~地球~ 未来へのメッセージ
大役を果たした彩子は、しばらく感無量の涙を流していた。
管理小屋で樹と音が献身的に宥め、ようやく落ち着きを取り戻し始める。
「ごめん、ほんと……。でも、やったよ? あたし、さ」
「うん。凄いことだ。胸を張っていい」
「あはは……。それって、嫌味?」
樹の言葉に、彩子ははにかんだ笑顔を浮かべる。
「彩子、がばた。だから、休む」
そういう音は膝元に毛布を掛けて、パイプ椅子に腰かけている。まだ安心できる状態ではないが、先ほどの真っ赤な顔から幾分か血色のいい顔になっていた。
彩子は防眩用メガネをテーブルに置いて、彼女の頭を撫でた。
「ありがとう。後はマイクさんが調べたいって言ってたから、帰りましょうか?」
「いいの?」
「やっぱり、英雄と呼ばれ機体には興味あるんじゃないかしら? 邪魔されたくないのよ」
すると、管理小屋のドアが開かれる音。
「おお。揃ってるな」
入ってきたのは、件のマイク・ジャール・ナダンだ。手にはディスプレイを開いたノートパソコンがあった。接続端子のケーブルを引きずって、テーブルの上にノートパソコンを置いた。
「どうしたんです? 何か、不備でもありましたか?」
彩子は音から手を離して、充血した目を彼に向けた。一応、プログラム調整は成功しているようだが、まだ不明瞭な点はある。そうした懸念が残っているあたり、彼女の卑屈さが窺える。
手を離された音は寂しそうに、そんな彩子を見た。
「まさか。おおむね、良好だ。で、こんなものが見つかった」
マイクはディスプレイを樹たちに向けて、自分はその後ろに立った。それから、上から覗き込むようにスライドパッドに指をなぞる。
「これは今、〔アル〕の記録装置につながってるんだが――――」
「外部ターミナルでも、操作できるようになったんですね?」
樹だ。依然できなかったことが、あっさりとできている事態に思わず声が出てしまった。
「そうだ。こちらから、すべてのデータを抽出できるようになったわけだ」
マイクは特に気にした風もなく誇らしげに言って、次々とウィンドーを開いていく。
樹たちは自然とその手を避けるようにして、ディスプレイに見入った。中心にいる彩子は特に体を傾けて、見るようにしている。
「これだ、これ」
マイクは見難い位置から、目当てのフォルダを発見するとそれを開いた。そして、手をのけて三人に見やすいようにする。
表示されているウィンドーには、アイコンが一つ。
「音声ファイル? どういうの?」
彩子が指先をスライドパッドに走らせて、アイコンにカーソルを合わせる。
すると、マイクが言葉を切り出した。
「こいつはどうも、お前ら新しい操縦者に向けられたメッセージだ」
彩子はびくりとスライドパッドから指を離して目を見開いた。
「聞いたんですか?」
「まぁな。正直、俺みてぇな部外者が聞いていい話じゃなかった」
樹の怪訝な視線に対して、彼は本心を言った。ばつの悪い表情を見せて、色あせた短い金髪を掻いた。
その様子に三人は首をかしげる。カーソルを合わせたファイルが急に恐ろしいものに思えて、開くのを躊躇ってしまう。だが、同時にかつての操縦者たちがなぜ、メッセージを残したのかも気がかりだ。
もう数十年も前のできごと。それが時を飛び越えて残す内容に、どれだけの想いが込められているのか。
「えっと……。ちなみに内容は?」
「開けばわかる」
あくまで、自分の耳で確かめろ、ということらしい。
樹と彩子は渋って、ディスプレイを注視する。不安と好奇心の葛藤が渦巻き、〔アル+1〕の操縦者としての自負らしいものがさらに脅迫的に働く。だが、それを本能が妨げて、あと一歩を踏みとどまらせる。
「…………」
二人が悩んでいると、横から音の手が伸びて、その人差し指がスライドパッドを軽く二回叩いた。
「ちょっと、何してるのっ!!」
思い悩んでいた樹と彩子が同時に大声を出して、音に向いた。
音は肩を跳ね上げると、ほんのりと赤い頬で膨らませて視線をそらす。
「だて……、だて……っ」
そうしている間にも、ディスプレイにはメディア再生ソフトが起動し、読み込んでいる。古いノートパソコンであるためか、思ったより時間がかかった。
再生準備が整った瞬間、澄んだ声がスピーカーから響いた。
