~リヴァイアサンの嵐~ 嵐の前
暗澹とする思考は、寝ているのか、起きているのかも判別できない。
隣りに聞こえる息遣いや肌を撫でる風当りが妙に生々しいのが、佐奈原樹を意識を現実よりにさせる。白波の中に巻かれているような感覚がふと湧き上がると、暗かった風景を白濁に染め上げた。それが、予兆だった。
「…………、うぅん」
樹は乾いた唇を舐めして、声を漏らす。体は怠く、指一本動かすのも億劫になるほど、疲労がたまっていた。先の戦闘で、二十分も緊張状態が続き、心身ともに疲れ果てるのも無理はない。まして、樹たちは操縦技能は一通り訓練したが、肝心の基礎体力が追い付いていないのだ。
樹は霞んで見える天井の明かりを見つめて、自分がどうしてここにいるのか整理する。
ここは〔シーカー〕の休憩室のはずだ。帰投して、〔アル+1〕の電源を補給して、疲れたから少し横になろうとして――――。
「そういう流れだったかな?」
樹は一番新しい記憶がシートにつく以前で途切れている。確実に補給作業――といっても電源パイプや液体酸素の注入パイプを機体の指定された箇所に差し込むだけ――をしたのは覚えているのだが、そこからどうにも思い出せない。
「時間は……」
樹はそこで自分がパイロットスーツの上半身部を脱いで、Tシャツ姿をさらしていることに気付いた。ふと沈殿していた記憶が浮上した。
「ああ。エア・ロックを出て、脱いだんだっけ」
「ううん……」
隣りを見れば、同じく上半身キャミソールの彩子と上半身タンクトップの音が視界に入る。三人で疲れただの、なんだの言って休憩室に流れ込んだことを、彼女は思い出す。
「まんま、まだぁ~?」
よだれの雫を浮かして、音が寝言を言う。
「そういえば、お腹すいた……」
樹はふわふわと浮くパイロットスーツの袖を手繰り寄せて、手首についているアナログ時計を見た。手首の部分に埋め込まれる形で、電磁波の影響を受けやすいデジタル方式ではない。もともと、『サテライト』の更衣室にあった試作型、もとい体格的にあったものだ。対策が必要なデジタル方式でないのは、コストの問題だろう。
「十分くらいかな? 寝てたの」
文字盤を指す針は、記憶をたどって逆算してみてもさほど時間は経過していない。
たった十分で、何十時間も寝たような寝心地と体のだるさを得て、樹は研究員だったことを懐かしく思った。
あれからまだ一週間しかたっていないのに、歴史的事項を教科書で読んでいるかのような深遠を感じる。
「ふぅ……。さすがに、不味いか……」
そこに、前のほうで扉が開く音と面倒くさそうなハスキーボイスが樹の耳に飛び込んできた。
「まったく――――、ん? 起きたようね」
声の主、アリス・ジェフナムが樹の前、シート列の上に浮かんで顔を見た。彼女も音と同じく上はタンクトップ姿だ。
行儀が悪いと樹は思ったが、それを言葉にする気も起きない。自分の上司に愛想が尽きたからではなく、ただただ無為な言葉を連ねたくなかった。
上の空な彼女に、アリスは後ろ手から飲料パック三つを出して見せて、一つを宙に浮かせるとつついた。
「スポーツドリンクよ。喉乾いたんじゃない?」
つぅっと氷の上を滑るかのように、つつかれた飲料パックは樹の前に流れる。
樹はそれを手にとって、キャップを外して中のストローを伸ばす。
「二人の分もあるから、起こしなさい。何か、適当に食べる?」
「軽いものなら……」
そういって、樹がストローを咥えてスポーツドリンクを吸い始めると、アリスは眠そうにあくびをして頷く。間近で見る彼女の顔つきは、やはり芳しくない。目元のくまがまだ居残っている。
そこまで観察して、樹は慌ててストローから口を離す。
「ごめんなさい。自分で――――」
