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マシン・レコード  作者: 平田公義
第九章
65/152

~選択~ 停滞

 (いつき)は〔AW〕格納庫の控室で、一人の男と対峙していた。


 周りには整備用のオレンジ色のつなぎを着た整備兵たちが、抗議の視線を(いつき)に射ている。


 対峙する男はその整備兵の班長であり以前から、〔アル+1(プラスワン)〕の修理を手掛けていた男だ。


 現状できる修理と言ったら、高機動追加装甲に粘質の装甲材を傷ついた箇所に塗って研磨する自動車の擦り傷を直すような工程やノズル磨き、関節部に潤滑油を指す程度のことしかできない。彼の見た限り、〔アル+1(プラスワン)〕はもはやスクラップ寸前の機体だ。


 年季の入れようも違えば、整備性も違う。年代的に見て、ざっと三世代も前だ。今の整備兵たちも古い回路に手を焼いていた。それでも、強引に着せられた高機動追加装甲については、なんとでもなった。


 問題とするなら、上着の下の中身だ。そこに深刻なダメージがあるとなっては、手の施しようがない。何しろ、知識の時代が違う。


 始祖は始祖。老人も同然。その孫の代に相当する彼ら整備兵の技能教習に含まれているはずもなかった。


 (いつき)はそのことを整備班長の口からきいて、正直呆れかえっていた。


「どうしても、直せないの?」

「何度も言ってるだろ? 俺たちじゃ、無理だ。もう、おしまいにしようや」


 整備班長が面倒そうにタブレット端末を振って言った。


 (いつき)はしっかりと床に足をつけて、毅然とした態度を見せる。はた目から見れば、まだ愛らしい様相でとても研究員には見えなかった。


「部品の替えがないのは知ってる。代用が利かないのも承知してる。それでも、これを直さなきゃいけないの。関節部の修復は可能なはずだから」

「可能性でどうこう言われても、こっちも忙しいんだ。戦艦のシフトにこっちまでやられたら、たまったもんじゃない」


 彼はいよいよわがままお嬢様の言い分に、怒りを覚え始めた。


 どれほど、頭が良くても人生経験のない小娘にとやかく言われるのは癪に障る。彼女たちの活躍で戦艦一隻が守られたことも承知していうるが、それとこれとは話が別。戦艦と〔AW〕の両方を修理するのは体力的にも無理だ。


「それに、もうすぐ地球から新兵と技術者が来るんだ。そっちに頼みな」

「あなたの腕を見込んで頼んでいる。いまさら、援軍だなんて虫のいい話だし……」


 (いつき)は後半、恨めしそうに声量を下げて言った。


 その様子は整備班長からも、すぐにわかる悲哀の情動だった。上司であるアリス・ジェフナム少尉を先の作戦で喪ったことも聞いている。彼にとっては面識のない赤の他人で、さして心を病むような傷を負ってはいない。だが、兵站として多くの人間を前線へと見送った立場の彼も、やはり人の死は意識せざるを得ない事柄だ。


 心の傷は大したことはない。慣れてしまったのかもしれない、と整備班長は肩を竦めた。


「援軍が来れば、新しい機体だって造れんだろうに。どうして、このオンボロにこだわる?」


 整備班長はガラスの向こうに係留されている〔アル+1(プラスワン)〕の巨体を顎でしゃくった。見た目こそ問題なさそうだが、纏っている空気は老衰したそれに近かった。


 (いつき)は〔アル+1(プラスワン)〕を一瞥してから、視線を彼に戻した。


 周囲の視線は面倒そうに、さっさと解放してくれと言わんばかりの倦怠感。直せない以上、彼らがここにとどまる理由はない。次のシフトに備えて、仮眠を取りたいところだ。


「これじゃなきゃ、ダメなの……」

「理由は?」

「ほかの機体より、慣れてるから」

 

 (いつき)は言葉には言い表せない、〔アル+1(プラスワン)〕に対する執着心を露わにした。理由のはっきりしない言動は極力控える彼女だが、こればかりは譲れなかった。


 自然と険しい顔つきになる(いつき)の顔を、整備班長はまじまじと見て今度こそ呆れてしまった。これはもう、子供の駄々に付き合っているのと同じだ。


 今の(いつき)はまるで使い古したおもちゃも捨てられない子供。長い年月を経て、ぼろぼろになったぬいぐるみを大切に抱えている子供のそれだ。


「いい加減にしてくれ。これじゃなきゃ、戦えないってのか?」

「…………うん」

 

 そこだけ、(いつき)は躊躇いがちに首を縦に振った。


〔アル+1(プラスワン)〕でなければ、戦えない。この機体でなければ、自分の力を最大限に発揮できない。そう言い聞かせている自分の心の弱さに気付いていた。


 戦うことそれ自体に、また恐怖を覚えている。勢い任せに、がむしゃらに戦場に飛び込んだ感覚はとうに失せて、どこか安定したものへと変わっていた。それが順応性ではなく、楽観視であったと痛感させられた。


