてくれた、飛空艇乗り。それは一体……。

 ・同じ目をしてる。まっすぐな、あまりにも精悍な輝きの瞳。それはかつて彼女が出会った、ある飛空艇乗りと同じ目だった。



 ・「ひでぇ……お前いつからそんな、問答無用な性格になったんだ……?」「磐木いわき隊長の所為せいだよ」

 ・瑛己にとって兵庫は、兄のような存在だった。

 ・何だかんだ言っても、瑛己は兵庫をとても慕っていた。大好きだったのである。

 ・艇影を見て彼はすぐに、それが兵庫の飛空艇だとわかった。

 ・『湊』空軍基地。その名前は、瑛己にとって他の基地とは違う意味合いを持つ。

 ・ここはかつて、自分の父が飛び、―――消えていった場所だから。

 ・兵庫おじさんはここで、何を見て、何を感じてきたんだろうかと、瑛己は思った。そして12年前、その空で。一体何を見たのか……。

 ・父が消えたその日、その時。兵庫はそこにいたのだと言う。その後すぐ、空軍を退いた。そして今、その空を。何を思って飛んでいるのか……。

 ・あの時瑛己は9歳になったばかりだった。だけど留守勝ちだった父の事など、よく、覚えていない。だが……兵庫と、そして母に聞かされる「父」という存在の事。けれど俺は……。思った言葉を、寸前で飲み込んだ。

 ・―――前に【海蛇】と対峙した時。3機を相手に、瑛己はやはり、必死に立ち回った……だがあれから、あの時の事を思い出すたび、瑛己は思う。一瞬、自分は撃つ事をためらった。その所為で命を落としかけた。3機の飛空艇、その1機の背中を捉えたその時。瑛己はほんの数瞬……だが、撃つ機会を外した。それが元で直後、被弾し。……結果はどうあれ、彼の中にはずっとその時の事がわだかまっていた。

 ・(俺は、父さんみたいにはなれない)

 ・父だったら……そして世に〝エースパイロット〟と呼ばれる者ならば。恐らく、戦場で躊躇ちゅうちょする事などないのだろう。それが、己の運命を左右する事を知っているから。

 ・(根競こんくらべで)負けるわけにはいかない。

 瑛己は、何だかんだ言ってもまだ空戦経験は少ない。技量は認める。だが……。彼には経験によって得る〝勘〟というものが、まだあまりない。そして、飛の中の〝勘〟は、注意しろと告げている。

 ・瑛己はふっと、歌を口ずさんだ。気に入りの曲。父が好きだったという、そのメロディを。



 ・(これが、あの、空(ku_u)の乗り手……)

  心臓が、ドキリと跳ねる。

  自分の手に、別の意識でも生まれたかのように。その手は、無意識に〝彼〟のゴーグルへと伸びていた。

  胸の鼓動が鳴り止まない。

  ゆっくりとゴーグルを外す……。

  そして、日の下にさらされたその顔を見て、瑛己は言葉を失った。

 「……まさか……!」

  その時、意識を取り戻すように、その瞼が深く揺れ動いた。

  瑛己は魅入られたかのようにじっと、その顔を見た。

  そしてその瞳が開かれようとした……だが次の瞬間。

  頭に走った強烈な痛みと共に、彼の意識は暗転した。

 


 ・その日の空が、あまりにも澄んでいて。

  雲一つない、まっさらな蒼空で。

  それは、どこまでも高く。高く高く続いていて。

  無限に。世界のすべてを包み込むように。彼方へと導くように。

  僕は初めて、空が美しいと思った。

  そして、その日。

  父は、その空へとかえった……。

  僕はそれを聞いた時、どう思ったんだろう……?

