~Σ/シグマ~ 重力振り切り、再び宇宙へ
打ち上げまで、あと僅か。
ひしひしとくる緊張感の中、樹は〔アル〕の操縦席についた。病院から急いで帰還、休む間もなく着替えと荷物を整えて搭乗した。
汗で濡れた体にパイロットスーツが気圧調整のために、体を締め付ける。
「意外と、早かったじゃない? 樹」
「待たせるのも、悪いでしょう?」
樹は呼吸を整えながら、ヘルメットから聞こえる彩子の声に、素っ気なく返した。
真っ暗な操縦席にはイルミネーションのように輝く、計器類とコンソールの数々。それらのスイッチを弾き、押し、ヘルメットのバイザーにあるHUDに外部の映像を出力させる。
「結喜さん、元気?」
「いい方よ」
音の心配そうな声にも、樹は同じ反応を示して、作業を進める。
手順が終わると、シートが九〇度倒れて、リクライニングモードになる。背もたれと座席下のピストンが調節しているのだ。シートベルトを締め、タイマーの準備。
樹の淡々とした様子に、彩子と音は心配そうな表情を浮かべる。もうすぐ、地球から離れるというのに何か悪いことがあったのではないか、と。
少しの間が開いて、樹は作業手順を一瞬止めて言う。
「今度、一緒に家に来てね、だって」
気恥ずかしそうな声で、それを紛らわすように作業を再開する。
彩子と音は口元をゆるませる。急に体重が上からのしかかる感覚が大きくなる。
「そっか。それじゃ、頑張んないとね」
彩子は一度、拳を手に打ち付けると気合を入れなおした。
「あい。また、来るっ」
音も嬉々として、両腕を伸ばした。HUDに映る薄い空と暗い天井に伸ばした手を開くと、そのままスロットルレバーにおろした。
気合十分。しかし、気合だけで宇宙に飛び立つことはできない。
樹は全確認行程と準備を済ませると、有線通信で発令所に呼びかける。
「全行程終了。次の指示を」
「え? ちょっと待ってください」
「……?」
管制室で何か問題でも起きたのか、担当の女性オペレーターの上擦った声が耳に入った。
そこはまさに、基地の指令室といったイメージがぴったりの巨大な空間だ。正面の壁は巨大三面モニタが備え付けられ、地表地図やクラスターロケットの監視映像に状態、打ち上げの予測進路などが大々的に映し出されている。樹たちと連絡を取る女性オペレーターはいくつも並べれた長いデスクの一つに腰掛け、デスク・モニタを眺めつつ、同僚の男性からの報告を聞いた。
「――――頼む」
「了解。操縦者各員へ、問題が発生しました」
男声が持ち場に戻るのを目で見送って、女性オペレーターはインカムを口元に近づけ、緊迫した表情で言う。
「どういうことですか?」
彩子が首周りの気圧保持を再度確かめながら問う。その声は管制室のスピーカーを通して全職員に告げられた。
つい三十分前まで何の問題もなかった。なのに、打ち上げ直前の神経質な時に発生するのは、気持ち的に引っ掛かり覚えてしまう。
樹と音も今の状況が、深刻なのをすぐに感じ取った。
「衛星軌道上で、戦闘が確認されました。それによる実害はこちらにありませんが、ランデブーする『ターミナル02』との回線が妨害されています。なので、JAXAの方で打ち上げの中止が検討中とのことです」
「人工衛星のバックアップがなくても、地球と太陽があれば、こちらで軌道を修正します」
樹は強い口調で抗議する。
駐留する『ターミナル02』の位置は軌道計算時に算出しているし、たとえ軌道がズレても樹たちの操縦で補うことは可能だ。
しかし、それ以上に低軌道上での戦闘というのが、樹には気がかだった。人工衛星破壊の報告は受けている。敵と交戦する状況も考慮できる。が、地球の近くで戦闘する状況が全く持って不可解なのだ。
優秀な指揮官がいれば、まず重力と大気に足を取られやすい低軌道上での戦闘は避けるはず。
「戦いが起きてるなら、手助けした方がいいんじゃないかしら?」
彩子が真剣な表情で言う。
「そだよ。早く、いて、助ける。一番いい」
「許可が下りなければ、打ち上げはできません」
女性オペレーターは血気盛んな子供だな、と肩を竦める。
と、管制室にぞろぞろと人が入ってくる足音がした。彼女は思わず振り向いた。
「藍崎主任?」
入ってきたのは種子島基地の老学者たち。その筆頭である藍崎敏信が、手近なデスクの通信マイクを借りて、管制室のスピーカーを入れる。
「あー、あー、テステス。ううんっ。諸君、打ち上げの許可が出た。作業を再開しとくれ」
「え? だって、さっき出たばかりなのに?」