『えっと……、初めまして。これを聞いている新しい操縦者さん』
緊張気味の若い女性の声。いや、正確には幼い声音だ。
樹たちはすぐにディスプレイに向き直って目を丸くした。再生時の画面にイメージはなく、音声のみの味気ないウィンドーがあった。
「え? これ、女の人の声――」
「しっ。ちょっと黙って」
彩子は疑問の声を、樹が強引に制止する。
『このメッセージを聞いているということは、〔アル〕がまた戦争に出ることになったんだよね?』
女性の声は、まるで宇宙での戦争を予測しているかのような口ぶりだった。
樹たちは訝しみながら傾聴する。半信半疑に、メッセージを残した人を夢想する。
マイクは渋い表情を浮かべて、調理台に寄りかかる。
『そうじゃなかったらいいって、わたしは思いたいけど。ここでは、それを前提に話を進めるよ。だから、戦争のためじゃないならここで、切ってください』
数秒の沈黙が流れる。メッセージを切る猶予なのだろう。
樹はまだ引き返せると思ったが、聴く決心はすでに固まっていた。
『…………。戦争に使われるんだね? なんだか、変な気分だよ。つい二年前に戦争が終わったのに、こういうの話すのって』
女性の声が自虐的な笑いを誘った。
彩子は乾く喉を鳴らして、話している人物が何者なのか、なんとなく想像してしまう。きっと、テロ戦争に参加した人物。それも――――。
『信じられないかもしれないけど、わたしは〔アル〕二号機の操縦者をしてました』
その言葉で、樹たちに特別驚く素振りはなかった。
樹と音は事前に雑誌のこともあって、そうじゃないかと気持ちは固まっていた。彩子に関しては、〔アル〕の呼称を聞いたときに、女の子らしいと思ったくらいだ。
事実、メッセージに入っているのはかつての操縦者の声。二号機、操縦者。英雄に祭り上げられるはずだった女の子だった。
『世間では、国連軍の男の人が操縦者ってことになってるよね? きっと何年たってもその発表は覆らないって思う。だけど、これを聞いてくれている人は少なくとも理解してくれるって信じてる』
寂しい言葉だ。
マイクは腕組みをして、ただありのままを受け止めようとする樹たちの様子を見守る。混乱した様子はない。むしろ、同じものを感じているような真剣なまなざしがあった。
『知っての通り、一号機と二号機はテロ戦争でものすごい戦果を残しました。同時に、多くの人の死を目の当たりにしてきたよ。関係のない人たちをまで巻き込んでしまって、その事実をひた隠しにされて、戦争の及ばない国では英雄扱いされて…………。はっきり言って、〔アル〕は英雄でもなんでもない――――』
一度そこで区切って、短い吐息が聞こえた。自嘲の息遣いだ。
『ただの機械だよ。操縦者が思うままに動かす、機械だったよ。わたしたちが全部、殺すように仕向けたの』
そんなの当り前だ、と彩子は顔を顰めたが、すぐに寂しい表情を浮かべた。
その当たり前のことが認識できないほどに、この操縦者の女性は戦場で苦しんだのかもしれない。宇宙とは違って、地上での戦闘は局地戦ばかりではない。あるときには、民間人を巻き込んだ大規模戦闘だってあったのだ。敵だけではない。自身の行動で、多くの命を失うことになったのかもしれない。
『わたしたちは、それでも戦いをやめるわけにはいかなかった。別に、大義名分があったからじゃなくて……、そう、あの組織への私怨だけで何とか戦ってきた』
「しえん……?」
「個人的な恨み。それだけで、戦いつづけたなんて…………」
音に説明した樹だったが、納得がいかなかった。
それでは、あまりにも悲しすぎる。樹たちも、アリスを戦場で殺された悲しみがある。『新人類軍』を恨んでないといったら、うそになる。だが、それだけのために戦えるほど、宇宙での戦いは甘いものでなかった。
死の恐怖、味方機が落とされていく横で、敵を討つ行為。そこには、何も残らない。生き残った命だけがそれを尊ぶだけで、ただ空虚に過ぎていく。
――――生きて。
アリスの残した言葉が三人の中で急に重さを増した。生き残る人に向けた、唯一残せたもの。
『でも、最後の最後にわたしたちが倒した相手は、ずっと憧れていた人、一号機の操縦者だったの』
さっと|樹《いつき』たちから血の気が引いていく。