  あの日の空は、これほど鮮明に覚えているのに。

  父が逝ったと知ったその日、その時の事は。よく覚えていない……。


 ・「飛びたかったから、飛んだだけです」

 ・だがそれを受ける瑛己の目は、あまりにも静かだった。兵庫はその双眸に、一人の人物を思い出さないわけにはいかなかった。



 ・日の光に透ける瞼のそのずっと奥に。途端、浮かび上がってくる残像がある。

 (消えない)

  あの時目にしたすべての映像が。

  そして、あの少女の面差しが……。

  名うての飛空艇乗り、空(ku_u)。

  この空で、その飛行技術は誰に勝るとも劣らない。目にした者は皆、魅入られてしまうと言われ、憧れを抱く者は少なくない。

  そして逆に。その翼を落とした者は空の歴史に残る……そう言われるほどの、飛空艇乗り。

  それが……なぜ? 瑛己は思った。なぜあんな……。



 ・「用件は1つ。あの時見たすべての事を忘れていただきたい。それだけです」

   女はまばたきをしたが、瑛己は視線一つ動かさなかった。

  「ご理解ください。さもなくば、私はこの場であなたを消さなければならない」

  「……」

   瑛己はふっと小さく息をこぼした。「それは」

  「空(ku_u)の乗り手の事ですか?」

  「判断はお任せ致します」

 ・「忘れろと言われて、簡単に忘れられるほど」瑛己はゆっくりと、緩やかに瞬きをした。「僕は、器用じゃありません」

 ・「伝言を、お願いできませんか?」女はクルリと振り返った。「……ありがとう、と」


 

 ・のんびりと日々を過す、本を読んだり、音楽を聴いたり。『湊』の町並を散策に行ったりもした。活気のある、中々いい町だと思った。あかレンガの洋風な造りに、似たような建物と入り組んだ路地。最初は迷ったが、道を尋ねれば誰しも、笑顔で気安く案内してくれた。瑛己はこの町が、この1週間でとても好きになった。

 ・昔からそうだ……兵庫は決まって、行き先を言わない。どこかへ連れて行ってくれる時も……自分がどこかへ行ってしまう時も。

  そして、瑛己は思った。

  兵庫おじさんがこんなふうに自分を誘う時。それはまた、自分の前からいなくなってしまう時なんだ……。

 ・〝自称・郵便屋さん〟。だが彼が本当はどんな仕事をしているのか、瑛己はよく知らない。

  しかし瑛己は、別に知らなくたって構わないと思う。

 (それで、何が変わるわけでもない)

  自分の兵庫に対する気持ちも。その存在も。何も揺らぐわけじゃない。



 ・「今ね、丁度あなたの話をしていた所なのよ! 今日はこないのかなぁって思っていたんだけども。ナイスタイミング。さっすが〝運命の女神様に一目惚れされちゃって、以来ラブラブな子〟だわ」

 ・すると、田中は意味ありげに微笑んだ。「まさか、海月さんに惚れてるとか?」

 「……違います」

  確かに、海月の事は嫌いじゃない。だが瑛己にとって海月は……この一週間話すうちに、姉のような存在になっていた。

 ・「15で学校を卒業。それから3年の航空学校を経て、18歳で『笹川』空軍基地へ配属、そしてこの春『湊』空軍基地へ異動。以来、〝運命の女神に好かれた男〟という呼び名を欲しいままにしている。ここへくる途中、【海蛇】に遭遇し、すぐに輸送艇の護衛の任務で【天賦てんぷ】と対峙、無凱むがいとの激闘。からくもそれを無事に抜け基地に戻ったあくる日、無断で基地を飛び出し、【海蛇】の渦巻く海域に出る。そこでかの【竜狩り士】と対峙するも、撃墜。現在は謹慎を言い渡され、怪我の療養に励んでいる」

 ・「父親・聖 晴高は、君が9歳の時に行方不明に。当時空軍の中でも指折りのエースパイロットだった彼は、〝空の果て〟に消えて行ったと話題になった。母親・咲子はそれから君を女手一つで育ててきたが、君が空軍に入るのを見届けると、それに安堵したかのように2年前」

