~怪物の腹~ 夢と現
過去を見ているのか。
気が遠くなるような時間を体感しながら、刹那のうちに知覚する。滅茶苦茶な場面移りとめちゃめちゃな時系列でも、夢を見るアリスはすべてを理解していた。
親と離れ離れにされたと思ったら、新兵を乗せたトラックの中にいて、一瞬のうちに紅蓮の炎をに包まれる。悲鳴と怒号。血の臭いと鉄の焼けた臭い。体から血の気が失せて、意識が遠のいていく。その炎が晴れた時は、下着姿で真っ暗な操縦席にいた。自分の汗と気持ちの悪い異臭を体が放っている。衝動的に操縦桿を動かすと、すでに戦場を走行していた。新緑の森を分けて、機体が握る火器を撃つ。どこからか悲鳴が聞こえた。覚えている。一緒に訓練をしてきた友達の声だ。その顔が思い出されるよりも前に、また燃え盛る町が目に入った。火だるまになった人が近づいてくるのに、背を向けて走り出す。途中で幾人もの人が、臓腑を腹から垂れ流して横たわっている光景が見えた。呪詛のように響く、助けてくれという声と死んでしまえという怒号。金切り声の悲鳴。赤子の泣き声。
夢だ。こんなの現実じゃない。
走り続けた終着点として、自分の家が目の前に出た。そうだ、帰ってきたんだ。母が帰ってくる娘のためにシチューを作って、父親が笑って出迎えてくれて、妹と弟が駆け寄ってくるのを想像した。帰ってきたよ、と口を動かす。ドアノブに手がかかった瞬間、その手が血糊でべったりと汚れていることに気が付く。喉を這い上がってくる苦いものを噴き出す。血だ。どす黒い血液を全身に滴らせながらも、ドアノブを捻った。
開け放った先は、気が狂いそうな事実だった。待っているはずの家族が死んでいる。体の大半が消し飛び、辛うじて残っていた弟と妹の頭。瞳孔の開いた瞳には涙と血が入り混じった液体を流していた。
ああ。どうしてこんな……。
すると、自分の手が握っているものがドアノブではなく、一丁の拳銃になっていた。
後ろで、鈍い地響きとシャフト音が耳に入った。地面から伝わった振動に腰砕けになって、へたり込む。絶望だけが思考を動かし、恐る恐る肩越しに振り仰いだ。
青い空と太陽で陰る巨体。〔AW〕だ。すべてを蹂躙し、破壊しつくす機械。そのずんぐりとした四角いシルエットは、自分が乗ってきたものと同系機だ。その機体がマニピュレーターに保持している銃火器を、突きつける。
真っ暗な穴の中を、ただ茫然として見るしかなかった。
死んでしまうのね。殺されて、こんな夢から目を覚まさせてくれるの。
血塗られた野戦服が肌に張り付く感触、まだ温かい。気が付けば、周りは血の海だった。鼻をツンと刺激する酸っぱい臭い。脳裏にこびりついた内蔵の形。その中に、夢遊病者のようにたたずむかつての戦友が、次々と自分の頭を撃ち抜いて膝から崩れ落ちていく。銃声が嫌に耳に残る。
嫌だ。あんな死に方したくない。
死の意識が、急激に生への執着に取って代わる。夢の中だというのも自覚できずに、ここを現実と認識する頭が恨めしい。
嫌だ。助けてよ。誰でもいい。こんな、血の海で一人にしないで。
カチカチと震える歯と焦点の合わなくなった瞳は、もはや正気でなくなっていた。全身が震え、逃げることもままならない。手にしている拳銃を向けようとしたその瞬間、ひときわ大きな爆音が刹那的に聞こえた。
その時には、自分の体がバラバラになって、粉砕された内臓をまき散らしながら飛んでいくのを、アリスは〔AW〕の操縦席でトリガーを引きながら見ていた。
夢の中のアリスはいつもどこかで自分の死を体験し、見送っていた。そして、また繰り返される……。
樹たちはリラクゼーション区画に足を踏み入れた。照明が暖房も兼ねているのか、顔に当たる光が心地よい。この区画は植物が綺麗に陳列され、小さな水槽には睡蓮や球根の花が咲いている。季節を感じさせない花や青々とした観葉植物に、どこか幻想的な庭園を思わせる。
「なんていうか、懐かしい感じしない?」
「そかな?」
「土とか草の臭いだと思うけど」
日本語でそんなことを言いながら、樹たちは周囲に目を配らせる。無機質な風景ばかり見れば、有機的な色合いが恋しくもなる。コロニーの居住区でみた絶景もよかったが、間近で見るのもやはり心が落ち着く。
