~Σ/シグマ~ 不穏の陰り
多発する人工衛星破壊に、宇宙の『地球平和軍』は危機感を抱いていた。
地球からのシャトル便が衛星測位システムを失って、宇宙に上がってこれないのもそうだが、それ以上に、その残骸を回収する『新人類軍』の行動が奇怪でしかたないのだ。
目的のほどは定かではなかったが、何かしらの作戦につかう資材集めといったところだろう、と作戦本部は推測している。
『地球平和軍』は予防策として巡回船を増やし、各宇宙ステーションに一個中隊を配備して防衛策に出た。
その中の『ターミナル02』では、ヤッシュ率いる実験小隊も配備されていた。もちろん、その部下であるリーン・セルムットとコフィン・コフィンも同行していた。
モジュールを組み合わせた構造は他と同じだが、最大級の規模を誇り、四方についた停泊モジュールによってシャトルからの人員はもちろん物資も、宇宙船への運搬がスムーズになる装置となっている。まるで凧のように張られた太陽パネルによって、施設ごと大きく向きを変えなければならないのが難点ではあった。しかし、〔AW〕中隊規模を収めるだけの許容空間を有しているため、駐在している人員たちはそうした難点は気にしていない。
二人は『ターミナル02』のセンターハブとなっている居住モジュールで、監視任務に就いていた。
それは、外部の光学カメラの視認であったり、レーダーや電波を用いた観測情報の選別であったりの面倒な作業だ。
「帰ってこれるでしょうか……」
急に隣のコフィンが小さなデスクモニタに映る観測情報を見つめながらつぶやいた。
リーンは光学カメラがとらえた地球と太陽の位置関係から視線を外して、コフィンの方に向いた。
手狭な空間とはいえ、重力の働かない場所だ。彼らはバーの上に腰かけて、体を固定し、数時間シフトで監視をしている。気分が悪くなってもおかしくない環境だ。
リーンの目からは少なくともコフィンがつかれているようには見えた。休憩を申し入れたいところではあったが、一人では監視任務は重労働過ぎる。思い悩んでいるうちに、彼の眉間は険しい皺を寄せていた。
「どうしたんですか?」
「え? わたし、何か言いました?」
コフィンは肩を跳ね上げて、リーンの方を向いた。その拍子に彼女の三つ編みが、小さく弾む。険しい表情を浮かべるリーンに驚いたのと、二か月の不満感が淡い期待を抱かせた。
「いえ、なんつーかその、あいつらのことを心配してるのかと……」
リーンは目が疲れ、目頭を揉みほぐす。長時間の監視任務に就いて、体もだいぶ疲労感を覚えていた。
遠くの方で笑い声が聞こえて、さらに気分が下がる。ドアらしい仕切りのないモジュールゆえに、そうした声は筒抜けなのだ。
「はぁっ。のんきなもんだ……。あいつらが帰ってくるってのによ」
リーンは呆れた表情で、体に喝を入れるように短い息を吐いた。
そうした声が耳障りだったが、コフィンはそんなリーンを盗み見て、心が休まる感触があった。そして、自分以上に彼の方が帰ってくる樹たちのことを心配しているようにも見えたからだ。
どこまでも優しい青年に、コフィンは思わず頬を綻ばせた。
「そうですね。もう二か月ですもの、サナハラさんたちが地球に降りてから」
「早いもんです」
光陰矢のごとしとはよく言ったもの。
リーンもコフィンも、二か月間様々な敵との前哨戦や実験兵器開発に従事していた。それだけ、集中して新兵器開発を進めていた。その成果は、リーンの操る機体〔バーカム〕の量産型〔バーミリア〕への機種転換や新設計の電子戦装備といった目に見える形で出ていたし、コフィンも近々〔ギリガ〕の量産後継機の機種転換を控えている。まだ形こそできていないが、設計思想は固まって分隊支援火器の戦闘データを射撃管制装置に組み込む工程に入っていた。
そして、樹たちが解析した過去の〔アル〕の戦闘データから新規OSがプログラムされ、『地球平和軍』が保有する〔AW〕に書き換えが行われた。そのおかげで、運動性から多種多様な動作が追加され、オプション装備の開発工程が大幅に削減された。
コフィンは唐突に眠気に襲われ、あくびを噛み殺しながら、観測モニタに視線を戻した。
「このまま、異常がなければいいんですけど……」
リーンは軽く伸びをする。鈍い関節の唸り声が聞こえ、体がなまっているな、と心中つぶやく。
「それが一番ですけど、楽観的なのは足元を掬われかねません。『新人類軍』が活発化してきているのは、見過ごせませんからね」
「…………」
