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マシン・レコード  作者: 平田公義
第七章
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~怪物の腹~ 二人の距離

 居住区は区画ごとに分けられたビルのようだった。自然と呼べるものはリラクゼーション区画に設けられた観葉植物くらいで、あとは清潔に保たれた無機質の廊下が迷路のように続いている。娯楽施設と呼べるものも少ない。造船と研究の機能さえあれば、ここで当直する人間のメンタルケアなど気にもしないといった感じだ。


 実際、そうした配慮のなさが反旗を翻した人物たちを苦しめもしただろう。


 リーン・セルムットは健康管理室を後にして、一路裏の搬入口に向かった。〔バーカム〕の移動をさせなければならなかったし、煩悶とする頭を少しでもすっきりさせたいのだ。


「…………」


 廊下を歩きながら頭に過るのは、先ほど見舞いに行った軍人たちの傷ついた姿。肉体的にも精神的にも深く傷を負い、治療が間に合わなかった人もいた。


 拷問、強姦、憂さ晴らし。そのどれもが人を屈服させる暴力であることには変わりない。


 実際、死体で発見された人物の一人は、分銅に近い形態だった。リーンもその変わり果てた人間の姿を、それこそはじめ石膏像ではないかと疑った。しかしそれは、おぞましい狂った芸術品。目は化膿した血を吸い込んだガーゼで隠れ、そぎ落とされた耳と鼻は血と脂ぎった膿が繁殖して、慣れなてない軍人たちはその目も当てられない顔、と呼んでいた部位を見て、胃の中のものを吐き出していた。手足は肩口と大腿部がなかった。足に至っては、砕けた鋭い骨が目的も定かではない包帯から突き出している始末。なにより、そこから漂ってくる腐った臭いに頭と肺をやられた。


 その人だったものは、狂った人間たちの手によって作品化されてしまった。どんな理屈を並べてもやってはいけない、最悪の行為だ。


「……ったく。胸糞悪い」


 そこでようやく、リーンは胸倉を押さえて、肺にたまった血なまぐさい空気を悪態ともに吐き出す。


「ここまで……、ここまで酷いのかよ」


 地上で体験した戦場と変わらないではないか。それ以上の陰湿さすら感じる。


 人間の残忍性はいつの時代も変わらず、本能的に刻み込まれているのだと痛感させられる。


「あっ。セルムット軍曹?」

 

 リーンがエレベーターを待っているところに、金髪の三つ編みを揺らしてコフィンが駆け寄ってきた。


 コフィンはリーンの隣に来るなり、安堵の表情を浮かべる。よかった、とかわいらしい口元が動く。


「なんでしょうか、准尉」


 リーンもそこはかとなく微笑む。だが、凝り固まった顔の筋肉があらわすのは下卑た笑みに近い。それも長くは持たず、すぐに仏頂面になる。顔の表情が固いにもほどがある、不器用さだ。


 コフィンはその彼の表情を見て、一瞬驚きのあまり目を丸くしている。


「あ、あの……」

「? 何ですか?」


 丁寧なリーンの対応に、コフィンはさっきの変顔のことを聞くのが憚られた。以前の部隊でもほとんど口を聞いたこともなかったし、陽の表情を表出すところも見たことがない。


 彼がどこかにあった国の迫害民族であったことは、コフィンも耳にはしていた。だから、だろうか。コフィンはどこかでリーンとの世界観に齟齬を感じていた。お互いあまり口数が少ないのもあって、はっきりとはしていないが。