  「……父と母の話は、関係ないでしょう?」

  「ともかく、ある意味君はとても面白い背景を背負い、今を、そしてこれからを飛ぼうとしている。そう思えてならない」

 ・「君は『湊』にきてから、この短期間で様々な体験をしている。そしてその体験には、一つの共通項がある。そうだろう?」

 ・「空(ku_u)。君の飛ぶ先には、その存在が必ずある」

  その目の先には、先ほど田中が置いた写真があった。

  セピア色に、スピードの振れもある……が、瑛己にはそこに映っている機体が何か、すぐにわかった。

 そして田中はゆっくりと、舌なめずりでもするかのようにゆっくりと、言葉を解いていった。

  「最初の出会いは『湊』への異動の途中。【蛇】に苦戦している所へ、空(ku_u)は君を助けるようにして現れた」

  「次は〝獅子の海〟だ。無凱との接戦の中、結果としてまたも君は助けられる事になった。それに恩を感じたのかな? 【蛇】に囲まれていると聞き、厳罰覚悟で飛んだ。君がその分別を欠いているとは思えないからね」

  「君の飛ぶ先には、いつも空(ku_u)がいる。偶然か、それとも必然か、そこまでは俺にもわからない。しかし随分、できすぎている気もするがな」

  「……あんたは……何が目的だ?」

  その問いに、田中はフフフと笑った。「目的?」

  「俺はただ、真実が知りたいだけだよ。この空に溢れるすべての、光と闇と、真実をね」

  「……」

  「そして、君は」

  瑛己は、ゆっくりと田中を見た。

  すると田中は彼の目を待っていたように、まっすぐ彼の瞳を見つめた。

  その奥にある、彼の心を覗き見ようとするかのように。

  瑛己は背中にゾワリとしたものを感じた。だが、目がそらせなかった。

  「あの日、空(ku_u)の正体を―――見たんじゃないのか?」

  瑛己の心臓が、ドクンと一つ、大きく跳ねた。

  ―――空(ku_u)。

  「あの日、君は空(ku_u)をかばって墜ちた。だが空(ku_u)は、爆破した飛空艇から脱出した君を守るように飛んだ。そのせいで【竜狩り士】の弾を浴び、致命傷にはならなかったが、不安定な走行で空を落下して行った。それを目撃した者がいる」

  「その後君は近くの無人島の海岸に倒れている所を発見された。だが、その浜には何か巨大な物にえぐられたような跡が残っていた。―――まるで、飛空艇が胴体着陸したかのような跡がね」



 ・瑛己は、明らかに安堵の表情を浮べた。

  その様子に、飛は怪訝に眉を上げ、瑛己を、そして田中を見た。



 ・その目は、凛と、澄み切っていた。

 「総監、僕らも行きます」

  白河は、そんな彼を眩しそうに見つめた。「そうか」

 「すまん。……いい。私からも頼む」

  磐木達を探してくれ。―――助けてくれ。

 「聖……頼む」

 「はい」

  瑛己は飛と秀一を目で促した。

  そして2人が部屋を後にし、最後に戸をくぐろうとした時。瑛己はもう一度白河を見てこう言った。

 「必ず全員で戻ります」

  その言葉は、白河にとって魔法になった。

 ・瑛己は、半信半疑、尋ねた。

  秀一が〝予言屋〟と呼ばれる事は知っていた。何度か、出撃前に彼が言った事が当たったのだと……  だが、本当にそんな事があるというのだろうか?

  未来を見る事ができるなどと―――そんな事が?