女性オペレーターはついにボケが来たのかと疑ったが、デスク・モニタに新しい指令が送られ目を疑った。
敏信の言った通り、JAXAからの打ち上げ続行の指令が来ている。
彼女は敏信が根回ししたのではと思ったが、彼ののほほんとした表情やぞろぞろと入ってくる老人たちを見て無益な詮索だと思考を打ち切った。
「操縦者各員、打ち上げは計画通り続行します」
その報告に、樹たちは喜びの表情を一瞬浮かべたが、すぐに真剣な表情に戻ると了解と返答した。
「カウントダウン、七分前。合わせっ」
その掛け声とともに、樹たちは事前にセットしていたタイマーを作動させた。
残り四二〇秒。
その報告は種子島基地から数キロ離れた一般人向けの展望スペースにも伝わったはずだ。それ以前には、海上保安庁、地元警察、統合政府、全世界に向けてこのクラスターロケットの打ち上げを知らせている。宇宙に出るのはそれだけ、多くの関わりがあって、準備が必要なのだ。それをたった数日でこなしてしまう種子島基地、ならびJAXAや統合政府の連携は素晴らしいものだ。
樹たちは多くの人たちの力を借りて、今また宇宙に戻ろうとしている。
クラスターロケットのペイロードフェアリングには改良された〔アル〕が搭載されていることなど、種子島基地の職員以外知らない。そのことに後ろめたさもあって、自分たちのわがままの壮大さに驚きあきれてしまう。
「緊張するっ」
彩子は身を震わせて、ひきつった笑みを浮かべる。
「うぅ。お腹、痛い」
「やれるだけのことはしてきた。大丈夫。後は、実行するだけだから……」
不安がる音に樹は静かに告げる。
「ミス・佐奈原、聞こえておるかの?」
「教授?」
それは、ここまで世話を焼いてくれた藍崎敏信の声だった。どたばたとする管制室で、彼は〔アル〕との回線を開いたのだ。
彼を含めて老学者たちが三面モニタに映るクラスターロケットの様子を静かに見ている。〔アル〕の修復に当たった多くのその弟子や整備員たちもまた特等席で打ち上げの時を待っている。
「あっ。この二か月お世話になりました」
樹の今思い出しました、という上擦った声が管制室に苦笑をもたらす。
そのあとに、彩子と音が弾んだ声でお世話になりました、と続いた。二人すでに職員たちと別れを告げて、感謝と少しの寂しさを持っていた。
敏信もまた、かつての教え子が宇宙に旅立つとあって寂しい気分だ。
「ああ、わしらも楽しませてもらったからなぁ、礼を言うよ。ありがとう」
「そんなお礼なんて……。こちらの我がままでしたのに――――」
「発射、五分前っ」
女性オペレーターがはきはきと告げる。
残り三〇〇秒。
敏信はのんびりしている時間はないと察して、通信マイクを握る手に力がこもる。
「そうそう、結局、今君たちが乗っとる機体、名前は何にしたんじゃ? 聞いとらんで」
樹たちはあっと口をそろえて言う。
「どうしよう、決まってない」
「なんでさっさと言わないのよ。こういうのって、バシッと決めるのが筋ってもんでしょう?」
「名前、そのまま、ダメ」
「ダメっ。絶対ダメ」
「そんな、強く、言わない……」
「何ムキになってんのよ、馬鹿。こんなところ聞かれたら赤っ恥よ」
三人は回線がつながっているのも忘れて、声を押し殺してああだこうだと言い合う。
内線にしているつもりなのだろう、と管制室の人たちは微笑ましく思いながら、この声を聞くのも今日で終わりか、と名残惜しい気分になる。この二か月、老人たちは孫が顔を見せてくれたよな気がして、長生きしていて、よかったと実感させてもらった。権威ある学者とはいえ、歳を取ればやっかまれる。だから、種子島基地の過ごしやすさと気兼ねなさはよかったといえよう。
それでも……、
「また、遊びに来てくれんかね?」
「難しいはずじゃ。なんせ、戦争に行くんじゃからな」
「あの子たちは、ほんに優しい子で、楽しかった……」
「ああ、長生きも悪くないのぉ」
集まった老学者たちは口々に、心中を吐露する。やはり、別れというのは寂しいものだ。
中でも、マイク・ジャール・ナダンは顎をしゃくって、顔の筋肉を硬直させていた。鼻の啜る音が豪快に響く。
「残り、二分。花火、あげます」
女性オペレーターが言い放ち、管制施設の屋根に設置されている発射装置から一発の花火が上がった。
それは、打ち上げ二分前を知らせるためのもので、周辺地域にわかりやすいようにしてもらうためだ。また、発令所の屋根には高く赤い旗が掲げられている。これもまた打ち上げ時の決まりで、船舶の運行停止を知らせる印となっている。
