~異変~ 進みだす
「ここもダメ。別の道を探すしかない」
樹たちは隔壁に阻まれて、思うように埠頭に行けなかった。
隔壁にぶつかるたびに、来た道を引き返して、別の道を探す。その繰り返し。
今ので、五度目だ。
その足取りも、自然と減速し徒歩となっている。時間と体力をもっと効率的に考えなければならない。
「なんで隔壁が降りてんのよ? 故障してんじゃないの?」
「電力供給だってままならないのに、故障って……」
苛立ち始めた彩子に、樹は淡々と言う。
彩子の発言は確かに、問題を抉り出している。
隔壁は『サテライト』の空気漏れや消火作業時に作動するようになっている。だが、現にいま作動しているのは、故障としか思えない。
樹は深く考えるのをやめて、首を横に振った。
「今は、脱出することを考えなくちゃ」
「ねぇ。こうなってくると、第五埠頭に行くの無理じゃないかしら? ほら、別の船を使うとかってどう?」
通路を戻りながら、彩子は不安を埋めるように樹に質問攻めだった。
樹は彼女の的確な疑問に、うまく答えが見つからない。
「船があっても、わたしたちだけじゃ動かせない」
「それじゃ、アレ。〔AW〕ってヤツはどう?」
「動かせるけど、距離的に難しいし……」
「もうっ! 八方ふさがりじゃない!」
彩子の憤りが爆発して、むしゃくしゃに髪をかき乱した。
その隣で、樹は落ち着いてと宥める。
このまま無下に精神をすり減らすのは得策ではない。
せめて、脱出する乗り物に検討がつけば、一旦は落ち着けると思うのだが。
ある機体が脳裏を掠ったが、三人乗りだ。一人でも動かせるとはいえ、心もとない。
二人が悩みながら歩いていると、突如通路に爆音が響いてきた。
「今度は何!?」
彩子は気が動転しそうになった。立て続けの災難に嫌気がさす。
樹は空気漏れの心配をしたが、そういった危機感はない。
爆発音は地鳴りのような残響をさせて、霧散していく。
それがかえって、彼女たちにもっと別の危機感を煽っていた。だが、同時に何もなかったところに振ってきたきっかけのようにも思える。
「…………いってみる?」
「正気? 出てく方法もわかんないのに」
「でも、何もしないままよりかは、マシ」
「……。わかったわよ。でも、ヤバくなったら逃げるからね」
樹と彩子は互いに危険であることを理解しながら、それでも進む道を選ぶ。
爆発音がしたほうへ足を運ぶが、残響もなくなり、方向を見失いかけた。
しかし、二人の鼻が何かを捉える。
「何よ、これ? すごく、嫌な感じ…………」
彩子がいち早く気づき、鼻を軽く摩った。
樹もその違和感を捉える。
「何かが焦げたのと――――、煙の臭い?」
二人は臭いをもとに、行く先を決めていく。
だんだんと臭いは濃くなり、そして気づかされる。
「ねぇ。何か生臭い感じがしない……?」
彩子は声を震わせて、樹のそばに寄る。
その感覚には、樹も同意だ。
「それでも、進もう」
「冗談でしょ? 明らかこの先――――」
彩子が樹の肩に手を乗せてとがめた瞬間、
「ぁぁあああああああああああああああああああ!!!!」
金切り声が樹たちの動きを麻痺させる。
悲痛と苦痛、狂気を孕んだ声に、心が握りつぶされそうになる。その痛みの慟哭は残響し、音叉のように通路に響いた。
「――――っ。行こう」
「ちょっと、嘘でしょう!?」
樹は纏わりつくざらついた感覚を振り切るように、走り出す。
錯乱と狂乱。
彼女の心のうちは、ただ物言わぬ恐怖が支配していた。
彩子もまた、恐怖に慄きながらも樹の後を追った。途中、足がもつれて転びそうになるも、背後に感じる悪寒に急かされる。
もはや、まともに考えられるだけの理性を二人は持っていない。
金切り声は止み、もとの、いや、それ以上の静寂が通路を支配した。
足音が嫌に耳にまとわりつく。
そして、ドアが半開きになった一室を懐中電灯の光が捉える。
樹は持っていたヘルメットをかなぐり捨てて、不用意にもそのドアに手をかけた。
「誰か、い――――っ!」
ドアを開けた瞬間、激しい後悔と目眩、急激な吐き気が樹に襲いかかってきた。
鼻孔を衝く異臭が人から発せられていると知って、胸の内で虫が蠢き犇めきあっている不快感が湧き上がってくる。
樹は反射的に口元を押さえつけて、喉まで出かかっているものを必死に抑え込む。
「ちょっと。どうしたの?」