 ・(ここが、〝零地区〟か……)

  瑛己は太陽を見上げた。

 ・〝零地区〟と一言で言っても、広い。

  だが……瑛己にとってその名は、父の最期へとつながる。

  父はここで、あの空に消えた。

  〝空の果て〟……空が割れた、その向こうの世界へと。

  それが今、ここにある。

  空を見渡しても、どこにも、切れ目などない。

  どこか遠い世界の、絵空事のようにも思える。

  だが、現実にそれはそこに存在したのだ。

  その空に、果ては生まれ。

  (父さんはそこに)

  そして今自分は、そこへ向かおうとしている。

  自分は何を目指しているのだろう、と瑛己は思った。

  空軍に入った理由。なぜ自分は空に生きる事を選んだのだろうか……? 父と同じ道を、歩こうと思ったのだろうか……。

  父の背中。

  瑛己は父・聖 晴高を、よく覚えていなかった。

  遊んでもらった記憶もない。顔すらも、写真のものしか浮かんでこない。

  むしろ、幼少の記憶に登場する顔は兵庫の方が多い。兵庫おじさんに遊んでもらった記憶は、いくらでもあるというのに。

 (俺は、父さんを憎んでいるのかもしれない)

  ふっと、瑛己はそう思った。

  自分に何一つ残さず、勝手に空にかえった父。

  自分はそんな父が……憎いのかもしれない。

  父親がいないという引け目を感じた事はなかった。母がいたから。兵庫がいたから。

  けれど―――。

 「面白い背景、か」

  田中の言葉を思い出し、瑛己は小さく笑った。

  誰がそんなものを、望むか。

  その時瑛己の脳裏に、一人の少女の顔が浮かんだ。

 (あの少女は)

  一体、なぜ飛んでいるのだろうか……。

  この空に、並ぶ者はないと言われ。

  その翼には、一級の価値があると称えられ。

  墜とした者は、歴史に残るとまで言われる。

  尊敬と敬意。

  そして、憎悪と敵対心。

  常にその背を追いかけられ、そして狙われる、白い鳥。

 (なぜ)

  なぜあの子は飛んでいるのだろう?

  何のために、何を目指して。

 (彼女は)

  何を背負って。飛ばなければならないというのだろう?

  ―――忘れてください。

  時島と名乗ったあの女性。彼女は一体、何者なのか。

  ―――見たんじゃないのか?

  空(ku_u)の正体を探る、田中という男。

 (そして、自分は)

  どんな空を、飛ぼうとしているのだろう? そして、どこへ行こうとしているのか。

 (その行く空の果てで)

  自分達は、何を見つけるというのだろうか?

 「父さん……」

  そして父はその果てに、一体何を見たのだろうか……?

 ・出かけ際、白河に言った言葉を思い出した。そして瑛己は苦笑した。

  とんでもない約束をしてしまったものだ。

  この空に―――人の一生に、必ずなんて言葉、ありはしないのに。

 「……」

  だが……瑛己はふっと思った。

  必ず。

  そんな言葉も吐けなくなった時、それはもう、終わりの時かもしれない。

 「……必ず」

  彼は改め、その言葉を口にした。

  それで自分に、勇気を持たせるように。

  それで自分を、強くするために。



 ・「こないな時に、文字の軍団眺めて何が面白いんや」

 ・あれから、瑛己は前以上に空を見る事が多くなった。その雲の中に、その蒼の中に……無意識に、何かを探すように視線を走らせてしまう。

 ・この広い空の下で。誰もが幸せに平和に暮らし、生きている……そんな夢を描くのは、愚かな事なのだろうか?

 ・「で、小暮ちゃんから2人に伝言。くれぐれも大人しくしてるように!」

  「なんスかそれ。何やそれじゃぁ、俺達が、しょっちゅう問題起してるみたいやないスか」

  〝達〟という言葉に、瑛己は露骨に顔をしかめた。それを見た飛がムッとした様子でそれに食って掛かった。

  「何や瑛己、その顔は。まさかお前、〝運命の女神にぞっこん惚れられてる分際〟で、まさかまさか、自分は真っ当な人生歩んでますと?? 問題なんぞミジンコほども起してませんと??? 言うつもりやないやろな」

