~親と子~ 買い物先で遭遇
港町には、小さな漁船の群れが停泊していた。海鳥の鳴き声とさざ波が、感慨深く聞こえてしまう。
しかし、容赦なく照りつける太陽の日差しは、そんな心地よさも焦がすほどに強く、疲労を蓄積させる。
「何だって、こうあっついのよ」
「彩子、汗、すごい」
彩子と音はスーパーの駐輪場に、基地で借りた自転車を止める。バイクの免許もなく、原付すらなければ、残るは自転車しかない。自転車は車輪の小さな小径車型で後部にはパニア(左右に装着するカバン)をしている。買い物とだけあって、暑さ対策にと小型クーラーボックス仕様だ。
とはいえ、残暑の日差しが厳しい中、一時間近く海岸沿いの道をひた走れば、汗をかくのは必須。
彩子も、キャミソールにホットパンツという肌の露出が多いにも関わらず、その例から逃れることはできなかった。玉のような肌に流れる汗を不快に感じながら、自転車のスタンドを立てる。
「もうっ。イライラする。てか、あんたは暑くないの?」
「あい? 暑い、当たり前」
音も自転車を止めると、うなじを撫でる。
いくら髪を上げているとはいえ、つい癖で蒸れているのではないかと確認してしまうのだ。彼女の恰好は、Tシャツにハーフパンツの控えめな格好だが、線の細い彩子とは別の色香があった。
それがどうしてなのか、彩子には痛いほどわかっているから、ムッと顔を顰める。
「背丈はおんなじなのに……」
「…………?」
音が首をかしげる横で、彩子は何でもない、とぶっきらぼうに言う。次いで、抜き取った自転車のキーを指先でくるくると回して歩き出す。
「ま、待ってぇ」
音は慌てて、デパートへと入店していく彩子の後を追った。
入って早々、まず店内BGMの大きさに目を丸くする。スーパーに来たのが初めての彼女にしてみれば、不思議な雰囲気を持っていた。店内は広く、人がまばらにカートを押したりや買い物かごを下げて、売り場を練り歩いている。
「やっぱり、寒い。これだから、夏は嫌いよ」
彩子は店内と外との温度差に悪態をつく。汗流れる肌が急激に冷やされ、ぶるりと体を震わせる。
「さっさと買い物、済ませちゃいましょう」
「あいっ」
音が弾んだ声を出すと、一人で売り場の方へ駆けて行ってしまう。
「こらっ! 走らないっ。離れないの」
彩子はそんな音を叱りつけて、蛇のように長く連なるカートを一つ引き抜いた。
音は驚いて立ち止まり、申し訳なさそうな顔で振り返る。買い物の経験もないので、どこからともなく高揚感が沸き立ってくるのだ。
「ったく。いい? 行儀よくしてないと、外で待たせるからね」
「あい。ごめん、彩子」
彩子はカートを押して、音の横を通り過ぎる。そのあとを、とぼとぼと肩を落として問題児がついていく。
問題児。地球の生活、常識を知らない彼女はここでは異端児だ。過ごした環境が違えば、それだけで社会から拒絶されてしまう。
こうして、音を買い物に連れてきたのは、地球の常識を学ばせるための社会科見学みたいなものが大きい。その役目は、樹が進んで買って出るところではあったが、〔アル+1〕の修理が大詰めということもあって、基地に残っている。
「なんか、あたしっていい使いっぱしりよね…………」
言って、腰にあるホルダーからタブレット端末を抜き取り、買い物のリストを確認する。しかし、その状態でカートを押すのは、他の人に迷惑をかけると即座に判断。
そこで、音の出番となる。
「音。悪いけど、カート押してくれる?」
「え? いい?」
「少しは役に立ってもらわないと、ダメじゃない」
彩子はタブレット端末を軽く振って見せて、カートのハンドルを開ける。
すると、瞳を輝かせて音が慎重に齧り付くようにハンドルを握る。姿勢は低く、まるで机が水平かどうか図っているようだ。
これには、彩子も嘆息するしかない。
「ねぇ。あのおねぇちゃん、変」
「そうね。マネしちゃだめよ?」
横切る親子の冷たい会話が耳に入って、ますます惨めな気分になる。
音本人は気にした様子もなく、お尻を突き出してごろごろとカートを前後させている始末。
「ほら、ちゃんとしなさいっ」
「はぅんっ!」
彩子は開いている手で、そのぷっくりとした音の尻を叩いた。八つ当たりも含めたその一撃は、確かな手ごたえがあった。
音が短い悲鳴を上げて、背筋を伸ばす。それを聞いた買い物客が、奇異の目を素早く向けてくる。
「ちょ、変な声出すから、目立っちゃったじゃないの」
「うぅ。彩子、意地悪」
「と、とにかく、さっさと済ませるからね」