ドンッと低い破裂音。花火の音は展望スペースに集まる一般観衆にも確認できた。
「もう間もなく、ロケットの打ち上げが開始されようとしています。多くの人が見守る中、緊張の時間が過ぎていきます」
中継するキャスターの女性がカメラを前に、嬉々とした様子で話す。
カメラマンが集まった多くの人々を映して、老若男女、島民から県外の人が期待に満ちた表情をしている。しかし、幼い子供には退屈な時間が過ぎていき、愚図っている子もいる。
観客たちの期待感が上がっていき、樹たちにも高揚感が増してくる。
その高鳴る鼓動が、地球に降りてきてからの日々を思い起こさせる。電光石火で駆け抜けて、三人の頭から胸にしみ込むように記憶は流れていった。
もう戻ることはできない時。だからこそ、樹は、彩子は、音は、もう一度宇宙に行く力強いものを受け取ってきた。
その集約されたものが、〔アル〕を蘇らせた。
「…………ぐま」
「何? クマじゃと?」
樹のつぶやきに、敏信が聞き返した。
「いいえ、違いますよ」
樹は静かにスロットルレバーを握りなおして、HUDに映る空を見た。どこまでも広く高い、青天。天へといざなうように羽衣のような雲が流れる。
「残り、一分っ。秒読み、開始します」
女性オペレーターが緊張した声を上げて、秒読みに入る。
そのカウントは周辺地域に伝達され、多くの人が固唾をのんで見守る。旧式のクラスターロケットが打ち上げられることなど、もうないだろう。マスドライバーが修復されれば、燃費の悪い燃料ロケットはお払い箱だ。
だからこそ、人々の心には宇宙への希望が宿り、かつての空を飛ぶことを夢見た先人たちのロマンを感じ得られることだろう。
樹たちはぐっと身を構えて、打ち上げの時に備える。
緊張の中、樹はゆったりとカウントを耳と目で確認しながらいう。
「この機体は、∑。〔アル∑〕です」
「三十秒前っ」
カウントダウンは続く。
敏信たちは樹の言葉に唖然としながら、心のどこかで安堵していた。
彼らにはその意図が何となくわかってしまって、敏信が代表するようにつぶやく。
「語呂が悪いのぉ」
「十秒前っ」
樹たちは意識を空に、宇宙へ集中させる。
「みなさん、お元気で!」
「さようならっ! ありがとうございました!」
「ばいばい!」
「――――六っ!」
女性オペレーターが声を張った。
樹は返事を待たず、クラスターロケットのブースターを点火。
背中から突き上げる振動が容赦なく襲い掛かる。脳が揺れる。視界が揺れる。それでも、意識ははっきりとしている。
左右についたブースターによって煙が発射装置一面に立ちこめ、轟音が大気を震わせる。
数キロ離れた展望スペースで歓声が沸き立つ。今までにない迫力が、彼らの心をも揺るがす。
「――――〇っ!」
最後のカウント。
樹は一気に本体の一段目を点火。一気にいくつものノズルから火が噴きだし、光りが煙の中で輝く。大気を割らんばかりの爆発音が周囲を竦ませる。
そして、発射装置からクラスターロケットが離れ、果てなき青の空へと飛んでいく。
観客たちは爆発音に歓声をかき消されながら、空へと延びていく煙の線を追った。歴史の再現が間近に見られた興奮、迫力。吹き込んでくる衝撃波に、体が痺れる。
人の可能性を感じて、宇宙は近くにある、と改めさせられた。
「――――っ」
クラスターロケットの外部につけられているカメラから得られる視界は、とても不安定で吐き気がしそうだった。それ以上に、樹たちは自分の体重の十倍近くかかる負荷に耐えなければならない。
頭が割れそうに痛い、などと嘆き暇などない。
加速を駆けるクラスターロケットはシュミレーション通りの軌道に乗り、ぐんぐんと高度を上げていく。
「一〇〇秒経過。ブースター、切り離し、どうぞっ」
轟音の中で、樹は女性オペレーターの声を聴いた。
クラスターロケットのブースターの燃焼が終わり、パージが施される。ブースターが太平洋へと落下していく。
クラスターロケットはさらに高度を上げて、雲の上へと到達した。種子島の面影は小さくまだ見えた。
「次、第一段、切り離し、どうぞっ」
「――――っ」
樹はぐっと歯を食いしばり、スロットルレバーのスイッチを押した。
そして、一段目が切り離されるのをHUDで確認し、二段目が点火。一段目は雲の上から青い海へと落下していく。
ガンッとさらなる負荷が三人を襲う。全部で三段組のクラスターロケットなので、あと一回はこの意識を削り取る衝撃に耐えなければならない。途中、三人全員が意識を失えば、地球へと逆戻りだ。それも、高高度落下による転落死つき。