 アリスの死は、それだけ衝撃的なものだった。


 整備班長はあからさまなため息をついて、一歩しっかりと床を踏みしめて(いつき)に詰め寄る。眉間にしわを寄せ、彼女を睥睨する。


「そういう態度は何だ? 本気で敵を倒す気あるのか?」

「――――っ! 当たり前だっ! あいつらは多くの人を殺した。暴力でしか世直しできない連中なんか――」


 連中なんか、と小さく言って次の言葉が出てこない。


 暴力による力。それは、大切な人すら奪った狂気。その力に立ち向かう勇気がどうしても、湧いてこない。死が間近に潜み、彼女の知る人を飲み込んでいく。


 なんと、無慈悲なことか。なんと、虚しいことか。なんと、寂しいことか……。


 (いつき)の表情が曇っていき、ついに整備班長から目をそらした。


 それが、整備班長の抑止力を決壊させる。


「いい加減しろよ、ガキがっ!」


 彼はその太い腕で、(いつき)の胸倉をつかむとぐいっと引き寄せる。連日の重労働のストレスも相まって、いつも以上に沸点が下がっていた。


 二人の体が宙に浮く。


 周囲の整備兵たちが咎めようと体を倒しかけたとき、整備班長の鋭い視線がそれにくぎを刺した。理性的な光を宿した瞳は、手を出すなと告げる。整備兵たちはぐっと体を強張らせて、行動に待ったをかけた。


 だが、その中に一人どこかと連絡を取る若者の姿があった。だが、すぐに回線を切られて困り顔をうかべた。


 (いつき)は心臓がバクバクと高鳴るのを必死に隠すように、無表情で整備班長の顔を見る。


 彼女の目の前にある整備班長の顔は、とても理知的ながら内に秘める炎を瞳に宿していた。怒りと理性を持った雰囲気に気圧されて、生唾を飲みこんだ。


「そんな中途半端な気持ちで、俺たちにものを言えるほどテメェは偉くないだろ」


 その言葉に、リーンが以前に言っていた言葉を思い出す。


 ――――戦場をなめきった、生半可なやつら。


 的確に、今の(いつき)をついていた。

 

 戦場で散っていく命の叫びを聞いた。命が狙われ、殺されそうになる恐ろしさを知覚した。それだけで、(いつき)の中で昇華したそれらをどこか勘違いした心の強さだと思い込んでいたのだ。


 整備班長は理路整然と、怒気のこもった低い声でささやく。


「たかが、一人の死に悲劇のヒロインを気取るなよ」

「――――ぐぅう!」


 (いつき)は喉の奥から唸って、整備班長を睨みつけた。粘り気のあるものが膨れ上がって、ポッとはじける。憎しみと怒りの何とも不愉快な感触だ。


 たった一人。たったと彼は言ったのだ。(いつき)にとって、大きな存在であったアリスをまるで死んで当然といった口ぶりで蔑んだ。


 怒りが込み上げてくる。体の熱が上昇していく。だが、暴力に訴えかける気力が来なかった。虚しさと悲しみが押し寄せて、戦う力を削ぎ落していく。


「…………」


 整備班長は(いつき)の瞳が、おそらく彼女も無意識なのだろう瞳の揺らめきを見取って、自身の大人げなさを悟った。


 怒りがあるだろう。憎らしいだろう。それでも、そこから抜け出せない情動に(いつき)はいるのだろう。


 乱暴に(いつき)を開放すると、彼はその反動で下がる体に身を任せた。


「――――うぅ」


 (いつき)の口元がかすかに歪んで、嗚咽らしい声が漏れた。


「なんだ? 何が言いたい?」

「…………」


 整備班長の地獄耳に、(いつき)は思わず口を真一文字に結って無言で睨みつける。


 もう頼らない。当てになどしない。


 鋭い視線がそう代弁し、整備班長もその意図を理解したように壁で受け身を取るとそのまま寄りかかった姿勢で言った。


「何もないなら、帰るからな。おらっ! お前たちも帰って休め。新入りが来るまで、楽はできないんだからなっ」


 そういって、周囲で傍観していた整備兵たちをたきつけて、整備班長は控室を後にした。


 整備兵たちは反対側の壁に寄りかかる(いつき)の方を見たが、生意気にも殺気立った目を視界に入れると次々と控室を出て行った。


「結局は、ただの女の子か……」

 

 整備兵の一人が漏らした感想に、ああと周囲の者の納得した。それが自然であるのだとも。


 (いつき)は立ち去っていく薄情な連中を睨みながら、誰かひとりでも手を差し伸べてくれないかな、といやらしい期待をしていた。アリスのように面倒そうな態度をしながらも、そっと傍にいてくれるような、そんな人を。


 もちろん、誰も振り返りも止まることなく控室から出て行った。


 ぽつんと残された(いつき)は壁に寄りかかったまま、静けさに意識を任せる。


 アリスの死が胸をえぐる。死は誰にでもある。別段、珍しい話ではない。


 そういう割り切り方を、(いつき)は知らなかった。身近な人の死が、これほどまでに辛く厳しく心を蝕むものだとは予想もできなかった。


「先生……」


 (いつき)は抑えきれない気持ちを吐露する。こうして、燻っていても気持ちが晴れるわけでもなく、むしろ沈む一方だ。


 だから、(いつき)は目にたまった涙を拭って、〔AW〕格納庫の方へ移動した。


〔アル+1(プラスワン)〕の修理に集中すれば、何か変わるかもしれない。整備班長が言うように手の施しようがなくとも、少しでも動くようになれば、また違った打開策が生まれるかもしれない。


 逃げ口実。(いつき)は〔アル+1(プラスワン)〕を逃げ道にした。潜在的に戦いについても、アリスの死しも頭の中から薄めてしまい。一人で技術を磨いていた時のように、利益だけを考えれば何も痛む必要は何からだ。


 そんな彼女の小さな姿を〔アル+1(プラスワン)〕のセンサーアイにどこか寂しげな影を映していた。

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