 ・「あいつは……案外、激情家やからな」

  普段、多くを語らない、自分の心にどれだけの事を飲み込んで、言葉にしない青年。

  だからこそ、その胸にどれだけのものを秘めているのか。

 ・空を見るたび、いつも思う。

  もしも見上げた空が、すべての答えを導いてくれたら。

  この心を苛むすべての疑問と不安の渦を。眺めたその空が……まっさらに、消し去ってくれたらと。


 ・「運命の女神様は、バカでまっすぐで、すっごく悩んでても顔に出せないような……そんな奴が好みなのかもね」

だけどもね、瑛己。答えは一つじゃない―――晴高が好きだった言葉よ」

  「……」

  「考えて考えて……悩んで悩んで。そうして答えを探す事もあるわ。あの聖 晴高でさえね。空を飛ぶ事、どれだけの想いを抱えて、不安を抱えて。彼だって飛んでいたかわからない。そしていっぱいいっぱい考えてこれが正しいと思って出した答えすら、信じられなくなる事もある」

  それが絶対正しいと、神に誓う事ができた答えですらも。

  「……」

  「ただ、」

   目を閉じた海月の瞼に、優しいあの笑顔が蘇った。

  「例えどれほど万人に罵られ、後世にあざけられるような答えであっても。それを出すのは自分自身よ。そしてそれを信じる事ができるのも、その意志を誇る事ができるのも」

   脳裏に浮かぶ、聖 晴高の瞳が。

  「たった一人。あなたの人生は、あなただけのものよ」



 ・瑛己の脳裏に浮かぶのは、写真の中の父の姿。セピア色に身を染めて、飛空艇の前で微笑む父の姿だけだ。

  母がそれを時折、とても淋しそうに眺めていた事を瑛己は知っている。

  そしてそんな母が言っていた。父が残したというたった一つの、瑛己への言葉。

  ―――自分の空を行け。

  「……俺は父さんみたいにカッコよくは、生きられない」

  だけどせめて。だからせめて。

  (自分の空……)



 ・「確かにあの時も……『獅子の海』が危ない事を、僕は知っていた。あの映像を見たのは瑛己さんがくる前日だったけど。僕はあの時、確信があったんですよ。絶対大丈夫だって」

  「……」

  「それは、あなたがきたから」

  「……」

  「僕の映像に瑛己さんはいなかった。そしてあの日、『海雲亭』であなたを見た時、僕は思いました。感じたって言ってもいい……未来は変わる」

  「俺に運命を変えろと?」

  「あなたなら……」

  「そういう宗教家まがいの台詞セリフ、好きじゃないんだ」

  「……瑛己さん」

  「買いかぶらないでくれ」

  「……」

   瑛己はスッと立ち上がった。

   それを目で追いかけ、秀一は何かを叫ぼうとするかのように顔を歪めた。

   だがその声は。瑛己の瞳に掻き消された。

   その、凛としたまっすぐな眼差しが。

   困ったように笑う……その姿が。

  「俺は」

   瑛己は瞼を細め、遠い水平線を眺めた。

  「自分のできる事を、精一杯やるだけだよ」

  「……」

  「だからお前も」

   瑛己は秀一を見た。「負けるな」

   その目に秀一は、胸の奥から何かがドッと溢れそうになるのを感じた。

  「瑛己さん……」

 ・瑛己はそっと視線をそらした。金色を浴びたその横顔に、秀一は……ふっと笑みをこぼした。

  「……あなたが何で女神様に愛されるのか、わかる気がします」

 ・女神様に、愛されている

   瑛己は苦笑した……だとしたら。

   彼女は自分に、何を求めているというのだろうか?