彩子はタブレット端末片手に、カートの前に出るとその先端を握って引っ張る。結局こうなるのか、と心中虚しさを覚える。
「ああっ。音、やれる」
その様子に音は頬を膨らませて、形ばかりのカート押しをする。
「はいはい。ちゃんとしたらねぇ」
そういって、彩子はタブレット端末の電源を切ってホルスターにしまう。買い物リストは覚えた。後は、必要なものをカートに放り込んでいくだけだ。
二人はしばらく、買い物を楽しむことができた。トレンドの服を物色するわけでも、趣味の本を探すわけでもない。ただの、お使いだ。それでも、宇宙で戦争だとか、基地で缶詰だとかより、ずっと開放的で気持ちが落ち着くのだ。
レポート用紙、洗剤、ハンドタオル、歯磨き粉と歯ブラシを十本ほど、生理用品、インスタントのお茶各種に、入れ歯洗浄剤、入れ歯安定剤、湿布、甘納豆、かりんとう、羊羹、スルメいか、ビーフジャーキー…………。
「なんか、途中からすっごく年寄りというか、オジサンというか……」
「ん? そなの?」
音はまた新たにカートに追加された落花生のパッケージを見て言う。スーパーを練り歩いて、どういう構造か理解してしまい彼女の中のわくわく感は落ち着きに向かっていた。
彩子はカートを通路の端に寄せて、他の買い物客に道を譲りながらタブレット端末を確認する。一つ一つ確認して、残りは樹から頼まれた小粒の金平糖だけで、あとは彩子と音が必要なものを買うだけだ。
「そうでしょう。あんたは入れ歯してないでしょう? ビーフジャーキーとか、食べるの?」
「おいし? その、びぃふじゃぁきぃ?」
最後半音上げていう音。
彩子はタブレット端末をしまって、呆れ顔で腰に手を当てる。
「あたしはそこそこ、かな。なんていうか、癖のある味が好き」
「ふぅん……」
彩子が一人きびきび歩き出すのを、音は重くなったカートを押してついていく。ようやく、認められた気がして内心ほっとしている。あのまま、カートを引っ張りまわされていては、自分が足手まといだと強く感じてしまうからだ。
「あとは、好きなものかっていいわよ。あたしは、樹に頼まれたものを探すから」
「あいっ。彩子、それ、音、する」
音がチャンス到来とばかりに、挙手してその場で軽く踵を上下させる。
彩子はぴょこぴょこと上下してみせる音に振り返る。そして、彼女の大きく揺れる胸を見て、ムスッと口元を尖らせる。
気がつけば、周りからは音の奇行に冷たい視線が一瞥くれていた。中には、中学生か高校生かの男子がいいものを見たとばかりにニタニタしている。
「はいはい。わかったから、やめなさいって。周りが見てるじゃない」
彩子はこめかみを押さえて、音を睨み付ける。
すると、音は満面の笑みを浮かべて動きを停止させる。彩子の役に立ちたいという純粋な思いがあってか、気合表明のように挙手した手を引きながら拳を作ってぐっとガッツポーズ。
「ねぇねぇ。何、買う?」
「…………」
彩子は音に地球の常識を教えるのが難しいと実感する。
この様子では探し物ひとつするだけでも、目立ってしまうのではないか。途中、商品の袋や包装を破ってしまわないか、と心配事が頭の中を駆け巡る。
スーパーの特売アナウンスが流れ、買い物客が特売売り場に移動していく。やはり、特売品は人気が高いらしく、一気に陳列棚に挟まれた通路が閑散とする。
これはチャンスだ。
彩子は音を見据えて言う。
「金平糖よ。ほら、樹が好きなあの甘いお菓子」
「おおっ。音、わかる」
言うなり、音がカートを押して移動しようとする。
彩子はカートを引っ掴んで制止。さらに、強く念押しをする。
「いい? 絶っ対、他の人の迷惑にならないこと。それから、金平糖は小粒よ? 大粒じゃないからね? わからなかったら、あたしに相談」
「あ、あい…………」
「うん。行ってよしっ。あんたの欲しいものも、一緒に選んできなさいな。カートはあたしが見ておくから――――、ああ、あたしは冷凍品売り場にいるからね」
過保護なまでの指示に、音は少し不安感を持ちながら、陳列棚の方へと歩いて行った。
その後ろ姿を心配そうに彩子は眺めたが、陳列棚の影に曲がってのを機会にカートを押して移動を開始する。
「そういえば、金平糖って文字、わかるかしら?」
彩子がつぶやいている頃、音はお菓子が並ぶ通路に入り込んでいた。
「こんぺーとー、こんぺーとー……」