「いえ、その…………、あっ! サナハラさんたち、知りませんか? はぐれてしまって」


 あからさま。差しさわりのない話題の振り方というより、間を持たせようとする実りのない話だ。


 リーンはエレベーターが移動するランプを一瞥して、コフィンを見た。


「知りません。まぁ、眼帯してる奴ならここのことも詳しいでしょうから、心配いらないと思いますけど?」

「そ、そうでしたね。サナハラさん、元は研究員ですもの」


 沈黙。


 簡素で何とも味気ない問答。こんな会話とも呼べないやり取りを二人が喜ぶわけもなく、むしろお互い気まずい状況を作ってしまった。


 そこに救世主のようにエレベーターの到着音が鳴り、ドアが開いた。誰も乗っておらず、照明が少し明るい光を放っていた。


「じゃぁ、俺はこの辺で――――」


 リーンは逃げるようにエレベーターに乗った。コフィンが悪い人でないにしろ、私的に仲がいいわけではない。仕事仲間程度の間柄、ちょっと彼女に気が合ったこともあって居心地がよくないのだ。


「あ――――」


 リーンがエレベーターの階層ボタンを押すと同時に、コフィンは背中を押されたようにエレベーターに乗り込んだ。


 驚くリーンをわき目に、エレベーターのドアは閉まる。ゴウンッと鈍く低い駆動音がエレベーター内に響く。上昇している重圧が肩に伸し掛かった。


「え、えぇ~?」


 彼の口からやっと出た言葉がそんな情けないものだった。表情までぽかんとした間抜け面だ。


 コフィンはというと、リーンと距離を取るようにエレベーターの隅に移動して、備え付けの手すりにつかまった。彼女もなぜか動揺しており、きょろきょろと視線を泳がせている。


 リーンはドアの脇に陣取って片手で手すりにつかまり、冷静な思考で応対する。コフィンの様子を見て、自分への優位性というものを感じた結果だ。


「何階で降りるんですか?」

「えっと……、どうしましょう?」

「…………」


 困った表情を浮かべるコフィン・コフィン。


 彼女の行動原理が理解できず、リーンは思わずムッとする。目的もなく動き回るのは、彼としては避けたいこと。何をするにも、ある程度の目的を立てて動いた方が無駄がなくていい。だから、健康管理室でみた光景を忘れるためにできることをする。


 また、沈黙が流れる。エレベーターのリフトが唸る音と二人きりという状況がリーンたちに緊張感を持たせる。


 途中で誰かが乗ってくる気配もなく、長い長い上昇が続く。


「あの……」

「ん? 何です?」


 コフィンがリーンの背中に視線を見つめて、ゆっくりと話し出す。だが、リーンは胃がきりきりするのを我慢して、彼女の方を向こうとしない。


「あの時のお礼がまだで……。その、ありがとうございました」

「あの時?」

「痴漢された時です……」


 コフィンの声に陰りがさす。まだ克服できていないのだ。


 リーンは彼女の声音に心が暗いものに引っ張られる感触を覚える。


「いえ……」

「わたし、何もできなくて。セルムット軍曹が助けてくれなかったら、どうなっていたことか」

「考えたくもない、そういうのはっ」


 リーンの苛立った声が、コフィンの胸を突いた。苦笑いを浮かべていた彼女の顔はゆっくりと笑みを消していく。


 コフィンの見つめる男の背中は、急に子供な小ささを見せていた。彼女の知らない世界をリーンは知っている。そのせいだろうか。コフィンには壁一枚隔てたところリーンが立っている気がした。


「ごめんなさい。でも、本当に感謝していますから……、だから……」


 仲良くしてください、とコフィンは言いたかった。敬語ばかりの距離を置いた関係性は、これまで幾人もあってきた高官や同僚と同じだった。いつもへりくだって、差しさわりのない人間関係で彼女の後ろ、軍属貴族などというものを見ている。


 だが、コフィンの口がそんな思考とは相反して、餌を待つ金魚のように浮つく。どこかで、抑止力が働いているように。


 リーンは腹の中が落ち着かないのを感じて、手すりを握る手に力を込める。それからコフィンのほうを向いて、ばつの悪そうな顔を見せる。


「わかってますよ。俺だって准尉のような綺麗な人に感謝されれば、うれしいですから」

「あ、えぇ……」


 コフィンは力なく口を閉ざす。嬉しいような寂しいような、何とも複雑な心境。綺麗ですね、と上っ面の表現を何度も飽きるほど聞いていたこともあって、リーンのそれを同じ響きを持っている気がした。


