~Σ/シグマ~ 愛を探って
「コフィンさんっ!」
音は宙に浮くコフィンに抱き着いて、再会の抱擁をする。
コフィンも満面の笑みを浮かべる音をぎゅっと抱きしめた。実に二か月ぶりだ。月日が経つのは早いと思う。
それから、ゆっくりと体を離して、姪っ子の成長を計るように顔を上下させる。
「ウタノさん、お久しぶりです。ちょっと見ない間に、まぁ、大きくなりまして……」
「そう? 音って背、伸びたかしら? どう思う、樹?」
「胸の大きさじゃない?」
「ま、まさかぁ……」
彩子は樹の淡々として物言いに、顔を歪ませる。
『ターミナル02』の停泊モジュールについて間もなくのことだ。無重力状態の閑散としたゲート前控室で、樹たちは、コフィン・コフィンとリーン・セルムットと顔を合わせることができた。
リーンは小隊長の男に付き従って、この場を後にしたがまた顔を出すことだろう。
それまでは、樹たちも入場許可がおりるまで、ここで待つことにしたのだ。
樹と彩子は上下左右のない、久々の無重力に軽く酔い気味で、備え付けてあるバーに腰をおろし、床に足を固定させる。
すると、コフィンが音を抱きかかえたまま、二人の前に流れてくる。まるで、子供をだっこするお母さんのように、優しく音の体を支えていた。
「お二人も、お元気そうで何よりです」
「ええ。無事に〔アル〕の修理もできましたし、これからまたよろしくお願いします」
「そういえば、なんで∑なんてつけたの?」
彩子が横槍を入れて、樹は仕方ないと肩を竦めて見せた。
その反応には、彩子もむっと口元を尖らせる。
「単純に一号機のムリブの頭文字のMと二号機のワズンの頭文字、Wの間を取ったら、記号の∑みたいになったから」
「そんな理由だけ?」
「まさか。他にも∑記号は総和の意味もあって、〔アル+1〕の完成形ってことよ」
そして、樹たち操縦者の技能の和でもある。
彩子はそこで感嘆の声を上げて、手を打った。
「まともっぽい理由だわ」
「ネーミングなんてこんなものよ。そう思いません、コフィンさん?」
樹は微笑むコフィンに言って、真剣な眼差しを向けた。
コフィンはぎゅっとしがみつく音の髪を撫でながら、ゆっくりとバーに腰掛ける。ちょうど、音を膝の上に座らせる形だ。彼女の息遣いが、耳元にかかる。甘い、安らかな息は、とても懐かしいものだった。
「なんだか、ロマンチックな名前だと思いますよ。しかし、これから同じ部隊に配属されるかまではわかりません…………。もう、あなたたちの機体は完成してるわけですから、もしかしたら特殊チームになるかもしれませんよ?」
「そんなこと、ないわよ」
彩子がニカッと笑った。
「どう考えたって、実力不足。あたしらみたいなのって、厄介者扱いでしょうし。でも、コフィンさんと、軍曹とかは違うでしょう?」
彩子は隣で軽く目頭を押さえる樹の方を向いた。
「そうね……。あの隊長の男とかいっぱいのところは、嫌だ」
きっぱりと言う樹に、彩子もコフィンも思わず吹き出してしまった。
確かに、偉そうに指図してばかりの軍人がいる場所は、息が詰まってしまいそうだ。『地球平和軍』の内部には、まだまだ偏見と陰険な差別があることを実感させられる。
コフィンは口元に軽く手を添えながら、樹と彩子を見た。
「そうそう。リーンさんね、曹長になりましたよ」
「それって偉いんですか?」
彩子は首をかしげて、即座に問うた。
それには、コフィンも目を丸くし、樹に至っては深々と息を吐いた。
「な、何よ。曹長って、どう偉いの? 企業的例えるとどうなのよ?」
彩子は二人の反応に、恥ずかしくなってまくし立てる。
「例えて、あなたわかるの?」
「…………。わからない、と思う」
樹の冷静な意見に、彩子は視線を逸らす。
「な、なんといいますか。一応、下士官の最上階級ですから、とても努力なさったんですよ」
「でも、コフィンさんの方が上なんでしたっけ?」
「准尉だもの、当然でしょう。変な話、セルムット曹長は出世街道のお先真っ暗」
「どういうことよ?」
「下士官から士官に上がるのって、大変なんだって」
彩子はわかったような、わからないような適当な返事をして、コフィンを見た。
「努力家な人が好きなんですね?」
「えっ! あ、いや、そ、それだけじゃなくてですね……」
「それだけじゃない? 図星なんだ」
慌てふためくコフィンに、彩子が悪戯な笑みを浮かべる。
以前から互いに意識していたのを知っている彩子たちから言わせれば、そろそろ進展があってもいいころではないか、と思っていたものだ。
赤面するコフィンは目元を伏せて、うとうと微睡む音を思わず抱きしめた。
心の奥がざわめく。想い人がいながら、いつまでも胸の奥に仕舞いこまれている言葉が急に熱を帯びて、身を焦がす。同時に、伝えたとき、彼がどんな反応をするのだろうかと不安に息が詰まる。