コフィンは目元の涙を指で拭うと、急に切ない気持ちが湧いてきた。
リーン・セルムットはここ二か月で、大きく戦績を上げている。階級も上がり、曹長にもなった。その必死さが時折、彼女の感性には理解できないところがあるのだ。
あの時から、樹たちが地球へ降りた日から、リーンの中ではきっとたくさんの後悔があったに違いない。前任の小隊長、アリス・ジェフナムが戦死してから、己を強く鍛え上げ、一層の緊張を維持している。
彼は変わろうとしているんだ、とコフィンは思った。
しかし、それがアリスを思うが故なのか、樹たちを守るためなのか、わからない。もっと広義的な目的を持っているのかもしれない。
それにもし、アリスのために頑張っているのなら、彼の心は――――。
コフィンは頭を振って邪推な妄想を追い出す。同時に、自分の中に芽吹いている気持ちが傲慢なものだと悩んでしまう。
「それに、もうすぐ小惑星帯の調査船が戻ってきますから、きっと大きな戦闘がまたあります。だから……」
もごもごと唇を動かすコフィンに気付かないまま、リーンは言葉を紡いでいたが、急に固く口を噤んだ。
彼は険しい視線を監視モニタの一点に注ぐ。手前のスティックとパネルを操作して、巻き戻し、再生をした。
「どうしました?」
コフィンは急に口を噤んだリーンの方に顔を向ける。
「准尉。各衛星の確認を入れてください。何か、いるかもしれません」
「――――え?」
コフィンが口を半開きにして声を上げると、リーンは睨み付けている監視モニタを指差した。
一時停止された画像は巨大な地球の背後に太陽が小さく映り込んでいるものだった。
「ここを拡大すると――――、ほら、何かの影が……」
リーンがさらにスティックを操って、太陽の方へ画像を拡大する。
すると、衛生とは違う影が荒く浮かび上がった。
コフィンも自然とリーンに体を寄せる。この時、少しばかりの恥ずかしさがあって視線は落ち着かず、リーンとの距離を測りながら、画像を見ていた。
「太陽の、黒点――、ではないでしょうか?」
「一応、各衛星の確認をお願いします」
「了解。確認の走査、ですね?」
コフィンは急いでリーンから離れると、席について確認作業に入る。その手つきは機械的に動いて、彼女の中にあるスイッチが切り替わる感触があった。
女をしている場合ではない、と。
『ターミナル02』の指向性アンテナが角度を変えて、衛星軌道上に存在する各衛星の座標を割り出す。衛星同士が信号を繋げて、発信元の『ターミナル02』へと戻る仕組みだ。
走査はものの数秒で完了する。
結果画面が表示されて、コフィンの気持ちが引き締まる。はっと息を飲んで、視線はモニタに固定したまま、隣のリーンに報告する。
「走査完了。旧ソ連の廃棄衛星からの信号がありません」
「廃棄衛星、か……」
リーンはつぶやいて表情を曇らせる。数秒思案すると、操作デスクに備わっているインカムを押した。『ターミナル02』の施設内アナウンスが流れる。
「カルマゾフ少佐。至急、観測室へ来てください」
その判断に、コフィンは耳を疑って、リーンに振り向いた。現隊長であるヤッシュ・カルマゾフに、指示を仰ぐというのだ。リーンの性格を考えると、彼のような男性は毛嫌いするはずなのだが。
実際、リーンたちが所属するカルマゾフ試験小隊が『ターミナル02』に駐在しているのは、ヤッシュが樹を一秒でも早く会いたいとわがままを通したからだ。任務らしい口実と親の権力を使って、駐在を認める司令部もどうかと思うが。
「少佐を呼んだんですか?」
「場合が場合で。一応、ここの中隊長もやってるわけですから、督促しなきゃいけない……」
リーンは感情を押し殺し、機械的に言った。
まだ危険と判断されたわけではないが、どうにもこのまどろっこしい手続きが気に食わないのだ。上官が有望ならこうした苛立ちは湧いてこないだろ。
コフィンもリーンの不愉快さが生理的に来るものではない、と感じて、真剣な眼差しで言った。
「もう一度、走査をしてみます。何かの、間違いかもしれませんから」
「お願いします、准尉」
二人はもう一度、この不穏な影について可能な限りの捜索を開始した。
そこには、淡い情念的なものはなく、しかし、通じ合うものがあったのは間違いない。
「最終点検、急げよっ!」
「今日は、風が酷いな」
「ねぇっ、報道規制は出しの?」
クラスターロケット発射装置近辺では、種子島基地の面々が準備に追われていた。
