~Σ/シグマ~ 低軌道に混乱を
低軌道というのは、高度という感覚を人に思い出させる。
眼下に広がる地球。大地と海と雲がはっきりと視認でき、高いと生理的に働きかけるのだ。少しでも気を抜けば、すぐに地球の大気に捕まり後は高度を下げて、摩擦熱で燃え尽きるだけ。
リーンは〔バーカム〕の操縦席に座りながら、足元に広がる地球を意識せざるを得なかった。
「もうすぐ、予定宙域だが……、本当にそうなのか?」
「反応が消失したのは、事実です。以後の反応もありません」
パイロットスーツのヘルメットから聞こえたのは、〔バーカム〕の前を先行する二機の〔AW〕、〔バーミリア〕通常装備の操縦者だ。
彼が今回の偵察部隊リーダーであり、その隣にいる〔バーミリア〕電子戦装備がそのバディであり副隊長だ。階級が上ではあるが、どこか新機種に乗って調子に乗っている風でもあった。
リーンの丁寧な言い回しに、リーダーの男はふんと鼻を鳴らした。
「どうであれ、面倒なことを坊ちゃまから承ったんだ。これで何もありませんでした、だったら、お前、立場がないぞ」
「立場云々を気にしてもらえるほど、成績はよくありません」
リーンは〔バーカム〕の高度を上げて、サブ・モニタに映る後方の映像を見た。
〔バーカム〕から数十メートル離れた位置で、高度を調整する〔ギリガ〕電子戦装備だ。双樹者はコフィンだ。そのマニピュレーターが保持しているのは、分隊支援火器に当たる軽機関砲がある。九〇ミリマシンガンと同規格のケースレス弾を採用しながら、全長一〇メートルはあるそれは別格の迫力を持っていた。
しかし、〔ギリガ〕電子戦装備はどこか煩わしそうに軽機関砲を両腕部で抱えている。無理もない。本来、〔ギリガ〕の後継機に委託されるものを使っているのだから、体格的な不便さが出てくる。それでも、データがほしいというからコフィンが必死になって担当している。
サブ・モニタの〔ギリガ〕電子戦装備との相間距離を示す数値が徐々に広がり始める。
「コフィン准尉。離れ過ぎないでください」
「りょ、了解」
コフィンの上擦った声とともに、〔ギリガ〕電子戦装備がメイン・スラスターを噴射して、一気に〔バーカム〕へと接近する。
そのことを先行する二機の〔バーミリア〕は感知して、操縦者たちが言う。
「何だよ。まるで態度が違うぞ、あの女」
「いいように、弄ばれてたんだよ。だから、曹長には従順なのさ。いや、絶対服従か?」
「ケツの穴でも、ヤられたか!」
その会話がリーンとコフィンにも届いて、不快感を誘った。もちろん、それを承知でオープンチャンネルで話しているのだろう。
そういう奴らが小さな偵察部隊とはいえ、まとめる立場にいるのがどうしても腑に落ちない。
「あんたらだって、少佐にケツ振ってんだろうが……」
リーンはヘルメットのバイザーを上げながら、小声で言った。
権力にすがって、甘い汁吸ってるような連中はそれこそ、ヤッシュ・カルマゾフの犬も同然だ。それを快くして信頼されていると勘違いしているヤッシュも器量の小さい上官だが。
「リーンさん……」
「ん。専用回線?」
リーンは側面に伸びているメイン・モニタに目を向けると、〔ギリガ〕電子戦装備がすぐ横を飛んでいた。〔バーカム〕に頼るかのような飛行だ。
それから、少し悩んでチャンネルの周波数を合わせる。盗聴されないとは限らないが、話を聞く分は大丈夫だろう。それに、このように内緒話を持ちかけられては、同伴する奴らはつけあがるはずだ。
「あまり感心できませんよ、准尉」
「あ、ええ、そうですけど……」
コフィンはメイン・モニタから見える〔バーカム〕の精悍な顔を見て、リーンの表情を重ねてしまう。品のない挑発が不快だったのもそうだが、地球が真下に広がっている感覚は彼女の恐怖心を増長させていた。だから、誰かに手を握ってもらうような、安心感がほしい。
いつの間にか、ひ弱な女に戻っているのを自覚しながら、それでも心の中に膨らむもやもやがリーンを求めていた。
リーンはそうした彼女の露骨な脆弱さを耳元で聞き取ると、ぞわりと肌が泡立った。甘酸っぱい想いではなく、生理的な嫌悪感だ。コフィン・コフィンが気を引こうとしている感触は、リーンも察知している。明確さを持っていなくとも、直情的に働きかけるものがあるのだ。
しかし、例えコフィンに寄り添っても、きっと彼女を堕落させてしまうだろうとも予測できてしまう。
