~選択~ 眠りの前に
日はすっかりと暮れて夏の涼しさを肌で感じられた。
樹たちは湯冷めしないうちに、と布団を敷いたところだった。特に樹は二日ぶりの根城に帰ってたこともあって、心身共にリラックスしている。
「ごろごろー」
「こらっ! あんたはそっち。あたしはこっちでしょう」
樹は敷いた布団の上ではしゃぐ彩子と音を一瞥して、手元のタブレット端末にメールを打ちこんでいた。
内容は、〔アル+1〕降下装備の依頼。必要な部品や材料と、オーダーメイドのペイロードフェアリングの略図を添付。これを人事部を通して、整備部に回してもらうことになっている。直接連絡を入れるべきではあったが、樹は正面切って整備部の人間と話すのは、気が引けてしかたなかった。
こんなことなら妙ないざこざを起こすんじゃなかった、と樹は反省する。
すると、音がごろごろと布団の上を転がって、樹の膝元に伸し掛かる。
「ちょっと、行儀悪い。また、添い寝してあげるから、少し待って」
「あーい」
樹は膝元で甘えてくる音の柔らかい感触を覚える。
いつまでも甘やかしてはいけないとは思うものの、突き放してしまうのは何か違う気がする。だが同時に、樹にもそういう暖かな甘えを向けてもらえるのは、うれしくもあった。
それから、もう一度文面に目を通して、樹はメールを送信した。
「さ、今日は早く寝て、明日――――」
ピコーンッと樹が枕元に置こうとしたタブレット端末が電子音を鳴らす。
「――っ!?」
音がその電子音に驚いて、身を起こす。きょろきょろとあたりを見渡し、音源がわかるとほっと胸をなでおろした。
「どうしたの?」
彩子が自分の布団を整えながら問う。
その問いに、樹はタブレット端末の画面を向けながら言う。
「教授からメールが届いたの。〔アル〕の修理、手伝ってくれるって」
「とんとん拍子に決まって、いいことじゃない」
それは喜ばしいことだ。
一歩前進した高揚感が、彩子と音に沸いてくる。
「どれどれ……」
彩子は興味本位でタブレット端末に映し出されている英文を目にした途端、うっとひきつった笑みを浮かべる。
英文を読めないことはないが、画面いっぱいの羅列は圧倒的だ。一気に、彼女からやる気を削ぎ落す。
彼女の顔を見た樹がタブレット端末を膝元において、概略を話す。
「内容は、いつ届くのかとか、何を準備するとか、落下ポイントの指定とか……。あと、久しぶりに大学の時のゼミ仲間を集めてくれないか、とか」
「大学の時? 樹、大学通ってたの!?」
彩子は驚いて、樹に詰め寄る。
その間を音が肩身狭そうに、上半身を後ろへ傾けた。
「当たり前でしょ。つい、二年前まで大学院生だったんだから」
「院生!? 嘘っ! ほんとに、樹いくつよ?」
「あなたたちと同い年」
「さらっと言ってるけど、信じられないわよっ!」
彩子は大声を上げて、佐奈原樹の人物像がわからなくなっていた。同い年の十七歳で、元『サテライト』の研究員、その前は院生やってて、教授と親しい間柄。どんな十七年を過ごせば、人生をそんなにも凝縮できるのか。
樹はため息ひとつ吐き出して、びくびくと小動物のように震える音に視線を配る。おそらく、彩子の剣幕に気圧されたのだろう。
「じゃぁ、どこかの極秘研究機関で脳に直接電極繋ぐ英才教育を施された、頭のヒューズがとんだ人って言えば、納得するの?」
「な、なんか、その方がしっくりくる……」
樹の嘘八百の話に、彩子は脱力して言う。
「彩子、ひどいっ。樹は、樹」
「うん。音はよくわかってる。いい子」
「えへへ……」
「何よ。べったべたしてちゃって」
彩子は樹に頭を撫でてもらってうれしそうに笑う音を見て、口を尖らせる。別に、うらやましいわけではない。友情の度を越しているとしか思えないスキンシップに、違和感を覚えるのだ。これが、姉妹や親子ならまだ納得がいく。
しかし、音は本当に樹を姉のように慕っている。何か、決定的なものを埋めるかのように。
彩子の口から、思わずため息がでる。
「まぁ、いいわ。そういえば、その教授ってどんな人なの? 大学の先生?」
樹はその質問にタブレット端末をグローバルネットに接続して、ある画面を呼び出した。