時刻は、午前十一時。お昼も近くなり、暑さもいよいよピークに達し始めていた。海からくる潮風の湿り気で、熱気が肌にまとわりつく。
音は前髪の調子が戻らないのを気にしながら、彩子の隣に立っていた。
「だから、ほんのちょっと、時間をずらしてほしいのよ」
「そういわれてものぉ。個人的な理由でずらすわけには、いかんの」
「そうだぞっ。今回の打ち上げにしても、かなりの強行スケジュールだったがために、御上はご立腹だ」
「難しい言葉を知っとるの」
彩子の申し立てに、藍崎敏信とマイク・ジャール・ナダン、二人の老人がのんきに言った。マイクはアロハシャツに短パンだが、敏信は律儀に白衣と長袖シャツ、長ズボンを穿いている。
熱くないのだろうか、と音と彩子は思わない。
すでに音と彩子も新調したパイロットスーツを着込んで、容赦なく照りつける太陽の日差しに汗が噴き出していたからだ。スーツの中は発汗を感知して、ある程度の温度調整はしているも、湿った感触は拭いきれない。
音たちのすぐ横には巨大なビルを連想させる発射装置と〔アル〕を搭載したクラスターロケットが塔のように立っている。その大きさは人間のちっぽけさと英知の広大さが感じられるものだった。百メートル以上ある全長はまるで天を指す巨大な矢のようだ。
音は前髪がぴょんと跳ねるのを無視して、敏信を見た。
「けど、樹、母と会う、ひつよ」
「そうはいうが……」
敏信は困ったように唸って、あごひげを摩る。
そこに、彩子が付け足す。
「もう樹は病院に行っちゃったのよ? だったら、遅らせるしかないじゃない」
「いつまでも身勝手が利くほど、お前たちは偉くないだろうがっ!」
マイクは思わず大声を出して、彩子を叱咤する。
だが、彩子は自分が樹を送り出したことを間違いだとは思わない。ゆえに、自信を持って反論する。
「そうだとしても、お母さんに行ってきますの挨拶くらいさせてあげてもいいじゃないのよ」
「子供の理屈だ」
「ぜたい、ひつよっ!」
今度は音がマイクを見上げて言う。
「うちゅ、行たら、会えない。だから、今会う。それに、樹、母思い。大好きだから、会わせる、したい」
ぶつ切りの言葉の羅列に、マイクは口元を固く閉ざすとぼりぼりと短い髪を掻いた。
どうにも彼は音のその舌足らずな言い回しが苦手で、身振り手振りの振る舞いも彼の若い時を思い返して恥ずかしくなってしまうのだ。
音はフーと子猫のように唸り、じっと鋭い視線をマイクに向けている。
「まざ、行ってしまったものは仕方あるまいて。君らの方で連絡はつけておくようにの」
敏信が肩を竦めて、観念したように言う。
すると、彩子はニカッと笑ってガッツポーズ。
続いて、音も固かった表情を崩して、満面の笑みを浮かべる。そして、その場で踵を上げ下げする。彼女の長い髪もそれにつられて、波打つ。
「ノブさんっ!?」
「まぁ、最後のわがままにしておこうじゃないか。のぉ?」
意見しようとするマイクに、敏信は朗らかな顔を向ける。
これも、年寄りのせいか。随分と樹たちに甘い、と彼自身呆れていた。それでも、彼女たちは〔アル〕の修繕に尽力してくれた上、基地の防衛もしてくれた。
そう考えれば、母親との面談時間くらい設けてやっても、罰は当たらないだろう。
マイクも三人の働きを知っていたからこそ、敏信の顔を見て、何も言えなくなった。
うだるような暑さは変わらない。
音は蒸れるうなじを摩って、軽く髪を煽って風を入れる。
そのしぐさを、敏信は見て言う。
「髪を切ったほうがよいのぉ」
「……あい?」
「そういやぁ、そうだな。ヘルメットの中に仕舞いこむのも大変だろ」
マイクも音の腰まで伸びた髪を見て、頷いた。
音は力いっぱい首を横に振って、抗議する。髪の毛も扇状に広がって、隣に立つ彩子にぶつかった。
「ちょっと。本当に、それ邪魔くさくないの? 宇宙でも、面倒だったでしょう。手入れとか」
「ややっ! これ、いい」
「わがまま……」
彩子は呆れて、肩を竦めた。
音はぎゅっと髪の毛の端を持って、三人を視線で牽制する。こだわりと言えるようなものではないのだが、体に何かが触れている感触がほしくて髪を伸ばしっぱなしにしているのだ。
そんな固執を彩子が聞こうものなら、さらにあきれ返ることは必須。もちろん、敏信やマイクもそうだろう。
「うー、うー」
「威嚇してどうするのよ、まったく。そんなんじゃ、お婿さん来てくれないわよ?」
「いい。樹と彩子、いる」
「あたしだって、いつまでもつきっきりじゃないの。樹もね。だから、少しはちゃんとしなさい」
「やーやっ!」