さまざまなお菓子が並ぶのを上から下へ、注視して慎重に移動していく。見逃してはいけないと、ずっと前に食べた金平糖の形を思い出す。暗がりの更衣室で見た、小さな粒。その時の状況が遠くに感じられるほどに時間がたったのだとも、思い知らされる。
一か月と少し。
時の流れは悲しみを昇華させてくれたが、音から不安の種を取り除いたわけではない。忘却という虚しさを思い起こさせるのだ。
音の気持ちが沈みかけたその時、ビニール包装された金平糖を発見。最後の一袋が、棚の上段にあり、色とりどりの小粒が輝いて見える。
「あ――――っ」
音がぱっと明るい笑みを浮かべて手を伸ばすと、横から別の手が同じ金平糖の袋に伸びた。
「――――っ」
「――――あ」
瞬間、音と手を伸ばした主の声と両者の手が触れあったのは同時だった。
音は咄嗟に手を引っ込めて、隣に目を向ける。
そこには、手を胸の前で組む女性の姿があった。つばの広い帽子に、落ち着いた服装ながら、気品あふれる女性だった。買い物かごは持っておらず、小さなカバンを下げていた。
「もしかして、あなたも……?」
女性が柔らかい声音で、訪ねてくる。
音は女性の顔を上目づかいに見て、小さく頷いた。目の前の人も、また金平糖がほしいのだ。それはすぐにもわかった。
女性は困ったように吐息を吐くと、躊躇いがちに口を開いた。
「ごめんなさい。譲ってくれると、助かるんだけど……」
丁寧に帽子を取って目線を下げる女性に音は、はっと目を見張った。
整った顔立ち、肩からこぼれる艶やかな黒髪、どこかで見たような気もする顔だった。それがどこだったか思い出すよりも早く、音の頭にはある言葉が流れた。
先手必勝。最後の一個は、今種子島基地で頑張っている樹のためにも、必要なものだ。
女性が優しく微笑みながら、肩にこぼれる髪を耳の後ろに掻き揚げる。しばらく、小さな女の子の反応を待った。辛抱強く信頼しきった眼差しが、音には心苦しい。
「ご、ごめなさいっ」
「――――あら」
音が素早く、最後の金平糖をひったくるように取ると元来た通路を駆けて行った。
女性は彼女の素早さに目を見張って、虚しく手を伸ばす。しかし、どうしても制止の声が出せず、諦めて帽子をかぶった。
一方で音は金平糖を大事に抱えて、冷凍品コーナーに着いた。肌寒い空気が冷や汗を撫でて、寒気を誘う。悪いことをしたという自覚が急に浮上して、彼女の未熟な良心を凍てつかせる。
「…………」
音は立ち止まって、金平糖の袋を今一度見る。
今からでも、あの女性に譲ろうか。だけど、樹が――――。
煩悶とする彼女の正面から、寒そうに腕を摩る彩子が歩いてくる。
「あら、ちゃんとできるじゃない?」
彩子はニカッと笑って、音の前で立ち止まる。
「…………あい」
「ん? どうしたの?」
「あ、うぅ……」
もごもごと口を動かす音に、彩子は疑った視線を投げかける。様子を見る限り、何かやらかしたのだろう。子供っぽい誤魔化しに思えるのだ。
短く息を吐いて、擦っていた手を止める。
「何か悪いことしたのなら、言いなさい。何もないなら、そんな顔しないの」
その言葉は音には、判別しにくいものだった。
罪悪感はある。良心に背いた自覚もあった。
同じくして、そのことが悪質なものではないとも思えるのだ。商品のことで、いがみ合いになったわけでもなかったし、いちいち在庫を気にして買い物などできはしない。
彩子は黙って、音の返答を待った。一向に晴れない顔が、不安で仕方ない。
「怒らない?」
「内容によるわ」
音はぎゅっと金平糖の袋を両手で包んで、伏せ目がちに口を開いた。
「あのね――――」
スーパーを出ると、日差しが一層眩しく感じられた。
つばの広い帽子をした女性は、スーパーの張り出したビニール屋根の元で立ち尽くしていた。
帽子のつばで遮られているとはいえ、視線を下にすれば地面に建物の濃い影が見受けられる。夏休みも終盤だが、小学生くらいの子供が数人目の前を通過していった。
「どうしよう。他のお店を当たってみようかな」
女性は最後の金平糖を髪の長い背の低い女の子に先取りされて、少し悔やんでいた。もっと早く来ていれば、最後の一個を手にすることができたのに、と。
とはいえ、過ぎてしまった以上別のところを当たるしかない。
仕方なしに、持っているカバンからポケット端末を取り出して、音声検索ツール起動する。
「周辺のスーパー、またはコンビニ」
女性は端末を口元に近づけて言った。それから、端末を見やすい位置に戻して音声検索の結果を待つ。