   こんな小さな自分に。

   一体、何を―――。



 ・《―――退いてくれ》

 ・「俺に……飛ばせてください」

  《聖、》

  「……話がしたいんです」

   この空で。

   その翼で。

   羽を交えて。

   銃撃の声で。

 ・「―――謹慎でも、懲罰でも」

   瑛己は瞼を強く見開いた。

  「好きにしてください。ですが、」

   俺は、その命令に。

  《聖ッ》

  「従えません」

 ・《どうするつもりだ》

   磐木がポツリと呟いた。

  「どうもしません」

   ふっと。

   彼自身それがなぜだか。後になってもわからなかったが。

  「ただ飛びたい。それだけです」

   笑みがこぼれた。

 ・瑛己の機体は、1人、空へと舞い上がった。

   秀一は、その時の光景を後で瑛己にこう言って聞かせた。

   天使のようだったと。



 ・―――始まりは、空。

  ―――仰ぎ見た、白い翼。

  空(ku_u)はそれをヒラリとかわし、下降から一転、左へとひねり上がった。

  後ろを取られるわけにはいかない。瑛己は歯を食い縛り必死に逃げる。

  ―――それに自分は助けられ。

  一瞬気を許した瞬間、正面に、空(ku_u)の姿が踊り出る。

  ドドドドド

  ―――見惚れていた。

  避ける事ができたのは、奇跡だったかもしれない。

  運命の女神が助けてくれたのか……? そう思って苦笑した。それくらいのハンディがなければ。

  ―――どれだけの感謝と。

  雲が薄らいでいる。

  少しずつ、空が明るくなり始めている。



 ・脳裏に浮かぶ写真の中の父は、いつも穏やかに微笑んでいる。

  まるでそれは、すべてを認めて、理解して。

  優しく、守り、慈しむかのように。

  (……父さん)

  瑛己は目を閉じた。そして初めてこう思った。

  会いたいと。

  父さんに会いたいと。

  父さんと母さんと。

  3人でこの空を眺めて。3人で、笑ったり、悩んだり、そんな毎日を。

  過してみたかった。

  父さんに。

 「……」

  会いたかった。

  ゴーグルを脱ぎ捨てた。

  もう声を上げて泣いていいか? そう思った。

  もう思いっきり笑っていいか? そう思った。

  もう、俺は……。

  ―――その時だった。

  無線が音を立てた。そしてその向こうから、震えるような声が一つ、瑛己の耳へ届いた。

  生きて、と。



 ・―――敬意と。

  操縦桿を手前に引き倒すと、目の前いっぱいに白い空が広がった。

  そして、次の瞬間。

  ―――そしてあの時からずっと。離れない……顔。

  その瞳に、雲間から、光が、飛び込んできた。

 「あ」

  ―――どうして、君は。

  それはとても、眩しくて。

  それはとても、輝いていて。

  ―――この空を。そんなふうに。まるで自由に。

  目が熱い。

  胸が焼けるようだ。

  ―――飛べるのかと。

  涙が、こぼれた。

  ダダダダダ

  ―――俺は、君に。

  機体が揺れる。

  火花が散った。

  ―――俺は、……。



 ・「馬鹿者」

 「……申し訳ありません」

 「まったく、お前という奴は」

  磐木が大きく溜め息を吐いた。珍しく崩れたその顔を、瑛己はぼんやりと眺めた。

 「どこまでも―――聖隊長に、そっくりだな」

 「……」

  磐木が初めて、微笑んだ。

  短い黒髪は、水をひたしたかのように濡れて光っていた。

 「あ」

  おぼろげに。瑛己は思い出した。

  飛空艇を飛び出した。

  パラシュートと共に海に落ちた自分を。だがしっかりと支えてくれた、腕があった。

 『聖ッ!』

  一生懸命、名前を呼んで。

 『聖 瑛己、しっかりしろッッ!』

  ……その時、2、3度殴られたような気もするが。

  この、岸辺まで。運んでくれた人がいた。

 「……隊長」

  瑛己は、頭を下げた。それに磐木は「ふん」と鼻を鳴らした



 ・瑛己は初めて、言葉が万能でない事を知った。

  そんな彼の気持ちを、まるで察したかのように。

  彼女は、ふわりと微笑んだ。そして、スッとその右手を差し出した。

  瑛己は少しだけ驚いたように目を開き、苦笑のように笑った。

 「ありがとう」

  握った手の向こうで、彼女が呟いた。



 ・「何見惚れてんだ、お前―」



 ・―――生きて。

  君の声に。

  僕は、この道を選ぶ。

  父さん……。

  ごめん。そして、ありがとう。




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