彩子は顔面蒼白の樹の隣について問うた。
それで留めておけばよかったのを、鼻孔を衝く異臭と懐中電灯の光につられて、その方に視線を移してしまった。
「――――っひ! あ、ああっ!」
彩子は言葉を失って、後ずさり通路の壁に背中をぶつける。
視線はずっと懐中電灯が照らしだしたモノにくぎ付けで、へたり込んでしまう。
「――――ぅうっ、ぐぷっ」
彩子は上体をそむけて、たまらず胃の中のものを吐き出した。
当然の反応。思考を保つだけで精一杯だ。体裁を考えている余裕はない。
懐中電灯の先に照らし出されたものを、まだ人として見れた。
それが死体だと認識してしまった。
肉片が飛び散るとかではなく、全身に小さな破片が突き刺さり、顔面は皮膚も肉も眼球もぐちゃぐちゃで、辛うじて人の形をしている。血まみれなのは、破片の傷というより、重度の火傷だろう。皮膚がただれ、にじみ出た脂肪や血が床を濡らしているのだろう。
しかし、それだけではない。部屋中にはまだ人の死体が壁際に押し付けられ、力なく横たわっている。それだって、照らし出された死体と同等、それ以上にひどい状態かもしれない。
樹はそこまで観察して、いよいよ頭が血の臭いでいっぱいになりそうだった。
が、聞こえてくる嗚咽に意識が引き上げられる。
樹は喉まで来たすっぱいものを無理やり押し戻して、生唾を飲んだ。
「だ、誰か、いる?」
震える手で、懐中電灯を動かす。
真っ暗闇の室内はまだ煙っぽく、爆発物らしき塵が光に反射した。そして、死屍累々が光に照らし出されるのを、樹は歯噛みして耐える。
すると、部屋の一番隅っこで動く背中があった。丸めた背中は黒い汚れが付いているのかと思いきやそれは長い長い髪の毛で、怪我をしている様子ではない。だが、その小刻みに震える背中の下に、ぼろぼろになった人の足を見て頭がガツンッと殴られたような衝撃が走った。
「うっ、ひっく、ううぅ」
むせび泣く声に、胸を突かれ、樹は意を決して部屋の中に踏み込む。
焦げ臭いのと血の臭いが混ざり合って、思考が痺れてくる。
足元でぴちゃっと鳴るのを聞いて、背筋が泡立つ。
それでも、懐中電灯に照らし出された人のもとに、何とかたどり着く。
「…………」
そこまで来て、なんと声をかけてよいものか、樹は迷ってしまう。
むせび泣く少女は、遺体から離れようとする気配が全くない。どういう関係なのか、樹には想像する余裕がないのだから。
目の前の少女の姿は、とても壊れやすそうで、触れるのも怖くなる。
だが、樹はあえて、屈んで少女の肩に手を乗せた。
泣いている少女はびくりと肩を揺らして、恐る恐る樹のほうに顔を向ける。
「誰?」
日本語で、少女は言った。
涙と遺体の血で髪の毛が張り付いた顔は、悲痛な面持ちだった。
彼女から生きる気力は感じられず、下手をしたらここで死んでしまいそうな雰囲気だ。
樹は目を細めて、少女の傍らで倒れている人を見た。
「この人、あなたの知り合い?」
「…………母、音の母ぁ」
少女、音はぼろぼろと涙を流して、また遺体にしがみ付いた。
音、と言うのが少女の名前であり、同時に傍らの遺体が彼女の母親だと樹は理解した。
母親の死。突然の死に、音の理性が追い付いていない。この壮絶な場所で、生き残った彼女はあまりの出来事に錯乱しているとしか言いようがない。
樹はふと遺体の顔を見てしまって、その顔が綺麗で、逆に怖くなった。怪我の具合も、背中や後頭部に集中しているおり、おそらくわが子を守った証明なのだろうと推測した。
「ねぇ? ここは危険だから、わたしたちと一緒に来て」
樹は優しく、諭すように誘う。
時間だってあとどれくらい持つかわからない。移動速度が遅くなっても、その足を止めるわけにはいかないのだ。
音は泣きながら母、琴葉の顔に頬ずりするようにして、首を振った。
死を受け止めきれず、自分のすべてを失った彼女に、そんな提案は必要なかった。心を蝕む悲しみは、生きる希望さえも喰らおうとしている。
樹はその悲しみを感じながらも、音と琴葉の遺体を離そうと腕を掴んだ。
「いつまでも、そうしてたって―――」
「嫌。どこもいかないっ」
音は静かな声で、腕を振り払う。
樹はぐっと気持ちを殺して、再度彼女の腕を掴んで、強引に引き寄せる。
「離すっ! ここ、いるっ!」
「ふざけたこと言わないで!」
絶対に離れようとしない音。
樹も半ば怒りをあらわにして、音の体に腕を回す。