「いいよ、運んでくるだけなんだから」
アリスは残り二つの飲料パックをその場に残す。それから、シートの背もたれを押して、後ろ向きに元来たドアの方へ流れる。十分に慣れた移動には余裕が窺え、先の戦闘で失った体力を幾分か回復しているようだ。だが、彼女も落ち着かないのだ。次の戦闘、本命ともいえる〔イリアーデ〕の移送作戦が成功しなければならない。そんな重圧と妙な問題が、アリスから冷静さを削っている。
樹はそうは見えないアリスを見送って、飲料パックのストローを咥えなおして、両隣の彩子と音を揺する。
「ははこ、ほと。ほひて」
「むぅ……、日本語でお願い」
「まんま、できたぁ?」
発音の悪い樹の声に、二人は愚図りながら目を覚ます。
その様子を樹は乾いたのどを潤しながら見守る。思えば、彩子と音ともまだ一週間の付き合いしかない。それでも、今まで積み重ねてきた十年ちょっとの年月よりも深く強固な思い出となり、彼女を支えている。同年代の子と過ごした時間が短かったからだろうか。自分とは違う価値観を持つ二人の少女は、とても魅力的で刺激的に感じられる。
戦争が起きなかったら、出会うことのなかった三人。出会わなければ、樹は大人たちにバカにされながら、自己顕示欲の塊となって業績をたたき出すことしか考えなかっただろう。ずっと機械的で、ずっと合理的に。
「ん~っ。肩凝ったわ」
彩子が肩のストレッチをしながら、ため息交じりに言う。頭の後ろで両手で両方の肘をかかえて、左右に引っ張る。
樹は飲料パックを二人に渡しながら、ふっと思いついたことを彩子に告げてみた。ちょっとした悪戯心だ。
「あ、剃りのこし」
「嘘っ! やだっ! 見ないでよっ」
彩子は飲料パックを受け取ってすぐに、赤面して急いで自分を抱きしめるように腕を回す。相当恥ずかったらしく、身を戦慄かせて、恨み腰の目で樹を睨みつける。その間にも、彩子の視線は脇のほうに気を取られていた。
樹もさすがに同じ女性として失言だったと反省する。
「ごめんなさい。嘘よ」
「もうっ!! ふざけんじゃないわよ!」
「アハハ。彩子、顔、赤い。トマト、似てる」
「野菜っ!?」
彩子が怒りと驚きを大声に乗せる。
そこにちょうど、ラップに包んだハムサンドを持ってきたアリスが入ってきた。
「なに? やけに騒がしい……」
「先生さん? 聞いてよ、樹が――」
「弱虫……」
「何ですってぇ」
樹のぼやきに、彩子が即座に反応する。疲れなどお構いなしに、彼女は声を張り続ける。
威勢のいい彩子にアリスはため息をついて、通路を通って三人の横につく。
「はいはい、面倒事はこれ以上起こさないでちょうだい。リーン軍曹に続いて、こっちもこれだと対応しきれないから」
「ぐんそ――――。よかた、無事だた?」
音がそういうと、樹も彩子も現在状況を思い出して、言い争いをやめる。
「ま、おおむね無事よ。二人とも軍艦のほうで休んでる」
「おおむね?」
「コフィン准尉の機体が使い物にならなくなってね。心配しないで、予備の機体で出るらしいから」
「それって、造船場を制圧するときに出てきた――」
「ご明察。彩子も少しは頭を使うようになったわね」
「まるであたしが、馬鹿みたいじゃない……」
彩子が飲料パックのストローを咥えて、一気に中身を吸い上げる。ムスッとした表情を浮かべ、みんなして自分をからかっていると思うと無性に不愉快だった。
アリスはすまない、と言いながらラップに包んだハムサンドを一番物欲しそうに眺める音のほうへ投げてやる。
その見方は的中で、すぐにストローを咥えたままの音がそれに飛びつく。よほどお腹を空かせていたのだろう。包みを取る彼女の瞳はとても輝かしかった。