味方を殺した。それも、あこがれていた人を。その事実は何かしらの事情があってやむを得ずに、手を下したと思いたかった。
しかし、女性の震えだした声が胸を締め付ける。
『その人が言ったの。「何も守れなかった。守りたい人を失ってしまった。それも、味方のせいで。この苦しみがわからないでしょう?」って。ひどいよね? わたしたち、その人の嫌いなやり方をしちゃったんだもの』
「…………」
『そして、この事実も隠ぺいされて、わたしたちは操縦者だったことを剥奪されちゃった。それが、〔アル〕を巡る人々の真実で、結末。誰も、幸せになれなかった』
女性の声がどこか空虚なものになった。
『ごめんね。つまらない身の上話で。だから、英雄願望で〔アル〕に乗るのはやめてほしいかな』
音はぎゅっと半纏を引き寄せて、身の震えを押さえつけようとする。
なぜ、そんな話をするのか。一号機と二号機の悲運を、どうして聞かせるのか。これが真実だというなら、世界に蔓延する英雄譚は酷いものだ。
そして、女性の声が真に優しい声音になった。
『それでも戦うのなら、わたしには止められません。だって、すでにわたしは過去のことでしょうから』
「そんなの……」
彩子は言葉を飲み込んで、軽く頭を振った。歴史の闇に追い込まれた真実を聞いて、心が揺らいでいると自覚したからだ。動揺してはいけない。私怨で戦うのではないのだから。
樹も音もぐっと何かを堪えるように、顔を強張らせている。
『だけど、約束してください』
吐息。震える声に、メッセージを送る女性が泣いているのを三人は感じた。
『生き残ってください。大切な人と明日を掴み取るために、生きてください』
切なる願いに、樹たちは胸が重くなる。
『そして、これから遭遇するだろう戦争の記録を、〔アル〕の記録を、たくさんの人に伝えてください。戦争で起きる悲しみを、これ以上作らないためにも……、お願いします』
紡がれる言葉の重さに、押しつぶされてしまいそうだった。
成り行きで戦場に足を踏み入れてしまった少女たちには、大仰過ぎて叶えられそうにないと思い込んでしまう。至極当然の情動だ。
そして、女性は言った。
『聞いてくれて、ありがとう。そして、ごめんなさい。優しい人たちであると、わたしは信じてる』
さようなら、と再生が切れた。
しばらく、沈黙が流れた。ノートパソコンの放熱フィンの唸りが、嫌に大きく感じられた。
「はぁ……。こういうことだ。身勝手なメッセージだよ」
マイクが調理台から離れて、テーブルのノートパソコンを閉じた。
その時になって、樹たちは肩に入っていた力を抜いた。今まで緊張して浮き上がっていたものが、すとんっと体の中に落ちる感覚。
「確かに身勝手だけど、この人はそれだけことをしてきたって思いたい」
樹は閉じられたノートパソコンを見る。
「それで? お前たちが引き継ぐってのか? そんなんなら、〔アル〕の操縦者なんぞやめちまえ」
マイクは大きく腕を振って、投げ捨てるジェスチャーをする。過去のことを背負う必要などない。今ある戦争を直視するのも辛いだろう三人に、これ以上の負担を強いてもどれほどの意味がある。
すると、彩子が言った。
「そんなの、できるはずないでしょうっ」
悔しそうに、しかし、それ以上の覚悟をもって言葉を紡いだ。〔アル〕にまつわる歴史がねじ曲がって伝わっていたとしても、彼女たちには〔アル〕しかない。それでしか、戦争を終わらせる手立てがない。
「だから、気負う必要なざねぇ。わかんねぇかなぁ」
「わかんない。でも、この人、お願い、した」
音は寒気を感じながら、鼻を啜る。
「音たち、お願い、された。それ、きと、大切なこと」
難しく考える必要はない。
たとえ、過去からの願いでも何一つ自分たちの行動を制限される理由がどこにある。むしろ、その逆。
「昔の操縦者は、このメッセージが未来で開かれることを知っていた。同じことが繰り返されるってわかってた。だから、わたしたちに願いを託した」
樹は立ち上がって、渋い表情をするマイクを睨んだ。
「やるよ、わたしは。戦争を止めたいって思うのは、同じことだからね」
凛々しく言い放つ樹と見て、音が力強く頷く。
「もちろん、あたしも。マイクさん、何か勘違いしてるんじゃないですか?」