「任務中ですから、専用回線は控えてください。あいつらが何言っても、事実無根なんですから、気にする必要ありませんよ」
「え? それはその……、そうです、けど」
コフィンはリーンの素っ気ない声に、気持ちがしぼむ。
その時、偵察部隊全機の〔AW〕のセンサが、電波の混乱を察知する。地磁気や太陽風の局地的な影響ではない。人為的に発生した電磁波の乱流だ。
リーンはコンソールパネルを操作して、電子音を止めるとサブ・モニタの情報に目を通した。
「妨害? こんな北の方で?」
メイン・モニタに映る地球の曲線とそこから顔をのぞかせる太陽の光を見て、機体の最終方位情報を確認する。
人工衛星の最終測位情報は、北緯六〇度近く。ノルウェーの上空を飛んでるも同じだ。さらに北上をしていると考えれば、今はアイスランド付近になるだろう。
だが、妨害が敷かれている以上、人工衛星からの情報は期待できない。さらに言えば、彼らの位置情報もあいまいなものになってしまう。それは、高度も同じことだ。
「全機、高度に気をつけろよ」
先行していた〔バーミリア〕二機が〔バーカム〕に近づき、小隊長が注意を促す。
「了解」
こればかりは、リーンも素直に受け止めて、上げていたヘルメットのバイザーを下げる。
〔AW〕光学センサに依存した高度予測は正直心もとない。高度を計る電波高度計がつかえない以上、無茶はできない。
「それにしても、敵はこの状況で作業をする意味、あるんでしょうか?」
コフィンはバイザーのHUDに地球に向けられたカーソルに注目して、機体が引き寄せられていないか、確認する。
〔AW〕ほどのものなら、地球の巨大な引き寄せられてしまう。一定高度を保つ意識を、コフィンを含め全員に要求される。
リーンがコフィンのひび割れた声に対していう。
「おそらく、人工衛星の通信網を混乱させたいのでしょう。地球からの弾道ミサイルとか、シャトル便とか。位置がつかめないというのは、厄介なんですよ」
「だとして、敵、『新人類軍』はこの近くにいることになりましょう?」
「そうだ。お前ら、気を引き締めていけ」
コフィンの言葉に賛同した小隊長が雄々しく言い放った。
それに、副隊長の男が甲高い声で続いた。
「こういう時に、新しい機体に慣れておかなきゃぁいけねぇよ。退屈でしかたなかったぜ。敵がいるってのはいいストレス解消になる」
〔バーミリア〕二機の操縦者たちの高揚感は、驕りからくる虚栄の産物だ。状況を見れば、自分たちの足元が不安定で、一歩間違えれば燃え尽きてしまう。その事実をどこかに置き忘れている。
リーンは自機の〔バーカム〕を〔バーミリア〕二機の間に割り込ませて、無線で呼びかける。
「こんなところで、無益に戦う必要はありません。敵の動向を探るまでにして――――」
「怖気てんじゃねぇぞっ! その小さい肝っ玉でよくよく、戦場って場所に出る」
「銃を突きつけあって、ドンパチするだけが戦争じゃない」
リーンは語気を強めて言った。
すると、〔バーミリア〕電子戦装備が〔バーカム〕を小突く。茶化すかのような動き。
リーンもくぐもった音を立てる操縦席で、咄嗟にその方へ顔を向ける。
「そういう場所で男ってのは興奮するもんだろ? しみったれたテメェの感覚は見ていて気持ち悪いんだよ」
「本音と実情を混ぜたって、状況は変わらない。わかってるのか?」
「おいおい。上官に対しての口のきき方はどうした? だから、お前みたいなのは、軍ではみ出し者なんだよっ」
小隊長が操る〔バーミリア〕通常装備は、専用のライフルレールガンで〔バーカム〕を後方へ押しのける。
リーンは無理に抵抗せず、流れのままに機体を後方へ下げた。悔しさがこみ上げてくると同時に、どうしてこうも新しい機体に振り回されるのかわからない。
「新しい機体に乗って、モチベーションを上げるなんて、それで実力が伴うのか?」
「セルムット曹長」
コフィンの緊張した声音が無線に届いて、リーンにも緊張が走る。軍人らしい引き締まった物言いが、同僚として仲間として安心できるものだった。
「どうしたました?」
「左斜め上。アームウェアらしき影があります」
「――――っ!」
リーンは息を飲むと言われた方向に注意を向ける。とはいえ、〔バーカム〕のセンサでは、望遠にして見つけられても米粒に等しい大きさだろう。