それから、タブレット端末を三人が見える位置に置いた。
「この人、藍崎敏信。ずっと前に、『ガンメタル』の相転移機能を発見した有名な科学者」
「日本人なの?」
「おひげ、すごい」
タブレット端末の画面には、髭を蓄えた初老の男性が記者会見を受けている写真と掲載記事があった。日本人らしい黄色肌、黒縁メガネと白髪が勝り始めた頭髪、温和な表情は学者然とした風采が窺える。
樹は画面をスライドさせて、別の記事を呼び出した。今度は、どこかのキャンパスを背景に数名の男女が初老の男性、敏信を中心に記念撮影をしたものだ。
「あ、これ、樹?」
音は画面の端っこに小さな隻眼の少女が若者たちから距離を置くように立っている。その無表情さは笑顔を浮かべる若者とならぶと際立っていた。
「そう。三年前かな? ゼミの最後の課外講習が終わって撮影したときの」
「本当に大学生してたんだ……。しかも、十四歳で」
彩子は今よりもさらに幼い樹と目の前にいる樹を見比べて、愕然とする。
「全然、変わってない」
「今、わたしを見て言った?」
久々に引っ張り出した写真の感想がこれでは、釈然としない。
「ねぇ? おひげさん、今、何してる?」
音の現実的な質問に、樹は毒気を抜かれて、画面を送られてきたメールの文面に戻す。
「えっと…………、書いてない。けど、修理は種子島基地でするってある」
「種子島って、マスドライバーが問題になってるとこよね?」
彩子は昔見たニュースを思い出して、口に出した。
種子島はその立地から、宇宙へ資材を運ぶシャトルを投射するマスドライバーを建造した。JAXAと統合政府がシャトル発射基地を設けて、各国から集められた資材を打ち上げることに成功して、順風満帆の運営記録を保持している。これに関しては、住民も歓迎的で、騒音さえ我慢すれば十分観光名所としても地域に潤いを与えている。
が、それに伴う基地防衛として『地球平和軍』の駐屯地が急遽増築されたのが問題の争点だ。騒音や兵器配備は、テロ戦争時代の巻き戻しだと非難の嵐が巻き起こっている。統合政府傘下の日本政府も、この事態には断固反対の意思を示して、追い出そうという動きが活発だ。
樹もこの問題を知っているからこそ、表情に陰りを帯びていた。
「でも、メールには種子島基地ってある。教授がこんな情緒不安定な場所を指定するなんて――――」
「ん? 問題?」
「なんていうのかしら。〔アル〕を持ちこんだら、即刻撤退命令が下されそうって感じかしら」
彩子は小首をかしげる音につたないながらも答えを出した。
実際、彩子の認識は間違っていないだろう。
宇宙で戦争している機体が、地球で、それも軍隊撤退を強く示す場所に持ち込めば、確実に口実を与えることになる。
レミントンが降下までは手伝うといったのは、こういうことだったのか。〔アル+1〕を落とすのは、交戦による衛星や〔AW〕の墜落とでっちあげるのは容易い。それでも、戦争それ自体に対する非難の声は高まるだろうが、何の被害もない国から『地球平和軍』が引き下がるのはそれ以上の損失になる。
そして、打ち上げについてはさらに神経質なことが予測される。
とはいえ、今はここが頼みの綱だ。
樹はメールを閉じて、深く息を吐きながら、後ろに倒れる。布団の柔らかい感触が体を優しく受け止めてくれる。
「どうにかするしかない。幸い、教授も受け入れには策があるらしいし、問題ないと思うけど」
「でもこれって、密輸よね?」
「そうなる」
彩子は心配そうに仰向けになった樹の顔を覗き込む。樹は今にも眠ってしまいそうな、微睡んだ表情をしてる。二日も整備をしていて、疲れが出てきたのだろう。
音も彩子の横に並ぶ。
「でも、教授も歳だから。ボケてなければいいけど」
「信用してるんじゃないの?」
彩子は思わずがっくりとうなだれて、敏信なる教授に同情する。下手をすれば孫ほども歳の離れた教え子に言われているのだから。
樹はそんな声を耳にして、意識が混濁していくのを受け入れようとしていた。自分の恩師である藍崎敏信がどんな経緯で、種子島基地に身を置いているのか考えるのも億劫だ。
出会ったら、聞けばいいだけのこと。声を聴けば、わかること。
「――――あ」