今がそういう色恋沙汰をしている場合ではないと思う。自制的な言い訳ばかりが、コフィン自身を悩みの淵に追い込んでしまう。
「うぅ……。コフィンさん、苦し」
「ああっ。ご、ごめんなさいっ」
目を覚ました音を解放するコフィン。
音は宙で一回転すると、向かい側のバーに足を引っ掛けて、浮遊する。まだ眠気が抜けきっておらず、大あくびをする。
「恋煩いも、いいけど。場合が場合だし、はっきり言うべきじゃありませんか?」
「樹みたく、きっぱり言えれば苦労しないのよ」
樹の意見に、彩子が呆れ口調で言った。
「でも、死んでからじゃ遅いでしょう?」
「そういう、ものですけど……」
「先生のことだってあったし、人間、いつ死ぬかわからないですよ」
厳しいようだが、現実的な意見だ。
どう考えても、このままため込んでいても、コフィンのためにならない。恋愛経験のない樹にしてみれば、野暮なアドバイスなのかもしれない。ヤッシュ・カルマゾフのこともあって、本当に異性を愛することの辛さ、喜びはわからないから、うらやましくもある。
コフィンはしばらく唸って、自分の胸に手を当てた。高鳴る鼓動が伝わる。この気持に嘘がない、と照明するように叫んでいる。
もし、頭でこの気持を否定しても、きっと心は叫び続けるだろう。
「そう……、なってほしくありません。死んでしまうとか、そういうの。わたし、恋愛ってわからなくて、どうすれば、恋人になれるのかもわかりませんし……」
「そんなの、誰だってそうですよ」
彩子はコフィンの顔を覗き込んでいう。
「あうぅ……、音には、難し?」
「出会いなさそうだもの」
樹がきっぱりと言った。
それには、音も頬を膨らませて、彼女を睨んだ。確かにそうだが、可能性云々ではなく、恋愛しないよね、といったニュアンスが含まれてる気がして、何となく腹立たしい。
何となく、という引っ掛かりを持っていてはまだまだ先の話になりそうだが。
コフィンは顔を上げて、今一彩子の顔を見た。明るい表情には、不安を見せない強さがあって、瞳は輝きを持って意志を宿している。
「自分で決めるってこと、大切だと思いますよ? たとえ、望まない結果になっても」
彩子はまたニカッと笑って見せる。
自分で選んだ道。後悔も、喜びも、苦しみも、希望も、全部ひっくるめて、皆守彩子を強くしてくれた。最悪の結果だったしても、他人に頼った道ではないのだ。そこから這い上がるために、彼女はここにいる。
ここで、みんなと戦うと決めたのだ。
コフィンはそれでも、どこか踏ん切りがつかない様子で眉をひそめる。
「だから、怖いんですよ。だったら、今のままがいいかな、と」
「ふぅん。コフィンさんは、曹長さんとどうなりたいんですか?」
「え? どうなりたい、ですか?」
つまらなそうに見たいた樹の言葉に、コフィンは目を見開いた。
「単純に一緒にいたいだけなら、このままでもいいかもだけど。それ以上の、何かが欲しいんですよね?」
「物欲的な言い回しですね。確かに、一緒にいられれば、幸せですから。それが、一番です」
「それじゃ、その一番をものにすればいいんですよ」
「はい?」
「樹、その発想は怖いものを感じるわ」
彩子は樹の実力的で捕縛的な意見に、賛同できない。
しかし、コフィンは口を半開きにして無表情の樹を見ていた。まるで、底に答えが眠っている感じているかのように。
音も興味津々といった様子で眺めている。
「一緒にいる時間を延ばすにはどうすればいいか? それはもう、同居しかないでしょう?」
「話がぶっ飛んでるわよ!」
「い、一緒に暮らすんですか? け、結婚とかもなしに?」
「こっちは同棲って発想がなかった!」
彩子はこれが、お嬢様な方たちの思考かと思うと、ついていける気がしなかった。
樹は実力でのし上がった行動派令嬢。
方や、コフィンは大切に育てられてきた箱入り令嬢。
常識一般の観点からでは、確かに物差しが違うのかもしれない。
「あたし、道化もいいところじゃない……」
「彩子、元気、出す」
満面の笑みを浮かべて、彩子の前に立った音はぽんと彼女の肩に手を置いた。
その慰めは肩に重くのしかかった。
「で、でも、そういうのは婚約した人同士に許されることで……。間違いがあっては……」
「なるほど。プラトニックな恋愛をしたい、と?」
「…………」
コフィンは年下の少女に問われて、気恥ずかしさに口元を隠し、視線を逸らした。
どう答えてよいものだろうか。一応、思春期の女の子。多感な時期ではあるし、控えた方がいいのだろうか。そもそも、経験を伴っていない自分がどうこういうのはどうなんだろうか。
悶々と思考を巡らせていると、通路に続くドアが開いた。
「待たせたな。入場許可が――――、って何してんだ?」
入場許可を伝えに来たリーン・セルムットがゲート前控室の異様な空気を察して、訝しんだ顔をする。