「それと、報告しなければならないことがある」
「報告? 作戦内容とか?」
「それもあるけど、まぁ、若干の変更よ」
樹は歯切れの悪いアリスの口調に首をかしげる。
「実はどうにも、リーン軍曹とコフィン准尉の仲が不安定らしくて、バディを変えることになった」
「あの二人が――――、マリッジブルーていうの?」
「恋煩いって奴じゃないの? ちょっとあんただけ何食べてるのよ。ずるいじゃない」
「ほに、ほへ?」
アリスの報告に、樹たちはリーンとコフィンの不仲を予測する。以前より、二人の間には友情以上恋愛未満的な感情がちらついていた。それが今になって、面倒な方向に作用したのだろうか。
音はハムサンドを齧りながら、こめかみに手を当てるアリスに言う。
「せんせ、バディ、どなる?」
「ん? バディはあたしとリーン軍曹、君たちとコフィン准尉で組んでもらうから彼女の指示に従うこと。いいわね?」
「……了解」
樹たちは言いたいことをぐっと押さえて、ハムサンドを食べる。ハムとマヨネーズだけというあまりにシンプルな味。それでも十分、空腹のお腹をなだめることはできた。
大人の事情に振り回される感じはどうにも気に食わなかった。そのイライラが食欲を増進させる。
アリスも心労あって、シートにもたれ掛かり一緒に持ってきた飲料パックを開ける。ストローを伸ばして、一口。中身はスポーツドリンクではなく、コーヒーだ。喉が焼けるような苦味に、襲い掛かってくる眠気が引いていく。
「さて、時間も惜しい。食べながらでいいから、作戦内容の確認をする」
アリスは不躾な形態だとは思ったが、時間に余裕はない。
樹たちはしかし、食べる手を止めてまっすぐ、真剣な顔つきで傾聴する。行儀悪いと思ったのと、作戦という言葉に食欲が押さえつけられたこともあった。
緊張感が刹那のうちに駆け巡る。
「護衛対象、宇宙間重巡洋艦〔イリアーデ〕の脱出が最優先事項よ。そして、次の戦いが敵の狙いどころになるわ」
「さっきのは前哨戦ってところかしら?」
「そんなところね。実際こちらの戦力は大きく削られて、厳しい状況にある」
音が生唾を飲み込む。
「そこで、先だって敵艦を攻撃する部隊と出港する味方艦の防御部隊の二種に分かれる。本来なら、小隊でわかれるはずだったんだけど、数の関係であたしたちの小隊も分断することになった」
「攻撃部隊が最優先されるの?」
「いや、比率的には防御に数が割り振られる。で、君たちはそちらの方に就いてもらうから、よろしくね」
アリスはストローをいったん吸って、続ける。
「問題は敵艦の砲撃に対して防御陣営はどうするか、なんだけど。専門家の意見を聞きたいかな?」
その悪戯っぽい言い回しに、樹は反応する。
「誘導兵器に関しては、特には。ビーム砲は――――、理論上の話だけどいい?」
「どうぞ」
「荷電粒子の反発。〔アル+1〕のビーム・ライフルで威力を分散することはできるかもしれない」
「どうして、理論上の話なのよ?」
「誰もビームの衝突実験なんてしたことないんだもん。けど、クーロン力で相殺、あるいは反発することは理論的に証明されてる。でも、運動エネルギーの向きも関係するから……」
樹は俯いて、頭の奥底に眠っていた知識を総動員し、理論を展開する。幾何学的な数式と基礎を支える英知の理論を繋ぎ合わせ、矛盾点や必要な条件下の過程を頭の中に組み立てていく。
アリスは小さな研究者が本格的に理論を展開する前に、小突いて思考を止める。詳しい話をされたら、アリスはおろか彩子たちまで頭がパンクしてしまうだろう。
樹は頭に軽い感触を覚えて、はたと我に返って顔を上げる。
「つまりは、〔アル+1〕なら何とかできるかもしれない、と」
「可能性の話だけど」