と、樹はあることを思い出して、上体を起こすとタブレット端末を操作する。
「どした?」
音があくびを噛み殺して、真剣なまなざしで画面をタッチする樹を見る。いつになく集中して、返事をしない。
樹の頭の中を駆け巡るのは、ここ二日の整備の中で見つけた通信ログのことだ。一人で聞いたとき、自身の耳を疑ったし、同時に怖くなった。だから、頑なに否定意識が膨張していったのかもしれない。今なら彩子と音が傍にいる。
その心強さに、樹はもう一度聞く勇気をゆり絞った。
「二人とも、ちょっとこれを聞いて」
樹はタブレット端末に保存しておいた通信ログをレコーダーモードにして、音声を再生できるようにする。
彩子音が一度顔を見合わせて、なんとなしに頷いた。樹が真剣なのは目を見ればすぐにもわかるが、内容については皆目見当もつかない。
「…………」
樹は画面に表示され得ている音量のダイアル上げて、再生ボタンを押した。
夏の静かな空気、ノイズが走る。
すると、闇の中からはい出るような声がかすかに聞こえる。
『―――—…………い、ぎ、てぇ』
ぶちんっと再生が終わった。
身も凍るような静寂が舞い降りる。
全身の毛が逆立ち、心臓を鷲掴みにされたような息苦しさが三人に襲い掛かった。心霊的なものではない。なぜなら、この声には聞き覚えがあったから。
「これ……」
音が言葉を振り絞る。
「先生さん、よね?」
彩子は戦慄く口元を押さえて、じっとタブレット端末を見下ろす。
この声を、確かに三人は覚えている。あのテラスで初めて、あの戦場で最後に聞いたアリスの声だ。
「たぶん。いえ、確かに先生。先生の遺言よ」
樹はぼうっと熱くなる目頭を軽く指先で揉んで、彩子たちに告げる。
この場で泣くものはいない。目元に涙を貯めても、すぐにふき取って、しっかりとアリスが残した最後の言葉を胸に刻み込む。
生きて。
その願いはとても尊く、今の彼女たちには力強い言葉だ。
「よく、見つけたわね。こんなんじゃ、わかんないじゃない」
彩子が目元を赤くしながらも、ニカッと笑って見せる。
「きと、せんせ、敵、止めた」
音はモニタ上で態勢を崩した敵艦とこの声が聞こえたのはほぼ同時だったことを思い出す。そう思うと、涙が溢れてきて腕でTシャツの袖口でふき取るしかなかった。
そして、音の言っていることが正しいと樹と彩子も感じた。
「そう、だね。〔アル〕が拾ってくれたんだ」
きっと、〔アル+1〕以外の機体では、ここまで音声を認識できなかっただろう。太陽風に、妨害、距離を鑑みれば、それでも奇跡の所業だ。
だからこそ、この幸運を樹たちは喜んで、悲しんで、受け入れる。
「…………さてと、寝よっか?」
樹はタブレット端末の電源を切って、自分の布団の枕元に置いた。
彩子と音も軽く頭を振るなり、息を吐くなりして、気持ちを落ち着かせる。
「そうね。明日から、頑張るわよっ」
「あい。がばるっ! あ、樹、隣り」
樹が布団にくるまろうとするところに、音が飛び込んで添い寝してもらう。
夏場の涼しい気温とはいえ、添い寝は暑苦しく見える。そうであっても、音にはぬくもりが必要だった。今日は特に、人が持つ確かな暖かさを感じていたいのだ。
樹にもその感触はとても安らぐもので、自然と音の艶やかな髪を優しくなでてていた。
「あーあ。見ているこっちが恥ずかしいじゃない。電気消すからね」
「うん。お願い。彩子も一緒にどう?」
「ちょっ!? そういうのは、卒業したわ」
彩子は立ち上がる際足元がふらついたが、耳を赤くして口を尖らせる。
その様子に、そう、と樹は吐息を吐くように返事する。胸の中で、音が寝息を立て始めるのが聞こえる。
懐かしい感覚。胸の中に伝わる鼓動と自身の鼓動が重なり、耳を打つ寝息がほのかに体から無用な力を抜き取る。安心があった。生まれる以前の、母親の中で眠っていた時を連想させる。それは体は覚えているもっとも優しい記録だ。
彩子も今にも寝付いてしまいそうな樹と音の見下ろして、壁へと歩いて行って電灯のスイッチを切った。
部屋に柔らかな光が確認できて、急速に眠気を誘う。
「ふわぁ……。お休み」
彩子はあくびを一つして、自分の布団で横になった。
静かに、夜が流れていく……。