 それと、とリーンは真剣な表情と眼差しでコフィンを見た。


 それには、コフィンも気持ちを引き締められた。


「健康管理室、あと霊安室には近づかない方がいいですよ。余計なものを引きずることになりますから。ガキどもに会ったら、念を押しといてください」

「……、セルムット軍曹は何を見たんですか?」


 コフィンの質問に、リーンは眉間にしわを寄せる。単純な好奇心だけで聞いているのなら、彼女の経験不足がそうさせるのだろう。しかし、まっすぐに向けられるコフィンの瞳には、事態の危うさを看破している気迫があった。


 リーンは逡巡して、口の中に広がる苦々しい味を吐き捨てるように、目にした被害をかいつまんで説明した。すべてを知る必要はないと、詳しい容態や被害を伝えることはなかった。


 それでも、コフィンの顔はみるみる青くなり、ぐっと顎を引いて力んだ。ここにいた人たちが受けた苦痛、凌辱、怨恨。それらがこの『リヴァイアサン』の中で発酵していたことを考えると、今回の戦闘の不自然さは納得できた。


「やっぱり、宇宙は恐ろしいところです」


 そんな感想しか出なかった。イメージを言語化できず、気持ちがやきもきする。


 リーンは頷きながら、彼女言うことが舌足らずだと感じて付け加える。


「しかし、宇宙でなくとも極限条件下におかれた人間ならやりかねないことです」

「そんな……」

「食料も少なく、恨むべき相手がいれば、精神も疲弊して攻撃的にもなる。今回は対応が遅すぎたんですよ、『地球平和軍』は」

「でも、戦闘やごたごたが多かったですし……。なかなか、気が回らなかったんですよ」

「准尉まで、そんなことを言う……」


 コフィンの口から、そんな地球で能天気にしている高官が言いそうな台詞が出されて、リーンは幻滅した。『地球平和軍』の悪癖を知っているはずの彼女だが、やはり軍属貴族なのだと思ってしまう。


 リーンのとげの付いた口ぶりに、コフィンはしゅんとする。


 対応が早かったら、きっと今回の被害は最小限に抑えられたかもしれない。少なくとも、リーンの目にした異常な死体はなかっただろう。


「仕方ないじゃないですか。実際、いつ襲撃が来るかもわからなかったんですから……」

「そんなにまで、兵力がなかったんですか? 無理して、前線に出ている人だっていんですよ」

「多くの人が、心に傷を負って立ち直れずにいるんです。今も、そういう恐怖にうなされている人だっていますし、宇宙での戦闘では融通効きませんし」

「軟弱ですよ、そんなの。それでも軍人だって言うんだから、『新人類軍』が出てくるわけだ」


 恐怖で足がすくんでも、味方が殺されようと、負傷しようと戦う。そうでなければ、自分の暮らしを取り戻すこともできない。戻ることはできない、と言い聞かせて敵を討つ。その結果が見えなくとも、信じることしかできなくとも。


 リーンは少しばかり浮遊感を覚えながら、手すりに寄りかかる。


「だから、革命家ってのは絶えないし、何もかも奪っていくんですよ。例え、成功しようとしまいと。ま、今回の場合、現行の組織が問題なんでしょうけど」

「一軍人が口にするには、スケールが大きすぎですよ」


 コフィンの言い分に、リーンはうっと苦い表情を浮かべる。


 さらに、頭に血がたまって顔を赤くするコフィンは畳み掛けるように言う。


「今は少しでも戦力を蓄えなければいけないんですよ。そんな組織論を言ってる暇なんてありません。敵は待ってくれませんよっ!」

「…………」


 リーンはコフィンの興奮気味の口調に嫌な予感がした。虚構の全能感、身を滅ぼす攻撃衝動。アリスが言っていたことを思い出す。


 戦闘ストレス反応。円熟し始めた感情の高ぶりが見受けられる。戦闘能力が発揮される時期だが、正直好戦的でなかったコフィンが戦闘にのめり込んでいく姿はリーンには忍びなかった。先の戦闘の消化不良もあって、気が立っているようだ。