音は一層力図よく首を振って、抗議する。
いつまでも、彩子や樹が一緒にいてくれるわけではない。だが、二人がいなくなったら、彼女は何を頼りに生きていけばいいのかわからなかった。自分の意志で、自分だけの力で、生きていく姿が想像できないのだ。
幼い日。暗い宇宙を一人で漂ったあの時から、彼女は一人で生きていく自信を失った。
宇宙で起きている戦争にしても、一緒に戦ってくれる二人がいるから、何とかついてこれたのだ。
膨れ上がる喪失感に、音の瞳に涙がたまっていく。
「ちょ、何泣いてんのよ?」
いち早く気づいた彩子は困ったように呼びかける。
音はそういう彼女の優しさが好きだから、心が締め付けられ、思わず涙の一滴が頬を伝う。喉がひくつき、唇が震えだす。
「何か、悪いこと言ったかしら? 髪のこと? 嫌なら、無理に切らなくていいからさ」
「……うぅ、ひっく」
音は心の中にある卑しい感情を正当化しようとした。
いつまでも子供でいたい。そうすれば、彩子や樹がかまってくれる。さみしい思いをしなくて済む。
「ふむ……。これはいささか、卑怯ではないかね、ミス・詩野」
「ひっく、ふぇ?」
珍しく眉間に皺を寄せる敏信の顔を音はまじまじと見た。
その顔には確かな怒りがあって、しかし、敵意らしい刺々したものはなかった。もともと温厚な表情を浮かべている老人だから、怖くないのだろうと音は思った。
それでも、心に伸し掛かってくる重みは本物だった。
「いつまでも、二人に甘えてはおれんぞ。戦争が終われば、それぞれの人生を歩むことになるじゃろう。そうなって、君が二人の道を阻む。それはいかんことじゃ」
「…………」
「少し、考えるといいじゃろう」
音は目元をぬぐって、しばらく地面に視線を落とした。
その思い悩む表情に彩子は、声をかけてしまいそうだった。が、マイクが彼女の肩に手を乗せて思いとどまった。
見上げてくる彩子にマイクは小さく首を振った。
と、そこに一台のトーイングトラクターが四人の横に停車する。
「ああ、藍崎主任、ここでしたか」
運転席に座っていた整備員が降車して、彩子たちを見回した。
マイクはそこで彩子の肩から手を放し、音もまた赤く腫れた目を晒すように顔を上げる。
「どうかしたかの?」
いつもの温厚な顔で敏信が答える。
誰もが、整備員の言葉に耳を傾ける。
その注目に緊張したのか、整備員は汗の流れる顔を一度手のひらで拭ってから、声を張った。
「はい。宇宙の『地球平和軍』からで、衛星軌道上に敵影があるかもしれない、とのことです」
敵、という単語に緊張が走る。
「地上からの観測情報は、どうなってる」
マイクが整備員によって、問う。
「わかりません。通信信号が途絶したとの情報で、望遠でも位置を特定できずにいる状況です」
「まだ、敵と決まったわけでもないのじゃろう?」
「はい。しかし、万が一敵と判断された場合、打ち上げ時間を見合わせる必要があります」
打ち上げ時間の延期は彩子と音、この場にいない樹の願いだ。
だが、もし敵がいて好き勝手するのなら、止めなければならない。
少なくともあやこと音は見過ごせなかった。思わず、ぐっと奥歯をかみしめる。
敏信はしばらくあごひげを摩って思考する。それから、よどみなく指示を出した。
「マイク。詳しい情報を調べてくれ。まずは状況を明確にしたいからの」
「わかった。案内しろっ」
「は、はい」
マイクは整備員を急かして、トーイングトラクターに乗り込んだ。すぐにも発車し、基地の方へと走り去っていく。
「君たちも、今は待機じゃ。ミス・佐奈原になるべく早く戻るよう伝えといとくれ」
「わかりました……」
「あい……」
悔しそうに返答する彩子と音。
気持ちばかりが先走って、宇宙での戦争がすぐそばにあるような気がしてならなかった。早く駆けつけたいという衝動が、鼓動を早める。
それを察したように敏信が言った。
「まぁ、そう責任を感じることはなかろう。宇宙には、君たちの知り合いがおるのじゃろう? 信じようじゃないか」
彼の言葉に、二人は顔を見合わせる。
そうだ。宇宙にはリーンとコフィンがいる。すぐに動いてくれるかわからないが、信頼できる人たちだ。
少しばかり、心の重みが取れて彩子と音は同時に深く息を吐いた。
「さて、では、待つとしようかの?」
歩き出す敏信の後を、彩子と音は慌ててついていった。
不穏な影が迫る中、打ち上げ準備は進められていく。まだ決まったわけではない。それでも、直感的な危機感は拭い去れなかった。