全員がリーンに顔を向ける。樹は無表情を、彩子と音はつまらなそうな顔を、そして、コフィンは真っ赤な顔を。
リーンは状況が理解できず、入室を控えた。
「一応、ここの責任者がおよびだから、お前ら、出頭しろよ。准尉は――」
「は、はいっ!」
肩を跳ね上げて、コフィンが返答する。三つ編みもぴょこんと跳ねた。
リーンはさらに不安そうな顔を浮かべる。何か、よからぬことを吹き込まれたのではないか、と樹たちを一瞥する。
「……。准尉は、『ガーデン1』の技研に機体のデータ転送のことです」
「りょ、了解です」
その力んだ口調に、樹たちも不安な表情を浮かべる。
「もう、後戻りはできない感じだけど、大丈夫なわけ?」
「むしろ、ほら、慣用句にもあるでしょう? 背水の陣。追い込んでこそ、発揮される力もある」
「コフィンさん、恋、する?」
樹たちは顔を近づけて、日本語で密談する。
とはいえ、やはり恋愛経験のない者同士、恋の行く末は全く予想がつかない。横から見ているぶん、気持ちは楽だが、コフィンにしてみれば、今の気持ちを抑え込んでおくのは難しいだろう。
そして、その相手はそういう素振りを見せもしない。
大丈夫かな、と樹たちは改めてコフィンとリーンを見比べた。
夜の病院は静かで、ナースステーションしか明かりが灯っていなかった。
夏のうだるような日差しを失った廊下は暗く冷たい。ひんやりとした空気が体を包み込む。スリッパの鳴る音が闇の中に吸い込まれていくのを聞くと、足を今にも止めてしまいそうだ。
宇宙もこれくらいくらいのだろうか、と結喜・ジャンクロフォードは思った。ロケットの打ち上げが成功を聞いて、気持ちはどこか落ち着かず、そわそわしていた。
というのも、結喜は看護師から電話があると言われたからだ。その相手が誰かは想像するのは容易く、自分の中の小さな恐怖心を押さえつける必要があった。
彼女は三角巾で折れた右腕をつるして、ナースステーションまで来た。
「アーノルド・ジャンクロフォードさんからですよ」
「ありがとうございます」
結喜は受付に座るベテランの看護師から受話器を受け取って、耳に当てた。
「もしもし?」
『俺だ。その後の経過はどうか?』
しわがれた英語が聞こえて、結喜は相変わらずだなぁと肩を竦めた。
「ええ。あなたが連絡してくれたおかげで良好よ。でも、固定された腕はちょっとかゆいかも」
『……そうか。問題ないなら、いい』
「フフフ……」
『何がおかしい?』
結喜は柔らかい笑みを浮かべて、滑らかな英語を話す。
「あの子に似てるなって思って」
『樹のことか? ならば、縁は切った。奴がそれを望んだ』
その言葉は初耳で、結喜は目を見開いた。
それは樹が絶縁状を叩きつけたことではなく、アーノルドがそれを認めたことだった。
「以外。あなたはそういうの、嫌いとばかり思ってた」
『あれは好き勝手し過ぎだ。今も、宇宙にいるのだろう』
「あの子が選んだ大切な道だから。わたしは止めりしなかった。あなたは、どうだったの?』
アーノルドの言いよどむ声が聞こえた。
病院の静けさに、背筋に悪寒が走る。ナースステーションの明かりだけという異様さに、恐怖心も沸き立ってくる。
たっぷりの時間を経て、アーノルドは重い息を吐き出した。
『どうということはない。どうせ、結果を残してくるだろうからな。いい宣伝になる』
「フフッ。そういう素直じゃないところは、あの子、似ちゃったのね」
『下らん』
「あら、そう? 樹はずっとわたしのこと恨んでるものだと思ったから、当然の反応だと思ったけど? 右目をダメにしちゃったから」
受話器を握る手に力がこもる。
樹と離れ離れになってしまった理由。結喜が公園の遊具で遊ぶ樹から少し目を放したほんの一瞬のことだ。樹は遊具から転落してしまい、運悪くボルトに右目をめり込ませてしまった。そのことが原因で、失明。痛い思いをさせた上に右目まで失ってしまった娘に、結喜は当初、後悔の念で一杯だった。
アーノルドはその一部始終を部下から聞いていたため、特に驚きの息遣いはなかった。
『恨まれていたのは、俺の方だ。その右目を直そうとしたばかりにな』
「そういう気持ちがあるから、わたしは心の底からあなたを恨んだりできないの。ちょっとズルいと思わない?」
『フンッ。こうして、お前が馴れ馴れしく話すようになったのことには、心底不快だがな』
「そう。でも、いいじゃない? こうして、あなたの本心も聞けたから」
『…………女とは、つくづくわからん』
「それはどうも」
そして、がちゃりと通話が切れる音がなった。
結喜は受話器を耳元からゆっくり離して、大きく息を吐いた。
一応、物語の折り返しくらいです。タイトルが∑ですけど……。
ですが、物語は続いていきます。ぐだる部分が目立ちますが、お付き合いのほどよろしくお願いします。
またご意見、ご感想もお待ちしおります。こちらもよろしくお願いします。