「コフィン・コフィン准尉……」


 リーンが憂い顔をうかべると、険しい顔だったコフィンから覇気が消える。


 コフィンは彼の見たこともない表情に、ドキッと心臓が高鳴った。寂しげなまなざしを向けられ、自分の言ったことを冷静に振り返る。


「あ…………、ごめんなさい。ちょっと、気持ちが抑えられなかったんです」


 そういうのが精一杯だった。


 リーンの言ったことは、すべてが正しいわけではない。そのことは、コフィンの中で変わるころはなかった。戦えない人に対して、憤慨しているのだから。そして、自分も目の前にいるリーン・セルムットに戦えと言った。仲良くなりたいと思った人をけしかける様な言動。だから、寂しい表情を浮かべたのだろうと思った。


「いえ、いいですよ。それよりも、戦争にのめり込むようなことはやめてください。お願いします」


 リーンの懇切丁寧な言い方に、コフィンはさらに胸を締め付けらる。彼とは一生、階級でしか相手にされないのではないか、と。


 リーンはコフィンから視線を外して、エレベーターのボタンのほうへ体ごと向ける。彼女の困った表情を直視できず、逃げるように。


「いいことありませんから。感情だけで戦っても……」

「セルムット軍曹は、それを知っているんですね」

「似たような状況になら、遭遇してますから」


 リーンはさらっという。

 

 コフィンは卑屈になって、それ以上のことは訊く気になれなかった。やはり、リーンとの間には壁があるのだ。見ているものも、感じている苦しみも、違う。


 そして、目的の階層でエレベーターが停止し、上から降りかかっていた重圧がなくなった。


 リーンとコフィンの足が床から離れ、手すりを支えにする。


「それじゃ、ガキどものことお願いします」


 エレベーターのドアが開かれる。


 リーンが出ようとした体を出した瞬間、人影が目に入った。


「あ、軍曹」

「コフィン准尉も?」

「どして?」


 日本語がリーンとコフィンの耳に入ってくる。

 

 エレベーターの前には(いつき)彩子(あやこ)(おと)が浮かんでいる。不思議そうに三人が興味津々に、リーンとコフィンを交互に見ていた。


「邪魔だ、どけって」


 リーンは(いつき)たちを払いのけて、センターハブの中心を行きかうグリップ・リフトに向かう。なぜこうも、同じ部隊の人間と鉢合わせることが多いのだろうか、と疑問に思う。


「ちょっと、乱暴じゃないっ」

「うっせーな。邪魔なんだよっ」

「ねぇ、先生知らない?」

「知るかよっ」


 リーンはそのままグリップ・リフトを掴んで、裏側に向かっていく。センターハブは円筒状の広い空間で、居住区につながるエレベーターのドアがあるだけの移動空間だ。


「むぅ、ぐんそ、怖い……」


 (おと)が愚痴っている横に、浮かない顔をするコフィンがエレベーターのドアを押さえて、顔を出す。


「准尉。何かあったんですか?」

「え? いいえ、何もありませんよ」


 英語で質問してきた(いつき)に、コフィンは軽く首を振って否定する。(いつき)たちには余計な心配をかけたくない、と年上としての義務感がそうさせる。


 (いつき)は訝しみながら、軽く返答してエレベーターに乗る。


「まったく、何でああも粗暴なわけ? 子供だからって、馬鹿にしてんのかしら」

「わからない」


 彩子(あやこ)(おと)の日本語をコフィンは耳にしながらも、遠ざかっていくリーンの後ろ姿を見送った。

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