三人は興味津々にアレカヤシの細く分かれた葉や、情熱的な色を付けるハイビスカスを軽く触れて進んでいく。
そのあとを、コフィンが心配そうについていく。
「あの、勝手に触っていいんですか?」
彼女の英語に、樹がこともなげに同じく英語で返す。
「取ったりしない限り、別にいいと思いますよ。ここ、当直する軍人や囚人たちのメンタルケアを目的に作られてますから」
「でも、あんまり役に立ってないような気がするんですけど……」
コフィンは樹の言うメンタルケアの基準がわからなかった。確かに、彼女は自然に囲まれてのんびりするのは、嫌いじゃない。しかし、誰もがコフィンのように受け入れられるわけではないだろう。
樹は歩調をコフィンに合わせて、隣につく。
「たーっ。彩子、見る。おきな葉ぱ」
「もう、いちいち引っ付かないでよ。フキの葉っぱでしょう?」
その先をじゃれつく音を楽しげにあしらう彩子たちが、歩いていく。先ほどの推論のことや消化不良気味だった気持ちが、少しずつ浄化されているように思える。
この環境を完成させ、なおかつ維持するのは地球で土いじりをするよりも難しい。温度の管理から、貴重な水の配当、コロニーで肥やした土の分配。ここには、地球の恩恵なしで、金属の塊の中に植物を生かす方法は軒並みならない苦労があるのだ。別にそれを理解して、ありがたく思えなどは設計者は思わないだろう。
ただ、少しでも人の心が地上を思い出すだけでいい。一番の贅沢と思わなくても、この緑は人を落ち着かせるものになるはずだから、と。
「でも、彩子が初めに言ってましたよね? 懐かしい感じがするって。あれって、やっぱり人が地球で生まれ育った証拠なんですよ」
「土や植物の香りを感じ取るのが、ですか?」
「コフィン准尉、長いことコロニーで生活してます?」
樹の質問に、コフィンは首をかしげる。
それを見て、樹のほうは得心したように小さく頷いた。
「何というか。コフィン准尉は、ちょっと変わってます」
「えぇっと、そうですか?」
「そうですよ。一昔前は、宇宙に出るのには厳しい適性能力が問われましたから。精神面は今も油断ならないことです。無機質な環境で生活するのは、それこそ自然を知覚してきた人には厳しいストレスになります。宇宙での作業はとくに」
「ああ、なるほど……」
コフィンは納得できたようなできないような微妙な返事をして、横を歩く樹から視線を逸らす。ふと目に飛び込んできたのは、小さなティーカップをぶら下げたようなスズラン。白い花は清楚で、見ているコフィンにはとてもかわいらしく映った。自然と表情が笑顔になる。
樹もほかの植物に目を配らせながら、先を行く彩子と音の様子見も忘れない。
「さすがに男の人はそういうの、わからないかもしれませんけど。でも、清潔感たっぷりの部屋に閉じこもるよりは、開放的に思いません?」
「ええ。でも、やはり周りの鉄色はちょっともったいない気がします」
「あ。わたしもそう思ってました」
樹は少し声を弾ませて同調する。
コフィンに対する印象もだいぶ変わり、今ではお姉さんみたいな感じだ。若干、抜けているところはあるが、それも愛嬌だろう。
しばらくは、周囲の植物を鑑賞しながら、談笑しあって進んだ。ここに来た目的意識が薄れるほど、樹とコフィンの曇っていた気分が晴れていた。
すると、先行していた彩子と音が引き返して、樹たちと並んで歩く。
「せんせ、見つけた」
「でも、寝てるみたいよ」
そこで、樹はリラクゼーション区画に足を運んだ理由、目的を思い出す。先ほど調べた人工知能の存在を隊長であるアリスに報告するためだ。
まだ健康管理室に行ってなかったが、コフィンの忠告は無駄足を省いてくれた。
「そっか。でも、知らせないと」
「あい。こち、来る」
樹が言うと、音が水先案内人を買って出る。
プランターの区画から、新緑のトンネルに入ってしばらく進む。涼しさを感じる。照明の光がつた植物の葉で隠れて、さわやかさを演出していた。
「ほら。あそこ」
彩子がトンネルの出口の方を指差して、言った。
樹たちがトンネルを抜けると、そこは展望スペースだった。『リヴァイアサン』の裏側に位置する外壁の一部が強化ガラスで、回転する宇宙を見ることができるようだ。そのためのベンチが均等に並べられ、ちょっとした映画館を思わせる。