それでも彼女の手は、琴葉の衣服を離さなかった。
「ちょっと。あなたも手伝って!」
通路で嘔吐する彩子に言った。
もう出すものもないというのに、いつまでも嘔吐いて背中を丸めていた。
「うっぷ……。もう嫌」
彩子は情けない声を漏らす。
その声が樹に聞こえるはずもなく、目の前の音の抵抗に一度回していた腕を解く。
決して根負けしたのではない。
この平行線上の状況を早く何とかしなければ、と止まりかけていた思考をフルに活用させるためだ。
樹は母親の遺体にしがみ付く音を見て、その場を立って、彩子のもとに移動する。
「少しはすっきりしたでしょ? ほら、口のまわり」
樹はそう言いながら、床に放置された緊急パックを開けてタオルを差し出す。もはや彼女の嗅覚は血と煙の臭いで、吐瀉物の臭いなどわからなくなっていた。
彩子は目に涙を浮かべて、差し出されたタオルを受け取る。
口元を拭いながら、少し今の状況を整理できるだけの、元気を取り戻す。
「ごめん、足ひぱって」
「そう思うなら、次のこと考えてよ」
樹はさらに、緊急パックから十徳ナイフと小さなケースを取り出す。
ケースは機械仕掛けで、内部の気圧調整をしてくれるものだ。これの大型は、地球からの物資搬入に使用されている。
「…………」
一瞬、こんな手慰みをするくらいなら、と逡巡したが、その雑念を切り捨てる。
音をこのまま放置するのは、絶対にしてはいけない。偽善というならそれでいい。だが、彼女の母親の遺体を目にして、そうしてはいけないと確信している。
樹はもう一度、手にした道具とともに血塗れの部屋に足を踏み入れる。
音はまだ駄々っ子のように泣き、その場を動こうとはしない。
「ねぇ。お母さんを、地球に送ってあげようとは思わない?」
樹の発言に、音は驚いて、顔を上げた。
「ちきゅ…………。母、行きたいとこ」
音はうわごとのように言って、後ろに立つ樹を見た。
懐中電灯の光がまぶしく、思わず目を細めてしまう。
樹は音の隣に屈んで、懐中電灯の光を音の母親の髪に向けた。
「あなたが良ければ、お母さんの髪をこれに入れて行こうと思うの?」
「母、髪? 全部、ダメ?」
「残念だけど、遺体を運んでる余裕はない。だから、せめて……」
樹は手にしていた十徳ナイフからナイフを抜いて、音の手に握らせる。
これはで自殺されてしまうかもしれない。だが、それが音の選択だというなら、咎めることはできない。死を受け入れることが、決して弱さだとは限らないからだ。
音は握らされた十徳ナイフのきらめきに恐ろしいものを感じながらも、琴葉の想いがよみがえる。
『嫌いじゃないけど、怖いところよ。だから、地球に帰りたいかな』
帰りたい。音と一緒に、地球へ帰りたがっていた母の想い。
それが唯一の答えのようで、音に生きる活力を与えた。単純じゃない。琴葉は死に、遺体を残さなければならないことに、抵抗だってある。
だが、それで琴葉が報われるだろうか。
だからこそ、進まなければならないのでは。
音は涙をぽろぽろと流しながら、十徳ナイフで琴葉の髪を一房切り取る。
これが今生の別れだと知っていて、もう二度と母の顔を見ることができないのを知っていて、たった一房の髪にすべての想いを込めた。
止めどもなく溢れる涙を拭って、最後に琴葉の顔を覗き込んだ。
「さよ、なら…………。ぜたいちきゅ、いく…………」
音は声を震わせて、琴葉の冷たい頬に別れのキスをした。
隣の樹も、その親子の別れにぐっと胸を押さえる。
絶対に、生きて地球に送り届ける。音も彩子も、ここから連れ出すんだ。
ひそかに胸に誓いを立てて、樹は小さな勇気を振り絞る。
「さ。これに、髪を入れて」
キスを終えた音に、開けたケースを差し出す。
その中に、切り取った髪を入れてしっかりとケースを閉じる。
それから、ケースと十徳ナイフを交換して、ケースを持った彼女の手を包むようにして樹の手が重なる。
「これは、あなたが大事に持ってて」
「――――あい」
音は涙と血に濡れた顔で、少しばかり微笑んで見せた。
樹も頷いて、立ち上がる。
もう手段を選んでいる余裕はない。この惨状を起こした人物がいないとは考えにくいし、精神的にも限度が出てくる。
「一か八か……。かつての英雄だって、諦めなかったはず」
そうつぶやいて、最後の希望に自分たちの運命を委ねることを決断する。