土地に明るくない時、こうした検索ツールがあると便利だな、と彼女は思った。外出の少ないこの女性にとって、種子島に足を運んだのは大きな冒険だ。事前に知らせを受けていたとはいえ、やはり見知らぬ土地に、しかも夫には内緒で来るのには、有機が必要だった。
ピコンッと検索が終了し、女性は端末に表示された周辺地図を眺める。目的のマーカーは全部で三つ。一つ目は現在地。二つ目はここから数十分のコンビニ。最後の一つは隣町だ。
「うーん。コンビニに売ってるのかなぁ……」
女性は端末の画面に指をなぞって、他の地域を探る。スライドする地図を眺めては、やはり遠いと再確認させられるだけだ。
蒸し暑い気温に、うなじが蒸れる。
思わずため息を漏らして、仕方なしに二件目のコンビニに行こうと決める。
「あ、あの人、そう」
女性はついさっき聞いたばかりの黄色い声に、思わずその方向を見た。
案の定、あの背の低い女の子、音が買い物袋を持つ腕でこちらを指差していた。
「ちょっと、指差さないのっ」
その隣には、同じ背丈のショートカットの女の子、彩子が窘めていた。
女性がぽぅっとその様子を見ていると、二人が早足に近づいてくる。
「すみません。音――――、この子が迷惑かけたみたいで」
彩子が謝罪するのを、女性は困惑気味に受け取った。
「え、いえ、そんな、謝らなくていいよ」
「いいえっ! そういうわけにはいきません」
言って、彩子は音も持っている買い物袋から、金平糖の袋を取り出した。それから、女性の前に差し出した。
「どうぞっ」
「ええっ! でも、あなたたちが買ったんだよ?」
そういいながら、女性は差し出された金平糖の袋と彩子の顔を見比べる。これを手に入れれば、暑い中わざわざコンビニまで出向く必要がなくなるからだ。
彩子がさわやかに笑って、頷いた。目の前の女性が、音に譲ってくれとまでいたのだ。話を聞いた限りでは、彼女にこそ権利があるように思えた。
「あの、ごめなさい」
彩子の横で、音が頭を下げる。
それを見せられては、ますます受け取らずにはいられないと、女性は帽子を取って微笑んだ。
「ありがとう。わざわざ、ごめんね」
「いえ、この子の勉強不足ですから」
彩子は金平糖を受け取る女性に言いながら、隣の音の頭に手を乗せる。
すると、音は頭を上げて上目づかいに女性の顔色を窺った。もういいよ、と許しの言葉を聞いていないから、落ち着かないのだ。
「そう。でも、ちゃんと謝れたんだから、偉いね」
女性は音に微笑みかけながら、カバンから財布を取り出す。
音はその子供に語りかける様な声音に懐かしさを感じて、もじもじと手を揉んだ。
「ああ。お金はいいですよ。どうせ、お使いのお金ですから、ちょろまかしたって問題ありません」
「そう、なの? しっかりしてるね」
女性は複雑な表情を浮かべながらも、金平糖と一緒に財布をカバンの中に戻した。それで気持ちがおさまるわけではなく、去り際に困る二人に提案する。
「ねぇ。アイスとか、食べる? 奢るよ」
「え…………。そうですね――」
彩子が音に目配せする。ちょっとした期待感と葛藤が駆け巡る。
音の方は無邪気に、笑って首を縦に振る。肌を焼くような暑さだ。冷たいものが食べたいと思うのは当然だ。そこには社会的体裁など考えない、無知があるのも知らず。
女性もさすがに不審だよね、と思いつつ二人の反応を待った。
「音、アイス、食べたい」
「あぁ…………」
「決まり、でいいかな?」
こめかみを抑える彩子に最終確認を取る。
彩子は肩を上下させて、はにかんだ笑みを浮かべる。
「それじゃぁ、お言葉に甘えて……。あ。あたし、皆守彩子って言います。こっちが詩野音です」
「あらあら。そういえば、自己紹介がまだだった」
礼儀正しい子だ、と女性は感心する反面、ちょっと不用心な気がした。その純粋な信頼感は彼女には久々の心地よさを与えもした。
「結喜・ジャンクロフォードよ。よろしくね」
「え? 外国名?」
彩子のような困惑した反応に慣れていた女性、結喜は朗らかに言う。
「ええ。外国の方と結婚したからね」
おお、と感嘆の声が彩子と音から上がる。
結喜は二人の興味津々の眼差しに、少し困った表情を浮かべる。もし、どうして結婚したのか、と聞かれたら、はっきりとは言えない。
「それじゃぁ、近くのお店探すよ」
「あーい」
帽子を被りなおす結喜に音は母親のを目の前にしているように、甘えた声を出す。
彩子はポケット端末の音声検索をしている彼女の横顔を見て、一つの疑問が脳裏に過った。
地元の人じゃない。一人旅をしてるの、と。