その一つに横たわっている人影があった。その光景は、おとぎ話のように森の中にある秘密の園にも見える。そして、眠っている人はおとぎの国に迷い込んだ旅人を連想させた。
「先生…………?」
樹は自分の中で確認を取るようにつぶやく。
それから、四人はそのベンチの前に回り込む。やはり、横になっているのはアリス・ジェフナムその人だった。
「…………」
「ん……」
先ほどまで抱いていたおとぎの幻想が潰える。これが現実だと樹たちの目に情報がなだれ込んでくる。
今目の前で眠っているだろうアリスは、まるで蝋人形のように無機質で苦しそうだった。パイロットスーツの上半身を脱いでタンクトップを晒しているが、それでも暑いのか全身汗だく。呼吸も浅く、顔も赤くなっている。時折全身が痙攣を起こし、とても睡眠をとっている様子ではない。
近くで見た彩子と音はその容態に足がすくむような不安を覚える。だが、何をしたらいいのかわからず二人は顔を見合わせるばかりだ。
「隊長、起きてください」
最初に、コフィンが勇気を振り絞ってアリスの肩を揺する。それでも、彼女が覚醒する様子はない。
「先生、しっかりしてっ」
さらに、樹もアリスの前に屈む。頬を軽く叩いて、覚醒を促す。
と、アリスの手元から何かが滑り落ちた。
「あれ? 何これ?」
彩子はアリスのことを気にしながら、床に落ちたものを拾った。錠剤が並んだパッケージ。何かの薬品名だろうか、サイレースと英語で印字されている。
「ねぇ、これ……」
彩子は恐る恐るコフィンたちに差し出す。
樹が揺する手を止める。次の瞬間には目の色を変えて、それをひったくるように掴んだ。
「せんせ…………」
音は今にも泣きだしそうな顔を浮かべる。続いて屈んで、アリスの手を取って自分の頬につけた。暖かい。生きていると感じながらも、アリスの様子は依然として苦しそうだった。
「睡眠薬です、これ。どれくらいの効き目があるか、わかりませんけど……」
樹は錠剤をコフィンに渡して、いまだに起きないアリスを見た。
「そんなにまで、隊長は……」
コフィンは受け取った錠剤を見つめて、握りしめる。不眠症だとは聞いていたが、まさかこんなになるとは誰も予想しえなかっただろう。いや、おそらくアリスは眠りにつくことの意味を深く理解していたはずだ。
樹が英語で言う。
「薬の効き目が切れるまで、待つしかありません」
「……ええ。そうしましょう。むげに運ぶのも、その、大変ですから……」
コフィンは錠剤をパイロットスーツの腰についているポーチに入れて、とりあえず近くのベンチに腰を下ろす。樹の態度は、何か危険なものを感じ取っている風で、コフィンの手の内を知っているかのようだった。アリスの容態を見て衛生班に引き渡さないのは、健康管理室に何があるのか、想像できていたからだろう。
睡眠薬の過剰摂取ではない。錠剤の減り方を見れば一目瞭然だ。
樹は立ち上がって、呆然と立ち尽くす彩子と必死にアリスの手を握り締める音を見た。二人がアリスを心配しているのが、ひしひしと伝わってくる。そして、何もできない無力感も。
「彩子、音、とりあえず落ち着こう。今は目を覚ましてくれるの待つしかないよ」
「だったら、医務室とかあんでしょうにっ! そこに運ぼうよ」
「ダメ。無理に体を動かすのは危険だから……。せいぜい、呼びかけることくらいよ。わたしたちがしていいのは」
樹の淡々とした分析に、彩子は唇をかみしめる。
確かに病状がどういうものかわからない。熱射病なら、体を冷やすとか救護が来るまで安静にさせるのだが。
そこで、彩子はひらめいた。
「お医者さんを呼べばいいじゃない。そうよ、そうだわ」
「それも無理。向こうは、大変だろうから」
「……何よ。なんでそんなに否定したがるのっ」
思わず大声を出して、無表情を浮かべる樹を睨みつける彩子。
すると、音がひとき大きな声を発した。
「せんせ、起きた!」
その歓喜の声に、緊張していた樹と彩子がすぐに反応した。
不甲斐なくそばにいるコフィンもその方を向いた。
ここにいる誰もが、アリスの目覚めを歓迎した。