「勘違い、だと?」
彩子も挑発的な言い回しに、マイクが眉を吊り上げる。
三人は確かに純粋だ。だが、その心すら傷つけてしまうのが争いと言うというものだ。有望な才気を持つ若者を失いたくないという老婆心があった。
「真実が何であれ、過去は過去です。あたしたちは、それを未来に持っていけばいいんですよ。さっきのメッセージのように」
「何だと?」
「あれ? さっき言ったじゃないですか、マイクさん?」
彩子のニカッとする笑みに、マイクはむぅと口を真一文字に結った。
昔は昔。今は今。過去に戻ることはなく、ただ未来へと進んでいく。それは今を生き抜くことに他ならない。
「…………」
「だから、わたしたちはもう一度、宇宙に上がります。そのためにも、改めて協力してください」
樹の丁寧な申し出に、マイクはますます自分が恥ずかしくなった。
目の前にいる三人は自分で判断できる。英断ではないかもしれないが、素直に現実と折り合いをつけているように見えた。
「わかった、わかった」
そういって、マイクは腕時計を見るなり、わざとらしい声を上げる。
「おっと。もう夜が明ける。長い時間ご苦労だったな、プリティガール。嬢ちゃん二人も、さっさと寝ろ。美容に悪いぞ?」
樹たちは管理小屋にある丸時計を眺めて、納得する。もうすぐ午前四時になる。
「そうですね。では、失礼します」
樹と彩子は音を支えて、管理小屋を後にした。
夜が明ける兆しは、心が洗われるようだ。
藍崎敏信は海を一望できる会議室で、明るくなる空を眺めていた。深い青から光を含んだ蒼へ移り変わる空には、いまだに輝く月と星々があった。夜を惜しむかのように、輝きを徐々に失っていく。
すると、会議室のデジタルボードが鳴った。その長いボードには、〔アル+1〕の改良設計図が広がっていた。ここ三日で詰め込んだ設計図だ。計算式も所狭しとかき込まれている。
「はいはい。ちょいと待っとれ」
敏信はそう言って、デジタルボードに歩み寄って軽く叩いた。
デジタルボードの通話機能が起動し、流暢な声が流れた。
『ノブさん。あの子が、やりました』
「そうかい。まさか、来て四日とはな……」
通話相手であるマイクは唸って、敏信の反応を怪しんでいる。
「どうかしたかえ?」
『んや。ただ、あの子たちは雑誌のことを知ってたみてぇだから、ちぃと気になって、な』
「ああ、そりゃぁ、わしが教えた」
敏信はあっけらかんと答える。
マイクは、いや、ここにいる老人たちでもその発言を不審に思っただろう。マイクの口調も自然と厳しいものになった。
『あれはもう表舞台に出る様なものじゃぁない。いまさら、伝えたところで世間は騒がんぞ』
「そりゃそうじゃ、わしも、墓まで持っていくつもりじゃった……」
じゃがな、と敏信は続ける。
アンダーグランドで出版された雑誌は、当時から研究者の間では有名だった。それを手に入れるために彼もまた奔走させられた一人だ。が、内容は確かに現実味を帯びていたが、今一つ確信を持てなかった。
「じゃが、ミス・サナハラとその友人が〔アル〕とともに地球に戻ってきたのを思うとの。彼女らが知るべきことだ、と思ったのじゃ。わし自身、雑誌の内容を信じたくなったのもある」
『それりゃぁ、俺たちも同じだ。それから、俺は〔アル〕の中に眠っていたメモリーを聞いた。雑誌に掲載されていたことは真実だ。ノブさん、こいつぁ歴史を覆せる』
マイクは興奮していたが、心からこの真実を表出そうとは思っていないだろう。公表したところで、〔アル〕の英雄譚自体が冷めきっており、ただのトンデモ発表どまりだ。それも、現役を引いた老人の言葉を誰が信用しようか。
敏信は腰を軽く叩きながら言う。
「歴史を覆すために、わしらは〔アル〕の修理を請け負ったわけじゃなかろう?」
『…………』
その沈黙を、敏信は了解と受け取って、通話を切った。
「あー……。夏の冷え込みは、腰に響くわい。歳に似合わず、徹夜などするべきじゃなかったのぅ」
敏信は腰の痺れが増すのを感じて、部屋で休むことを決める。
会議室を横切りながら、デジタルボードに表示されている〔アル+1〕の改良設計図を今一度立ち止まって見る。
「過去に縛れらるのは、お前も嫌じゃろうに……」
そういって、老人は会議室を後にした。