「わかった。やっぱり、君たちを防御に回してよかった」
アリスは少し安堵の色を見せて、コーヒーを飲みきる。
実際、防御部隊より攻撃部隊のほうが危険が多い。敵陣に切り込み、素早く敵艦の火力を奪う。目的は簡単だが、敵の〔AW〕に加え、敵艦の防衛網という壁もある。その猛攻を少数で制圧させようというのだから、この作戦は気でもふれたとしか思えないものだった。
しかし、アリスにしてみれば妥当な判断だと思えた。
何を守り、何を捨てるか。堅実に考えれば、この作戦は妥当。間違っても最良ではない。
「留守は任せるから、頑張りなさい」
「もちろん、そのつもりよ。 ね?」
彩子が胸を張って、樹と音を見た。
二人は頷いて肯定し、自分を鼓舞する。この作戦に後退はない。勝って逃げるか、負けて死ぬかだ。沸き立つ恐怖と勇気がせめぎ合い、気持ちが落ち着かない。
アリスは飲み干した飲料パックを握りつぶして、そんな三人に優しい顔を見せる。
「大丈夫。こちらでも、アームウェアの数は削る。君たちは生き残ることだけを考えなさい」
それから、樹たちが先生も、と口をそろえて檄を飛ばす。
彼女たちの言葉に、アリスは急に胸を締め付けられる。できることなら、この場で目の前の少女たちを抱きしめたい。せめて、頭を撫でるだけの安らぎがほしい。ずっと昔に置いてきたはずの未練が、再現されるようで怖くなった。
先生と呼ばせたのは、ほんの遊び心だった。なのに、今はその呼び名が血の海を渡ってきた自分には不相応だと思う反面、彼女たちを導ける人になりたいと願った。誰かのために、生きてみたいと。
しかし、アリスは結局甘えることはせず、パイロットスーツの腕時計を確認して、凛として言い放った。
「作戦開始は二十分後。それまで、英気を養いなっておきなさい。以上」
「了解っ!」
樹たちは立ち上がって、敬礼する。すっかり板についたらしく、三人のタイミングはそろっていた。しかし、軍人というには幼い印象が強い。
アリスも飲料パックを左手に持ち替えて敬礼。それを解いて、作戦確認は終了。
「先生も食べる?」
「そうね。さすがに、小腹が空いたかな」
急に緊張が緩み、樹が残っているハムサンドをアリスに勧める。
しきりに、彩子が食事をしながら雑談を持ちかける。気を使っているのと、不安な気持ちを少しでも紛らわしたいのがアリスには痛いほどわかった。
それに相槌を打つ樹にも暗い面持ちが窺える。
音も舌足らずの言葉で、会話に入って話題を広げようとする。
落ち着いて食事をするのも、必要なことだ。和気藹々とした雰囲気はささくれた不安を打ち消して、思考を穏やかにしてくれる。
しかし、アリスはやはり心の底から楽しめる気分になれなかった。
攻撃部隊が、捨石まがいの役目だというのに気付いていたからだ。護衛対象である母艦は戦線を離脱しようとする。迅速に行動しなければ、確実においていかれ帰投できなくなる。その重圧と緊張が彼女の胃を重くする。
加えて、赤い〔ミリシュミット〕の存在。あれが〔イリアーデ〕に向かったら、戦力を削られるのは必至だ。多くの操縦者が目撃し、味方をことごとく撃墜していったという噂が流れているようだった。そんな敵のエースパイロットはあろうことか、アリス・ジェフナムに興味を示したのだ。
アリスは赤い〔ミリシュミット〕と対峙する必要がある、と内心覚悟を決めていた。向かってくるなら好都合。もてる技術のすべてをつぎ込んで、最低〔イリアーデ〕には近づけないよう戦い抜く。
死地に陥れて後生きる。そうなるよう全力を尽くすしかないのだ。
樹たちも同じことだ。アリスたちが帰ってくる場所守らなければならない。その思いが、今彼女たちが戦場に立つ勇気だ。