彩子はHUDに浮かぶ、次のカウント表示に目を向ける。
クラスターロケットはいよいよ宇宙の暗さを眼前に控え、成層圏を突破する高さにまで来ている。ここに来て、気圧の大幅な変化でロケット全体が軋んだ音を立て始める。
「が……、おう……、き……っ」
その影響からか、地上からの通信が途絶え始めていた。いや、衛星通信が利かないのだ。
「ダメです。通信、できませんっ」
「…………」
固唾をのんで見守る管制室。静かな空気と張り詰めた緊張感が満たしていた。
「――――っくぅ」
通信が遮断されて、樹たちは戦闘が行われている影響だ、と結論付ける。
樹はむっと背中に力を入れて、軌道軸のブレを修正。すぐに、ロケットがノズルの向きを変えて軌道を直した。
そこで、二段目の燃焼が完了。切り離しと同時に最後のノズルに火が入る。
「――――っ」
点火。三度目の衝撃に、樹たちはいよいよ頭と首が離れてしまったのではないかと思った。
だが、中間層を突破し、熱圏に到達。もはや、カーマルラインを越えて宇宙と大気の間だ。目の前は漆黒の光景が広がっていた。
そして、三段目があっという間に燃焼しきって、クラスターロケットの推進力をすべて使い切った。
「ラストッ!」
樹はブラックアウト寸前の意識の中で、告げた。自身と彩子と音の意識が急速に浮上する。
そして、最後の力。まるで卵の殻を破るかのようにペイロードフェアリングが空中分解し、中に入っていた新しい〔アル〕、〔アル∑〕が六基のバリアブル・バーニアを広げた。
以前よりも引き締まった追加装甲は、重装甲というより鎧の色が濃くなり、可動範囲を広めていた。六基のバリアブル・バーニアも改良化され、テール・バインダーには試作型の『ガンメタル』ジェネレーターが搭載されている。それは、敏信の元に流れ着いた『ガンメタル』を使用しており、本体にも採用されている。腕部にはカタナ。片方に一対、計四本のカタナが装備されていた。
〔アル∑〕は四つのセンサーアイを発行させると、バリアブル・バーニアと脚部サブ・スラスターを点火。フル出力で、大気の膜を突き破るように飛翔する。重力と大気の弱まった空域なら、プラズマ推進でも十分な働きができる。
樹たちは徐々にリクライニングモードから通常モードになる座席を感じながら、機体が周回軌道に入り始めているのを実感する。しかし、まだまだ重力を振り切ったわけではなく、加速しながらだが、負荷は常に正面からきている。
そして、座席が元の位置に収まるとメイン・モニタが起動し、HUDがバイタルサインを報告する。
樹たちはそこで、緩やかになる速度の中で宇宙と地球のコントラストを正面に見た。
「あ……」
音はその地球の暗い部分を見下ろしながら、ぽつぽつと明かりが見えたのに胸が震える。
人の光だ。人が住んでいる光だ、と心の中でつぶやく。
「っつぅ。高度五〇〇キロメートル……。低軌道上ってことでいいかしら?」
彩子はやっと落ち着いてきた機体の振動にほっと胸をなでおろしながら、メイン・モニタに表示されている高度を読み取った。だが、HUDに表示されている心拍数や脈拍の高さに肝が冷えた。下手をしたら、脳の血管が破裂していたのではないかと思うくらいだ。
樹は軽く頭を振って、スロットルレバーとラダーペダルをしっかりと操作する。まだ、気は抜けない状況だ。眼下に地球の夜を見てしまっては、また吸い込まれそうで思わず背筋が凍る。
「まだ、気は抜けない。それに、戦闘がどこかで起きてるだろうから、加勢しないと」
「そだたっ!」
「すっかり忘れてたわ」
樹の一言に記憶をよみがえらせた彩子と音は、戦闘の準備に入る。装備、問題なし。妨害、検出。そのほか機能、異常なし。
三人は呼吸を整えると、頭上に浮かぶ流星のごとき火線を睨みつけた。
「いくよ、二人ともっ!」
了解、と彩子と音が返答する。
〔アル∑〕は三人の気合いを貯め込んだように、北上していった。
一方、地上ではすべてのクラスターロケットパーツの落下を確認し、〔アル∑〕が無事に宇宙へ飛び立ったのを観測した。
管制室では安堵のため息が漏れ、職員同士労いの言葉が飛び交う。大きな仕事をやり終えて、そして、旧式のロケット打ち上げというロマンを叶えて満足していた。
「がんばるんじゃよ、三人とも」
その中で、藍崎敏信は一人そうつぶやいた。
その後ろではめそめそと鼻水と涙を豪快に流すマイク・ジャール・ナダンが他の老学者に宥められていた。