そう考えると、コフィンは〔ギリガ〕電子戦装備のセンサでよく見つけられるものだ。性能的には〔バーカム〕が上である以上、そうした索敵能力、目の良さは操縦者たる彼女の力。
やがて、偵察部隊は編隊を組み、コフィンが指示した方向へと機体を北上させていく。
そして、小隊長が興奮を抑えきれない声でいう。
「敵発見だっ!」
〔バーミリア〕通常装備はそれに触発されたように、ライフル・レールガンを敵がいるだろう方向に構えた。
ライフルレールガンは、試作型のロングバレル・レールガンを改良し、反動を抑えたレールガンだ。それはかつて、アリスが使っていたデータからできた産物の一つだ。
リーンはその動きに肝を冷やした。
「ここで戦うつもりかっ!?」
「だったら、どうした?」
〔バーミリア〕電子戦装備もまたライフル・レールガンを構えて、突撃姿勢になる。
「軽率過ぎはしませんか? 敵の数は、えっと……、四機、六機? ですけど、戦闘の意志はないように見えます」
「だが、敵は敵だ」
副隊長が言った。
コフィンの言うとおり、ここで攻撃を仕掛けるのは危険を伴う。
敵である『新人類軍』の〔AW〕、〔ミリシュミット〕が確認できるだけで六機。ちょうど、廃棄処分になった人工衛星を分解し終えたらしく、必要なものをコンテナにまとめているところだった。
考え方によっては、廃棄された人工衛星を掃除している行動にも見えるが、その裏には何があるかわからない。もとは今現在でも使用されている人工衛星すら破壊して、残骸を回収しているのだから。
「なぜ、今回に限って廃棄衛星を……」
リーンが思うのは、やはりそこだ。どういう基準で人工衛星を破壊しているかは、わからない。廃棄衛星くらいならば、損害それ自体は軽微。
しかし、〔バーカム〕が望遠した人工衛星を見て、眉をひそめる。
「太陽パネル以外の、何だ? モジュールを取り出している?」
望遠の粗い画像には〔ミリシュミット〕数機が人工衛星の胴体に取り付き、一機がマニピュレーターで何かを取り出しているようにも見える。
リーンがその様子を慎重に観察していると、小隊長がしびれを切らしたように〔バーミリア〕通常装備を突進させる。
「おいっ! 待てっ!」
「敵が泥棒しているところを、黙ってるつもりかっ!!」
小隊長はもっともらしいことを言うが、その実、敵が固まっているのを好機として殲滅にかかったのだ。
好戦的な衝動。動物が持つ闘争本能が、人の中で爆発する。
副隊長もまた抑え込んでいたその衝動を触発されて、〔バーミリア〕電子戦装備のメイン・スラスターを噴射して、小隊長を追っていく。
「そうだ。先手必勝だ」
「動向を探る方が先決ですよっ」
コフィンは攻撃的な二人に嫌な予感を感じて、心臓が高鳴る。
敵に攻撃を仕掛ければ、彼らとて奪ったものを守るために迎撃手段に訴えてくるだろう。目に見える力に対しては、同じ力を持って排除する。
その原理は狩猟とは違う。コミュニティ間の決闘とも違う。力をつけてしまった人の悪癖だ。
〔ギリガ〕電子戦装備は軽機関砲を保持しながら、〔バーカム〕の横についた。
「どうしましょう、リーンさん?」
思わず、コフィンはリーンを名前で呼んでしまう。不安な気持ち。私情が混ざっているのだ。
そのことに、リーンは彼女の方が階級上でありながら、下士官の自分に頼ってくるのがひどく嫌味に聞こえた。加えて、小隊長とそのバディは勝手に突撃をかける始末。
「こんな時に、さぁっ!!」
リーンはコフィンに怒鳴り散らしたいのをその一言に集約させて、〔バーカム〕を一気に加速させる。胸を掻き毟るような苛立ちがこみ上げてくる。どうしてこう、自分勝手に動くのだろうか。
「あ――――っ」
遅れて、コフィンも急加速する〔バーカム〕を〔ギリガ〕電子戦装備に追わせる。
すでに、太陽の光に隠れて、いくつかの閃光が地球と宇宙を駆けていた。低軌道上は地球の光、太陽の光でうまく弾道を追うことはできなかったが、その分敵機の影を捉えるのには苦労することはない。
それでも、足元が抜けたような感覚。吸い寄せられるような力が足首を掴んでいる気がして、コフィンはぐっと操縦桿を握る手、ラダーペダルを踏む足に力を込める。
その感覚はリーンにも言えたことだが、今の彼にはどう敵に対処するかというシンプルなものに切り替わっていた。




